完璧

@tabitabi_ramarama

第1話

水馬あめんぼ 赤いな あいうえお」

浮藻うきもに 小蝦こえびも 泳いでる」

啄木鳥きつつき コツコツ 枯れケヤキ」


 スタジオについたら、発声練習をする。

 まだ薄暗い時間のスタジオは、澄んだ空気が心地よい。きっと夜になったら、熱を帯びて息苦しくなるんだろう。



「おはようございます」

「おはようございます。こちら本日の原稿になります」

「ありがとうございます、拝読いたします」


 今日の原稿に目を通しながら、時間配分を確認する。愛用している黄色のマーカーは、そろそろ替え時のようだった。



「――以上、本日のニュースでした」


 3時間の収録は、長いようであっという間だ。




「お疲れ様でしたー!」

「お疲れ様でした」


 緊張していた雰囲気が緩和し、共演者やスタッフのしばしの歓談タイムとなる。スタッフに次の番組の指示を出している時、今日のゲストの声が飛び込んできた。


「いやー、噂通り阿澄さんはいつでも完璧なんですねぇ!」

「うちの局の名物アナウンサーですからねぇ。まさに“氷の女王”ですよ」

「カメラの前だけじゃないんですねぇ! もっと笑っても良いと思うんですがね」

「ええ。我々もそう思ってはいるんですが。何せ彼女は完璧ですから」



 ――――ホッとした。私はちゃんと完璧だった。



 夜のバラエティに向けて、熱を帯びていくスタジオを後にする。秋の気配を感じる家路で、マーカーの補充液を買い足した。あたりを見回し、ドアノブに手をかける前に深呼吸する。


「……ただいま」


 玄関脇のスイッチを上げると、暖色系の光が私を迎えてくれる。鍵を閉めたことを確認して、リビングへの扉を開けた。



「おかえり。今日も“完璧”だったじゃないか」


 ソファの上で、”ソレ”は足を組みながらテレビを見ていた。



「……なぎさの体で喋らないで」

「つれないなぁ。もっと笑った方が良いんじゃないの? “氷の女王様”」


 三歳児の体には不相応な話し方に、鳥肌が立つ。


「……なぎさは無事なんでしょうね?」

「過保護だなぁ。毎日確認するなよ、鬱陶しい」

「…… “約束”は守ってくれるんでしょうね」

「それ、もう聞き飽きた」


 大袈裟に呆れてみせてから、”ソレ”はにやりと笑った。


「こう見えても感謝してるんだぜ。アンタのおかげで同胞のための情報収集ができてる」

「……それなら、なぎさを返して頂戴」

「それは無理な相談だ。同胞全員分の『乗り物』が用意できたら、俺も乗り換えてやるよ。 “約束通り”な」

「…………」

「それに安心しろよ。オレは死ねないって言ってあるだろう? 俺も一緒に死んじまうからな。だから俺が『乗っている』うちは、娘の命に別状はない。ま、娘の人生については、保証しかねるが」



 そう言って、”ソレ”はけたたましい笑い声をあげた。


 

 ■◇■◇■◇


 

 ある日娘は、"ソレ"の『乗り物』にされてしまった。


「うぅっ……!」

「なぎさ……!? なぎさ、大丈夫!?」

「――娘の命が惜しければ、俺の言う通り行動しな」



 突如苦しみだしたかと思ったら、数分後、あけすけな口調に変わっていた娘に、背筋が凍ったのを覚えている。



「あんただって、隠し子がいるってバレたら困るだろ? 何せアンタは“完璧”なんだから。取り憑かれたなんて、ワケの分からない妄想より、世間はそっちに飛びつく。アンタは、よーく分かってるんじゃないか?」



 "ソレ"の正体は、宇宙生物なのか、幽霊なのか、妖怪なのか分からない。分かるのは、娘の命が人質にされたことだけ。

 


 だから私は、完璧でなければならないのだ。何事もなかったかのように。本当の私は、娘をみすみす危険な目に合わせている、不完全な人間だというのに。


 

■◇■◇■◇


 

 ――いつものように、夕食の準備に取り掛かろうとした時。


 

