番外編1 友達になる、方向で 〔輝咲〕

 今でこそ、「もしわたしが突然キスをしようとしたら」なんて話ができるほどに、それは、わたしたちの間ではあり得ないことになっているけれども。

 わたしは中学3年生の時、実際に、圭にキスを迫ったことがある。

 その時に圭に向けられた、強い意志を感じるあの視線を、わたしは、忘れることができない。



 わたしたちの中学の、卒業式の日。圭の両手首を校舎の壁に押し付けて、ほとんど息がかかりそうな距離で見つめて、「ねえ、圭、キスしたい」と伝えたとき。

 圭が発したのは、「そう」という言葉と、

「私は、これからも、あなたのことを友達として大切にしたいと思ってる。だから、そういうことはできない」

 という、きっぱりした答えだった。たぶん、いつからか気持ちは伝わってしまっていたのだろう。その答えは、あらかじめ用意されていたもののようだった。

 その時の圭の目には、ただの拒絶ではない、強い意志が宿っていた。「私は絶対に引かない」なのか、「私はあなたを信じている」なのか、「私はあなたを大事に思っている」なのか、あるいは、そのどれもがない交ぜになったような。うまく言葉にできないけれど、とにかく彼女が、その時のわたしとの関係をとても大切に思ってくれていることがよく伝わってくる視線だった。だからこそ、胸が痛んだ。

 最早そんな体勢だったから、そのまま無理やりしてしまうことも、できたのかもしれない。でも、その目を見たら、とてもそんなことはできなかった。わたしとは違う形で、彼女は、わたしの事を本当に大切に思ってくれていたのだ。

 正直なところ、圭への気持ちを諦めることは、簡単ではなかった。それを成し遂げられて、今のような友人としての関係をしっかりと結びなおせたのは、圭のおかげだったと思う。

 圭とはその日以来しばらく、部活の練習で会うことはあっても、個別の関係としてはかなり疎遠になった。彼女はわたしに、隙も、甘えも決して見せなかった。「あなたが私への特別な感情をなくさない限りは、私はあなたと二人の時間を過ごすつもりは一切ない」という雰囲気を感じた。かといって、わたしに対して、嫌悪感を示すこともなかった。彼女はその後も、部活の中ではごく自然に、わたしと接した。たぶん、どちらかというと私の方が不自然だったと思う。気持ちをなくすまでは、やっぱりどうしても、接するのがつらかったから。

 わたしが彼女への特別な感情を失い、はっきりと圭とのことを絶望していくことができたのは、彼女のそういう、毅然とした態度があったからだと思う。

 今思えば、あの時期にちゃんと、一度関係を解くことができたからこそ、再び結びなおすことができたのだろう。後になってから、圭が意図してそうしてくれていたということを知った。「まあ、私としては輝咲と二人でしゃべれないのは、ちょっと寂しかったけど」と、圭は言った。

「でも、あなたという友達を、これからの人生で失うのは、もっと嫌だって思ったから」

 その後、わたしたちは、エスカレーター式に同じ高校に進んで。

 わたしは、高校1年で同じクラスになった別の女の子を好きになり。

 高校2年の春、わたしに初めての「彼女」ができた。

 その頃には、わたしの中での圭への気持ちは、ちゃんと落ち着いていて。それが、圭にも伝わっていたのだろう。わたしが改めて、圭を放課後、マックに誘ってみると、あっさりと了承してくれた。二人でゆっくり話すのはほとんど1年ぶりくらいだったけれど、思ったより普通に、彼女と話せた。

「なんか、久しぶりだね、こういうの」

「うん、そうね」

 目の前で、ポテトを頬張る圭の顔は、中学の頃よりも少し大人びて見えた。

「圭」

「うん、何」

「待っててくれて、ありがとう」

「どういたしまして。こちらこそ……ありがとう」

 ざわざわとするマックの片隅で、わたしたちは互いに何かを乗り越えて、友人としての関係を結び直したのだ。

 圭には、そのときに付き合っていた子との恋愛相談にも乗ってもらった。結局あの子とは、高校の間に別れてしまって、今ではもう、音沙汰すらないけれど。

 高校2年の夏に、圭が翔太と付き合い始めた時にも、わたしは特に心の痛みを感じなかった。むしろ、圭が誰かと幸せな関係を結べてよかったな、という、あたたかな気持ちが先に立った。

 そのことに、わたしはほっと胸をなでおろしたことを覚えている。「よかった、わたしの中には、もうほんとうに、圭へのそういう感情はないんだな」って、思って。たぶんその頃には、わたしもすでに、友人としての圭を失いたくないと、強く思い始めていたんだと思う。

 圭はその冬、公式試合中に、膝に大きな怪我を負うことになる。

 前十字靭帯断裂。

 それに伴う、手術と、入院と、リハビリ。

 圭は懸命に治療に励んだが、復帰は叶わず。3年生になってすぐの最後の春の大会は、結局、マネージャーとしてベンチで過ごすことになった。わたしがあの、圭がいちばん辛かったであろう時期に、友人として何かができていたのかと考えてみると、なんとも心許ない。

 けれど、これだけは、言えると思う。わたし自身の、気持ちとして。

 あの時期の圭に、いら立ちややるせなさをぶつけられたことも含めて、いっぱい甘えてもらえた、っていうこと。それは、わたしの人生で、ちょっとした「誇り」みたいになっている。

 翔太だけじゃない。圭は、わたしにも、甘えてくれたんだ、って。

 それはとりもなおさず、圭が、友人としてのわたしを、諦めないでいてくれたおかげなのだ。

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