足立区は燃えているか
葵依幸(勇者殺しの花嫁@HJ文庫発売中)
【足立区は燃えているか】
「足立区は日本のパリなんですよ。分かりますか?」
場所は行政特区足立区、セントラル宮殿にある執務室。
相談役である
「テレビを見ていて気付きました。ここはパリ、我々はパリジェンヌだったのです。分かりますか、真理恵ジェンヌ?」
「頭が痛いわね、幸次相談役。またおかしなキノコでも生えていたのかしら?」
「毒はありませんでした。健康被害の確認はされておりません」
「報告書によると死人が数名出ているようだけど」
「既に火葬済みです。キノコの良い香りが街中に広がっております」
「そのようね」
窓を閉め切っているというのにも関わらず、執務室の中には香ばしい匂いでいっぱいだ。
「まぁこれも普段の血生臭さと比べれば幾分かマシと言うものだけど」
「はっ! 実は先日より香水車を走らせておりまして、街中フローラルでいっぱいであります!」
「よろしい。これで腐敗臭も少しはマシになると良いわね」
真理恵は報告書類の山を開け放った窓から投げ捨て、庭で寝泊まりする東京難民たちは我先にとそれを掻き集め始めた。
秋も近くなり、夜は良く冷える。
火種とし、体を温めさせ、病人を出さぬようにという真理恵の深い配慮によるものだ。
「ところで、パリがなんですって?」
愚民たる足立区民から執務室に目を戻した真理恵は指導者の顔を浮かべていた。
その瞳には爛々と燃え盛る炎にも似た意志が輝いている。
「安藤さまはご存じかと思いますが、我らが足立区では自転車を止めているとまずはサドルが無くなり、次はハンドル、そして籠、スタンド、タイヤと時を経るごとに部品がなくなっていきます」
「足立区駐輪禁止の法則ね。それがどうしたのかしら?」
「かのフランス、パリでも同じそうなのです! 防犯チェーンで硬く結び付けていても、気が付けば残されているのは前輪だけ。街の自転車屋ではテセウスの船よろしく、様々なメーカーのパーツが組み合わさったキメラバイクが販売されているとか」
キメラバイク。人の欲から生まれしモンスターである。
「そんなのどこでも同じじゃない。大阪西成の主要産業だと聞いたこともあるわ?」
「ええ、それだけでしたら日本各地世界各国で行わている行為です。ですが真理恵様、セーヌ川をご存じで?」
「ええ、当然よ。かつてヴァイキングが攻め入るのにも使ったパリ中央を流れる巨大河川ね」
「 足立区にもあったのですよ、セーヌ川が 」
流石の真理恵もこれには開いた口が塞がらなかった。思わずポカンと開けた口であくびをしそうになったぐらいだ。
「馬鹿も休み休み言いなさい。ここは足立区よ? そんなモノが流れている訳がないでしょう」
真理恵は付き合いきれないとばかりに戸棚から足立マカロンを取り出すと口に放り込み、片手間で湯を沸かし始める。
安藤真理恵こと真理恵・安藤が行政特区足立区の第百六十三代区長に任命されたのがつい先日、叔父である安藤塁が綾瀬駅前のギロチンで処刑された事による繰り上げ当選だった。
安藤家は歴代足立区内でも多くの支援者を囲う大地主であったが、国から行政特区指定を受けてからは小国の主のような扱いを受けていた。
そして、安藤真理恵は若輩十五歳にして全権を担うエリートお嬢様なのであった。
「灯台デモクラシー。足立区生まれ、足立区育ちだからこそお気付きにならないのです。お恥ずかしながら、私もテレビ番組でパリ特集を見るまで一切気が付いておりませんでしたから」
真理恵とは対照的に振る舞いこそ紳士的であるようにと心掛けてはいるが、滲み出る学の無さと足立区特有の品性の無さを隠しきれないでいるこの男が、足立幸次。真理恵の二つ上の幼馴染で去年まで足立区全土を支配していた少年チャリ暴走族団の頭である。
足立幸次は微塵も臆することなく最高権力者真理恵に告げる。
「綾瀬川は汚川です。我が足立区は十分な下水道設備が間に合っておらず、ある一定の地域では糞尿が垂れ流しになっております」
「幸次? ここは執務室よ。言葉遣いには気を付けなさい? あと、私は今、紅茶を入れているのだけれど」
「これは失礼を。おしっこ垂れ流しの綾瀬川は人が泳ぐと体調に支障をきたし、場合によっては死ぬと言われております」
