死にたがり魔女は勇者の夢を見るか?

夏浦志貴

死にたがり魔女は勇者の夢を見るか?


 勇者による魔王討伐がなされた事で、世に平和が訪れました。

 今宵の王都の酒場では、世界中に名を馳せる吟遊詩人が、竪琴に乗せて勇者譚を語っていました。

 人々が聴き入る中、酔いのまわった冒険者が吟遊詩人に尋ねます。


「おい、詩人さんよぉ。魔女って知ってるか?」

 

 吟遊詩人は竪琴にかけていた手を下ろし、空気を読まない冒険者を一瞥します。

 冒険者への非難轟々の中、吟遊詩人は竪琴を弾くこともせず、こう言います。

 

「アレは人の形をしているが、とても人と呼べるモノじゃない。刺しても切っても、煮ても焼いても、毒でも呪いでも、どうやったって殺せやしない。正真正銘の化け物なのさ」


 この詩人が言うなら本当なのだろう、と人々は考えました。

 かくして、魔女は不死身な存在であるという噂は瞬く間に広まっていきます。



 *

 

 

「はあ……本当に不死身なのかしら?」


 人の立ち入らない森の奥地に棲む魔女の悩みのタネは、昨今の噂を知ってか知らずか、不死身に関することです。

 死なない体質なのは、紛れもない事実でした。

 魔女が自らの運命を嘆き幾度となく自死を試みようとも、叶うことはありません。

 そう、死ねないことが魔女の悩みなのです。


 そんなある日、男が1人魔女の住まう森へとやってきました。


「こんな辺鄙なところに本当に魔女が住んでいるとはな。いや、辺鄙なところだからか」


 物怖じしない態度と陽気な声に、庭で紅茶を嗜んでいた魔女は呆気に取られます。

 逆立った金色の髪と、背中に携えた一振りの刀。服の上からでもわかる筋肉質な体躯と、力強い眼差し。

 まさに、噂に聞いていた勇者の容姿そのものでした。


「あんた、とんでもないオーラだな。一回手合わせ願いたいところだぜ」

「貴方が望むなら」

「冗談だよ冗談。俺の方が殺されちまう」


 魔女はほっと胸を撫で下ろします。人族と敵対するのは魔女の最も望まないことでした。


「あんたが魔女だな」


 黒髪黒目という特徴は滅多にいません。勇者は一目見て、彼女こそが魔女だと気づきました。

 

「ええ、まあ。でも、魔女じゃなくてエリフィナって呼んでくださると嬉しいわ」

「悪い、気をつけるよ。自己紹介が遅れたが、俺は勇者のファスカだ」

「ええ、知っているわ。『魔族狩り』のファスカでしょう?」


 エリフィナは意趣返しにファスカを揶揄います。

 魔族を殺すことに執着してることから付けられた二つ名らしいのですが、ファスカはあまり好ましく思っていないようです。


「その名はやめてくれ」

「あら、ごめんなさい。つい出来心で」

「確かに魔族には容赦しないが、どうにも慣れなくてな」


 ファスカは不服そうにしながらも、静かに闘志を燃やします。


「それで、私の依頼は受けてくれるのよね?」


 魔王を討伐した勇者ならば、私も殺せるかもしれない。そう思ったエリフィナは、勇者であるファスカ宛に自身の討伐依頼を出していたのです。

 

「そのつもりだったんだがな。エリフィナは魔族じゃないんだろう?」

「わかるの?」

「そりゃあわかるさ。魔族だったら問答無用で切り掛かってるよ」


 『魔族狩り』という異名が付いているだけのことはあるようです。

 人々は魔女のことを魔族だと決めつけ迫害しましたが、ファスカの目はエリフィナが人族であることを見抜いていました。魔族を恨むが故に、魔族に対しては人一倍敏感なのです。


