平成挽歌
芥生夢子
平成挽歌
私の妻と飼い猫がエイリアンだった。他の家族──ひとり娘と妻の両親──がどうであったのか、つまりこちら側だったのか、あちら側だったのか、結局最後の日までわからなかった。だが少なくとも、妻と猫は地球外生命体だった。
八年前のとある晩、仕事を終えて家に帰り、妻が食卓を整えているあいだに別室で仕事着を替えていたら、飼い猫のジゴロが引き戸を開けて入ってきた。
この部屋は寝室として使っており、妻の嫁入り道具だった高価なタンスも置いている。普段であれば戸の上部に五寸釘を通して器用なジゴロが入れないように対策をしていたのだが、すぐに出るつもりでつい怠ってしまった。もともとジゴロは私が学生時代に拾った猫だ。家族のだれよりも私になついている。「こら、ここには来るんじゃないよ」と媚びぬいた声で尻尾のつけ根をさすると、小気味いい音がスポンと鳴ってなにかが床と平行に跳んでいった。壁を柔らかくはねかえして後方の畳に転がったのは猫の尻尾だった。
とっさに私は、ふとしたはずみで尻尾が切断されるほど強く撫でてしまったのだと思い慌てた。急いで部屋の隅に走り、すらっと伸びたつややかな尻尾を恐る恐るひろってジゴロのほうを振り返る。
ジゴロの尻の穴のすぐ上に、もうひとつ穴があった。本来尻尾が生えているはずの場所に空いた穴には、真っ黒で濡れたような質感の膜が張っている。
これは眼だ、と私は直感的に思った。
「単刀直入にいう」
ジゴロは猫だ。猫の口からひとの声がでた。
「春に生れたおまえの娘は成長しない」
「二〇〇〇年は来ない」
「八年後、一九九九年の夏に日本は滅亡する」
「おまえだけが生き残る」
「おまえの妻はセロリがすきだ」
宣言どおり、なんの前置きもない短い口述が羅列されていく。ジゴロは私が想像していたよりはるかに単刀直入な猫だった。
話は終わったらしい。皮膚が下から上へと盛りあがって眼は閉じられた。
穴の開いていた部分は薄桃色の肌が露出しているただのハゲとなっていた。呆然としたまま、握りしめていた愛猫の尻尾をふと見下ろす。つけ根にハンコ注射のような形をした細い針がいくつも飛びだしている。イメージが湧いたのでそっと針をハゲに刺してみると、吸盤がはりつくような快い手応えがあって、尻尾は元の位置へと完璧におさまった。そのあと、ジゴロは何事もなかったように八割れ模様の額を私の脚にこすりつけて甘えた。
翌日、仕事を終えた私は妻に頼まれた買い物をして家に帰ってきた。
「なあに、この野菜」
スーパーの袋に入った中身をチェックしながら、妻が訊く。
おんぶ紐でくくりつけられた娘は先日首がすわったばかりだ。妻の背に揺られながら気持ちよさそうに眠っていた。
「セロリだよ、知らない?」
「はじめてみたわ」
「急に食べたくなってさ。サラダにしてくれない?」
あれから八年。妻はセロリ以外のものを食べなくなった。ほつれたおんぶ紐で、赤ん坊のまま成長しない娘をあやしている。ジゴロの尻尾はときどき跳ぶ。
意味深長に予言された一九九九年の七月は当たり前の顔をしてやってきた。
天災、事件、戦争、歴史に爪痕を残すような大きな事象に遭遇しそうになると、時間の流れに変化が生じ、非常にゆっくりになるか、あるいはあっという間に過ぎ去って、まるで教科書に載った一枚の写真のように何者かに切り取られていく──私には毎度そんな感覚があるのだが、今回はそうでもなかった。
事前に予想していたよりずっとごく普通に、日常は繰り返されていた。早送りやスロー再生をされることもなく、暦にとってはなんてことのない、いつもの一周期。騒いでいるのは一部の国の一部の人間だけ。つまり日本の大衆だけだ。
テレビ局は馬鹿の一つ覚えみたいに、月末にせまったノストラダムスの大予言を特集していた。まさに宴も
うんざりしてチャンネルをまわすと、長い年月をかけてよく磨いた漆家具のような肌色の女子高校生たちが画面に映った。
『ていうか、ちょーむかつくの』
『えーまじ、ちょーむかつく』