執務室に漂う紅茶の香りは実に優雅なものであった。綾瀬川の匂いを覆い隠すほどに。
「綾瀬川で死者は出てことはないわ。死人が浮いていた事はあったけれど」
「セーヌ川も同じですよ、真理恵さま! なんでもトライアイスロンとかいう競技で病人が続出したとか!」
幸次は力説した。
「我々とは違って体を鍛えているアスリートがですよ!? これはセーヌ川が綾瀬川と同じ性質を持っている事の証明に他なりません!」
なお、足立幸次のホラ話はいつもの事である。
新宿歌舞伎町まで遠征して暴力団追放に一役買っただの、川口の中華街設立を阻止しただの、いつも適当な事ばかり話すので真理恵は普段から話半分に聞く癖がついていた。
しかし、足立区内の商店が日曜日の営業を行わなくなったのは少年チャリ暴走族団の活動が活発になる週末を恐れての事であり、幸次の足立区愛は本物だ。
故に、真理恵は少し香ばしい香りのする紅茶の匂いを楽しみつつもこう問いかけるのだった。
「それで、足立区とパリが同じだから、なんだというのかしら?」
目下、真理恵にとって必要な事は「足立区をどう盛り上げていくか」であり、パリと同一性が見つかったからと言って別段喜ぶような事ではない。
そもそもフランスパリとは名ばかりの田舎であり、東京足立区に比べれば東の小国にある首都に過ぎない。
足立区に暮らす人々の多様性、暴力性においてはフランスパリジェンヌなど足元にも及ばぬ存在なのだ。
「貴方はおフランスを分かっていない、真理恵安藤!」
「なんですって……?」
足立幸次は幼馴染としてではなく、愚民衆から選ばれ、焚き上げられた「足立区長相談役」としての顔付きで真理恵を叱責した。
「我々足立区には数多くの区民収容施設がありますが、いまとなっては流入してくる東京難民の数はそれの数十倍。駅前通りどころか、この宮殿の中庭にまで押し寄せ、日中夜問わず何をするでもなくただそこに滞在する不労働民のたまり場となっております」
「それがフランスとどう関係あるのかしら?」
「同じなのですよ……! フランス、パリも……! 多くの難民を抱え、治安、経済、景観、様々な者が崩壊寸前です」
「馬鹿を言わないで。足立区はすでに崩壊しているわ?」
「だからこそ、我々はフランスパリに倣う事が出来る――、否、手を取り合い、歩む事が出来るとは思いませんか! 東京のスラム街。崩壊した電車のダイヤは遅延ではなく運休の文字が並び、道を歩けばスリに性犯罪者に薬物乱用! あるのはタダ、“我ら足立区民”という誇りだけです」
幸次は知らずうち、拳を握っていた。無論、その拳に握られているのは『足立区民』という誇りである。
「……フランスにも、同じことが言えると?」
「彼等もまた、“パリジェンヌである”という誇りだけで生きております。気高き黄金の精神。パリ症候群です!」
ちなみに、この後に及んでも幸次の言っている事の一割も真理恵は理解していなかった。
しかし、ただ彼の訴えかけて来る熱に当てられ、知らず内に手に持っていたカップを窓から投げ捨ててしまった。
これが足立区最高指導者たる所以である。真理恵は馬鹿なのだ。
「つまり私たちはパリジェンヌにも負けず劣らずの足立っ子って事なのかしら!」
真理恵は声高らかに幸次へと尋ね返した。
「ええ、そうです。我々はパリにも負けず劣らずの足立区民なのです!」
若干噛み合わない会話ではあるが当人たちは一切気にしない。
それが足立区流会話術であり、足立区で生きていくには必須のスキルなのである。
「では、足立区とパリが一緒なら、何を仕掛けるべきなのかしら?」
「偶然にも駅前の断頭台や凱旋広場などという名所までパリと足立区は一致しておりますからな。一層のこそ、次の冬世界大会を誘致してみては?」
「時計台のサッポロが名乗りを上げてとん挫したとかいうアレね? 足立区で可能なのかしら」
「覚えておられませんか? 十年前の東京豪雪被害……実はアレ、我らが足立区研究所から持ち出された人工降雪機によるものなのですよ……!」
「なんですって……!?」