「そう……じゃあ依頼はキャンセルかしらね」

「取り下げてくれるならこちらとしても願ったりなんだが。エリフィナはそれでいいのか?」

「良くはないのだけれど、貴方は魔族じゃない私を殺せるの?」

「……言ってくれるじゃねぇか」


 魔女のわかりやすい挑発に、勇者はわざと乗っかります。

 背中の鞘から魔王を屠った聖剣を引き抜くと、流麗な動作で魔女に剣先を向けました。


「死んでからじゃ撤回は出来ないぜ」

「ええ、もちろん」

「全力でいかせてもらう」


 ファスカは口を閉じたのと同時に、光にも勝る速さで斬撃を繰り出します。

 魔王さえも切り裂いた勇者の一太刀は、確実に魔女の首元を捉えました。


「おおっ……」


 エリフィナは驚きました。

 首筋に生暖かい液体の伝う感触があったからです。


「貴方、私の魔力の鎧を突破するなんてすごいわ」

「……そりゃどうも」


 エリフィナが目を輝かせる一方、ファスカの表情は曇ったままです。

 渾身の一撃でもかすり傷を負わせることしか出来なかったんですから、そんな反応にもなりましょう。

 ファスカの知る由もないことですが、エリフィナの周りは彼女の超常的な魔力で常在的に覆われており、それが貫通されたのは初めてのことでした。


「悪いが、俺じゃエリフィナを殺すことは無理そうだ。依頼料は返却するから他を当たってくれないか」


 ファスカは最初からわかっていたこのように、にべもなく言います。魔王を倒した彼でさえも、魔女にはまるで歯が立たないと痛感しました。

 しかし、ファスカの所感とは裏腹に、エリフィナは首を横に振りました。


「貴方の力は本物だわ。いずれ私を殺せるかもしれない」


 死を渇望するエリフィナにとって、ファスカは希望となりました。


「貴方ここに留まるつもりはない? もちろん私を殺せたらそのあとは自由よ」

「……悪いがそれは出来ねぇ。俺にはやらなきゃいけないことがある。出来るかもわからないことに時間をかけられねぇ」

「それもそうね。じゃあ、私が貴方に着いていくわ」


 エリフィナにとっては、死ねるかもしれない願ってもないチャンス。困惑する勇者をよそに、食い下がります。


「だがな……」

「勿論、邪魔は一切致しません。私に出来ることがあれば力を貸しましょう」


 ファスカは腕を組み、考え込みます。

 魔女が魔族でないとわかった以上、ファスカは依頼に積極的にはなれません。しかし、依頼を完遂出来なかった罪悪感は付き纏います。

 

「ああ……わかったよ。勝手にしてくれ」


 結局、ファスカはエリフィナの同行を認めました。

 

「じゃあ、今日からよろしくね」

「ああ、こちらこそ。それと、俺のことはファスカでいい」

「わかったわ、ファスカ」

 

 こうして魔女と勇者、奇妙な二人旅が始まりました。


 


 

 場所は移り変わり、北の果ての国。

 雪の降る季節のこの国は、過酷という言葉に尽きます。


「本当にこんなところに魔族が居るのかしら」

「さぁな」


 吹き荒れる吹雪の中、少ない情報を頼りに魔族の捜索をします。劣悪な環境も二人にとってはさして問題ではありません。


「ねぇ、ファスカ。このまま雪に埋もれたら凍死出来るとは思わない?」

「……試してみるか?」

「ええ。依頼が終わったらやってみましょう」


 陽も落ちてきたので、今日は中腹の洞窟で一晩過ごすことにしました。

 ファスカが手際よく焚火を起こします。

 

「もう俺たちが旅に出てから2年になる」

「ええ。これまでかなり順調に来てるわよね」

「悔しいが、一人で旅していた頃よりよっぽど良い」

「私を殺すという依頼はあんまり順調じゃないですけどね」

 

 元より進捗の芳しくなかった依頼ですが、最近ではファスカがエリフィナに剣を振るのを拒むようにさえなりました。


「その話は耳が痛いな」


 ファスカは誤魔化すように笑います。


「まあ、今すぐに死にたいわけでもないですからもう少しだけ待ってみようと思いますわ」

「そう言ってくれると嬉しいよ」

 

