第2話

翌日の夕暮れ、渋谷駅ハチ公前の喧騒の中に俺は立っていた。人波に揉まれながら周囲を見回すと、不意に背後から名前を呼ばれた。


「…カズヤか?」


 振り向くと、背広姿の翔平が立っていた。少し痩せたようだが、その鋭い眼光は昔のままだ。


「久しぶりだな…」翔平は硬い笑みを浮かべてそう言った。「やはり来たか」


「ええ…。翔平さんも、例の手紙を?」


「ああ。昨日ポストに入っていたよ。正直、悪い夢かと思った」


 そう言う彼の横顔は険しかった。俺は頷きかけたが、背後からまた別の声が上ずった。


「翔平さーん! カズヤくん!」


 聞き覚えのある高い声に振り返ると、人混みの中から綾香が小走りに近づいてきた。「来てくれて良かった」翔平がうなずいた。「他の皆は…?」


「優香からは“すぐ着く”って連絡があったよ。健二は…まだだけど、きっと来るよね」綾香は不安げに言った。


 その時、人混みの中から誰かがこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。


「す、すみません、遅れました…!」


 息を切らしながら優香が姿を見せた。浅いベージュのコートに身を包んだ彼女は顔色が悪い。俺が「久しぶり」と声をかけると、優香は一瞬こちらを見て小さく会釈したが、すぐ俯いてしまった。その肩は震えている。綾香が優香の背に手を当て、「大丈夫だよ」と囁く。優香はかすかに頷いたものの、強張った表情は崩れない。


「あと来てないのは…健二と美雪か」翔平が腕時計を見ながら言った。「二人とも来るのか?」


 翔平の言葉に皆が不安そうに顔を見合わせた。その時、少し離れた場所から控えめな声が聞こえた。


「…あの…」


 振り向くと、人混みの端に立ち尽くすようにして美雪がこちらを見ていた。黒いコートに黒いマフラー、まるで喪服のような装いだ。その白い顔は青ざめ、唇は強く結ばれている。俺たちは一瞬言葉を失った。


「美雪…来てくれたのか」翔平がおそるおそる声をかける。


 美雪は何も答えず、ただ静かに頷いた。その瞳には感情が読めなかったが、その場の空気がさらに張り詰めるのを皆感じていた。


「健二は…まだか」翔平が眉をひそめた。その時、雑踏の向こうから誰かが手を振っているのが見えた。


「おーい! ごめん!」


 人々を縫うように走ってきたのは健二だ。顔色を悪くした彼は息を切らしながら「遅れてごめん…!」と頭を下げた。


「大丈夫」俺は安堵して声をかけた。「これで全員…だな」


 こうして8年ぶりに6人全員が揃った。だが再会の喜びなどあるはずもない。俺たちは互いに硬い表情のまま立ち尽くし、気まずい沈黙が流れた。 やがて翔平が口を開いた。「…とにかく、こんな往来で立ち話もなんだ。場所を変えよう。話をするにしても落ち着かない」


 全員が無言で頷き、俺たちは近くの店を探した。幸い裏通りの雑居ビルに個室のある小さな居酒屋を見つけることができ、そこに入ることにする。俺たちは人目につかない奥の座敷席に案内され、ぎこちなく腰を下ろした。


 テーブルを囲むと、微妙な間が空いた。各々が何か言いかけては飲み込むような沈黙が続く。しばらくして、翔平が低い声で切り出した。「…さて。本題に入ろう。みんな、例の手紙を受け取ったんだな?」


 全員が無言で頷く。卓上には6通の白い封筒が揃えられていた。それぞれ昨日届いたものだ。


「俺のには『罪は消えていない』とだけ書かれていた」翔平が封筒から紙を取り出し、開いて見せる。「他のも同じ内容か?」


「俺のも同じ内容だ…」健二が絞り出すように言い、他の皆も無言で頷いた。全員に同じメッセージが送られていた。


「やっぱり…誰かが俺たち全員に…」健二が唇を噛みしめた。その顔は青ざめ、額には汗が滲んでいる。「誰なんだよ…こんなの送りつけてきたのは…」


「冷静に考えよう」翔平が静かに言った。「この内容からして、明らかに慎也の事故のことを指している。俺たち以外にこの件を知る人間は…あまりいないはずだ。警察と、あとは…慎也のご家族くらいだろう」


 慎也の家族――俺たちは一斉に美雪の様子をうかがった。だが彼女は伏し目がちに座ったまま、表情を変えない。気まずさに耐えかねた綾香が口を開いた。「で、でも、美雪ちゃんのお父さんやお母さんが、こんな手紙出すとは思えないよ…。それに内容も場所も…なんだか回りくどいし」


「そうよ。もし何か言いたいことがあるなら、直接連絡してくるはずだわ」優香もかすれた声で続けた。「こんな脅かすみたいなこと、あのご両親がするとは思えない…」


「じゃあ誰が…?」健二が苛立ったようにテーブルを握りしめる。「俺たちをこんなふうに呼び出すなんて…!」


 その言葉に誰もすぐ返せなかった。店員が持ってきた飲み物を静かに机に置いていく間、俺たちは互いに顔を見合わせるだけだった。


 炭酸飲料の氷が音を立てたとき、俺は思い切って口を開いた。「…もしかして、他に俺たちの秘密を知ってる人間がいるのかもしれない。例えば、あの日たまたま近くにいた登山客とか…」


「そんな人、いたか?」翔平が首をひねる。「俺たち以外に、あの現場には誰もいなかったはずだ」


「ああ…そうだったな」俺は記憶をたどった。雨と闇の中で必死だったあの夜、他の登山者どころではなかった。結局、翌朝に捜索隊に発見されるまで俺たちは孤立無援だったのだ。「…じゃあ、心当たりは本当に…」


