第四節 会紡機戦、開幕

 コンクリの壁と床、乱雑に置かれた雑誌やペットボトル。比較的新しいソファーやビリヤード台。

 一室だけの空間、広いというのにタバコの煙で霞む景色はまるでアングラ空間だ。


 そのアングラ空間に相応しいとも言える鼻血を垂らしながらも、大男反社は何事もなかったかのように立ち上がる。

 据わっているようにも見える目を見てわかる、凄まじい集中力だ。


 タバコの煙を掻き分け、まずは奴が動いた。

 僕の前には大江戸さんが立ち塞がり、銃を投げ捨て真っ向から走る。


 雑誌を踏み付けながらも姿勢を崩さず、大江戸さんは右ストレートをぶっ放す。

 奴はその腕を掴んで引き込む。


「……がぁッ!」


 精密な動作だ、何度も何度もやってきたような……ちらりと覗く柔道耳。なんで柔道もんが反社やってんだよ!

 だが、背負い投げした直後の今なら隙がある。


 ジリジリと近づいていた僕は一気に駆け出す。

 さながらドラッグレースの空転バーンアウトのように、ロケットスタートをかます。

 仇取ってやるぜ大江戸さん。

 

 一歩。手を交差させた後、左手を前に、右手を後ろに。右手へ温もりが生まれ、緑色の光と化す。

 また一歩。腰の動きに連結し、左手を引きながら右手を突き立てる。右手の温もりが外に漏れ出す。

 更に一歩。柔らかく力を入れないように調整しながら、型通りの動きを。


ほうッ!」


 行ける、そう確信した瞬間に奴の足が眼前に広がっていた。

 高速の回転後ろ蹴り、そんな、無茶苦茶な! 僕のことを見てもいなかったのに、なぜ!?

 厚底の分厚いブーツ、安全靴? こんなの顔面に当たったら首げる……!