 普段はへらへらとしている彼ですが、焚き火の前だと少し神妙な面持ちになります。彼の中で火というものはどうやら神聖なものらしいのです。

 ファスカは殺した魔族を必ず火で葬ります。そのような行いを彼の生まれた国の風習で「荼毘に付す」ということを、つい先日教ったばかりです。

 なんでも、荼毘に付すと、死んだ魔族が生まれ変わるときに魔族でない別の生き物として生まれ変わるのだといいます。


「……もう、15年も前になる」


 ファスカは揺らぐ炎をじっと見つめながら、独り言のように語り始めます。


「俺の故郷が魔族に滅ぼされた時から、それだけの時間が経った」


 このところ、ファスカは良く昔話をするようになりました。エリフィナはただ耳を傾けるだけで、何か言うことはありません。


「俺の人生は魔族への復讐なんだ。あの時からずっと、魔族を殺すためだけに生きてきた」


 ファスカの魔族に対する執着は尋常ではありません。

 それはもう、パーティメンバーから『魔族狩り』という別名をつけられるくらいには狂気的なものでした。


「なあ、エリフィナ。俺がやっているのはことなのか?」


 ファスカの視線は、依然としてじっと炎を見つめていました。パチパチと炎の弾ける音だけが、静寂を破ります。


「……正しいかどうかは、ファスカが決めることよ。たとえ正しいことをしてても、間違ってると思ってやってたらそれがいつしか間違いになるわ」


 ファスカは納得がいかなそうに、顔を顰めます。求めていた反応では無かったのでしょう。


「ファスカは、魔族が息を吹き返して戦乱の世に戻るのと、魔族が根絶して平和な世界が訪れるの。どっちがいいの?」

「そりゃあ、魔族のいない平和な世界だ」

「だったら、誇りなさいな。それがファスカの選んだ道なのでしょう」


 ファスカの視線が、エリフィナを捉えます。

 それから、蟠りが解けたように表情を綻ばせました。


「悪いな、エリフィナ。俺としたことが、どうかしてたぜ」

「良いのよ。誰かにとっての正しさは、また別の誰かにとっては正しくないものなのよ。気にしすぎはよくないわ」

「まったくだな」


 エリフィナは少し説教くさくなってしまったかと思いましたが、いつもの溌剌とした様子が戻ったファスカに安堵します。しかし内心では、先ほど彼がポツリと漏らした言葉がいやに耳に残っていました。

 そして、エリフィナの胸中に一つの疑問が生まれます。


 私が死のうとしているのはことなのだろうか、と。

 





 エリフィナ魔女ファスカ人間

 似通った姿でも、大きく異なる生物です。

 10年も経つと、その差は顕著に表れ始めました。


「ファスカ、老けたわね」

「エリフィナは、老けないな」


 ファスカは30代も後半に差し掛かり、だんだんと老け始めてきました。魔族を倒すのに苦戦こそしないのですが、かつてエリフィナの魔力の鎧を破ったような剣の鋭さは影を落とし始めていました。

 一方でエリフィナは10代のような幼なげな雰囲気の残る容姿を保ち続けています。エリフィナは今まで見た目を気にしたこともありませんでしたが、ファスカと同じように歳を取れないのは少し寂しく思っていました。


「そろそろ旅もキツくなってきた」

「私たち、結構な旅をしてきましたからね」


 南の島の奇妙な魔族、西の小国で貴族に扮していた魔族、東の果てで修行をしていた魔族、北の大地で集団生活を営んでいた魔族。

 倒した魔族を挙げれば、キリがありません。

 ただ魔族を殺すためだけに、10年間もの間世界中を奔走したのですから、当然です。


「だが、本当の戦いはこれからだ」

「四天王が一人『失意』のベリアル……ですわね」

「ああ、俺の故郷を滅ぼした張本人だ。アイツを殺さなきゃ復讐は果たせねぇ」


 王都の酒場で耳にした情報に、偶然ベリアルに関する噂があったのです。

 それを聞いたファスカの形相といったら、魔族よりも恐ろしいものでした。

 

「まさか、こんなところに居るとは思いもしませんでしたわ」

「ああ、全くだ」


 ベリアルの潜んでいた場所は、かつてエリフィナとファスカの出会った森の奥地でした。

 人間の社会を避けるべくエリフィナの暮らしていたその場所は、当然人目を忍ぶにはもってこいです。

 

 魔王戦に匹敵するほどの入念な準備をしたファスカはついにベリアルと相見えます。

 特徴的な2本の巻き角、切れ長の目に小さな瞳孔、長身痩躯に張り付くような外套。その全てがどす黒く、おどろおどろしい雰囲気を醸しています。


「おや? 来客とは珍しい」


 魔族が喋った! とエリフィナは驚きます。

 生きた魔族自体あまり見たこともありませんが、喋る魔族となると初めてのことでした。

 ともあれ魔族の討伐はファスカの役目、それを横取りしたくないエリフィナは距離を置きます。

 

