隻眼の薬師ノーラ

マヌケ勇者

本文

「隻眼の薬師ノーラ」



 町から少し外れた小さな林の向こうにあるノーラの薬房に朝が訪れた。

 長い金髪の彼女の眠るベッドに窓から穏やかな光が差す。

 ぼさぼさ頭に軽くうなりながら一度寝床を出たのだった。



 そんな中、俺ジャンはメイドのルミナを伴って薬房を訪れる。

 軽装備を着た俺は町の警備兵をしている。

 だがその主な任務は、この町にとって重要な存在である薬師のノーラの採取の護衛やアシスタントである。

 そもそも俺は故郷からこの町へ引っ越した幼馴染のノーラを追いかけて、一年かけて昇進試験に合格して町へやって来たのだが――それはまだ秘密だ。


 メイドのルミナはというと、彼女はヒト族では無いためエルフの様に尖った耳に、少々褐色がかった肌が白いエプロンと好相性だった。




 カギが開きっぱなしのドアを開ける。ノーラはまだベッドの上。

 今日も左目の黒い眼帯は着けたままのようだ。

 いつもこのまんまで寝てるのか?

 ――だいぶ後になって、理由があって先に一度起きて眼帯をしてから二度寝しているのだと知った。


「おい――ノーラ、起きろ。朝だぞ!」

 掛け布団にくるまる彼女を揺り動かす。

「ん~~……今朝も白馬の王子様じゃなくてあんたなのね」

 またこの言葉かと俺は感じた。

「ピーターパンが退治に来ないだけマシだろ、船長!」

 船長とは、隻眼に眼帯をした彼女へかつてクソガキ仲間と着けた悪いあだ名である。

 そして俺は今になってすら素直になれていないのだ。

「……あんたの精神年齢だけはネバーランドね」

 永遠の子供の島ということか。

「うるせぇ、さっさと支度しろ!」



 お腹にご飯を入れないと目も覚めないわ。そう言ってノーラは身支度も半端なぼさぼさ姿でテーブルで、バターの香る丸い白パンをもしゃもしゃ頬張っている。

「お前さぁ……」

 その姿に俺はいつもの苦言を言いかける。

「うるさいわねぇ……」

 寝ぼけ女は今日も抵抗してくる。


「まぁまぁお二人とも。それより今日のパンはぼっちゃんが作られたのですよ!」

 メイドのルミナがフォローに入った。未だに坊っちゃん呼びは複雑なのだが。

「ふーん、どうりでルミナのパンにしてはブサイクだと思ったわ」

 余計な一言である。

「今のてめーのほうがブサイクだよブーース!」

「ホントうっさいわねー」

「あらあら」

 あーあ、今日も騒々しい朝にしちまったな。




 ノーラが身支度を終えた。

 彼女は黒の、短くわずかに広がる立襟のシャツに赤いダービータイを締めている。

 そこに白衣の形の白い上着を着てベルトを締める。

 少し崩してあるが医者の雰囲気の出る服装というわけだ。

 そしてこの服装になることが、彼女の仕事開始の合図なのである。

 俺たちはいつもの様に医薬品を詰め込んだ大荷物を負って町へと歩き始めた。



 ついほんの先程まで寝ぼけ姿で悪態をついていたノーラ。

 それが町の広場に出て人々に薬を配る時には――太陽よりもまばゆい笑顔を見せた。

 彼女は今はおしゃべり好きのマヤ婆さんの症状の訴えをじっくり聞いている。

 あ、うまい具合に後半の長い雑談を切り上げた。あいつコミュ力高いよなぁ。


 それにしても――あのまばゆい希望の笑顔こそが、それと俺とルミナだけが知っているぼさ頭こそが――俺の護るべき物なのだ。




 いつもの広場での仕事を終えると、俺たちはノーラの薬房とは別方向の町外れへと歩みを進めた。

 そこには「希望園」という大きな保養所がある。

 老人を中心に――治療が困難な人々を介護することを目的とした施設だ。

 彼等の殆どは園の中で人生を終える。

 一時は絶望園と呼ぶ者さえ居たほどだ。


 ところがどうだろう。

 今や園の入口でノーラを迎える老人達の顔は笑顔であふれている。

「ノーラちゃん、待ってたよ。今日もありがとうねぇ」

「シルラばあちゃん、今日は凄く調子良さそうだね!」

 そう感情をいっぱいにしながらノーラが言った。

「ノーラちゃんが来てくれたら、あたしたちゃ元気百倍さね!」


 そしてノーラは患者たちの元を回るのだ。

 帰りにはちょっとしたお菓子やら折り紙やら何やら色々貰って来る。



 だがある日シルラ婆さんが話してくれたことがある。

「ノーラちゃんの笑顔のヒケツはなんだい?」

 彼女の問いへのノーラの答えは。

「――つらい時でも、私はずっと笑うんです!」

 ノーラは“痛み”を誰よりもよく知っている。

 もしかするとその陰影が――彼女の光をより際立たせるのだろうか。



 希望園の建物の中央にある中庭で。

 ノーラが老人達と古い歌を大きな声で歌っている。

 その響きは希望の園にゆき渡るのだった。




 今日はノーラはボルドー山に採取に出ている。

 俺はその護衛で同行だ。

 荷物が多少重いが――それ以上に、あの華奢なノーラは一体どうやってあの巨大な荷物を背負っているのだろう?