 無意識に僕は腕で頭を守ると同時に、柔らかいなにかを擦り潰したかのような嫌な感覚と衝撃が伝わる。

 そのまま世界が、ふわりふわりと回転する。痛み、というより熱さが左腕を駆け巡る。


 そして斜めから背中を地面に打ち付ける、肺の中に溜まった空気が強制的に吐き出されるような感覚。息が出来ない。

 回り巡る世界に大男が迫っている、ゴツいナイフが鈍く光りながら迫りくる。


 情景がまるで、スローモーションに見える。走馬灯は見えない、今この瞬間、この時のみを映し出す。

 崩衝ほうしょうの光はまだ、消えていない。


 僕は右手でナイフを掴み、まるでちくわのようにぐにゃりと曲げる。

 僕の崩衝ほうしょうでは即座に溶かすまではいかないか、奴に当てても筋肉弛緩だろうしな。

 掌には鋭い痛みが後から来た。背も左腕も右腕も、全身が危機信号を出している。


 僕は容赦なく、前傾姿勢となった奴の股間を蹴り上げる。


「ぐあっ……!?」


 足の嫌な感触を掻き消すように、僕は足を奮い立たせて立ち上がる。

 この一瞬の間に、大江戸さんも立ち上がっているのが見えた。

 彼が到達するまでのこの刹那、僕に出来ること。


 僕は腕を鞭のようにしならせ、掌の傷口から血を飛ばす。

 大男の視界は僕の血で滲んでいることだろう、すぐにしゃがみ込み転がりながら距離を取る。

 まだ僕がそこにいると思っている男は、掌底を空振りしていた。


 大江戸さんは後ろから飛び掛かり、足で胴に絡みついたかと思うと羽交い絞めにした。


「なんなんだお前らはッ!?」


 奴はそう言いながら、後ろに倒れ込もこうとしていた。

 しかも、少し浮いて空中で完全に仰向けになっている。このままじゃ大江戸さんが圧し潰されちまう。

 僕は腰をグッと入れながら、押すように蹴るがほんの少ししか傾かなかった。


「ハァ、ハァ……ハァ……」


 凄まじい量の汗と息が漏れていく。全身の痛みは当然ながらに引かず、手から見たこともない量の血が流れ続けている。

 僕はフラフラと歩き、大江戸さんが絞め続ける首を振り解こうとする腕に崩衝ほうしょうを構える。 


 奴は振り解こうとする手の片方だけを僕に向けて、僕の腕を掴んだ。

 しぶと過ぎる……! そんな寝そべった体勢とは思えない握力で、僕の腕をいとも容易く……へし折った。


「あぁああああァア!」


 痛い、痛みに頭がやられる。それしか感じられない。高音ではない、濁音の混じった不快な耳鳴りが響く。

 気づけば僕は尻もちをついていて、奴を見ていた。


 大男は上体だけを起こし、口から涎を垂らしながら腕が一回り大きくなる。

 血管の浮き上がる凄まじい筋肉で大江戸さんの腕へ手をかける。


 大江戸さんは素早く体勢を入れ替え、首にかけた腕を解いて後頭部を殴ろうとしていた。


 その時だった。

 鈍い音が続いていた中、銃声が響いた。

 ちらりとソレを見ると、鼻ほぼ陥没した仲間らしき男が嫌味な笑みを貼り付けながら、大江戸さんを撃っていた。

 そしてまた、うつ伏せとなり頭を落とす。


「う、嘘でしょう?」


 大江戸さんに再度目をやる。

 大量の出血の跡が地面にある、今出来たものではない、血の水たまりだ。位置的には……後頭部があった辺り。

 腕、腕からも大量の出血がある。撃たれたのは振り上げた腕で、血だまりは押しつぶされた時に後頭部を地面にぶつけたのか?

 今この瞬間は死んでいないにしろ、このままではまずい。


 はっきり言って、舐めていた。

 そりゃこうなる、ここは現代だ。今とは思わなかったがいつか銃は出てくる、殺し合いなんて想像の世界だったがこういうもんだ。


 もうだめだ、勝てはしない。


 僕はなんとか大男と大江戸さんの元に走り、男の頭をサッカーボールキックして大江戸さんを引っ張り出す。


 男の声も無視して、彼に肩を貸して小走りで部屋を後にした。

 階段に躓きながら、なんとか外まで這い出た。


 気づけば僕は泣きながら、歩道を歩いていた。

 痛みに悶えながら、歩いていた。


 近くに止まっていた、エクソテックス社の車が走ってくる。

 運転手は血相を変えた表情で降りてきて、僕たちを支えた。


「大丈夫ですか!?」

「びょ、病院に……お願いします」


 大江戸さんを抱えた運転手にそう伝えて、僕は支えていた左腕を見る。

 皮膚が抉れて、肉が見えていた。右腕は完全に折れている、動かせもしない。

 死に体で車に乗り込み、意識はあるのに徐々になにも考えられなくなっていった。


 水が入り込んだように耳は遠くなり、視界から色が抜け落ちていく。

 お腹は空いているような、空虚な感じがした。


 気づくと、車は病院についていた。


「運転手さん、大江戸さんを抱えてください」

「……その必要はねぇぜ、長内」


 ……あの大怪我から、もう意識を回復したのか……?

