夜明け前のサービスエリア

ぺーはぁど

夜明け前のサービスエリア

 片側二車線のまっすぐな道路が伸びている。暗闇の中、頼りになるのは己の二つの明かりだけ。運転は嫌いではないが、長距離というのはどうしても体力を奪っていくものだ。


 すでに運転を始めてから三時間。高速道路に乗ってからも一時間半はたっている。興味のないラジオを流すのも、うとうとしないようにガムをかむのも、人目を気にせず大音量で音楽を流すのももう何回目かわからない。数少ない音楽のレパートリーはすでに二周はしているだろう。

 そこまでやってもいい加減ぼんやりし始めているのだから、そろそろ休憩するべきだった。


 ハイビームに緑の看板が浮かぶ。

「サービスエリアまで十五km。次は九十km先。早めの休憩を」と書かれていた。大きめのサービスエリアなのか、看板にはアイコンがいくつも並んでいる。とはいえ、真夜中のサービスエリアで開いている施設なんてトイレと自販機くらいだろう。それでも今を逃せば次にたどり着くころにはくたくたになっているのは間違いない。そうならないよう引き続き左車線を走ることにした。

 

 少し進むと町はずれに浮かぶ白い光の塊が視界に入った。サービスエリアだろう。後続車は見当たらないがルールに従ってウインカーを出す。枝分かれした道に入ると赤いランプがいくつも連なっているのが見えた。どうやらトラックドライバーも止めているらしい。深夜のサービスエリアでは時々現れる数珠つなぎのトラック。道幅が狭くなってしまうのはいただけないが、きっと駐車場がいっぱいなのだろう。そう思うと他人事なのになんだかやるせない気持ちになった。


 トラックを横目に進んでくると駐車場の青い看板が見えてくる。手前にあった大型車用の駐車場の電光掲示板は赤。バスとトラックがひしめき合っている。表示の通り満車なのだろう。明りの少ない暗闇の中、空きスペースを探すことは難しかった。いつから止まっている車なのかはわからないが、どうやら道にはみ出してしまうくらいには人気のサービスエリアのようだ。

 この時間なら普通車用の駐車場は空いているだろうか。トラック運転手のマナーは割といいのだから、きっとそっちにはみ出していることはないだろう。


 さらに進んでようやく普通車のエリアがやってくる。どうやら半分ほど埋まっているようだ。運のいいことにこのサービスエリアには灯りを落としていないコンビニが入っていた。田舎のものよりずっと大きなコンビニは、きっとどんなドライバーの要望にも応えてみせるのだろう。いや、次までの距離を考えればそれが狙いか。戦略として考えれば当然だった。


 トイレ休憩とだけ思っていたが、ついでに飲み物や食べ物を買い足せそうだ。戦略に乗ってみるか。


 エンジンを止め車外に出ると、程よい冷たさがまだじっとりとまとわりつく空気の嫌悪感を和らげた。あまり長くいると寒く感じるかもしれない。

 深呼吸をすると鋭い冷たさが胸の中を満たしていく。これが新鮮な空気、ということだろうか。潮の香りが頭にわずかにまとわりついていたもやもやを少しだけ吹き飛ばしていく。

 どうやら思った以上に車の中の空気は悪かったようだ。


 空になったペットボトルを捨ててお手洗いを済ませるといよいよ頭がすっきりした。これでしばらくは起きていられそうな気がした。


「らっしゃいせ~」


 コンビニに入るとけだるげな声が聞こえてきた。店員はわずかに一人。トラックを含めた駐車場の車両の数を考えれば心もとない人数だが、この時間にわざわざコンビニを選ぶ人のほうが稀なのだろう。自分以外の客は一人も見当たらなかった。

 一通り店内を物色してペットボトルのレモンサイダーを手に取る。コンビニのプライベートブランドの安い奴だ。車の中にガムはまだあったはずだから、マスカット味のハードグミも一つ持ってレジに向かう。


