縁結びの神、出雲大社の地で、俺は君と出会った
春風秋雄
あと5年で定年なのに転勤を命じられた
東京駅から新幹線で岡山まで行き、在来線で“特急やくも”に乗り換え、もうすぐ島根県の出雲市に着く。飛行機ならもっと早く着くのに、会社は飛行機代を出してくれない。仕方なく7時間もかけて赴任先の出雲市へ行くことになった。
それにしても、この年になって転勤になるとは思ってもみなかった。確かに俺は独身だ。持ち家もない。家族持ちの役職者に比べれば動きやすいのは確かだ。しかし、俺は現在55歳だ。あと5年で定年を迎える。60歳を過ぎてからは65歳までは再雇用してくれることにはなっているが、役職は外される。支店長として赴任する以上は、1年や2年で本社に帰れるとは思えない。このまま出雲で定年を迎えることになるのだろうか。そしてその後の再雇用はどういう形になるのだろうか。特急列車は徐々にスピードを落とし、出雲市駅のホームに止まろうとしていた。
俺の名前は蒔田敏則。東京に本社を置く、賃貸マンションの建設、管理運営などを主に展開する会社に勤務している。若い頃は営業の第一線で活躍していたが、管理者になってからは、様々な地域の支店長を歴任して、50歳になったときに本社の管理部の副部長になった。管理部の副部長といっても閑職で、特にやることはなかった。2か月前に出雲支店の支店長が病気で退職することになった。出雲支店から支店長を出すほどの人材は育っておらず、本社から誰か支店長を出さなければならないということになって、身軽な俺に白羽の矢が立ったというわけだ。
俺は独身と言っても、バツイチだ。学生時代から付き合っていた同級生の女性と大学を卒業と同時に結婚した。1男1女をもうけ、下の長女が20歳になったときに妻から離婚を切り出された。離婚の理由は色々言っていたが、簡単に言えば父親としても夫としても必要なくなったということだった。妻も仕事をしており、それなりの地位についていることから、経済的には離婚しても何ら心配はないということだった。子供が生まれてすぐに買った家は妻に譲った。子供たちは大学を卒業するまでは妻と同居するということで、俺はワンルームマンションを借りて家を出た。
出雲に着いた翌日、出雲支店に初めて出勤した。出雲支店には3年前に本社から転勤で来ている伊藤課長がいた。知った顔を見て、少しほっとする。伊藤課長は俺が横浜支店の支店長をしていたときの部下だった。まだ40歳手前だが、横浜支店の時から、なかなか出来る社員だった。
「伊藤課長、私はここのことは何もわからないので、色々教えてくださいね」
「私でわかることでしたら、何でも聞いてください。私も精一杯フォローしますけど、私より社歴の長い藤田さんがいますので、藤田さんに聞かれると良いかもしれませんよ」
社員データを見ると、藤田美穂さんは現在45歳で、主任という役職になっている。高卒で支店採用で入社し、社歴は27年だ。出雲支店の中では一番社歴が長い社員だった。家族構成は大学生の息子さんが一人いるだけで、旦那さんはいないようだ。その息子さんも県外の大学に進学しており、現在は同居していないようだった。
最初の1週間は、俺は何も口を出さず、ひたすら支店メンバーの働きぶりを見ていた。出雲支店は全国で中の下くらいの成績で、良くはないが、会社のお荷物というほどでもないといった位置づけだった。市場規模は大都市と比べるのはかわいそうだし、同じ島根県内には県庁所在地の松江にも支店があるので、よく頑張っている方かもしれない。ただ、営業会社の宿命ではあるが、特にこの支店は社員の定着率が非常に悪い。毎年のように支店募集をして補充しているのに、補充したぶんだけ辞めている。これでは新しい管理者は生まれない。
1週間たったところで、俺は個別面談を始めた。これは俺のやり方で、新しい支店に赴任したら、必ずやっていたことだ。