したり顔の芸能人が「なげかわしい」もしくはそれに近いコメントをして眉をひそめ合っている。若者の無知や言葉遣いを非難するために構成された番組で、漆色の女子高生を批判してみせることは、彼らがいま受け持っている仕事だからそのようにしているのだ。しかし、いくら仕事だからといって、一考を投じることも彼女らの言い分に耳を貸すこともなく、一方的な態度で常識人を自称する視聴者を満足させる役割に興じる姿勢はいかがなものだろうか? 私だって彼女らがなにを喋っているのか正確にわからないし、耳にした彼女らの発言に一考を投じる前になげかわしく思う気持ちもある。だが、一度でいいから彼女らと同じように、「上司がね、ちょーむかつくのなの」と言い放ってみたいとも思う。
むろん、彼女らを非難する役割をあてられている彼らとて言い分はあるのだろう。月日が経てば自然と大人になっていき、紫外線を敵視して漆を落とそうと涙ぐましい努力をするであろう女子高生らを糾弾するよりは、自分たちに理不尽かつ馬鹿みたいな要求をしてくる番組ディレクターおよび視聴者の需要を糾弾したいだろう。そのほうがよほど建設的だ。しかし彼女らが若さゆえに発言の自由を享受しているからといって大人の面子を保つため自分に嘘をついて「なげかわしい」と非難するのはフェアではないと思うのだ。
画面に映った漆色の女子高生を指さし、私は台所に立っている妻に話しかけた。
「ナナミも、もしかしたら将来コギャルになったりするのかな」
その瞬間、時間が停止した。数秒の硬直のあと、皿に顔を埋めてカルカンを食べていたジゴロの尻尾が抜ける。セロリをかじっていた妻の片目が裏返って黒く塗り潰される。
「おまえの娘は成長しない」
「おまえの娘は成長しない」
ふたつの眼から睨まれ、私は自己防衛のためまったく関係のない考えごとに集中しようと努めた。
そういえば以前から食卓を新調したいと思っていたのだ。値は張るが漆塗りのテーブルなんてどうだろうか。だが妻はもっとお洒落な北欧風のダイニングセットがいいと反対するだろうし、提案するのはよしておこう。娘の七海が幼いうちは、落書きをされたり、シールなんかも貼られたりするかもしれない。おおいに汚すだろうから、娘がもう少し成長してからあらためて買い替えの検討を──また睨まれた気がしたので、食卓について考えるのはやめた。
ついさっきまではいつもの妻だったのだ。今日のおかずはハンバーグがいいなとねだれば、「あなたってホントに子ども舌よね」と、結婚前と少しも変わらない口調で私を茶化しながら夕食をこしらえてくれたはずの妻はいったいどこにいったのか。
温かいハンバーグを口に運びながら、白い木枠に囲まれたベビーベッドに横たわっている娘を盗み見る。私の成長しない娘は、父の気も知らず無邪気に笑い声をあげている。
妻とジゴロに寄生している──寄生しているのだろうか?──眼とはじめて会った日の少し前、七海は声をあげて笑うことができるようになったばかりだった。同じ月齢の子より少々遅かったせいか妻は心配しすぎていて、育児雑誌を読みふけったり、区の相談センターに通いつめたりしていたものだ。娘がはじめて笑ったそのとき、私たちは顔を見合わせて過去の不安を帳消しにした。少しずつだが、あっという間に去ってしまう、娘のささやかな成長記録。
あのころの私は、娘の笑顔を見るためであればなんだってできると思っていた。早々に負け越した出世レースに逆転勝利して、嫌な上司に言い返すことさえできるような気がしていた。娘の生い立ちを見守りつづけるために社会の歯車となり身を粉にして働こうと心に誓ったのだが、娘は依然として生後八か月のまま成長しないものだから、私は八年経ったいまでも直属の上司に「ずっといおうと思ってたけど、ちょーむかつくのなの」と伝えることもできずにいるのだった。
私は三十六になっていた。大人の時間は短い。せわしなく働いているあいだにも子どもは成長している。「いつの間にか喋れるようになっていた」などと、企業戦士たる同期社員諸君が口をそろえて話しているのを私はあいまいに相槌を打ちながら聞いている。
彼らの娘は去年ないし今年の春に小学校へあがったというのに、私の娘はようやく首がすわったところで、声をあげて笑うことができるようになったばかりなのだ。
「おまえんとこのナナミちゃんは、何年生になったんだっけ」
「ヒントは九十一年生れだよ」
「二年生ね。うちのひとつ上だっけか。早いもんだよな。仕事ばっかりして家族と過ごさないでいるとさ、パパの存在を忘れられちゃうぞ」
