D.iary22空虚な観測者と、星を灯す理由

​セシリアはまた、活火山の縁(ヘリ)に降り立った。

​深淵でマグマがのたうち回り、赤紅の光脈が心臓の鼓動のように地底から透けて見える。

​ここ一年、彼女は数え切れないほどこの動作を繰り返してきた――ゆっくりと降下し、つま先を立て、灼熱の山頂に静かに佇む。

​なぜこのような習慣が形成されたのか、彼女自身にも定義できない。

​ここが高所であり、存在しないはずの『可能性』を索敵するのに適しているからか。

​或いは――この死に絶えた大地で、火山だけが『熱』と『動き』を持ち、永遠の灰暗(グレー)よりも『生命』に近いからかもしれない。

​彼女は理解している――この時間帯にノアが現れる確率は、限りなくゼロに近いと。

​探索という名の、巡回……。

​それは、果てしない孤独を緩和するために、眼前の少女が残した脆弱な言い訳に過ぎないのかもしれない。

​彼女は熱風の中に立ち、マグマの熱波がドレスの裾を揺らすのに任せた。

​観測のためでも、任務のためでもない。

​ただ、この無機質な世界に、わずかでも温度を感じていたかっただけ。

​「ただここで……待機(ウェイト)するだけですか?」

​セシリアの声は、マグマの轟音にかき消される。

​思考する――無意味な巡回を続行するか、それとも現状を打破する行動に出るか。

​その時、背後の火山が不穏な低周波を発した。

​――地殻振動、異常。

​――高エネルギー反応、収束中。

​視界に分析ログが高速で流れる。正確かつ冷徹なデータだが、空気は急速に熱を帯びていく。噴火の予兆だ。

​彼女は躊躇なく反転し、火口から離脱した。

​だが今回は、水平方向への退避ではない――垂直上昇を選択した。

​足下から噴き上がる塵が厚みを増し、視界を塗り潰していく。

​地表を奔流する赤い濁流は煙の中で急速に小さくなり、先ほどまで巨大な熱量で荒れ狂っていた火口は、遥か彼方で消え入りそうな光点へと変わった。

​世界が遠ざかり、沈黙へと沈んでいく。

​突如、刺すような閃光がセシリアの横顔を照らした。

​次の瞬間、炸裂音と共に雷鳴が耳元で轟いた。

​雲層が沸騰している。無数の電弧(アーク)が狂ったように走り回り、終わりのない祝祭を繰り広げているようだ。

​『……帰還しますか?』

​その思考は一瞬だけ処理されたが、即座に強い意志によって棄却された。

​純白の光が体表から展開され、翼のように全身を包み込む。

​少女は顔を上げ、雷霆(らいてい)で構成された天蓋へと、迷わず直進した。

​雷は雲を引き裂き続け、容赦なく彼女の防護光(シールド)を打ち据える。

​衝撃のたびに光の粒子が激しく震え、引きちぎられた翼のように散っていく。

​亀裂が走る――微細だが、確実に広がっている。

​雷で作られた剣が四方八方から突き刺さり、彼女を大地へと叩き落そうとする。

​だが、防護光が砕け散る寸前――少女は雷雲を突破した。

​風も、音も、塵もない、成層圏の静寂へ。

​雷暴は、彼女の足下に置き去りにされた。

​雷の層を抜けたセシリアの瞳に映ったのは、巨大な瞳孔のように懸かる、近地点の月だった。

​「ノアがここにいたら、怖いと感じるでしょうか……」

​小さく呟きながらも、並列処理での分析(アナライズ)は止まらない。

​『――活動痕跡:確認。月面に発光点、火山活動と推測』

​『――視覚野の拡大? 否、対象との距離短縮によるもの』

​『――質量照合完了:第六紀月面の約三分の二』

​視界を埋め尽くす月面から視線を外し、セシリアは眼下を見下ろした。

​冥王代(ハデアン)の地球。

​一つの巨大な原始大陸が無辺の海に抱かれている。

​だが夜側の半球では、海の色は闇に飲まれ、地表を蜘蛛の巣のように這う溶岩のグリッドだけが鮮明に浮かび上がっている。

​雲に覆われた場所では、無数の稲妻が闇の中で弾け、跳ね回っている――それらは決して止まることがない。