若い社員から順に話していき、最後は役職者と話すという流れだった。若い社員は何か言いたげだったが、まだ新しい支店長がどういう人間かわからないので本音を出せないでいると言った感じだった。グループ長や係長などの役職者は口をそろえて藤田主任を問題視していた。遠まわしに柔らかく言っていたが、要するに仕事の進捗状況を報告しない、上司に向かって口答えするといった内容だった。唯一、伊藤課長だけが藤田主任に対する評価が高かった。とても仕事のできる人で助かっていると言っていた。事実、過去の成績を見ても藤田主任の営業成績は断トツだった。この支店におけるキーパーソンは藤田主任なのかもしれないと思った。
そんな藤田主任と偶然話す機会がやってきた。休みの日にマンションの近くのスーパーで買い物をしていると、藤田主任も買い物に来ていたのだ。
「藤田主任!」
俺が声をかけると藤田さんは驚いて振り向いた。
「支店長・・・」
「藤田さんもこの近所にお住まいなのですか?」
「ええ、買い物はいつもここでしています」
「そうだったんですね。私が借りたマンションもすぐそこです」
藤田さんが俺の買い物かごを見た。
「ご自分で料理されるのですか?」
「妻と離婚してからずっと独り暮らしですから、下手なりに自分で料理するようになりました」
「離婚されていたのですか」
「もう8年前です」
「その材料だと今日はカレーですか?」
「わかりますか?今日作っておけば明日も食べられますから、この土日はカレーですますつもりです」
「二日間もカレーでは味気ないでしょ?だったら、そのカレーは明日にして、今日は私の家で一緒に食べませんか?今日は鍋にするつもりだったんです」
「鍋ですか?でもお宅に伺うのはまずいでしょ?」
「今日は息子が帰ってきているので、3人になりますけど、支店長に少しお話したいこともあるので」
俺に話したい事というのは仕事のことだろう。会社では話せないことかもしれない。
「じゃあ、お言葉に甘えて伺うことにします。買った物をマンションに置いてから伺いますので、お住まいの場所を教えてもらえますか?」
藤田さんはメモ帳を取り出し、簡単な地図を書いてくれた。家は一軒家らしい。そして俺たちはスマホで連絡先を交換した。
手土産に東京から持ってきたワインを持参して藤田さんのお宅に伺うと、すでに鍋の準備ができているようで、玄関まで良い匂いがしてきた。藤田さんに案内されリビングへ行くと、息子さんが丁寧に挨拶してくれた。息子さんは純一君という。ふと居間に仏壇が置いてあるのが目に入った。
「あれは旦那さんですか?」
俺が聞くと、藤田さんは「そうです」と答えた。俺は藤田さんに断り、仏壇の前に行き、線香をあげさせてもらった。写真の旦那さんはかなり若い。まだ30代で亡くなったのだろう。藤田さんは旦那さんが亡くなったあと、女手一つで息子さんを大学まで行かせたのか。
純一君は鳥取大学に通っていて、鳥取にアパートを借りているそうだが、月に1回、土日を使って出雲に帰ってくるらしい。
鍋は具だくさんの寄せ鍋だった。鱈、ブリ、エビ、豚肉、鶏肉、あと野菜とキノコ類と、豪勢な鍋だ。
「魚も肉も入っているんですね。島根ではこういう感じなんですか?」
「この地方の鍋がそうなのかは知りませんけど、うちでは何でも入れますよ」
鍋はとても美味しかった。
藤田さんも息子さんの純一君もお酒はけっこう飲める方で、持ってきたワインはあっという間になくなった。純一君が冷蔵庫からビールを持ってきてくれた。純一君は最初は大人しかったが、次第に慣れてきたのか、大学のことや鳥取の話をしてくれた。とても気さくで話しやすい男性だ。藤田さんも綺麗な人だが、純一君もイケメンで大学ではもてるだろうと思った。
食べ終わり、純一君が自分の部屋にこもったところで藤田さんが話し出した。
「うちの支店の離職率が高い原因は何なのか、支店長は知っていますか?」
