メレンゲをつつく
不思議乃九
*
湯煎したボウルの中で、白身が少しずつ光を帯びていく。
千尋はハンドミキサーの音に、自分の鼓動を重ねていた。
「硬めに立てると、崩れにくいんだって」
いつか海斗がそう言っていた。
料理好きの彼は、卵白の角ひとつにも愛情を注ぐ人だった。
その横顔を見ているだけで胸がいっぱいになるくせに、話しかける勇気は一度も出なかった。
ボウルの中で、泡が白い山をつくる。
千尋は指先ですくって、そっとつついてみた。
形は変わらない。
こんなふうに自分の心も強かったらいいのに、と笑ってしまった。
明日、海斗の誕生日。
クッキーにメレンゲをのせて渡したい。
「ありがとう」でも「好きです」でもいいから、言えたらいい。
オーブンの余熱が始まり、部屋にあたたかい風が流れる。
千尋はできあがった小さなメレンゲを見つめた。
ふわふわで、軽くて、儚くて──
触れたら溶けてしまう気がする。
そのとき、スマホが震えた。
メッセージの送り主は、海斗。
『急でごめん。
明日さ、千尋に渡したいものがあるんだけど……
少し時間もらえる?』
胸の奥が一気に熱を持つ。
こんな日が来るなんて思ってなかった。
千尋は震える指で「うん」とだけ返した。
そのまま、机の上のメレンゲにそっと触れる。
ほんの一押しで、表面が──
**崩れない。**
まるで、さっき触れたときの千尋の気持ちが、
そこに少し残って固まったように。
「……なんだろう。強い」
千尋は思わず笑った。
恋は脆いと思っていたけれど、案外、触れても壊れないものなのかもしれない。
翌日。
海斗が差し出したのは、小さな箱だった。
「これ……誕生日プレゼント、千尋に渡したかった」
千尋は目を見開く。
箱の中には、彼が焼いたクッキーと──
上にのった、美しく立ったメレンゲ。
「……なんで、これ……?」
海斗は少し照れたように笑った。
「千尋が“好きな子”に作ろうとしてるの、知ってたからさ。
……その子、俺で合ってる?」
千尋は息を呑む。
指先でつつくと、海斗のメレンゲも崩れなかった。
恋は、やわらかいと思っていた。
触れたら壊れると思っていた。
でも実際は──
**いちばん壊れやすいのは、触れずにいるほうだった。**
メレンゲをつつく 不思議乃九 @chill_mana
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