「臆するな。上位の魔族は言葉を使うが、構っちゃいけねぇ」

「ほお。誰かと思えば、『魔族狩り』のファスカ殿ではありませんか?」

「だったらどうした」

「いえ……こう言えば激昂すると聞いていたんですがね。どうやらガセだったようです」


 挑発に乗って斬りかかれば、相手の思う壺です。

 ファスカは努めて冷静に、機が熟すのを待ちます。


「それで、ご用件は?」

「てめぇを殺しにきた。それだけだ」

「なるほど、そういうことでしたか。魔族狩りの噂が流れ始めたと思ったら、つい先日同胞からの連絡がパッタリと途絶えましてね。……もう同胞は一人たりとも残っていませんよ」


 胡乱げな目をしていたベリアルの瞳がギロリとファスカを睨みました。

 対峙するファスカも負けず劣らずの眼光を飛ばします。当然ながら、威嚇程度で怯みはしません。


「その元凶が目の前にいるとなれば、こちらも剣を抜くしかありませんね」

 

 ベリアルはどこからともなく、至る所がねじ曲がった刀を抜き取ります。妖刀から溢れ出す歪な魔力が、並々ならぬ強さを物語っていました。


「最後の殺し合いといきましょう」

「望むところだッ!」


 ファスカは地を蹴り、一気に間合いを詰めました。

 抜刀の勢いそのままに、ベリアルの脳天目掛けて叩き込みます。


「……ッ!」


 ベリアルは頭に触れるすんでのところで、妖刀で受け応えます。ファスカは間髪入れず、がら空きの胴を蹴り飛ばすと、防御の時間を与えない乱撃で追い込みます。

 みるみるうちにベリアルの肢体が赤黒い血で染まっていきました。

 

 戦力差は歴然でした。

 年月が経っているとはいえ、魔王さえも屠った勇者の強さは、今でも四天王を遥かに凌駕していたのです。

 

 エリフィナは傍で固唾を飲んでいましたが、その時間もそう長くは続きませんでした。

 ファスカの波状攻撃が止んだかと思えば、再び間合いを取り直し、今度は鈍重な一撃。積年の恨みつらみが籠った一撃に、ベリアルの妖刀は叩き折られました。

 決着はついたも同然です。


「これで終わりだぁぁぁぁ!」


 ファスカの渾身の一閃が、ベリアルの体を貫きます。

 胴が弾け飛び、生首と下半身がその場にぼとりと落ちました。黒々とした鮮血が池のように広がっていき、下半身はぴくりとも動きません。


「……勝った」


 エリフィナは駆け寄ろうとしますが、ファスカに静止され踏みとどまります。

 地面に転がった生首の口元はまだ動いていました。


「流石は勇者……強いですね」

「お前こそ」

「ふっ、お世辞は要りません。……たった一人の人間に魔族が壊滅させられたんですから、完敗です」


 光を失った瞳がゆっくりと閉じられます。


「まったく……人間という生き物は恐ろしいですね」


 その言葉を最後に、ベリアルは二度と喋ることはありませんでした。

 ファスカは散っていった魔族の最期を見届けて、ポツリと独り言を漏らします。


「……呆気ないな」

 

 最後の魔族を倒したというのに、ファスカの表情は曇ったままでした。


「……」

「……」


 ファスカが何も言わないので、エリフィナは何か言葉をかけようとします。かけようとしますが、何が正解かまったく見当もつきません。

 おめでとう? お疲れ様? 流石?

 どれも違う気がして、結局押し黙ってしまいました。


「……終わったんだな」


 ファスカは空を仰ぎます。

 彼は目元を手で覆っていて表情が読み取れませんでしたが、頬を伝う一筋の涙をエリフィナは見逃しませんでした。

 彼女は生涯、その涙を忘れることはないと、そう思いました。


 


 

 ベリアルの討伐は、実質的な旅の終着点となりました。

 二人はファスカの希望で故郷へと向かっていました。道中の野営で、ファスカは意を決したように聞きます。


「エリフィナはなんで死にたいんだ?」

「そういえば、話したことはありませんでしたわね」


 10年以上もの間一緒に旅をしてきましたが、エリフィナがその理由を打ち明けたことはありませんでした。

 そもそも、ここ数年は死にたいとさえ思っていなかったので、思い出すのに少し時間を要しました。


「……きっかけは、人を殺めたこと。私を魔族だと勘違いした冒険者を追い払おうと使った魔法が、思いの外強くて殺めてしまったんですの」


 エリフィナはファスカの顔色を窺いながら、話を続けます。

 