「いや、どうしてなんだろうと、色々調べていたところなんだ」
「役職者が部下の成績を横取りしているからなんです」
「部下の成績を横取り?」
藤田さんの話によると、部下がもう少しで契約になりそうだと報告すると、その上司が同行して、契約まで締結してしまう。そして「この契約は俺でなければ流れていた」と言って自分の成績にしてしまうのだそうだ。当然インセンティブは部下ではなくその上司がもらうことになる。下っ端の社員はどんなに頑張っても歩合給がもらえない。だから辞めるということが繰り返されているらしい。もちろんすべての案件がそうではないが、特に大きな案件は必ず上司がついて行って成績を横取りしているそうだ。
「そのことは前の支店長は知っていたのか?」
「私は何回も前の支店長に言いました。でも、支店長は支店の成績だからより営業力のある者が契約することは当然だと言って取り合ってくれませんでした」
「そうか、じゃあ、伊藤課長は何と言っているんだ?」
「伊藤課長はうまく言いくるめられているようです」
「なるほどな。わかった。ちょっと調べてみるよ」
藤田さんが言っていることが本当なら、支店の離職率が高いのも頷ける。藤田さんが進捗状況を報告しないのは自分の成績を守るためなのだろう。そして上司からそれを指摘されれば反論する。彼らはそのことを言っていたのか。うちの会社は課長職以上の役職者にはインセンティブがつかない。伊藤課長は営業にでることはほとんどなく、グループ長の報告を聞くだけだから、実態をうまく把握していなかったのだろう。
俺は伊藤課長に藤田さんから聞いた話をして、支店の体制を大きく変えることにした。まず、営業担当の最終的な契約時の同行は、すべて伊藤課長が行う。伊藤課長がふさがっている場合は、支店長の俺が同行することにし、グループ長には同行させないこととした。その代わり、俺は本社と掛け合って、グループ長にはグループの目標達成度合いに応じてインセンティブを支給することとした。この体制は良い結果をもたらした。支店内の雰囲気が大きく変わり、チームで目標達成に向かう姿勢ができてきた。
半年ほど経ったときに、スーパーで藤田さんと会った。藤田さんの方から声をかけてくれた。
「支店長!」
「やあ、久しぶりに会いましたね」
藤田さんは俺の買い物かごの中身を見て言った。
「私と会うときは、いつもカレーなんですね?」
「今日は違うよ。今日はクリームシチューを作る予定なんだ」
俺はそう言ってかごの底からクリームシチューの箱を取り出して見せた。
「カレーもシチューもあまり変わらないじゃないですか。よかったらうちで一緒に食べますか?」
「純一君が帰ってきているのですか?」
「いいえ。今日は帰ってくる日じゃないです。ですから私一人で食べるのは寂しいなと思っていたところなんです」
「でも女性一人の家にあがって一緒に食事をするのは気が引けるなあ」
「いいじゃないですか。お互い独身なんだし。下手に外で食事する方が誰かに見られて変な噂がたちますよ」
「じゃあ、行きますか。だったら、せっかくなので、一人では食べられない料理にしますか?」
「何を食べます?」
「すき焼きにしましょうか?肉は私が買いますので」
俺がそう言うと、藤田さんは目を輝かせた。
「すき焼きを食べるのは、本当に久しぶりですよ」
「お一人ではすき焼きなさらないのですか?」
「150グラムくらいの肉を買ってきて、鍋で割り下で煮て食べることはありますけど、やっぱりすき焼きはこうやって食べた方が美味しいです」
「支店長には感謝しています」
「何のことですか?」
「私、この会社に入って、蒔田支店長が5人目の支店長でしたけど、今までの支店長と全然違いました。私がお願いしたことを、次の日に早速実行してくれました。今では、社員全員がやる気を持って仕事をしています。私が知っている限りでは、今辞めたいと思っている社員は一人もいません」
