第2話 困惑する人
大家、と言っても実の姉であるが、姉から借りている部屋を好意で友人に又貸ししていたことがバレて叱られた。年に1回、新年の挨拶、顔合わせのときだった。
「智也、私が貸している部屋を誰かに貸しているでしょう。又貸しは違法なんだからね。事前に相談してくれたら考えたのに。」
背中に冷たい汗が流れるのを感じる。正直、本当に友人が家を探している間の仮住まいとしての提供のつもりだった。
「家が決まるくらいまでの間、と思っていたんだよね…。荷物置きくらいにしか使ってなかったからさ。何で分かったんだ…?」
「この間、近くを通った時に洗濯物が干されていたのよね。生活は職場に近いところでって言ってたから、智也じゃないのかなって。半分カマかけてたけど、やっぱりそうなんだ。」
「まぁ…言い訳じゃないけどさ、友人だからと思って、俺もあまり急かせてなかったんだよ。大学からの仲だし、姉から借りていることも話してあるし、期間限定だって言ってある。年内に家を決めて出ていくと思ってたんだよね…。彼とも話そうと思ってたところだった。」
姉は綺麗なアイラインで囲まれた目を細め、くぎを刺す。
「まぁ家族だし、そこまで大事にする気はないから、早めに解消してよ。」
うんとも、頷くとも曖昧な返事をして、話を切り上げる。こういう面倒なことがあるかもしれないと、貸すときにちょっとだけ悩んだことを思い出し、あの時の勘を信じていればと意味のない後悔をお酒を一緒に飲み込んだ。
昨日に続き、今日も雪が降り続くらしい。出勤中は流石に体が冷え切ったが、職場は暖房が入っているようで助かった。コートとマフラーに積もった雪を払いながら、上司や同僚に挨拶をする。どうやら、珍しく今日は同僚の相澤が欠席らしい。
仕事の合間で武田に連絡をしてみることにした。部屋の鍵は、友人である武田に1つ、そして自分で1つを管理している。武田に部屋を貸したのが大体3か月くらい前だったか。年内に新しい住居を見つけて引っ越すという約束を反故にされている。
『明けましておめでとう。久しぶりだけど、元気か?あまり催促はしたくないんだけれど、新しい部屋は見つかったかなと思って。姉に貸していることがバレたので、早めに返してもらえると助かる。新年早々こんな連絡で申し訳ないけど、よろしく。』
昼頃に送ったメールに、退勤時には返信が来ていた。
『あけましておめでとう。長らく借りていてごめん。家探しは今も続いていて、今週本腰を入れるつもりで1週間休みを取った。ストーカーなのか、心霊現象なのか良く分からないが、誰かが家に勝手に入ってきているような気がしていて、早く引っ越したいとは思っている。迷惑かけてごめん。』
心霊現象?姉のアパートは築10年も経っていない、比較的新しく綺麗な物件なので似つかわしくない言葉に眉をひそめる。武田の風貌を思い出し、優しそうな長身の男性は確かにストーカー被害に遭いそうではあると思った。
『了解。良い物件が見つかると良いな。』
一言返信し、1週間後にまた連絡を取るかとスマホをしまおうとした時に通知が来る。画面を見ると武田からだった。
『悪いんだけど、部屋を見に行って欲しい。』
短い言葉に、更に続く。
『彼女とも連絡が付かなくて、巻き込んでいないか心配で。正直警察にも相談しようかと悩んでいる。1週間帰らないつもりだから、第三者の目で、何回か部屋を見てみて欲しい。』
不穏な雰囲気を感じたものの、鍵を持っているのが自分だけだと思い至る。
『分かった。素人だから何が分かるかも怪しいが、武田が不在の間、ちょこちょこ部屋の様子を見に行くよ。』
『ありがとう。何かおかしなことがあれば写真でも動画でも残してくれると助かる。』
特に冷える日だからか、武田の不安が心の底から伝わってくるようで何となく居心地が悪かった。職場の人に挨拶をして、帰路につく。しっかりとマフラーを巻きつけて、コートに冷たい手を押し込んだ。
職場を出て、真っ白な雪が視界の半分くらいを占める中で考える。嫌なことは早めに終わらせた方がいいかもしれない。キーケースを開き、武田に貸している部屋の鍵があることを確認する。今日、さっそく部屋に寄ってみよう。職場からは電車で2駅ほどでそこまで遠くはない。今日は帰宅が遅くなりそうだと思いながら駅の方へ歩き出した。
アパートの最寄り駅に着いてから、少しだけ雪が強くなったような気がした。傘を持つ手にも雪が積もっていく。徒歩10分ほどにあるアパートはオートロックではないが、鉄筋で音が響きにくく、ほとんどが1LDKの物件である。武田に貸している部屋は1階の一番端の部屋だ。
雪の積もった傘を軽く振って畳む。冷たくなった動かしづらい手で、キーケースを開き、鍵を差し込む。はて、と思う。鍵が開かない。というより、元から鍵が開いているようだ。
1週間留守にするのであれば、さすがに武田も鍵をかけていくだろう。静かな住宅街、雪の降る音だけの世界に、自分の心臓の音が加わった。僅かに震える冷たい手で、スマホを取り出し、念のため動画を取りながら部屋に入ることにした。
玄関のドアを開けると、短い廊下の突き当りにリビングへつながる扉が見えるはずだが、開いているようだ。リビングは真っ暗であるものの、テレビが付いているのか人工的な明かりが僅かに見え、ニュースを読み上げる声が聞こえる。
自分の心臓の音が更に大きくなったようだ。玄関に入り、靴を脱ぐ。上がり框で躓きそうになりながら、そっと音を立てないように廊下を歩く。廊下の途中にある洗面所への入り口も開いているが、誰もいないようだ。
リビングに入ると、予想通りテレビが付いていた。ニュース番組がテーブルに置かれたマグカップを照らしている。暗い中に居ると余計に怖くなりそうだったので、リビングの明かりを付ける。
一瞬眩しさに目を細めるが、次いで驚いて目を見開くことになった。リビングの床には血だまりがあり、カーテンにも血痕が散っている。テーブルあたりから続く血痕は、引きずるように寝室へと延びていた。
一層激しく鳴る心臓を抑えながら、寝室を覗く。寝室の電気は消えていたが、外の雪に反射した街灯の明かりが武田のベッドを照らしている。
武田のベッドと思われるところには、今日欠席したはずの同僚の相澤の死体があった。
カーテン 深山 @miyama9627
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