メレンゲをつつく

不思議乃九

 湯煎したボウルの中で、白身が少しずつ光を帯びていく。

 千尋はハンドミキサーの音に、自分の鼓動を重ねていた。


 「硬めに立てると、崩れにくいんだって」


 いつか海斗がそう言っていた。

 料理好きの彼は、卵白の角ひとつにも愛情を注ぐ人だった。

 その横顔を見ているだけで胸がいっぱいになるくせに、話しかける勇気は一度も出なかった。


 ボウルの中で、泡が白い山をつくる。

 千尋は指先ですくって、そっとつついてみた。

 形は変わらない。

 こんなふうに自分の心も強かったらいいのに、と笑ってしまった。


 明日、海斗の誕生日。

 クッキーにメレンゲをのせて渡したい。

 「ありがとう」でも「好きです」でもいいから、言えたらいい。


 オーブンの余熱が始まり、部屋にあたたかい風が流れる。

 千尋はできあがった小さなメレンゲを見つめた。

 ふわふわで、軽くて、儚くて──

 触れたら溶けてしまう気がする。


 そのとき、スマホが震えた。

 メッセージの送り主は、海斗。


 『急でごめん。

  明日さ、千尋に渡したいものがあるんだけど……

  少し時間もらえる?』


 胸の奥が一気に熱を持つ。

 こんな日が来るなんて思ってなかった。

 千尋は震える指で「うん」とだけ返した。


 そのまま、机の上のメレンゲにそっと触れる。

 ほんの一押しで、表面が──


 **崩れない。**


 まるで、さっき触れたときの千尋の気持ちが、

 そこに少し残って固まったように。


 「……なんだろう。強い」


 千尋は思わず笑った。

 恋は脆いと思っていたけれど、案外、触れても壊れないものなのかもしれない。


 翌日。

 海斗が差し出したのは、小さな箱だった。


 「これ……誕生日プレゼント、千尋に渡したかった」


 千尋は目を見開く。

 箱の中には、彼が焼いたクッキーと──

 上にのった、美しく立ったメレンゲ。


 「……なんで、これ……?」


 海斗は少し照れたように笑った。


 「千尋が“好きな子”に作ろうとしてるの、知ってたからさ。

  ……その子、俺で合ってる?」


 千尋は息を呑む。

 指先でつつくと、海斗のメレンゲも崩れなかった。


 恋は、やわらかいと思っていた。

 触れたら壊れると思っていた。


 でも実際は──


 **いちばん壊れやすいのは、触れずにいるほうだった。**

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

メレンゲをつつく 不思議乃九 @chill_mana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