「元より忌み子として疎まれていたのもあり、気づけば地下牢に投獄され、実験と称してあらゆる拷問を受けましたわ」


 想像を絶するような拷問が、今でも脳裏に蘇ってきます。


「でも、焼かれようが煮られようが死ぬことはなかった」


 残虐非道な拷問は、肉体的に死ぬことは無くとも、遅効性の毒のように彼女の心を蝕んでいきました。

 

「ふと、私はなんで生きているんだろうと思いましたわ。それまで考えたことがなかったのに、一度考えてしまうと自問自答を繰り返すようになって。いつしか、私は死ぬべき存在なんだと思うようになりましたわ」


 この世に生を受けたことが間違っていたのだ、とエリフィナは暗い地下牢の中でひとり納得します。

 それから、彼女の死を求める生活が始まりました。


「まあ、だいたいそんな感じかしら」

「……そうか」

 

 眉ひとつ動かさない彼が何を思ったのか、エリフィナにはわかりません。顔のしわが増えたなぁと、呑気に思っていました。


「今更こんなことを言うのもなんだが……やっぱり、依頼をキャンセルさせてくれ」

「はい?」

「だから、その……エリフィナを殺すってやつだ」

「そういえば、そんなのもありましたね」


 エリフィナは困惑します。彼女はファスカとの旅路で、希死念慮は薄れつつあったのです。

 一方でファスカもまた、エリフィナのあっけらかんとした態度に困惑しました。


「俺はもう長くはない。なんとなく、わかるんだ。だから、その……」


 ファスカは珍しく煮え切らない態度を取ります。真っ直ぐな彼らしくない態度に、エリフィナは身構えます。


「俺は……エリフィナのことが心配なんだ。お前を一人残して逝っちまうことが、悔しくてならねぇ」


 長い間旅を共にしてきたファスカには、エリフィナを一人残してしまうことが気がかりだったのです。

 

「はあ……ファスカったら、私を誰だと思ってるのかしら」

「何?」

「私はのエリフィナですわ。人間のあなたよりよっぽど強いんですのよ」


 ファスカの心配を一蹴するかのように、エリフィナはどどんと胸を張ります。魔女と呼ばれるのを嫌がっていた彼女が自ら魔女を名乗ったんですから、ファスカは目を丸くさせました。


「かつて、ファスカが自分のやっていることは正しいことなのか聞いてきたことがあったでしょう?」

「ああ、雪山で一晩過ごした時だろう」

「そうですわ。あの時、私も考えたんですの。本当に死のうとしていることが正しいことなのかって」


 ファスカはじっと傾聴します。

 

「正しいか正しくないか結論はまだ出てませんけれど、ファスカと旅を共にして、私も私を求めてみようかなと思ったんですの。死ぬのはそれからでも遅くないですもの」


 ファスカはぱっと目を覆いました。

 エリフィナは彼がそうする時は、涙を流している時だということを知っています。


「まったく涙腺が脆いですわね」

「俺も歳をとった」


 エリフィナはそっとファスカを抱きしめます。

 彼女にとってその時間は何にも代え難い幸せな時間でした。

 ずっとこの時間が続けば良いのにという願いも虚しく、二人の時間は緩やかに終わりへと向かっていきます。

 


 *

 


 ベリアル討伐から10年。

 魔族の目撃情報はめっきり聞かなくなり、王都の栄華は最高潮に達しています。

 旅装のエリフィナは王都の一角、居住区に住むとある人物を訪ねていました。


「はーい。って、どちら様?」


 玄関の戸を叩くと、出てきたのは初老に差し掛かった女が出てきます。

 

「初めまして。エリフィナという者です。ファスカのことでお話が」

「嘘! あのファスカが……ちょっと待ってね。あなたー!」


 女が呼ぶと、筋骨隆々な主人が颯爽と現れます。

 

「ファスカのパーティメンバーだったドランだ」

「あ、えっと。同じくシルファです」


 亡きファスカの話に聞いていた通りでエリフィナはほっと胸を撫で下ろします。


「改めて、エリフィナです。ファスカとはしばらく旅をしていました」

「旅?」

「ええ、魔族狩りの旅を」


 シルファとドランは少し呆れるように笑います。どこか懐かしんでいるようにも見えました。


「それで、ファスカは来てないのか?」

「亡くなりました。魔族を滅ぼして、満足そうに逝きましたよ」

「そうか……」


 息ぴったりの二人は心の底から悲しそうに、顔を歪めました。

 生前のファスカはパーティについて殆ど語ることはありませんでしたが、彼らの反応を見ると決して仲が悪かったわけではないようです。


「──国の跡地に、ファスカのお墓を建てました。少し遠いですが、彼のたっての願いでしたので」

「まあ、近いうちに行ってやるか」

「そうね」


 ファスカの生まれ故郷は王都から片道で一年はかかる距離です。それでも彼らは、今にでも出発せんとばかりでした。


「それじゃあ、伝えることは伝えましたので、私はこれで」

「もう行っちゃうの? 上がってゆっくりして行かない?」

「ああ、ファスカの話を聞かせてくれよ」


 エリフィナは困惑します。

 やらなければいけないことが山積みで、とても立ち寄れる時間はありませんでした。

 

