入れ替わる悪魔
月霧
入れ替わる悪魔
「おい! おいオイタ起きろ!」
まどろみの中にいたオイタの肩が突然、乱暴に揺さぶられる。目を開けるとそこには、血相がまるで変わっている兄貴の顔があった。
「んーもうなんだよ兄貴、こんな朝から……めっちゃいい夢見てたのに……」
「寝ぼけてる場合か! 敵襲だ! 戦う準備をしろ!」
「敵襲? また来たのか……?」
「そのようだ。急いで支度をしろ、お前も防衛部隊の一員だろ!」
「……ていうか、オレらほんとに必要あるか? 前は俺らが装備つけてたら終わっちまったじゃんか」
「前の襲撃より人数を増やしてこっちに来ているって偵察班からの報告があったんだ。念には念を、だ」
「はいよ……」
オイタは小さく欠伸をしながら起き上がりそばにある革の防具に腕を通しながら心に思う。
――あぁもう。人間ってほんとにしつこいな……。
***
ここはとあるゴブリンの村。約五ヶ月ほど前、人間からの襲撃を受けたばかりだった。その襲撃は人間の誤算もあったのか、ゴブリン達は余裕を持って村を守り切ることに成功した。過去の傾向から見て、少なくとも今後一年以内の襲撃はないだろう、そう思われていた。
だが、その傾向に反して襲撃は早く実施されたらしい。
「オイタ……起きたか」
剣帯を締めながら配置を確認していたオイタに、村長が声をかけてきた。その顔色は士気色で脂汗がにじんでいる。
「なんすか村長。そんなに焦らなくても、今から加わりますから」
「……前衛の部隊は壊滅した」
村長の口から漏れたその声は、オイタだけでなく周囲にいたゴブリン部隊の空気をも変えた。
「え……?」
「先程報告が入った……。他の部隊にも声をかけてくる」
足早に去っていく村長の背を見ながらオイタは呆然とする。
前回の襲撃をほぼ無傷で抑え込んだ精鋭である前衛が壊滅。敵のレベルが一段、いやずっとずっと高いのかもしれない。
「そんな馬鹿な……」
オイタは血相を変えて武器を掴んで外へと飛び出した。
外側のフェンス、その状況を確認するとその光景は地獄絵図だった。負傷したゴブリン複数がフェンスにもたれ掛かり、ある者は腹を押さえて、ある者は腕を失い涙を滲ませて虚空を見つめている。
「なっ、……何があった!」
オイタが負傷兵に駆け寄り、状況を聞こうとしたそのとき――。
バチバチバチバチッ!
轟音が鳴り響くと共に木製のフェンスが飴細工のように砕け散る。舞い上がる土煙の向こうから全身を銀色で包んだ人間たちが雪崩のように押し寄せてきた。
このフェンスが破れる――それはつまり中衛までもが壊滅したことを意味する。
「キャー!」「死にたくない……」「助けてくれ……」「に、逃げろ! 逃げるんだ!」
村はパニックとなり、悲鳴が他方から聞こえてくる。
そんな喧騒の中、状況を理解していない幼い子供のゴブリンが、よちよちと人間に歩み寄る。
「だぁれ?」
――まずい!
「おい! 近づくな!」
オイタがそう叫んだ時には、人間の持つ剣に滲む緑の血。膝から崩れ落ちる子どもゴブリンの姿。
「くそっ! っくそがぁぁぁぁぁ!!」
もう何も考えられず、とにかく怒りで頭が埋め尽くされる。だが、無我夢中で飛び出そうとした身体は、強い力で肩を掴まれて引き止められた。
「おい、冷静になれ」
その声は兄貴だった。手は震えているが兄貴は冷静を保っている。
「いいか、オイタ。いくらお前が強くてもひとりじゃあの重装備の人間複数相手じゃ絶対に勝てない。チームで行くぞ」
「……っ。わかった。そうだな、ごめん兄貴」
――そうだ、まずはおれたちが冷静にならないと何も守れない。
荒い呼吸を無理やり鎮める。
「よし、準備はいいか?」
「おう!」
「行くぞっ!!」
兄貴の掛け声とともに周囲にいた後衛のゴブリン部隊が一斉に駆け出した。
複数で囲み一人が囮となり、その隙に関節の隙間を狙う。
一昔前に考案された対人間鎧戦士用の戦術だ。これなら勝てる。
ひとり、ふたり、さんにん。頭ごなしに突っ込んでくる人間は見事に罠に嵌ってくれる。だが、順調であればあるほどにひとつの疑問が大きく胸に残り続ける。
――なぜ前衛、中衛は壊滅したのだろう。
その答えは、戦場の空気が凍りついた瞬間――まさに一瞬。オイタの疑問は理解できるものへと変わった。
「勇者だ。勇者が来た……」
「あれが…………」
「おい! 逃げろ! ゆっ……勇者が来たぞ……」
ゴブリン部隊の活力を失ったような声が聞こえてくる。
伝説的な存在、それが勇者だ。ゴブリン部隊の全員、誰も勇者の姿を見たことはないが今、目の前から来る魔力の圧が、オーラが彼こそが勇者だと告げている。
勇者は軽く剣を振るう。それだけで衝撃波が走り複数のゴブリンが吹き飛んだ。
「無理だ、早く逃げないと……」
勝てない……、これは戦ではない、虐殺だ。虐殺が始まるんだ。そう感じた。
「駄目だ! 散れ! 逃げるぞぉぉぉおお!!」
誰かの絶叫を合図に、オイタ含めゴブリン部隊は戦闘を放棄し、人間が来た方向とは真逆の方向に走り出した。