 逆に僕は安心して、意識が遠のいていく。


 意識が落ちるギリギリのところで、大江戸さんと運転手さんに支えながら病院へと足を伸ばす。


「大江戸さんのほうがヤバい怪我してるんですから、支えなくていいですよ……」

「はン、俺の傷はもう塞がってンぜ」


 意味わからん……。

 病院に入ると、待機していた患者たちは驚いたような顔で僕たちを見ていた。

 そりゃそうだ、血まみれで入口から入ってきたんだから。

 僕たちに気づいていなかった人たちもすぐに視線を向けて絶句する。


 看護師の一人が慌てて僕たちに駆け寄り、安心したのだろうか。

 僕は酷い眠気に……。


 ………………。

 …………。

 ……。


 奴にナイフで刺される夢を見た。何度も、何度も。

 目を覚ましては、体が動かずまた眠った。

 そうしているうちに、いつの間にか僕は起きていた。


 左腕と右手は包帯まみれで、ミイラ男みたいだ。

 パワードスーツじゃなくて、ギプスと包帯に身を包まれるとは。


 あまりの痛々しさに顔を背けると、大江戸さんが腕を組んで座っていた。


「起きたか」

「……ええ」


 また罵られるのだろうか、まあ僕金的しか入れてないし役立たずだったよな。

 言うて大江戸さんも有効打入れてたっけ? 今のうちに反論を探しておかないと。


「悪かったよ、長内」

「え……?」


 ま、まさか謝られるとは。


「完全に俺の慢心だった。調子に乗ってる呑気なお前見てンとイライラしてよ、こんな奴どうなろうと知ったこっちゃねぇと思ってたが……お前は最後俺を連れて逃げた」


 まあ否定はできない。

 はっきり言って僕は温室育ちだ、裕福な父に拾われて悠々自適に暮らしてきた。高校を卒業してから世間知らずニートとして、人生ナメてた。

 あんな危険なことも、なにかの転機くらいかもの軽い気持ちがなかったわけじゃない。


「俺を助けたんだオメェは、見捨てずによ」

「義理堅いでしょう? 堅気な男なんです」

「反社と戦って影響でもされたかァ? ヤクザごっこはだせぇからやめろ……ま、相変わらずの軽口で安心したぜ」


 反社、ヤクザ、その言葉にあの時の恐怖が蘇る。


「言い訳はしねェ、慢心してた俺が悪い。頭も悪かった、本社でアイツの姿が千里眼で見えただろ? ってこたぁはアイツも俺らを見えていたんだ、警戒しないはずがない。お前が捕まったのは俺の責任でもあるし、負けたのも俺の責任が大きい」


 反省できるんだこの人……いつもそのくらい謙虚でいてくれたらさぞかしモテるだろうな。

 いや、既にモテている可能性はある。なんなら高い、こういう奴は手も早い。

 敵か?


「ま、僕も呑気だったのは認めるところですからね。そもそも負けてはないですし? 最後の僕のキックでやられてるかもしれませんし?」

「はン、少なくとも引き分けだよな。お前はもう、これで満足して手ェ引けよ」


 ……そういうことか。


「足手まといだからですか?」

「いや、普通によォ。だってお前、命懸ける理由なんかあンのか?」

「美少女パラダイスです」


 口ではそう言うが、心は揺れ動く。

 こんな常軌を逸した世界にはいたくもない、僕は家でパソコンいじってりゃ満足なインドア派だ。

 危険を冒すのはネット上の違法行為で十分だ。


「とはいえ、大江戸さんはまだやるんでしょう?」

「俺ァやるよ……そろそろ、本気で話してみるか」


 僕たち以外に居ない静かな病室で、彼はぽつりと呟いた。


「なァ長内、まず社長についてだが……アイツはなんか隠してンよ」

「ほう……」

「ほんとのことを言っちゃいるが、間違いなく全部は言っちゃいねぇ。一企業の社長が会紡機とかいう代物を知っていて、それの為に軍用兵器なんて作るわきゃない、元々軍事組織と関わってるよあの会社は。しかも国外のな」


 たしかにそうか。そんな得体の知れないモノの為に軍用パワードスーツなんて作ろうとは普通思わないだろう。


「裏取りもある。アイツの座っていたの後ろ、ガラス張りだっただろ? パソコンの画面が反射してて、軍事機密としての取引になるだの、英語で書いてあったンだよ」


 でも。


「そもそも社長はなんで会紡機を知っていたり、知ったとして信じたんでしょうね? 荒唐無稽な話でしょう、誰にでも会えるなんて」

「謎はそこだ、奴はそれを隠してる。動機もわからンが……リアルなところ、金じゃねェ? 大事なのはそこじゃねぇよ」


 そ、そうだろうか?