同僚が自嘲気味に笑う。私もつられて笑ったが、忘れられる以前の段階だ。はたして娘はパパを認識しているのだろうか。片頬を引き攣らせて周りの歩調に合わせた愛想笑いをするこの私を、父として。はたして。
家と会社を週に五日往復しながら、私は知りもしない別世界の会話を難なくこなす器用で悲しい中年男へとトランスフォームを遂げたのである。
妻は、妻に戻るため数十秒の時間が必要だからいまは妻を停止している最中だ。ジゴロは尻尾を差してやらないと猫には戻らないが、妻が妻に戻ったら飼い猫にすべからく必要な飼育行動の一環のような顔をして元通り差してくれるであろうし、ジゴロも何事もなかったかのようにカルカンの続きを食べはじめるだろう。
七海が笑いすぎてむせだしたので急いでベッドにかけ寄った。この重苦しい空気のただ中でいったいなにが楽しいのか、父には皆目見当がつかない。
「ナナミちゃん。ママは忙しいから、パパとお散歩にいこうね……」
カラーボックスの白い棚から取りだしたおんぶ紐はすっかり擦り切れて、今にもちぎれてしまいそうだった。私は父親だというのに、おんぶ紐がこれほど傷んでいたことさえ気づいていなかったのだ。とたん、妻と娘にたいして情けなさと申し訳なさが湧いてきた。せめてもの償いにと、下の段に置かれていたダスキンのモップを取って妻の手が届かない天井付近の埃を撫でておいた。
「ハンバーグ、あとでチンして食べるからラップしといてネ。ついでに商店街に寄って新しいおんぶ紐を買ってくるからネ」
妻に戻っている最中の妻にへらへらと告げて、財布を尻ポケットにいれ、娘を抱っこしてダイニングのドアを後ろ手で閉めた。微動だにしない妻は黒い片目を元通りに裏返そうと一生懸命だ。なんとなくだが休日の外出前に化粧をしている本物の妻と無言の迫力が似ている。まだ幸せだったころ、いわゆる新婚さんだったころはとくに念入りで、命を賭しているかのごとき気迫であった。
はて、と私は自問自答する。幸せだったころとはいつだろう。それはさしあたって大きな問題に直面していないという意味でのささやかな幸福であり、いま私が幸福ではないのかと尋ねられると、なかなか難しい話なのだけれど。
そもそも、妻はいったいいつから妻ではないのか。八年も観察してきたが、答えはまだでていない。妻は出会う前から地球外生命体であったのか? 私をだまして結婚にこぎつけたのだろうか? はじめから私をあざむくつもりで近づいたのであれば、妻にたいして少なからず情熱的に結婚を申し込んだ私は少し悲しい。
一抹の悲しさを抱えて玄関前の門扉を開けたところで、隣に住む義母、つまり妻の母親が狙いすましたかのように庭からでてきて声をかけてきた。
「あらぁ、ナナミちゃん。パパとお散歩なの。いいわねぇ。ほんとうにかわいいわぁ。二重まぶたはわたし似で鼻がとがっているのはうちのお父さん似で口が小さいのはうちの娘似だわ。肌が白いのもうちの先代にいたわね」
婿入りしたわけではないが私の両親はすでに鬼籍のため、我ら血族におけるすべての実権は妻の両親、とくに義母がにぎっているといっても過言ではない。格別嫌われてはいないにしろ、私の発言権と人権と生存権はそれほどない。
「でも、生れる前にも忠告してあげたけれど、ナナミなんてちょっと変な名前よね。漢字もあまり女の子らしくなくって、将来本人が気にしたら可哀想じゃないの。だからあたしと主人は百恵がいいっていったのよ」
義母が日常的に身に着けている両腕のアームカバーのようなものはいったいどこで購入しているのだろうと考えながら私は答えた。
「変じゃありません。ナナミが生れた年の名付けランキングの女の子部門では九位でした。九十一年の九位。あとアクセントはそうじゃなくて越後と同じです」
気にする将来とやらがあるかどうかはわからないですがね、なにしろ八か月から成長していませんからワハハ──という言葉は飲み込んだ。年に一度くらい湧きあがる勇気をすべてふり絞って強めに自己主張してみたつもりだが、義母は普段からすっとぼけているのか本気なのか、いまいちつかめないタイプだ。
「もうすぐハイハイするようになるわね」
私の言い分を全面的に無視したあと、決まり文句を言い残して去っていった。