「二百八十八円でーす。ポイントカードはお持ちですかー? はい、ありがとうございますー」

「あ、すみません。ホットのコーヒーってありませんか」


 せっかくだから目覚ましにカフェインをキメておきたかった。普段はお茶ばかり飲んでいるので効果は薄いかもしれないが、そこは気分の問題だ。

 車内の空気を入れ替えれば、ホットがちょうどよくなってくれるはずだ。


「あー……さっきも聞かれたんすけど、まだ時期が早いんでおいてないっす。常温でもよければ裏から出すっすけど」

「あ、それならいいです」


 最高気温が三十度を超える日も多い時期にホットはさすがに時期尚早のようだった。夏が一応過ぎ去ったとはいえ、ホットを欲しがる人のほうが珍しい。


「外、そんなに寒いんすか? 中にいると全然わからないんすよ」

「薄着で何もかけずに寝ると寒いかな、くらいですよ。まだ日が出てないので。朝になればそんなことないでしょうけど。えっと……五百円で」

「そっすよね、よかった。さすがにジャケットとか持ってきてないっすし。そんなに寒かったらどうしようかと思ったっすよ。二百十二円のお釣りでーす。ありがとうございっした~」


 気が抜けたような安堵と気の抜けるような挨拶に思わず苦笑がもれそうになる。監視カメラ以外見ていないとは言え、客商売としてはいかがなものだろうか。深夜のコンビニということを考えればこのくらい気安い接客でもいいのかもしれないが、コンビニで働いたことのない自分にはわからなかった。


 レシートを受け取って外に出ると、冷たい風が首筋を一度撫でていった。


(上着の1枚くらい持ってくるんだったかな)


 気まぐれで車に乗ったせいでもあるが、遠出も視野に入れていたのだからそのくらい考えておくべきだった。これで風邪でもひこうものなら何のためにわざわざ高速道まで使ったのかわからなくなりそうだ。


 まだしゃっきりしていない頭をふると、目覚ましがてら少しだけ歩くことにした。

 拡張予定のためなのか基準で決まっているのか知らないが、サービスエリアの反対側には少しだけ開けた場所があったはずだ。せっかくだからそこまで行ってみることにした。


 歩いている間も耳に飛び込んでくるのは虫の声とごくわずかなタイヤの転がる音ばかり。静かに考え事をするにはいい時間とも言える。

 未明をようやく明けたばかりのこの時間に人が出歩くことはめったにない。切羽詰まっているのか急いでトイレに行く子供とその付添、休憩に出歩くトラックやバスの運転手くらいがせいぜいで、目の前を通り過ぎていくのはもうすぐ必要なくなるだろう車のヘッドライトばかりだ。


 ぼんやりとそれらを眺めていたら端までたどり着いた。

 眼下は谷間に開ける海が見える。潮の香りの正体はこれだったようだ。深呼吸をすると一層塩味を感じる。ずいぶんと海の近くまで来たようだ。

 遠く水平線の向こうはまだまだ夜のようで、後ろ側に比べるとよっぽど暗い。小さな島のようなものも見えず、白波がわずかにたっている。よく見ると白波の先に木の葉にみえる船のようなものが見えている気がする。

 出港したところだろうか。それとも漁から帰ってきたのだろうか。進行方向もわからないとあってはうかがい知ることもできなかった。


 それにしても穏やかな海だ。日本海側にしては珍しいことだろう。いや、そう見えているだけなのだろうか。風も音もないここと遠く白波の見えるあの場所はきっと別世界だ。


 なんとなく口さみしくなって手に持ったペットボトルを開ける。硬かったふたがミシリと音を立てると、続いて小さく炭酸の抜けたのが耳に届く。

 ぼんやりと海を見つめたまま飲み口を含む。のどを通り抜ける刺激と音が、頭をすっきりさせてくれる気がした。


 どこまで行こうか。


 そのうち折り返さないといけない、旅とも呼べないただの道楽。人によってはガソリンの無駄とも言うだろう。言ってみればその場にいたくなかったから車に乗った。ただそれだけの事だった。

 白くなっていく空に視線を彷徨わせながら、次のジャンクションはどのくらい先だっただろうなどと考えていた。


 そういえば先ほどまでサービスエリアのことしか頭になかったような気がする。

 それだけ頭を空っぽにできたと喜ぶべきなのか、それとも思わず高速に乗ってしまうような衝動がその程度のものだったのか悲しむべきなのか。

 炭酸一つですっきりした気がする頭はずいぶんと都合のいいもののようだった。


「となり、いいですか?」


 どのくらいぼんやりとしていただろうか。突如、女性のものと思われる声がかけられた。ここはトイレからも売店からも一番遠いベンチ。駐車場からも離れているこんなところをわざわざ選ぶのはなぜだろう。


 普段なら怪しんで自分は離れるだろうが、奇妙な好奇心が鎌首をもたげる。声をかけてきたのだからこちらを見ているだろうと思い、手のひらを座っていない座面に向けた。何人も腰掛けられるほど大きなものではないが、端に座っていたこともあり、もう一人二人くらいなら十分に座れる。