 社長の腹を探るには動機は大事じゃないだろうか。


「いいか? そういう軍事提携が経済産業省を通さず非公認だったら、外為法や場合によっちゃ防衛装備移転三原則に違反する。ホームページに一切その記述もなく、あの社長は非合法を屁とも思ってねぇ態度だったから、可能性は高い……そんな企業の後ろ盾、反社と変わらねぇよ。勝っても危険なんだ、わかるよな」

「う、難しい言葉はわからないですけどまぁ」

「関わるだけで危ない橋だ、渡り切っても消されて終わりもあり得る。そこまでする理由、長内にあンのか?」


 はっきり言う。

 まったくない。


「だけど、必然的に戦いに巻き込まれる運命なんじゃないですか?」

「制限時間があるかもしれねェって俺の仮定で痛い目見たばっかだろ。手を引くという意思を見せておくのが必要だつってンだよ。巻き込まれても俺を遠くから眺めてるだけで済むかもしれねぇだろ」

「どうしても大江戸さんは手を引かないんですね……」

「ああ、しかしアイツもあの場に留まってねぇだろうし逃げ出しちまった以上、制限時間はもうどうしようもねぇから今はなんも出来ねーよ」


 たしかに、お互いに居場所はわからない。

 またあのビジョンがすぐさまくれば話は別だが。

 逃げたい。もう辞めたい、そう思う。


「なぜそこまで?」

「俺ァな、兄貴を探してんだよ。半年前に急に行方不明になったンだ。朝普通に出社して帰ってくる途中にな。夜逃げはまずねぇと思う、借金もなければ毎日出勤して家に帰ってくるだけの生活してたからな。たまの泊まり込みはあったが、彼女もいなけりゃ誰かと遊んでる様子もなかったよ」


 ぼ、ボッチなお兄さんなんだな……僕みたいだ。


「帰ってくる途中、車ごと失踪したんだ。理由がわからない、生きてんだか死んでんだかもわからない……俺は、兄貴を取り戻したいんだ」

「大好きなんですね」


 僕はというと、それほどの理由はない。

 こんなことに関わるのはもう御免だ、とそう思うのに……。

 トラウマになりかけてる昨日の戦い、その中になにかがある。


 僕が、僕になった感覚が。


「僕は大した理由はないんですけど、実はこの世界の生まれじゃないんですよね」

「は?」

「妖怪たちが住む、ずっと夕暮れの薄暗さが続く世界で父に拾われたんです。拾ってくれた父も独身のまま、僕が中学生の時に死んじゃって、天涯孤独の身ですが」

「……そうか、そんで?」

「黄昏世界って呼んでるんですけどね、そこで拾われたせいなのか……僕は自分が僕じゃない感覚がずっとあるんですよ」


 あの、常に寝ぼけ眼に見つめられている感覚、あの目が内側にある。

 それが見開いた瞬間、僕は消えてしまう恐怖が子供の頃からずっとある。

 怪我よりもなによりも、死と等しいほどそれが恐ろしい。


「昨日の戦い、戦って怪我して、僕は僕だって感じたんですよ」

「イカれてンなオメェ」

「うるさいですね!? 友達いないでしょ!?」

「俺はいンだよ! 兄貴やオメェとは違げぇんだよ!」

「ああ!? 僕もいますけど!?」


 リア友だと、最後に連絡取ったの半年前だけど。

 ネットには大勢いるわい! ボケが!


「ふン、兎にも角にもそんなアイデンティティの為に戦うなんぞ、妄想の中だけにしとけよ」

「僕にとっては、重要なことなんですけどね……正直怖い気持ちも強いですけど」


 これは言えないけど、死に向かっているのかもしれない。

 僕は僕のまま死にたい、そう感じているのかもしれない。

 このまま、自室でずっと孤独感と内側から消される恐怖に耐えるのと、命がけの戦いに身を投じる恐怖は釣り合ってしまっている。


「オメェはまだダチだと思ってねぇが、死にながら後悔するより生きたまま後悔すりゃ取返しがつくだろ? だから俺は、降りたほうがいいと思ってンよ」

「……どうせ生きてても童貞のままですし……」

「死んでも童貞のまま死ぬだろうがよ!」


 生き残って、社長にメロい女の子を紹介してもらうって可能性はないのかよ!

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