八年前から毎日すれ違うたび、まったく同じことを言っているのだ。義母はまるで二十四時間こちらを監視しているのではないかと訝るほど玄関をでたらすぐさま出現する。そのため一年で顔を合わせなかった日はないに等しい。つまり単純計算にして三百六十五と八の乗算うるう年の二を足して二千九百二十二回。じつに二千九百二十二回目の決まり文句「もうすぐハイハイするようになるわね」だ。
四人兄妹を立派に育て上げ、子育ての経験と知見についてはだれも反論することなどできようもない、いいや反論させない、そんな子育てのエキスパート義母に二千九百二十二回も「もうすぐハイハイするようになるわね」と予言されたにもかかわらず、我が娘は一向に這いずり始める兆しが見られない。白い木枠のベッドでひたすら眠り、気が向いたら寝返りをうつくらいのものである。
「子育ては子どもひとりひとり母親ひとりひとりでそれぞれ違うのだからお願いですからお義母さんは黙っていてください」とだれもいない壁に向かってひたすらつぶやいていたのはたしか昨年第二子の出産で退職した同じ部署の事務員だった。会社を辞めたあと、彼女は壁ではない彼女の義母に直接「ちょー黙っててください」と告げることはできたのだろうか。
私は私の義母の兄妹四人を育てあげた小さくもたくましい背中を見送りながら、つぶやいた。
「勘弁してくれ」
私だって、これはなんだかおかしいぞと理解しているのだ。
なにかがおかしいな、とてもおかしいな。
決して楽観的ではなく、事態を憂慮しているのだ。
なにかがおかしいな。とてもおかしいな。
たとえば偶然の幸運が重なってまあまあ空いた通勤電車に座ることのできた朝。眠れなくて水を飲みに起きたら妻もひっそりとテレビをつけているのを発見した夜。公園で娘に向けたハンディビデオカメラのファインダーをのぞいた瞬間。外回り中になんとなく見あげたビル群と一面の窓に反射した空。トイレで新聞を広げてたいした事件もなかったような日。忙しさにかまけつづけた日常がふと途切れる、そんな合間に。
私の人生はきっとなにかがおかしくて、なにかが起こっているはずなのだ。
頭のなかで、他ならぬ私自身が警笛を鳴らしている。
息苦しい。理由が明確ではないマナーを押しつけられているような気分が絶えずつきまとっている。私の人生が、私ではない何者かに支配された感覚。ここでの私はちっぽけなんかじゃなく、むしろ強制的に当事者へと押しだされている。何者かの脚本によって、無理矢理に。
「いや、もう、まったく、勘弁してくれ」
溜まりに溜まった八年分の感想はたった六文字だった。勘弁してくれ。
六文字分の、年に一度しか湧きあがらない勇気をふり絞った私の自己主張。
勘弁してくれ。ささやかで幸福だった名無しの権兵衛に戻してくれ。
さて、なにかがおかしいこの八年のあいだ私がなにをしてきたかというと、なにもしてこなかった。
ごく普通に仕事をこなし、労賃を稼いで妻に生活費を渡した。酒も煙草も賭博もやらなかった。新入社員のときは飲みニケーションで華金に付き合ったりもしたが、娘が生れてからは自主的に家に帰って家族サービスに努めた。休日には動物園でも水族館でも、デパートの屋上にだってつき合った。専業主婦の妻がシーズンごとに洋服と化粧を買い足すのに苦言を呈したこともない。嫁姑問題に悩まされることはなくとも、八年も乳児の世話をしているのだから当然ストレスだって溜まっているだろう。最高金利だった時代に買った家のローンは低金利に乗り換えて計画的に返済できているし、唯一の趣味であるアクアリウムもエビと水草しか育てていない。ごく一般的な夫がするべきことをこなし、ごく一般的な夫がするべき我慢をしてきた。ただそれだけだ。
もちろん、このまま平凡な幸せが続けばいいなぁと、ただ馬鹿みたいに思考を放棄して生きていたわけではない。もしかして、どうにかしなければいけないんじゃないか? 具体的な改善策を発案して現状の改革に努めなければならないのではないか? そう何度も考えた。しかし私は思考を放棄していないとはいえ具体的な改善策をなにひとつ思いつかなかったし、現状の改革なんてもってのほかだった。
この現実はなんだ? 凡庸なる私の人生でいったい、なにが発生している?