 ジャリっと砂を踏む音が近づいてきて、ベンチがギシリと啼いた。長年風雨にさらされている彼は相当くたびれているようだ。


 二人の間を冷たい風が吹き抜けていく。潮の香りが胸いっぱいに広がる。家に帰ったらちゃんとシャワーを浴びないとベタついてしまうだろう。


「いい朝ですね」


 楽しそうに弾む声が耳朶をうつ。声の高さからすればそう年を重ねてはいないだろう。この時間に出歩いているのだからさすがに成人はしているだろうが。


 いくらサービスエリアとはいえ、こんな時間に一人で外を歩いているのは珍しいことだと思う。が、間違いなく自分もその奇特な人間の一人だ。殆どの人が自分の車の中にいることだろう。

 自分もそうすればいいものを。そう思わずにはいられない。

 

 誰が好き好んでそんな奇特なものに近づくだろうか。どうせまだ朝日も昇らぬ時間だ。街灯もないこの場所、この時間では顔もはっきりとはわからない。

 だからだろうか。つい、話を続けてもいいかなどと思ってしまったのは。


「そうですね。空気が澄んでいてすがすがしい気分になる。まだ夜明け前ですけどね」


 私はなんとなく斜に構えた返答をしていた。

 スマホの時間を見れば午前五時半。もうすぐ日の出だろうか。空の端がわずかに白み始めていた。もしかしたら背に向けた山の向こうでは夜が明けているのかもしれない。


 隣からくすりと笑う声が聞こえた。ひねくれた回答でもどうやらお気に召したらしい。楽しそうな声が続いた。


「日の出の時間が遅くなり始めて結構たちますからね。思ったより肌寒いですし」

「女性にはつらいかもしれませんね。私は暑いのが苦手なのでこのくらいのほうが助かるのですが」

「ふふふ……ホットコーヒーを探していた人の言葉とは思えませんね」

「おや、聞かれていたんですね」

「ええ、しっかりと」


 どうやらこの女性、あのコンビニの中にいたようだった。近くにいたような気はしないが、入れ違いだったのだろうか。


「私、この時間が好きなんですよ」


 その声は正面に抜けていく。炭酸よりもはっきりとした音で。もう一度蓋を開けて喉を潤そうかとも思ったが、おとなしく耳を傾けることにした。


「何もかもを静かに眠らせていた夜自身が少しずつ眠りに落ちていくようで。気がつけば鳥とかもう空を飛んで鳴いているんです。それでも街はまだ眠っている。不思議ですよね」


 少し詩的な表現だなと思いつつ、確かに朝とはそういう時間だと内心同意する。


 少し、続きを聞いてみたいと思った。


「山の向こう辺りはもう起きてるんですかね?」

「きっとそうだと思いますよ。この辺りはまだ少し先でしょうか」


 どうやら私の言葉はお気に召したようだ。


 山間を縫うようにして作られた高速道路はまだ見える範囲では陽がさしていない。このサービスエリアも同様だった。だからきっとこの辺りではまだ寝ているものも多いに違いない。


「だから夕方は好きじゃないんですよね……」


 早朝に放たれた声はおそらく隣に座っていなければ聞き取れないものだっただろう。それでもなぜか、深く刻まれたような気がした。


「夕焼けもきれいじゃないですか。見ようによっては朝焼けと変わりませんよ」

「そんなことないですよ。夕方って朱色と紺じゃないですか。それも増えていくのは紺なんです。あれだけ力のある朱色がどんどん追いやられていくんですよ?」


 ふと空を見上げる。

 なるほど、白んできた空はせいぜい薄紫だ。夕焼けのオレンジが勝った紫とは違うともいえた。山向こうならもう青かもしれないが、ここから見えるのは山頂の少しだけ朱みがかった木々の山肌くらいだ。空はまだ青空には見えないし、紺は時間的に程遠い。


「それに、夕方はまだまだ人が動いているんです。なんなら夜になっても働いているんですよ? 朝は逆じゃないですか」

「なるほど。そういわれるとずいぶんと違いますね」

「ええそうなんです」


 怒っている様子はないが、それにしても饒舌だ。よほど思うところがあるのだろう。


 駐車場には出歩く人が少しだけ増えてきているような気がした。暗がりに沈んでいたころから比べると目を覚ましているが、いまだまどろみの中といったところだろうか。ヘッドライトを灯してまで動こうとするのはまだわずかだ。