「……もしかして慎也が…」不意に美雪が呟いた。


 その言葉に誰も息を呑んだ。慎也本人が――まさか。しかし誰も即座に否定できない。心のどこかで同じ恐怖を感じていたからだ。


「ばかな…幽霊が手紙なんて出せるものか」健二が震える声で反論する。


「慎也くんがそんな…」綾香も困惑したように言葉を探す。「慎也くんが生きている可能性はゼロだ。俺たちが見たんだ。あいつの…遺体を」


 翔平の言葉に重苦しい沈黙が降りた。優香が小さくすすり泣くのが聞こえ、綾香が肩を抱いて慰める。俺は喉の奥が詰まったように声が出なかった。8年という歳月を隔てても、生々しく蘇る光景がある。俺たちは誰もあの日のことを忘れてなどいなかった。


「とにかく」翔平が静かに続ける。「これは誰か生きている人間の仕業だ。慎也に代わって俺たちを糾弾しようとしている誰かがいる…そう考えるべきだろうな」


「糾弾って…俺たちは何も悪いことなんて…」健二が悔しそうに唇を噛む。「事故だったじゃないか…!」


「事故…ね」美雪が低くつぶやいた。「本当に、事故だったのかしら」


 ピリリと空気が凍った。美雪の言葉は、まるで氷の刃のように俺たちの胸に突き立った。翔平が目を細め、美雪を見据える。「美雪…どういう意味だ?」


「そのままの意味よ」美雪は感情の読めない声で言った。「私はずっと考えていたの。もしあのとき誰かが慎也を…」


「やめろ!」突然、健二が大声を上げた。立ち上がった彼の肩が小刻みに震えている。「やめてくれ…俺たちは…俺は…あいつを助けようと…!」


 感情を爆発させた健二に、俺たちは言葉を失った。優香が泣き出し、綾香が宥める。「健二…落ち着いて…」


「…悪い」健二ははっとして拳を下ろし、うなだれた。「俺…取り乱した…」


 翔平が重いため息をついた。「…こんな風に言い争うために集まったんじゃないだろう。美雪も健二も、一旦落ち着け」


 美雪は無表情のまま俯き、健二は荒い息を整えようとしている。険悪になりかけた場の空気に、俺もどうしていいかわからず押し黙った。


「つまりだ」翔平が仕切り直すように言った。「誰かが俺たちを揺さぶろうとしているのは確かだ。このまま放っておいていいとは思えない。だが相手の正体も目的も皆目見当がつかない以上、軽率な行動もできない」


「警察に相談…は?」綾香が恐る恐る提案する。


翔平は首を振った。「警察沙汰は避けたい。下手に動けばこちらが疑われかねない」


 俺たちは顔を見合わせ、黙り込んだ。確かに警察に持ち込めば、当時のことを蒸し返されかねない。あの日の真相がどうであれ、世間に知れれば俺たちの人生は終わる…。皆、その危険を本能的に感じていた。


「…じゃあ、どうするの?」優香が不安げに問いかける。「このまま待つの? また手紙とか何か来るのを…?」


「相手の出方を待つほかないだろう」翔平は腕を組んだ。「もちろん警戒は怠るな。もし何かあったらすぐ連絡を取り合おう。俺たちはもう運命共同体なんだ…いいな?」


 全員が暗い顔で頷いた。運命共同体――まさにその通りだ。8年前、慎也を失ったあの日から俺たち6人はずっと見えない鎖で繋がれている。そして今、その鎖が再び俺たちを縛り上げているのだ。


 店を出ると、冷え込んだ冬の夜気が肌を刺した。俺たちはビルの前で短く言葉を交わし、それぞれ帰路につくことになった。別れ際、念のため皆で連絡先を交換し合い、何かあれば知らせるよう確認する。


「じゃあ…また」優香が震える声で言った。綾香は優香の肩を抱きながら「大丈夫、きっと大丈夫」と繰り返している。翔平と健二は無言で頷き、美雪は一足先に夜の街へ消えていった。


 俺は皆と別れ、一人駅へ向かって歩き出した。重苦しい疲労感が全身にまとわりついている。果たして今日集まったことに意味はあったのだろうか。結局、何も解決はしなかった。見えない敵への不安がさらに募っただけだ。


 雑踏のネオンが滲んで見える。ふと、ポケットの中でスマホが震えた。見ると綾香からのメッセージだった。《今日はありがとう。怖いけど、みんなでいればきっと乗り越えられるよね》そう励ますような言葉に、俺は少しだけ救われる思いがした。まだ希望はあるのかもしれない、と。


 だが次の瞬間、俺は立ち止まった。ポケットに入れたはずのスマホとは別に、何か固い紙片が触れた。訝しんでそれを取り出し、街灯の下にかざした俺は、思わず息を呑んだ。


 それは一枚の写真だった。8年前、俺たちが山に登る前に撮った集合写真。笑顔の慎也を中心に、若かった俺たち6人が肩を組んで写っている。だが、その写真の慎也の顔の部分には黒いインクで大きく×印が塗り潰されていた。


 鼓動が一気に早くなる。なぜこんなものが――? 混乱しながら周囲を見渡したが、行き交う人々は誰もこちらに関心を払っていない。


 写真の裏に、何か文字が書かれているのに気づき、街灯にかざす。黒いマジックでこう走り書きされていた。


「お前たちの罪を忘れるな」


 手が震え、写真がかさりと音を立てた。これはただの悪質な悪戯なんかじゃない。確かな悪意が、俺たちを取り囲み始めている――そのことを俺は嫌というほど思い知らされた。

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影に潜む真実 霧乃遥翔 @0720hk

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