夢と日常

I∀

夢と日常

 失ったものは、二度と取り戻せない。



 当たり前の毎日こそが、何よりも尊いんだ――



 それに気づくのは、いつだって手遅れの後だ。

 俺は、何も知らずに日々を浪費していた。


 それでも、人は光を探す。

 どんな世界でも、明日は必ず訪れると信じて。

 傷だらけの手で、俺たちは次を求める。



 そう――終わることのない旅路を。



* * *



 ――朝の光が部屋を切り裂いた。



 カーテンの隙間から差し込む光は、まるで何かを探るように机の埃へ触れ、その瞬間わずかに震えた。

 部屋の隅では置き時計がガタリと音を立てる。

 今にも何かが崩れ落ちそうな、そんな空気が漂っていた。


 窓の外の街は、まだ夜の名残を引きずりつつざわめいている。


 誰かが急ぎ足で階段を駆け降りる音、車のブレーキ、電話のベル――そのすべてが、一瞬だけ何かの事件の前兆のように聞こえた。


 ベッドから身を起こすと、枕の下でカリカリと小さな音がした。

 まるで昨日の記憶がこっそり這い出してきたみたいだ。

 心臓が少しだけ早く打つ。



 ――けれど触れてみれば、ただのスマホだった。


 冷蔵庫を開ける。

 中の牛乳パックは昨日と同じ場所にある。

 手を伸ばすと、冷たさが指先に刺さり、思わず息をのんだ。

 俺はおもむろに窓を開ける。



 ――轟音が街を裂いた。

 まるで世界が崩れ落ちる合図のようだ。




 交差点の信号が赤に変わる瞬間、向こう側から誰かが飛び出したらしい。

 車が急停止し、クラクションが鳴り響く。

 朝から迷惑な人間はいるものだ。


 会社に着く。


 自動ドアが「やっと来たな」と言いたげにギシ、と軋む。デスクのパソコンを立ち上げると、そこにはありえない光景が表示された。





 ――メールが三件来ていたのだ。

 いつもはまったく来ないのに。


 世界の崩壊を予感した朝は、結局何事もなく静かに流れていく。



 夜、帰り道。

 夕暮れが街を赤く染める。

 血のようにも見える光景に心臓がまた少しだけ早くなる。

 誰かが振り向いた気がして息を呑む。





 ――振り返った先には犬を連れたおばさんがいた。

 俺は軽く会釈を返した。




 家に戻りテレビをつける。

 ニュース番組の映像に脳天へ稲妻が走る。

 見覚えのある顔が映っていたからだ。




 そう――有名女優が結婚したらしい。

 結構タイプの女優だった。




 飯を食べ、風呂に入り、布団へ潜り込む。



 その夜、夢には――衝撃があった。



「この世界を救ってください。

 夢の世界を守れるのはあなたしかいない」


 そう告げられたのだ。

 俺はどうやら勇者らしい。




 そして目が覚めると、そこは布団の中だった。

 当たり前だ。夢の話なのだから。



 ――こうして、この物語は静かに幕を閉じる。

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