格別ロマンチストではない私にだって、未知へのあこがれはあった。少年の時分にはまるで漫画みたいなできごとが起こればどんなに楽しいだろうと空想したこともある。青天の霹靂のように巨人軍にスカウトされたかったし、クラスの嫌なやつに仕返しができる道具がほしかった。魅力的なヒロインに言い寄られたかったし、海賊になってクールに振る舞ってみたかった。高校時代はSF小説に傾倒していた。ビニ本の梱包をするアルバイトで得た報酬で望遠鏡を買ってキャンプに出かけ、遠い宇宙に存在するであろう生命体に思いを馳せた。大学生ともなればそこまで非現実的ではないにしろ、埋蔵金を発見するだとか宝くじが当たるなどといった事象であればいつでも大歓迎だった。
やがて時は過ぎた。少年だった私は学生だった私になり、それなりに人生経験を積みながら大人となって社会人生活にも慣れ、一時代を築いたにっぽんのモーレツ社員の隔世遺伝的正統後継者として九十年代を迎える企業戦士となった。片道一時間半の通勤と無用な会議の長さに慣れたころ。私は現実を迎合した。未知へのあこがれの喪失。
ところで私にとって、いや私と同年代の人間にとっては、未知の地球外生命体といえば総じてエイリアンである。大学を卒業する前の夏に観たエイリアン2が好きだった。それから六年後、現実を迎合したはずが眼の出現によって懐疑的にならざるを得なくなっていた私は、順当に現実を迎合しきっていた大学の同窓生と連れ立って映画館へ続編のエイリアン3を観に行った。娘が生れ、そして成長を止めた翌年のことだった。
やはり2が至高だったんだよと訳知り顔で語り合うべく近場の焼鳥屋の暖簾をくぐって一杯目のビールジョッキを傾けたあのとき、友人に「いやあね、恥ずかしながら、じつは妻と飼い猫がエイリアンだったみたいなんだよね。知ってる? 宇宙人ってセロリがすきらしいよ」と打ち明けてみたら今ごろはどうなっていただろうか。
まあ、どうにもなっていなかっただろう。話したところで愛想笑いとともに肩を叩かれながら「高校の同級生で一番優秀だったやつが精神科で開業したらしくてね、結構評判もいいみたいだからよかったら紹介するよ。近ごろ芸能人なんかのあいだでは神経質が格好いいとそれ系の病院に通うのがトレンディだというじゃないか。きみのだって一過性のはしかみたいなものさ。話を聞いてもらうだけでも心が軽くなるんじゃないかと思うんだけれどね」などとやんわり同情されるだけだ。学生時代だったら「未知との遭遇、てか~」とでも返してくれるかもしれないが、なにしろ彼はすでに現実を迎合しきっているのだ。
私はといえば完全に迎合したはずだった矢先に、妻と猫がエイリアンだったことが判明してしまった。ならばもう病院の門を叩くしかないじゃないか。
病院か。
八年の時を経て、ようやく私は説得力のある仮説にたどりついた。むしろなぜ今まで考えてこなかったのかと不思議なくらいだ。少し前に流行した電波系うんぬんのイメージに踊らされすぎて、無意識のうちに忌避していたのか? 精神病院に一度入ってしまえば最後、手足を拘束されて独房に閉じ込められ電気ショックを与えられて一生飼い殺しにされてしまうらしい。厄介者払いに親族も喜んで入院費を払うのだそうだ。現代の姥捨て山、口減らしであると、そのようなことを書いた外連味のある雑誌を出張中の暇つぶしに新幹線のホームの売店で購入して読んだ記憶がある。電気ショックの真偽はともかくとして、私のこれも、もしや妄想病の類なのではないだろうか。