 今回はルミナはと言うと、

「そうですね、私は用事ができましたので今回はお二人で! 吉報をお待ちしていますから頑張ってくださいね!」

 だってさ。なんか余計な気を使われた気がしないでもない。



「もうすっかり秋ねぇ。落ち葉がカラフルだわ」

 そう、季節は実りの秋。鳥たちは恋の歌を歌う。

「お前もじいさんばあさん相手の古臭い歌ばっかじゃなくて、流行りの歌の一つも覚えたら誰かに届くかもよ?」

 それで、その誰かが俺だったならどれほど幸せだろう。

「……あんたは歌えるの?」

 うっ。

「しまらないわねぇ」

 あーあ、ほんとだよ。



 俺達は山道の途中の大岩に腰掛けて休憩を取った。

「そういえばさ、ルミナはなんでメイドしてるの?」

 ルマ茶を手にノーラが疑問を呈した。

「あいつ、ずっと前、子供のころに盗みでボコられててさ。格好も凄く汚れてて」

 そんな彼女の前に、俺は割って入った。

 そしてつい、家で傷の手当をして――そして――なんか、居着かれちゃったなぁ。

 でも仕事もデキパキとこなすし優秀な人材だ。

「そういえば、あいつ俺が居る部屋の掃除だけ遅いんだよな。なんでだろ」

「ふーーん」(――鈍感ね)




 俺たちはボルドー山の高台にたどり着き、そこで薬草の採取を始めた。

 以前はノーラ一人でおこなっていたが、今では俺も多少の心得が身についている。



 不意に、さぁっと反対方向からの風が吹いた。

 そしてしゃがんで草を抜く俺の手元に急に影が差した。

 思わず空を見上げる。

「――って、嘘だろ」

 ドラゴン、だ――。


 それは地響きを上げながら二足で大地に降り立ち、低い咆哮をほとばしらせて俺達を威嚇した。



 叫びの振動で身体がびりりと震える。

 俺は即座に腰の剣を抜いて、飛び込んで切りかかった。

 ノーラに目を向けられるわけには行かないからだ。俺に意識を向けさせなければ。


 まずは一撃、しかし右腕で弾かれる。

 二撃、三撃と鈍い金属音が響く。

 だがその頑強な鱗は鋼の刃など易々とは通さない。


「もっとだ、もっと力を!!」

 渾身の一撃を繰り出す。

 再びの鈍い音――だが先程とは異質な。

「――折れたッ!」

 刀身は空を舞い、やがて大地に突き立つ。



 どうする――?

 その迷いが命取りだった。

 ドラゴンは大きく息を吸い込んだ。


 まずい――ブレスが来る!

 万事休すだ。



 龍の口が大きくこちらを向いて開かれる。

 そして、どこかコマ送りのようにゆっくりと――炎がこちらに迫る姿が見えた。


「ジャン! しゃんとして!」

 ノーラの声と共に、俺の前にポーションの薬ビンが投げ込まれる。

 砕けたそれは、巨大な水の柱となって炎を防いだ。


 ドラゴンが突然の事態におののく。

 俺は後ろ腰に着けていたナイフを抜き払う。

 かつてのノーラからの贈り物、ミスリル製だ。

 水柱を俺は突き破り――ドラゴンの脳天に飛び込んだ!


 一撃――ナイフは深々と龍の額に突き立った。



 だが、龍は止まらなかった。

 俺は振り払われ大地に叩きつけられる。

 そして怒りに任せて――奴は爪を繰り出した。

 俺はここで終わるんだ。護りたい物を残して。




 だがその爪は、真っ直ぐ横に向かってきた光の柱に弾かれた。

 光の出処はどこだ。目をそちらに向ける。

 立っていたのは左目の眼帯を外したノーラだった。


 彼女は収めていた魔眼の魔力を解き放ったのだ。

 その瞳は、相手の心の内さえ見通す。

 何度ドラゴンが爪を繰り出そうと彼女の元には届かず虚しく空を切る。


「ジャンのお返しよ!」

 飛び込むと彼女はビンを振りかぶって――

 あれは緑色の薬液、回復のポーションだ!

 それをドラゴンの顔面へ叩きつけた!



 暴走する魔力を帯びたポーションはドラゴンの肉体の再生能力をオーバーロードさせる。

 その液体が魔力伝導性の高いミスリルのナイフの傷跡から浸透した。

 ドラゴンの身体がいびつに隆起していく。


 彼は――彼は自らの骨で針鼠みたいになって事切れた。




 ノーラの左目の輝きが収められた。

 過剰な魔力を放出した彼女はふらつき、倒れ込んだ。

 思わず俺は彼女に駆け寄って上体を抱く。


 すると彼女はこちらから顔をそむけた。

「どうしたんだよ、ノーラ。お前のお陰で助かったよ」

 すると彼女は言った。

「あんたの心なんて見たくないわよ」

 そうしてほんのり頬を赤らめた。


 俺は――、ふっと笑った。それから、思いっきり笑った。

「何よ、うるさいわねぇ」

 そう言って彼女も笑っていた。


 俺は彼女をお姫様の様に抱き上げた。

「俺の気持ち、かぁ」

 そうだなぁ。

「お前ちょっと太っただろって気持ちをか? 船長!」

 あーあ、言っちゃったよ俺。

「お姫様抱っこでも王子様になれないのね、あんた」

 それでも今となっては、この不協和音こそが俺たちなりの恋の歌だったのかも知れない。




 薬房に戻ると、ノーラはベッドでぐぅぐぅ寝始めた。

 やはりよほど疲れていたのだろう。

 ベッドの近くに椅子を置いて彼女の寝顔を見守る。


 いつからかルミナも寄り添っていた。

「なるほど、そんな事があったのですね」

 今日の一幕を彼女に伝えたのだ。

「この国では、男は妾を持ってこそ一人前。という下世話な言葉もあります」

 な、なんの話だ?

「――私もお待ちしてますね」

 そして彼女は雑事へと戻っていったのだった。




~ おわり ~






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