驚く真理恵の前に差し出されたのは『【極秘】環境技術研究所【持ち出し減菌】』と書かれた書類の束で在り、いらすとやのフリー素材を用いた分かりやすい関連技術の説明がおよそ百ページに渡ってカラーで印刷されていた。
「一部の過激派が日本の行政機能を足立区に移そうと画策したようなのです。惜しくも皇居直属の御庭衆によって防がれてしまったそうなのですが……」
「効いたことあるわ、皇居御庭衆……。剪定の技術が凄いらしいわね」
「ええ、高江田産高枝バサミでバッサリです。首謀者たちの首は山手線に並べられたそうです」
「なんと酷いっ……」
足立区内でも断頭処刑は常日頃から行われてはいるが、それはあくまでも娯楽。
権力者の保身のために行われる行為ではない。
「パリはフランスの首都です。足立区がパリなら、東京の首都は足立区であるべき」
「ええっ……、ええ、そうだわ。そうすべきよ。ありがとう、足立。貴方を相談役において本当に良かった」
「なにを今更。共に足立区で生きると、誓ったではないですか」
幸次の言葉に真理恵の脳内で思い出されたのは燃え盛る足立区商店街の姿と、そこを闊歩する愚民衆の叫び声。
パンを寄越せ、金を寄越せ、パチンコだ競馬だ、一攫千金、厄病万歳。
名誉返上、汚名挽回をスローガンに暴徒と化した愚民衆によって真理恵の父、安藤武は十字架を背負わされ、市中引き回しの末に駅前の断頭台において処刑された。
幼かった真理恵を救ったのは愚民衆に加わることなく、冷静に時代の流れを眺めていた少年時代の足立幸次だ。
「それが、人生だ」
絶望する真理恵の傍にやって来た彼は少年らしからぬ顔つきでそう告げ、「鳥は少しずつ巣をつくるって知ってるか?」と手を差し伸べてくれた。
日本国内でも犯罪率がワースト1、2を争う足立区で生まれ、まともな人間なら出て行くような環境で二人で生きると決めた。
それから十年。二人は今、足立区最高権力者のみが入室を許される足立区役所執務室にて足立区の未来について語らっているのだ。
「それで、その為にはどうすればよいのかしら」
真理恵は理想に熱く燃える目で幸次を見つめる。
そこには足立区の栄光と繁栄を信じて疑わない少女の瞳があった。
「川口市を味方につけます」
「川口氏を……?」
初めから噛み合っていないが気にしてはならない。
重ねて述べるが気にしないのが足立区の会話術だ。
帳尻さえ合わせればいいのだ。
「あちらは国際難民で手を焼いておりますから、フランスでいうドイツです」
「どいつ……?」
「ビールとソーセージ、オクトーバーフェスならぬアダチーダーフェスを開催し、川口市民を足立区民へと鞍替えさせるのです!」
「競馬ね!」
「そう、これは国際競争なのです。欧州に負けてはいられませんよ! 時代はグローバゼーション。四つ葉のクローバーを探しにまいりましょう!」
「四頭買いならまず負けはないわ!」
重ねて申し上げるが会話が噛み合っていないのは(以下略)。
「……貴方がいて良かったわ、幸次」
「それは私の言葉です。真理恵」
気取った態度を取りながらも、二人の間に流れる想いは熱かった。
足立区を良いものにする。
足立区が東京のパリなのではない。
パリがフランスの足立区なのだ。
そんな未来を目指して、二人は手を取り合う。
窓の外からは爆破、炎上するパトカーのサイレンの音が鳴り響いていた。
――の、だが。
「そんな……真理恵っ……!」
その晩、足立区は火の海に包まれていた。
「パンが無ければお菓子を食べれば良いじゃない」
そんな見出しで真理恵の偏食をすっぽ抜いた東京大新聞によって愚かなる足立区民衆は足立区長である真理恵に憤慨。
駅前広場から商店街を略奪しながら足立宮殿へと行進し、火を放ったのである。
幸次が事態に気付いた時にはすでに真理恵は愚民衆の手に落ちており、ルミネ北千住に囚われてしまっていた。
幸次は血が出るほどに拳を握り、呼びかけに応じで集合した元少年チャリ暴走族、現原チャリ暴走族団に向かって呼び掛ける。
「東京貴族の言葉に騙され、扇動されるがままの愚民衆から我らが女王を救い出せ! 我ら、足立区原人の手で!」
「「「おおう!」」」