「それもこれも、藤田さんが勇気をもって私に話してくれたおかげです」
「蒔田支店長は、男前ですね」
「私、そんなにイイ男ですか?」
「顔の事ではありませんよ」
すき焼き鍋の湯気の向こうで、藤田さんの笑顔が弾けた。
すき焼きの日を境に、藤田さんは休みの日になると俺を食事に誘ってくるようになった。俺もそれを楽しみにするようになった。ただ、純一君が帰ってくる日は誘われなかった。一度一緒に食事をしているのだから、誘ってくれても良いのにと思ったが、たまにしか帰ってこない息子さんと、親子水入らずで過ごしたいのだろうと思っていた。
その日は魚介類のすき焼きを二人で食べた。島根では“へか焼き”というらしい。ノドグロやオキギスといった、東京ではあまり見かけない魚も入っている。
「支店長は定年まであと4年と言っていましたね?」
藤田さんがいきなり聞いてきた。
「もう56歳ですから」
「定年になったあとは、再雇用で残られるのですか?」
「そうですね。お金の問題ではなくて、一人で何もすることがないですから、働いていないとボケてしまいそうで」
「再雇用の時は東京へ戻られるのですか?」
「再雇用は役職を外されますから、支店長のままというわけにはいきません。そうすると、私がいたら次に来る支店長がやりにくいでしょうから、東京へ戻ることになると思います」
「そうですか。蒔田さんにはずっと出雲にいてほしいですけどね」
しみじみと言う藤田さんの言葉に、俺はどう反応して良いのかわからなかった。藤田さんは、仕事上において言っているのだろうか。それともプライベートにおいて言っているのだろうか。その時の俺は、それを確かめる勇気はなかった。
いつもなら食事が終ると、少しだけ話をして帰っていたのだが、その日は藤田さんが日本酒を出して「今日は飲みましょう」と言ってきた。俺のマンションまで歩いて15分程度の距離なので、遅くなっても支障はない。俺は付き合うことにした。
「あの人が亡くなったのは、純一が8歳のときでした」
藤田さんがチラッと仏壇を見て話しだした。
「途方にくれました。これから私一人で純一を育てていかなければいけないのかと思うと、気が遠くなるようでした。実家は長崎で、母はすでに他界していましたし、家は弟の家族が住んでいましたので、頼るわけにはいかず、どうしようかと思いました」
そういえば、社員データには出身地は長崎と書いてあった。
「幸いにも、結婚退職はせずに今の会社は続けていましたので、とにかく私が稼ぐしかないと必死でした。しにものぐるいで契約をとろう、少しでも給与を上げよう、そう思って働いていました。そんなときに、上司に成績を横取りされたのです」
ひどいことをするものだ。
「悔しくて悔しくて、泣いて抗議しました。でも当時の支店長は取り合ってくれませんでした」
俺の責任ではないのだが、申し訳ない気持ちで一杯になった。
「あの契約が自分の成績になっていたら、純一に新しい服を買ってあげられたのに。美味しいものを食べさせてあげられたのに。そう思うと、やりきれませんでした」
「申し訳なかった。会社を代表して俺が謝るよ」
「蒔田さんが謝る必要はないです。蒔田さんは何も関係してなかったのですから。それからは契約が成立するまでは絶対に上司には進捗状況を報告しないようにしました。それを上の人は指示に従わない問題児として私を扱うようになったんです。でも、何と思われようが、何と言われようが、私は純一を守っていかなければならなかったのです。蒔田さんが出雲に来てくれて、本当に良かったです。本当に感謝しています」
「私は当然のことをしたまでです。こんなことは言ってはいけないのですが、内密に言います。若手の社員も育ってきましたので、今いるグループ長クラスのメンバーは、今度の人事で転勤させる予定です。ですから、藤田さんのことを疎ましく思う上司はいなくなりますから、安心してください」