家も、村も、誇りも何もかもを捨てて、ただ生にしがみつくために。
「う、うわ、うわぁぁぁぁ!」「やめてくれ……頼む…………」
背後から聞こえてくる断末魔。何か『生きているもの』を切ったような生々しい音。まさに地獄のような音が聞こえ続ける中を駆け抜ける。助けられないと、それが分かっているから駆け抜け続けるしか無かった。
「た、たすけてくれ……」
か細く誰にも聞こえないような小さな声がどこかで聞こえた。そう、か細いのにオイタにだけは大きく聞こえたのだ。
「兄貴……?」
オイタは走る足を止めて後ろを振り返る。
視界の先、複数の兵士に囲まれている兄貴の姿があった。そして、一閃。
次の瞬間に見えた光景は空中に舞ったゴブリンの頭と頭を失ったゴブリンの体。まるでスローモーションのように、見えたその光景が目に深く焼き付く。
人間たちは、珍しい装備をしていた兄貴の体をまるで戦利品を見るかのように見下ろしていた。頭には目もくれていない。
「あっ、うっ……」
喉から悲鳴が迫り上がる。しかし、兄貴に注目している今がチャンスだった。
オイタは咄嗟に泣きそうになっている声を飲んで、息を殺し草むらに隠れる。
――あの勇者は悪魔だ……。
***
どれくらいの時間が経ったのだろうか。響き渡っていた人間の声が消え、勇者の気配も完全に消えた、そんなタイミングでオイタはふらつく足で村へと戻る。
夕焼けに染まるオレンジ色の空。無邪気に飛び交う虫。無理やりこじ開けられたようなドア。ペンキのように飛び散った緑色の血。ボロボロになったフェンス。そして、数え切れないほどの同胞の遺体。
「これじゃあ……、誰が誰だかわかんねぇよ」
オイタの感情はぐちゃぐちゃで笑うしか無かった。
ほぼ全滅の村を前にしてオイタは拳を握りしめて覚悟を決める。
――今はダメかもしれない。だがいつか……いつか! ここに住んでいたみんな、村長、兄貴、母さん、父さん。約束する。オレが必ず、必ずっ……!! 人間を根絶やしにして仇を取ってみせる。
***
「勇者様、ゴブリン村の制圧、完了したそうです。しかし死者が七名……。勇者様? 深刻そうな顔をしてどうなさいましたか?」
従者である僧侶に声をかけられて勇者はハッと我に返る。
「あぁ、報告か。すまない、もう一度いいか?」
「本当にどうなさいました? そんな深刻そうな顔をして。とても勝利した人間の顔には見えません」
「いや、少し考え事をしてただけだ」
「いつも間抜けズラしてる勇者様が考え事とは……らしくないですね」
「おい、間抜けって言うなよ。これでも俺、一応世界を救う予定の勇者だぞ?」
軽口を叩くが勇者のモヤは晴れない。
「それで? 私でよければご相談、お聞き致しますよ」
普段悩みを人に打ち明けたりしない勇者のその姿がよっぽど珍しく映ったのか、僧侶はワクワクした表情で勇者を見る。
「……ゴブリンってさ、本当に知能が低いと思うか?」
「と言うと?」
「なんだか、俺が斬ったゴブリンたち……、みんな必死そうな顔だった。仲間を庇ったり、絶望したり、まるで人間みたいに……。それに、どこからかは分からないが『悪魔』って……聞こえた気がしたんだ。魔王に仕えてるからってここまでする必要なかったんじゃないかって……思って。正しいことをしてるって思ってもそれが正義とは限らないんじゃないかなって」
「なるほど。勇者様はとんでもなくおバカなのですね」
「おいおい! 真剣に悩んでるのにそこまで言うことないだろ!」
僧侶は呆れたように、しかし優しく論すように言った。
「いいですか勇者様。ゴブリンは発声器官は持っていますが、そこに知性はありません。もし連携が取れてたように見えていたのならそれはただの偶然、獣と同じような本能的な習性です。それに、ゴブリンは魔王に操られている種族でありそこに意識は無い、これは常識ですよ」
「でも、あの顔は……」
「はぁ……。ゴブリンは元々醜悪な顔つきなんですよ。感情があるように見えたのならそれは気のせいです。それに『悪魔』は魔王の方じゃないですか。六年前のトラスト村での大虐殺から始まった魔王による進軍、忘れたわけではないですよね? ゴブリンと人間では話が違います」
トラスト村。それは勇者の故郷だ。
燃える家々と、魔王軍に殺された家族の顔が脳裏をよぎる。
「…………そうだな。俺の村の住人は魔王に殺された。俺は魔王を倒すまでは帰らないってあの村の人に、家族に誓ったんだ。ありがとな、迷いが消えたよ」
「そうですか、ならば解決ですね。次に向かうのはオークの村です」
勇者は立ち上がり月を見た。
――そうだ、俺はきっと正しいことをしているはずだ。魔王を倒してそれを必ず証明してみせる。
彼の中には「悪魔」と呼ばれたことなどを気にする気持ちなど微塵も残っていない。
入れ替わる悪魔 月霧 @otukiri
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