雄叫びと共に近年生産邸にとなった原動付きバイクのエンジンをふかす音が荒川河川敷に鳴り響いた――。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「――という、我々の映画を撮ろうと思うのですが、いかがでしょうか。真理恵様」
足立幸次は足立区役所執務室で机に座る真理恵に問いかけ、真理恵は机の上に長々と書き綴られた【足立区PR企画】と銘打たれた企画書をため息まじりに眺める。
「随分と、貴方の目には私が高飛車な女に映っているのね」
「そうでしょうか? かなり適切に抽象化したつもりなのですが」
幸次は真面目な顔でそのような事を言うが、真理恵は微塵も納得していなかった。
「私は紅茶にマカロンなんて鼻につくアフタヌーンティーを好みませんわ? 緑茶に和菓子。日本人たるもの、和の心得を忘れてはなりませんもの。足立区以前の問題です」
そう言って幸次が持ってきた差し入れのマカロンを摘まむ手は止まらない。
真理恵は「折角だから、二人で頂きましょう?」と言って蓋を開けた筈なのだが、二人で頂く、と二人で分けるの間には大きな隔たりがあるらしい。
「第一、パリのみならずフランスから苦情が来てしまうわ? いくらフランス国民が寛大な心を持ち、パリ市民が差別的思想を抱かないとはいえ、日本人差別が、……いいえ、足立区民差別が湧きかねない。これは却下よ」
「足立区は日本のパリ。……良い案だと思ったのですが」
足立幸次はつき返された企画書を手に肩を落とす。
足立幸次、足立区長特別相談役兼足立区魅力発信プロジェクトリーダーである彼は実に様々なアイディアを足立区長である真理恵・安藤に提案するのだが、いまの所それらが実を結んだ事はなく、足立区は相も変わらず東京のスラム街と揶揄されるばかりなのである。
「否、足立区は日本のパリ。パリはフランスの足立区。私はこの方針を貫きたいと思います!」
しかしこの男、折れても諦めない。踏まれてもタダでは起き上がらないのが信条である。
折れたのならば治療費をふんだくり、踏まれたのならば慰謝料をぼったくる。そんな足立区市民としての模範となるべき男であり、根っからの足立区民っ子なのだ。
「まぁ、綾瀬川でカキの養殖という案だけは採用に価するかもね。美味しいもの、カキ」
「ええ、美味しいですからな、カキ」
無論、カキは川では育てられない。
そんなことは当たり前なのだが、当たり前が通用しないのが足立区。足立区だからこそ、当たり前ではいられない。それが足立区なのである。
「無駄話はこれぐらいにして、午後からの予定を確認して貰えるかしら」
「はっ」
幸次は律儀にプリントアウトした本日の予定を尻ポケットから取り出し、しわくちゃになったそれに記された工程を読み上げていく。
「まずは荒川区長との会談。千住大橋爆破に関わった愚民衆のつるし上げ、自転車パーツのロンダリング疑惑の調査報告会とその対策本部の調整、午後からは埼玉県知事とのタイマンです」
「ボクシンググローブは新調しておいてくれたのかしら?」
「中に鉄板入りの物を用意させました。下剤入りのドリンクも準備万端です」
他にも会場には様々なトラップを仕込んであるのだが、幸次はそれ以上は説明しない。
何故ならば真理恵はただ気高く、足立区長であれば良いのだから。
「よろしい。では、参りましょう。輝かしき足立区の未来の為に」
「輝かしく足立区の未来の為に」
真理恵の言葉に幸次が復唱し、二人は執務室を後にする。
窓の外では愚民衆と東京難民の衝突により暴動が発生し、駅前広場のギロチンは勢いよく音を立てて落ち続けていた。
東京足立区、日本のパリ。パリジェンヌ。足立区民。
彼らの下へ東京都民のみならず、日本国民全員がかしづき、日本国の頂点に真理恵が君臨するまでの道のりは、この執務室から始まったのである。
嗚呼、足立区万歳。足立区サイコー。
断頭台と愚民衆の奏でる抗争曲と共に、彼らは突き進む。
フランス国歌に謳われる、フランス革命のように。
ここ足立区から、日本革命は始まるのであった。
足立区は燃えているか 葵依幸(勇者殺しの花嫁@HJ文庫発売中) @aoi_kou
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