 なるほど、夕方に見える色が嫌いならそういうところも見たうえでの話なのだろう。

 せっかくだから少しだけ突っ込んでみることにした。


「そんなに夕方が嫌いなんですか?」

「むしろなんで夕方が好きなのかわかりませんね」


 わかりませんねの言葉だけ、棘があるように聞こえた。

 突っ込みすぎたかと反省するが、それでも私には理解しきれない感覚だというのが本音だった。


「まあ、それだけ朝が好きということです」

「日の出はどうです?」


 朝が好きなら嫌いということはないだろう。もうすぐそんな時間だ。

 よく見ると遠くのほうの海がキラキラと反射しているような気がする。


「んー…夜明けほど好きではないですけど」

「何が違うんですか」


 夜が明けることと日が昇ることは同義だ。そこに違いがあるとは思えなかった。


「それを語るにはもう時間が足りませんね」

「どれだけ話すつもりだったんですか」


 思わず苦笑が漏れてしまった。気づかれていないといいが。


「私がいつまでいるかもわからないのに」

「ふふっ。本当ですね。まあそれはわたしもですけど」


 所詮通りがかりに出会っただけの、知り合いにも満たない間柄だ。薬にも毒にもならない話とは言え、もうお腹一杯になりそうだった。


「こうして話を聞いてくれる人がいただけでもラッキーでした」


 背後でエンジンがだんだんと音量を増していく。まるで思い出したかのように一斉になりだした音が濁流となって耳を打った。


 日が昇り切る前の高速道路で起き出している人間など、きっと偏見なのだろうが運送業が大半だろう。忙しくエンジンをかける彼らに、会話をする余裕のある人どれだけいるだろう、と自分のことを棚に上げながら思ってしまう。


 そんなことを考えているとすぐ隣から少しだけの砂利を踏みしみた音がした。


「それじゃあわたしもそろそろ行こうと思うんですけど、」


 彼女もそろそろどこかへ出発するようだ。そういえば近くにジャンクションがあったはずだ。そこで道は分かれるのだろうか。それともその先までつながっているのだろうか。


 よく見れば駐車場に止まっていた車が少しずつ変わり始めていた。ヘッドライトをつけない車もちらほら見られたし、あったはずの車がない場所もある。視線を横に向ければまばらに人が出歩き始めていた。小さな子供連れも見える。

 バスやトラックに至っては特に顕著で、その殆どが数を減らしていた。きっといくつかは夜行バスだったのだろう。駐車場がいくつも空いていることを考えると、入口で作っていたトラックの列ももう解消しているに違いない。


「最後に一ついいですか?」


 ずっと喋り続けていた中で久しぶりに尋ねてきた。いや、最初のそれも礼儀として聞いたからという意味で考えれば初めてなのかもしれない。


「ええ、どうぞ?」


 なんのことはない。話をしてしまった人間の誼としてまあそう答えておくのが無難かと思った。曲がりなりにも会話を楽しんでいたのだから。


「ありがとうございます」


 先程までの真面目一辺倒ではなく少しだけ弾んだような声。嬉しいのか楽しいのか、流石にそこは正確には知れなかった。


 その声をやたらとはっきり覚えているのは、続く声とはあまりにもかけ離れたものだったかもしれない。


「あなたはいつまで眠っているつもりですか?」


 あまりにも平坦な声。聞こえてきた言葉の真意がわからない。眠るも何も今までしっかりと会話していたじゃないか。


 訝しく思って声の主を探すために首を回すが、そこにはまだ夜露にぬれるベンチがあるだけ。

 その横でどこからやってきたのか風に揺られて木の葉がカサカサと音をたてていた。

 足元の雑草はキラキラと輝いてみずみずしい。誰かが歩いたような形跡もなく、キラキラと輝くじゅうたんが続いている。


 本当にどれだけ座っていたのだろう。座っているベンチは体温を奪おうとせず、しっかりと体重を支えている。

 潮の香りが頬を撫でていくが、まとわりつくような不快感が離れていかない。はじける白波のような蒸気が海から上がっているような気がした。


 口がカラカラに乾いている。いくら会話をしていたからと言ってこんなに乾いているはずがない。

 左手に握ったペットボトルのキャップをひねるが聞こえる音は何一つない。口に寄せて含むと、甘ったるいだけの液体が喉を通り過ぎていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夜明け前のサービスエリア ぺーはぁど @Arma

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画