ただバス代貸しただけなのに、なんで俺が大学一のギャルの彼氏扱いされなきゃならんの?
アララキアラキ
第1話
大学生とは、自由な生き物である。
高校を出たばかりの俺が感じたのは、そんな野暮ったい考えだった。
授業のコマは少なく、空き時間は友達とゲームやマンガ喫茶、カラオケで過ごす。バイトで稼げば、欲しいものを好きなだけ買える。
世間で言う「大学は人生の夏休みだ」は、まさに至言であろう。
しかし、どんなものにも例外というのは存在する。
「すみませんねぇ、斎くん。このグラフがどうしても映らなくて……」
俺は講義後の教室で、教授のパソコンとプロジェクターを行ったり来たりしていた。
機械オンチの、この教授は毎回何かしらトラブルを起こす。今日もスライドが全滅し、授業後に助けを求めてきたというわけだ。
「いえいえ。これくらいなら。困ったときは、いつでも声をかけてください(本当は帰りたいけど……)」
昔から、こうだ。他人の困った顔と目が合うと、俺は途端に「No」と言えなくなる。
別に自分を優しいと思ったことはない。
ただの臆病者。
それが一番しっくりくる、自分への評価である。
今日だって、いそいそ帰ろうとしていたところに、困り眉で見上げてくる教授の顔を見た途端、俺は断るという選択肢を失っただけだ。
「よし、映りました。あとはこのボタンを押すだけです」
「おぉ、助かるよ、斎くん! あ、あともうちょっとだけいいかな?」
その「もうちょっと」が、永遠に続く呪文だと知っているはずなのに。
俺は本日何度目かも分からない笑みで頷いてしまった。
* * *
「はぁ、はぁ……っ、やば……!」
ようやく教授から解放された俺は、学生用のバス乗り場へと走っていた。
時刻はもう5限目すら終わっている時間。
ずいぶんと長いこと拘束されてしまった。
夏の本番が近いのか、日はまだ少し出ている。
べっとりと張り付くシャツの感触に顔をしかめながら、ヒグラシの大合唱を背に、ただひた走る。
「あっ、乗りま――――」
だが、一歩遅かったらしい。
そんな声を遮るように、ぷしゅん、と無情に閉じる自動扉。ぶろろん、と轟くエンジン音。そのまま予定時刻を知らせるように、大学専用バスは走り去っていってしまった。
駆け込み乗車すら許さない距離である。
「くっそ、まじかぁ〜……」
俺はその場にしゃがみ込み、疲れから盛大にため息を漏らした。
5限目終わりに出るさっきのバスが、この大学専用バスの最終便である。
これを逃せば、もう後はない。
スマホの地図アプリを開け、大学から駅までの距離を正確に出してみる。しかし、気温が30度を超えるのも珍しくない現代の夏では、歩きたくないレベルで遠い。
「あー、くそ……なんで、途中で帰るって言えないかなぁ、俺は……」
頭を地面に垂らして悪態をつく。
今日だって、別に教授を振り切れたはずだった。
なのに、それをしなかった。
自分のこういうところが嫌いと自覚しているのに、いまだに治せていない悪癖。本当にどうしようもない奴だと辟易する。
「っと、うずくまってる場合じゃなかった……! とりあえず、他の帰る手段を調べないと……!」
車通学している友達は、本日自主休講中のため頼りにならない。
歩いて帰るのは、もはや打つ手がなくなったときの最終手段。
タクシー……も保留。ここからだと、お財布事情にとってもそこそこ厳しい値段になる。
地図アプリの機能にある経路探索をしながら、どうにか打開策を探る。こういう時、自分が自転車通学ならまだ良かったのにと思わずにはいられない。
そうして、なにか無いかと血眼でスマホとにらめっこをしている時だった。
「あ、市バ――」
「ねえっ!! そこの人!!」
「えっ?」
その声は、不意に俺の思考を遮った。
振り向くと、茶色にピンクのハイライトを入れた髪のギャルが全力で駆け寄ってきている。白いオフショルダーに丈の短いスカート、汗を浮かべながら息を切らしている。
俺のその光景に目を疑った。
だって、そのギャルというのが、同じ学部生なら誰もが知る有名な女子。
――
「はっ……はぁ……最終バス、行っちゃった!?」
「え……? あ、うん。ついさ――」
「うそ~~っ!! マジありえ~ん!!」
新田目さんは、俺の言葉を最後まで聞いたのか怪しい速度で大仰に膝に手をつく。
ここまで急いで走ってきたのか、額には大粒の汗が見えた。
「うわ、詰んだわ……はぁ、はぁ……今日、バイトあるのに、歩きとか絶対無理ゲーじゃん……」
「あー……えーと、お疲れ?」
「マジお疲れだよ! ここまで走ってきたのに間に合わないとか、マジお疲れだよ!?」
息を切らしているくせに、何故か俺にそう叫ぶ新田目さん。
いや、まぁ返事しちゃった俺も俺だが、この人には気まずさとかないのだろうか。
同じ学部だからと言って、俺と新田目さんは話したことがないはずだ。
初対面の男となんて、そう話そうとは思わないだろうに。
「ねぇ、ここから走ったら三十分とか無理!?」
「いや……さっきの走り見た感じだと、絶対無理だと思う」
「ハッキリ言うね!?」
息が荒いくせに元気なツッコミを入れてくる。
やけに明るい人だなー、と心のどっかで変な関心を覚えてしまった。
なるほど、彼女が人気な理由も頷ける。
と、そんなことより、俺にはひとつ、彼女に伝えるべきことがあった。
「走るのが無理なら、えーと、えーと!」
「あのさ」
「んえ、なに!? 今いい感じに考えてるんだけど!」
どうしたものかと、あたふたしているギャルに声を掛ければ、彼女は焦った顔のままこちらを向いた。
「さっき、俺も見つけたんだけど、大学から駅まで、市バスが出てるらしいよ。あと五分で来るって」
「市バス……? はっ――そっか大学横のバス停!」
どうやら、彼女はバス停があるのを知っていたが、今の今まで忘れていたらしい。
新田目さんの目がぱあっと輝いた。
悔しいが……なんかちょっと可愛いと思ってしまった。
「よし、いこっ! あと五分ならギリいけるし! ほら、君も早く立って!」
「お、うん。俺もそっちに出たことないから助かるけど」
「え、そうなん? じゃあ一緒に行こ。迷ったら意味ないし!」
俺はそっち方面から大学を出ないので知らなかったが、これで俺もバス停の場所が分からず乗り逃すということはなさそうだ。
自然と並んで歩き出す。
さっきまで話したこともなかった間柄なのに、変にテンポだけはぴったりだった。
「えーっと……いくらだったかな、市バス……」
「220円とかじゃなかったか?」
「お、意外と安い。あ、でも私、小銭とか持ってたっけなぁ……」
と、ギャルがカバンをごそごそし始めた――その時。
その足がふいに止まった。
「あ……」
あ?
俺はその拍子抜けの声に、思わず新田目さんを見た。
すると、そこにはさっきの教授と同じ困った顔が、新田目さんの顔にも映し出されていて――。
「……ヤバい。財布家に置いてきてたの、忘れちってた」
てへ、とかわいらしく言う新田目さん。
いや……マジかよ。
困った人と目が合うと、どうしてもノーと言えなくなる俺――。
彼女の顔を見た瞬間、俺は既に敗北していたのかもしれない。
ただバス代貸しただけなのに、なんで俺が大学一のギャルの彼氏扱いされなきゃならんの? アララキアラキ @harukasa-666
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