「そういえば朗報。そろそろ同胞の『乗り物』が揃いそうだぜ」

「――ッ!?」

「ハハッ、そんなに嬉しそうにするなよ」


 "ソレ"は何かを話し続けていたが、何も頭に入らなかった。


 もうすぐだ。もうすぐ、なぎさを取り戻せる。普通の女の子として、保育園にも通わせてあげられる。大好きだったハンバーグを、もう一度食べさせてあげられる。


 この地獄が終わる。


「俺の乗り換え先も目途が立っているし、名残惜しいが、そろそろお別れだな阿澄アナ」

「いつ、いつ乗り換えるの?」

「それは教えられねーが、まあすぐに分かるだろうさ」



■◇■◇■◇



「――以上、本日のニュースでした」


 今日も収録を終える。完璧のはずだ。歓談タイムでも、完璧というワードが聞こえてくる。いつも通り、次の番組の打ち合わせをしていたその時。


「うぐっ…………」

「あ、阿澄さん!? 大丈夫ですか!?」


 頭が割れるような頭痛が襲ってきた。

 思わず壁に手をつく。




『ほらな、すぐに分かっただろう?』




 ”ソレ”だった。

 次の乗り換え先は、私だったということか。



『最初から、お前を乗っ取るつもりでいたんだよ。情報統制にうってつけの人材だったからな。お前のことを観察するために、都合よく隠されている娘に乗ることにしたのさ』



 黄色のマーカーを弾き飛ばしながら、地面へ倒れこむ。中身の部品が飛び散ったのが見えた。


「阿澄さん! 誰か、救急車を!」

「阿澄さんしっかり!」



『ま、お前を乗っ取るよりも、娘を人質にして、お前に局内の情報を探らせる方がスムーズだったがな。想定より早く事が済んだ』



 つまり同胞とやらの『乗り物』は全て揃ったと。

 事が済んだ今、私はもう用済み。



『口封じのために殺すよりも、阿澄アナを乗っ取ってしまう方が、今後の情報統制も出来てお得というワケだ。お前の振る舞いも、長いことテレビで観察させてもらったし、もう成り代われる。この騒ぎを利用して仮病でも使って、局の裏方に引っ込んでも良い』


 私の周りが慌ただしくなっているのを感じるが、もう指一本も動かせそうになかった。

 娘は、なぎさは無事なのだろうか。


『ベッドでぐっすりだぜ。 ”約束“は守っただろう? さあ、お別れの時間だ』





 暗い、暗い、意識の深海に、沈んでいく。


 ああ、なぎさをもう一度抱きしめたかった。


 ■◇■◇■◇



「――阿澄さん、本当に大丈夫なんですか?」

「ええ、問題ないです。ただの立ち眩みだったようで」


 乗り換えは問題なく成功。成り代わりも、今のところ問題なさそうだ。コイツの交友関係はゼロに等しい。気付けるような人間はいないだろう。


(…………いや)


 強いて言えば娘くらいか。今の身体であれば始末できる。自分の『乗り物』周りを綺麗にしてから、同胞を『搭乗』させよう。


「……でも、念のため病院にかかっておきたくて。次の番組が終わったら帰宅してもよろしいでしょうか?」

「もちろんです! どうぞお大事になさってください」

「我が局の大事な看板アナウンサーですから」


 そうと決まれば善は急げだ。

 今日中に片づけてしまおう。


 初めての家路につく。

 肌寒い風も、新鮮で清々しい。

 家が近づくにつれて、自分が大股になっていくのが分かる。


「ガチャッ」


 玄関ドアを思いきり開けた。

 スイッチを上げる時間さえ惜しい。


「ただいま」

「…………ママ?」


 娘は玄関にいた。なるほど、母親の帰りを待っていたらしい。健気なことだ。


「そうよ、なぎさ」

「!? ママじゃない! ママどこ、ママぁ」

「……チッ」


 こんなに早々にバレるとは。全くやかましい。さっさと片をつけてしまおう。玄関を乱暴に閉める。


「ママ、ママ助けてぇ!」


 娘がリビングへ駆け出していくのを追いながら、思考にふける。


「どう殺すかなー。娘の存在がバレると阿澄アナおれの経歴に傷がつくし。転落事故だと人目がねぇ。溺死させて、風呂場の事故でいいか」


 溺死なら人目もつかないし、戸籍も内々の書類処理で済む。

 そうと決まれば話は早い。娘を角に追い詰める。

 抵抗していたが、大人と子どもだ。


「嫌ぁぁああ! 来ないでぇ! ママ、ママぁ!」

「よいしょっと」

「んぐっ、うっ」


 タオルで口を塞ぎ、小脇に抱え、水色で統一されたバスルームへ向かう。シャワーと蛇口を総動員して風呂場に水を溜めた。


 娘の手足が壁や浴槽に当たる音、だぷだぷと水が溜まる音、降り注ぐシャワーの音。ここから始まるのだと思うと、すべてが自分を祝福しているように思えた。


「こんなもんかな。さて」


 タオルを外し、娘の首根っこを掴みなおす。


「嫌だ、やだ、やだ、やめて、ママ、ママ――――!」


 娘の水面に顔を近づけたその時。




 

「ピンポーン」



 


 こんな時に、来客?

 面倒だな。居留守で良いだろう。


 

「ピンポーンピンポーンピンポーン」


 

 ……しつこいヤツだな。全くしょうがない。

 娘の口を再度タオルで塞ぎ、ドライヤーのコードで手をパイプに縛る。


「少しでも声を出したら、分かっているな?」

 力なく娘が頷くのを確認してから、玄関へ向かった。



「はい」

「どうも、警察です。先ほど通報がありましてね。なに、中を少しだけ確認させていただけないでしょうか」

「………………は?」


 どういうことだ。なぜ警察がここに?