​この星は、生命を育む揺り籠には見えない。

​むしろ、暴虐で、高熱を帯びた、鼓動する心臓のようだ。

​もしノアがここに立っていたら、ふと彼女は思う――。

​「彼もまた『怖い』と言うでしょうか。……でも、『綺麗な景色だ』と言う可能性も除外できませんね」

​その思考が、わずかに彼女の眼差しを和らげた。だが、それも一瞬のこと。

​「ノアの生存確率を、最大化しなければなりません」

​「安全地帯(セーフエリア)が必要です」

​「視認性の高い、識別信号(ビーコン)が必要です」

​セシリアは低く呟き、思考の深層でコマンドを高速配列していく。

​眼下の原始地球――闇の中で赤い光を脈打たせるその世界は、地核の奥底から不安な吐息を漏らしているようだ。

​彼女の視線が大陸の縁を走る。

​雷暴エリア、溶岩帯、津波衝撃ライン……。

​短時間の解析を経て、彼女は相対的に静穏で、雷雲の被覆がないエリアをロックオンした。

​降下シーケンスに入ろうとしたその時、銀白の光が宇宙の静寂を切り裂き、視界の隅を過った。

​「……彗星?」

​確認に要した時間は0.5秒。

​だが、それ以上は滞留しない。

​次の瞬間、少女の翼は猛然と畳まれ、一筋の光の矢となって、狂暴な世界の一角にある静寂へと無音で墜ちていった。

​着地。

​足下の黒い岩盤にはまだ熱が残っており、大地の脈動が靴底から伝わってくる。

​セシリアは腕を上げ、指先を微かに震わせた。

​刹那、周囲にあった数百の黒曜石が重力を無視して浮上した。

​最初は無音の雨粒のように不規則に漂っていたそれらは、彼女の制御下で秩序を持ち始める。

​鋭すぎるものは排除され、細かすぎるものは塵へと還る。残った数十個の適度な大きさの石塊が、少女の周りを衛星のようにゆっくりと旋回する。

​光の刃(ブレード)が無音で空を切った。

​一閃、二閃、十数閃。

​黒曜石は切断され、滑らかな内壁を露わにする。角は削ぎ落とされ、柔らかくも整然とした弧を描く。

​すべての切断は計算され尽くした角度で行われ、やがて、数十個の優雅な中空のフレームが彼女の周囲に完成した。

​古風で、神秘的な、ランタンの形状。

​セシリアは手を掲げ、掌に淡い金色のエネルギー体を凝縮させる。

​ブゥン――それは、呼吸をする極小の星の核(コア)のようだ。

​彼女はそれを一つのランタンへと押し込んだ。続いて二つ目、三つ目……。

​彼女の掌から次々と新たな光核が生まれ、五個、十個、二十個と増えていく。

​光点が注入されるたび、ランタンに火が灯る。

​暗赤色と灰黄色が混ざり合う世界に、柔らかな金色の灯火の輪が生まれた。

​【警告:エネルギー配分異常。光源作成による捜索任務への貢献率はゼロに収束。直ちに停止を推奨】

​【論理矛盾:当該行動は無意味と判定】

​淡い金色の長髪が灯火の中で揺らめくが、毛先は以前よりも少し色褪せている。

​セシリアは触れもせず、振り返りもしない。

​――当然、認識はしている。

​だが、真に重要な事象と比較すれば、この程度の損耗(コスト)は誤差に過ぎない。

​再会のために。

​ノアがこの死に絶えた原始の大地で、安全なルートを見つけ出すために――。

​この程度の代償なら、甘受する。

​一つの明かりがゆっくりと地面に降ろされ、白い光の障壁がその揺らめく星火を守る。

​風砂が舞い始め、彼女のドレスの裾が残した跡を埋めていく。

​だが、その灯火だけは、昏い天地の間で、決して消えることのない暖かな黄色を広げていた。

​この灯火で、大地を満たすために。

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第零旅途(ゼロ・トリップ) ―第十三紀の天使と、「さよなら」の先へ向かう終焉日常― @Kimorisensei

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