「本当ですか?」
「本当です。ただし、絶対に他言しないように」
藤田さんはニコッと笑って頷いた。
時計を見ると11時を回っていた。明日も休みとはいえ、さすがに長居しすぎたと思い、そろそろ帰ると告げると、藤田さんが黙り込んだ。
「どうしました?」
「今日は泊まっていってください」
「さすがにそれはダメでしょう?」
「あの人が亡くなってから今日まで、私は純一のことだけを考えて生きてきました。あの子に食事の世話をして、洗濯をして、掃除をして。そんな暮らしをずっとしてきました。その純一もこの家を出て独り暮らしです。料理を作っても食べてくれる人がいない。洗濯も自分の分だけ。途端に寂しくなったんです。そんなときに蒔田さんに出会いました。純一は友達を家に連れてくる子ではなかったので、息子以外の人に料理を作ったのはあの人がいなくなってから初めてでした。嬉しかったのです。誰かのために料理を作って、一緒に食べてもらえる。たったそれだけのことですけど、本当に嬉しかったのです。毎週土日がくるのが楽しみで、蒔田さんが来てくれるのが楽しみで、蒔田さんが美味しいと言ってくれるのが嬉しくて、こんな幸せを感じたのは本当に久しぶりでした。本当は毎週会いたかったのですが、純一が帰ってくる日だけは我慢しました。純一は感の良い子ですから、私の浮ついた気持ちを見透かされそうだったから」
「藤田さん・・・」
「私は、やっぱり女だったんだなと思いました。だからお願いです」
「私は、4年後には東京へ戻る人間ですよ?」
「4年もあるじゃないですか。私は1年でも半年でもいいです。今まで頑張ってきた自分にご褒美をあげたいのです」
潤んだ目でそういう藤田さんを見ていると、俺はたまらなくなり、藤田さんににじり寄って抱きしめた。
お互い独身同士とはいえ、会社のメンバーにバレるわけにはいかない。上司と部下の色恋沙汰で、組織がギクシャクするケースを俺は何度も見てきている。まさかこの年で俺がその立場になるとは思ってもみなかった。会うのは土日だけと決め、一軒家の美穂さんの家より、マンションの俺の部屋の方が目立たないだろうということで、美穂さんが俺のマンションに来て泊まるようになった。俺は車を持っていなかったが、美穂さんの車で観光巡りもした。松江城、小泉八雲記念館、足立美術館、隣の鳥取県まで足を延ばし大山の紅葉も見に行った。しかし、出雲にいながら出雲大社だけは行かなかった。俺たちは俺の定年と同時に別れる運命にある。縁結びの神様にお参りするのだけは、暗黙の内に避けていた。
結局俺は、出雲支店で定年を迎えることとなった。次の支店長に引継ぎを終え、送別会は辞退しマンションの片づけをしていると、美穂がやってきた。美穂は何も言わず俺の片づけを手伝ってくれる。ある程度片づけていたこともあり、二人でやると意外に早く終わった。
「どうする?泊まっていく?」
俺が聞くと、美穂は頷いた。
翌朝5時半に、俺は美穂に起こされた。
「ねえ、付き合ってほしいところがあるの」
「今日は仕事だろ?大丈夫?」
「出社までには間に合うから大丈夫」
俺は慌てて準備をし、美穂の車に乗った。美穂が向かったところは出雲大社だった。
「5年後、あなたが65歳になってからでいい。もう一度あなたと結ばれたいから、お願い、一緒にお参りして」
俺は美穂に促され車を降りた。
美穂は参拝作法通り、順番に鳥居をくぐると言って、わざわざ宇迦橋(うがばし)の一の鳥居まで行ってからお参りを始めた。勢溜(せいだまり)の二の鳥居をくぐると祓社(はらえのやしろ)がある。そこで心身を清め、三の鳥居を通り、四の鳥居の銅鳥居の前の手水舎(てみずや)で身体を清める。四の鳥居をくぐると拝殿があった。そこでまずお参りをする。作法通り二礼四拍手一礼でお参りをし、拝殿の後方へ回ると本殿が見えてきた。いよいよ本殿でお参りする。ふと横を見ると、美穂は神妙な顔をしていた。その顔を見ていると、俺はこの5年間のことが走馬灯のようによみがえってきて胸が熱くなった。