 ・魔力と生命力の相関性を調べた論文。

 ・魔力の鎧について纏めた論文。

 ・魔王討伐後の勇者を描いた日常譚。

 以上の三本を同時並行しての執筆に加えて、1時間後は魔術ギルドとの意見交換会(という名の尋問)が控えていました。明日には王城で魔族壊滅に貢献したとして栄誉勲章の授与がありますし、明後日には……もう考えるだけで目が回るような忙しさです。


「……お言葉に甘えて少しだけ」


 それでも、エリフィナは彼らとの時間を優先しました。ファスカの勇者時代の話が詳しく聞ける機会なんて、そうそうありませんから。


 三人の会話はファスカのことで持ちきりです。魔族のことになると人が変わるという共通認識から始まり、『魔族狩り』の由来で盛り上がったり、あるいは最期の様子を話してしんみりとしたり。

 そうして、ようやくファスカの話題が尽きてきた頃、シルファは思い出したように聞きます。


「ところで、あなたはどうしてファスカと旅を?」

「今となっては恥ずかしい話なんですが、私は死に方を探していました」

「死に方、ですか?」

「ええ。私は魔女なので。まあ、なんと言いますか。いろいろあって」


 シルファとドランは、彼女の言わんとすることを汲み取ります。魔女への迫害は彼らも既知の事実でした。


「でも、ファスカと出会って考え方が少し変わりました」

 

 そんな二人を安心させるかのように、エリフィナは切り出します。


「ファスカはご存知の通り魔族を殺すために生きていました。彼自身はあまり誇りには思っていなかったようですが、私は彼のような生き方をしてみたいと思ったのです」


 何かを成し遂げるために生きるというのは、魔女の考えを一変させました。


「まあ、今はまだ私に出来ることを探している段階ですけれど……って、あ。いけない!」


 いつの間にか、窓の外は黄昏色に染まっていました。魔術ギルドとの約束の時間はとっくに過ぎています。

 名残惜しいですが、シルファとドランへの別れもそこそこに、家を飛びていきます。

 西陽が照りつけ燦然と輝く王都を、エリフィナは目にも止まらぬスピードで走り抜けていきました。

 

 彼女が魔術ギルドに平謝りすることになるのは、もう少し後のお話です。

 

 



 魔族の壊滅から××年。

 もはや魔族という存在は御伽話の中でしか登場しない存在となっていましたが、今もなお語り継がれる勇者ファスカの勇者譚は根強い人気を誇っています。

 今宵も王都の酒場では、吟遊詩人が勇者譚を披露していました。物語がクライマックスを迎えると、客席からは合いの手が入ります。


「魔女だ。魔女が出たぞー!」


 吟遊詩人は気にせず、ゆっくりと目を閉じて、竪琴の音色を響かせます。


「昔々あるところに、エリフィナという一人の少女がいました。彼女は膨大な魔力を有し、人族を襲う魔女として恐れられていました」


 悲哀の込められたメロディが静かに響きます。

 これを待っていたとばかりに、観客はすっかり聴き入っていました。


「そんなエリフィナは、勇者ファスカと出会います。彼の我を貫き通す生き様に惚れ、改心しました」


 穏やかな音色から転調し、物語は再び最高潮へと達します。


「エリフィナは人族のために尽力します。魔族の滅亡に貢献し、魔法を普及させ、我々に知識を与えました。こうしてエリフィナは、私たち人族の守り神となったのです!」


 吟遊詩人がそう締め括ると、観客は大いに盛り上がりました。

 盛り上がりの冷めやらない中、吟遊詩人は再び竪琴に手を掛けます。


「続いては、『智の神エリフィナ』です──」


 どうやら、物語はまだまだ続くようです。

 宴の続くかぎり、この先もずっと、ずっと。

 

 


 




 

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