 

「……どうしてです?」

「どうやら、お宅にお子さんがいると。虐待されている可能性もあると通報がありまして」

 

 二人組のうち、小太りの方がそう告げる。


 なぜ娘の存在がバレている。

 阿澄アナコイツは完璧に隠していたはず。

 いや、今はどう切り抜けるかだ。

 

「はぁ、ウチに子どもなどいませんが……。任意でしたらお断りさせていただきます」

「そうですよねぇ。あの氷の女王、阿澄アナに子どもがいるなんてね。きっと悪戯ですな」


 どうやら上司らしい小太りは、愛想のよい笑みを浮かべた。

 

 阿澄アナコイツが”完璧”で助かった。こんなところで”完璧”が仇になるなんて、本人は夢にも思わなかっただろう。


 

 警察官たちは、綺麗な一礼をして、踵を返した。


 

 

「ガンッ」

…………あいつめ。

 

 

「……今の音は?」

 もやしのように細長い、若い警察官が足を止めた。

 

「ああ、お風呂場のパイプが壊れかけているんですよ」

「ははぁ、なるほど。こんな高級住宅でも、壊れることがあるんですねぇ」

「ええ」


 

「ガンガンガンガンガン」


 

「……今日はいつもより激しいですね。そろそろ様子を見てこなくては。もう良いですか」

「阿澄さん。子どもがいないというのは噓ですよね」

「――は?」


 

 

「この玄関。子どもの鍵開け防止カバーがついています」



 

「バンッ」

 


 

 勢いよく閉めた玄関ドアに、もやしの足が挟まる。

 

 「阿澄さん、この音はパイプの故障じゃないんでしょう!」

 

 ぐいとドアが開かれ、土足のまま、 凄まじいスピードで脇を通り抜けていく。追いすがろうと伸ばした手は、空を掴んだ。

 

「お、おい、令状もなしに」

 

 小太りは慌てふためいているが、娘が見つかるのも時間の問題だろう。


 

 

 ――――――仕方あるまい。


 

「う゛っ! ぐうっ……。」

 

 もう阿澄アナあいつは終わりだろう。『乗り換え』時期だ。

 

 小太りこいつなら銃を持っているから、残りの三人を撃ち殺せる。これで口封じは完了。その後で別人に『乗り換え』れば良い。取り憑かれていたなどという、殺人者の証言なんて誰も耳を貸さない。

 

 まだ、終わっていない。同胞が待っているのだ。まだ――――。


 

「パンッ」


 


 ■◇■◇■◇



 

 

 気付いたときには、隣で警察官が頭を抱えてのが見えた。その瞬間、あの時の言葉がフラッシュバックした。



「それに安心しろよ。オレは死ねないって言ってあるだろう? 俺も一緒に死んじまうからな。」



「パンッ」

 

 

 

 銃声は、思ったより静かで、乾いた音だった。まさか、初めて聞く銃声が、自分の撃った銃声だとは思わなかった。


 警官の銃を奪い、発砲した大人気アナウンサー。私は殺人罪で現行犯逮捕。娘への虐待疑惑もあるようだ。

 

 世間はきっと、大騒ぎなんだろう。





 

 

 阿澄アナわたしのことをテレビでやけに観察していたことから、”ソレ”が私に『乗り換える』ことは分かっていた。

 情報統制は、人質を取って私にやらせるよりも、自分でやる方が効率が良い。 他人に『乗り換え』て、私を口封じで殺すにしても、もう少し阿澄アナわたしの立場を利用してからだろう。

 

 

 

 このとき最も危険が及ぶのは、阿澄アナわたしのキャリアにおいて唯一の汚点である、なぎさだ。

 


 

 『緊急 娘 助けて』

 

 わざと弾き飛ばした、黄色のマーカー。

 その中に隠していたメモを読んで、スタッフが通報してくれていた。

 

 ”ソレ”が人に『乗る』ときに時間を要することは、なぎさで知っている。苦しんでいる間にマーカーを落とすぐらい、簡単なことだった。

 


(………………それに)


 

 ”ソレ”は、”完璧”とは程遠い。

 

 頭痛で倒れた程度では阿澄アナわたしは家に帰らない。

 その違和感が、通報への後押しをしてくれた。

 



 

 

「被告人は、前に。」


 

 ”ソレ”を殺すためとはいえ、無実の警察官を殺してしまった。

 その裁きは受けなければならない。


 

 なぎさは施設に入ることになる。

 殺人者わたしとの血縁関係なんて、ない方が良いに決まっている。



 

 「氏名と生年月日を。」

 「……一九九〇年、九月十四日」


 

 今日で私は、”完璧”でなくなるのだ。

 

 

 「阿澄なおこ」



 

 

 

 



 

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