東京に戻って3ヵ月が過ぎた頃、会社で雑務をしていると、藤田さんという男性の方から電話だという。誰だろうと電話に出てみると、純一君だった。
「蒔田さん、やっと繋がりました。部署がわからなかったので調べてもらうのにたらい回しにされましたよ」
「純一君か?どうしたんだ?」
美穂に何かあったのではないかと俺は心配した。
「今東京に来ているのですが、会えませんか?」
東京にきているのか。出張か何かだろうか。
俺は時間と場所を指定して電話を切った。
純一君は鳥取大学の農学部を卒業して、岡山県にある食品加工会社で働いている。
待ち合わせ場所へ行くと、純一君はすでに来ていた。
「久しぶりだね。立派な社会人になったね」
「ありがとうございます」
「今日は出張?」
「いいえ、有給休暇をとって蒔田さんに会いにきました」
「俺に会うために?」
「今日伺ったのは、母の事なんです」
「お母さんに何かあったのか?」
「僕の仕事からいって、将来出雲に帰るのは難しそうなんです。それで母に、出雲を引き払って岡山に来ないかと言ったんですけど、母は頑なに拒むのです。父の思い出の場所だからなのかと思ったのですが、どうやらそうではなさそうで、少なくともあと5年はここを離れないと言っているのです」
あと5年ということは、俺が65歳になるまではということか。
「これは、僕の勝手な憶測なんですけど、母は蒔田さんを待っているのではないかと思うのです。蒔田さんは60歳の定年になったら、65歳まで再雇用で東京で働くつもりらしいと以前母が言っていました。母が言う、あと5年というのはそのことだと思います。蒔田さんが出雲に来られてから母は変わりました。生き生きとして毎日が楽しそうでした。ところが、蒔田さんが出雲を離れてから、生気を失ったようで、見ているのが辛いくらいなんです。本人から聞いたことはないのですが、蒔田さんは母と付き合っていたのですか?」
俺は返事に窮した。
「蒔田さんを責めるつもりはないです。もし、蒔田さんが65歳になって会社を辞めた時に、母のところへ行くお気持ちがあるのであれば、東京と出雲で離れていますが、たまには会いに行ってあげてくれませんか?お願いします。今の母の姿は、本当に見ていてつらいのです。僕を女手ひとつでここまで育ててくれた母です。残りの人生を今度は自分のために過ごしてほしいのです」
俺は何も言えず、しばらく純一君を見ていた。
特急やくもは、もうすぐ出雲市の駅に着こうとしていた。窓の外は雪が降っている。純一君と会ってから、3ヵ月が経っていた。たった半年前までいた場所なのに、懐かしい気がする。
駅に着き、改札を出ると美穂が泣き笑いの顔で俺を迎えてくれた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「寒いね」
「雪が降ってきちゃった」
「ずっと降るのかなぁ」
「新しい会社は来週からでしょ?それまでにはとけるわよ」
「そうかな。初出社が雪でなければいいんだけど」
「荷物は昨日届いたわよ。半年前に私が詰めた段ボールのままの荷物もあった」
「面倒で開けてなかったんだよ」
「明日、もう一度出雲大社へ行きたい」
「いいよ。でもその前に墓参りに行こう。旦那さんにご挨拶だけしておかなければね」
「今日は寄せ鍋にしたから」
美穂が、もう誰に見られても良いというように、そっと俺の腕に自分の腕を絡ませてきた。
縁結びの神、出雲大社の地で、俺は君と出会った 春風秋雄 @hk76617661
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