精神に異常をきたした当人には自覚がないのだという。妻と飼い猫がエイリアンだなんて、娘が赤ん坊のまま成長しないだなんて、この夏で人類が滅亡するだなんて、極めてまっとうな頭で現実というファインダーを通してのぞいてみればどう考えたっておかしいのは私の主張だ。
さあ、正常な頭で現実をふたたび迎え入れるのだ。ジゴロの尻尾が取れるのはそういう猫種だったのかもしれない。近ごろはペットショップで買った血統書付きの犬猫を飼いきれず遺棄される例が多発しているらしい。まったく無責任極まりない話だ。娘が大きくなって将来ペットを飼いたいと言いだしたときのために早いうちから命の大切さを教育しなければ。妻がセロリしか食べないのもきっと林檎ダイエットと類似の健康法だろう。きちんと白米も食べるよう忠告しよう。そうだ、そうすべきだ。
精神科に通院するのであれば、絶対にひっそりと行かなければならない。妻に余計な心配をかけてしまうし、義理の両親に知られればどんな当てこすりを言われるかわかったものではない。体調に不安があるので半休をいただきたいとちょーむかつく上司に相談して平日のどこかで有給休暇を申請しよう。残業続きで尿に血らしきものも混じったりしているからまるきりの嘘ではない。検尿と同じくらい気軽な心持で受診してみればいいのだ。メンタルヘルスケアの進んだ欧米諸国じゃ心理カウンセリングは庶民のあいだでも気安くおこなわれているというじゃないか。大抵の悩みごとは本人がいたって大真面目であればあるほど、大事ではないものなのだ。そう、一般人が持ちうる悩みなど多くは些末である。もしかして自分は他人と違うのでは、などという考えそのものが傲慢だ。グローバリゼーションな視点が足りないのだ。たとえば性的倒錯だってそうだ。精神科医が目を剥くほど特殊なものはそうそう存在しない。あらゆるフェティシズムには名前がついている。名前がついているということは同じ嗜好を抱える人間が一定数存在するのだ。じつをいうと私は女性の履き古した靴に少しばかり興奮するのだが、家畜や戦艦に興奮する人種と比べればノーマルな倒錯と言えるだろう。専門家に「靴フェチにしても妄想にしても、じつによくある話ですな。妄想の中でも比較的多いんですよネ、自分は神だと言いだしたり、家族や身近な人間が宇宙人だって思い込んじゃったりする人。気にするほどの問題じゃありません。はっはっは」とでもいってもらえれば「そうですよネ、ちょっと仕事が忙しくて疲れていたのかもしれませんネ、なにしろ通勤時間は長いし、血尿はでるし、上司はちょーむかつくし。はっはっは」と、楽しく歓談して終わるだけのことだ。明細に載ったカウンセリング料なる項目を見て「随分と金がかかるものなんだな。結局私は正常であったのだからまったくの無駄になってしまった」と肩をすくめて病院のドアを開け、晴れやかな外界に出ていけばすべて終わる話なのだ。
そうだ、精神科に行こう。半休は無理にでも上司を説得するとして、繁忙期が落ち着く八月頭にでも予約を取ろう。なにも問題はない。月末に恐怖の大王が降りてくるなんて、ただのこじつけと情報操作による金稼ぎのための商法に過ぎないのだから。
でも、それは起こってしまった。
私の些末な妄想でもなんでもなく、一九九九年の夏、日本は滅亡した。
早送りやスロー再生をされることもない、暦にとってはなんてことのない、いつもの一周期、スケルトンの携帯電話に光るアンテナがついているみたいなサイバーの雰囲気にあふれたあの時代は、私の‛99は、二度と帰れぬ場所となったのである。
平成挽歌 芥生夢子 @azami_yumeko
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