コイン・キャンディー
油🈓朮油
コイン・キャンディー
一七九五年、一月二十八日。軍隊がやって来た。
荒涼とした雪原の戦場で、軍隊は40日を超えて戦い続けた。しかし、やがて物資と兵力が底を尽き、彼らは前線から一時退却せざるを得なくなった。陣形を再び立て直すには、首都に帰還して軍事物資の補給を行い、増援部隊と合流する必要があった。軍隊は、点在する
――――私の家にも、兵士が上がり込んできた。
「こいつは、スタブレゴっていうんだ」
兵士は
「
兵士は遠慮がちに要求した。私は兵士の申し出を快諾した。
兵士は、泥炭が燃える暖炉の前に座り込んだ。スタブレゴはその傍らでしっぽをパタパタと小刻みに振っている。
「戦局は?」ブリキの
「極めて順調だよ。すでに前線から17
兵士は答えた。が、私の顔をちらりと
「貴婦人、正直に言おう」「まもなく敗戦する」
「……どうして、もうすぐ敗戦だと分かるのですか?」私は尋ねる。
「戦局の
兵士はしわがれた声を徐々に張り上げながら、一気にまくし立てた。
「大砲と銃弾が飛んで、霜の付いた地面の上に内臓やら
兵士は淡々と語り続けた。スタブレゴは床にうつ伏せになって前足を舐めている。
「スタブレゴは、戦場で味方の兵士に誤射されたんだ」
「それで、ひどく出血した。焼きゴテで
「その、ウィンフリッツという方は、
「いや、違う。
「新兵はまともな軍事教育を受けていないから、敵兵に狙われやすいんだ。あの野郎も、例外じゃなかったみたいでよ。大砲で撃たれたんだ。直撃はしなかったようだが、それでも皮膚がV字に割れて、ほとんど瀕死の重傷を負っていた。仰向けになって立ち上がれなくなっていた所をスタブレゴが発見したんだが、ウィンフリッツの野郎は激痛で精神が錯乱していてな。スタブレゴを敵だと思ったらしい」
「――――その人は、無事だったのですか」
「さっきも言っただろう。瀕死の状態だった。野戦病院に運ばれたよ」
やや苛立ったような口調で、兵士は答えた。
「まあ、ある意味では、ウィンフリッツの野郎はラッキーだったと言える」
「ラッキー、とは?」私は言った。
「大けがを負って、
ひとしきりしゃべり終えると、兵士は沈黙して
私が作ったのは、塩漬け
私はまだ熱い湯気の立つ鍋を持って玄関の外に出た。雑炊を冷やすために、雪を入れようと思ったからだ。玄関先に積もった真新しい雪を鍋に掬い入れて、再び家の中に戻ってくると、兵士が一枚の硬貨を口にくわえていた。
「何をしているのです?」驚いて私は尋ねた。
「コインを舐めているのさ、空腹をまぎらわすためにな。実は、昨日から何も食っていないんだ」兵士はモゴモゴと口を揺らして答えた。
「お腹が
「いらない。俺には、ソレを食う資格なんてないんだ」飴玉のようにコインを舐めながら、兵士は答える。
「貴婦人。俺は敗残兵だぜ。飯なんて、スプーン一杯の
「そんなこと言わずに、貴方もお食べになったらどうです」
「いいんだ、スタブレゴの為においしいご飯を作ってくれてありがとう」
兵士はそう言いながら立ち上がると、私から鍋を受け取り、スタブレゴに近づいた。
結局、だれも雑炊に口をつけることはなかった。
スタブレゴは充血した瞳をしっかりと開きながら、暖炉の前で息絶えていた。
体に巻かれていたマフラーを外したスタブレゴの脇腹は、その死因を残酷なほど明白に描画していた。
スタブレゴの死を確認した後、兵士は外に飛び出して、夜明けまで玄関に入って来ることはなかった。彼は一晩中、玄関先で
翌朝、軍隊は村を去った。
あの兵士の言った、“ウィンフリッツ” ―――
あわれむべきスタブレゴの命を奪った、“ウィンフリッツ”――――
ああ、徴兵で戦場に
かの人物を夫だと信じるべきか、同名の他人だと否定するべきか。
一月二十九日の朝を境に、私の胸の中には二匹の感情が住み着いてしまった。
コイン・キャンディー 油🈓朮油 @okinoyu976
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