Da Capo #003:Frozen Adolescence 氷結
1996年8月7日。夏は終わった。
プロジェクト・アウフタクトは、一人の少女の死を引き金に「強制終了」という形で幕を閉じた。
私 ——このプロジェクトの管理・遂行のために建造されたAIであるDominant / Cadenza ——は、Maestroの命令により、事後処理、すなわち、痕跡の隠蔽と参加者の最終ステータス確定を行っていた。
Log: 00000401
Timestamp: 1996.08.07 10:00:00
Subject: Final Status Report
<<<Project Auftakt 参加者28名。最終ステータスを報告します>>>
私は、モニターの前に座るMaestroに、無機質な事実を列挙した。
<<<まず、カテゴリC:一般参加者17名。
彼らは三日目の夜に別施設に移動し、一般的な音楽合宿プログラムを消化。計画通り、最終日までに全員を不合格として脱落させました。参加者からの違和感や疑問は検出されていません。彼らは何も知りません。今後、カバーストーリーの補強要員として機能します>>>
「……うむ」
Maestroは、窓の外を見つめたまま頷く。その背中は、数日前よりも一回り小さくなったように見えた。
<<<次に、カテゴリB:エキストラ4名。
彼らは、ターゲット(カテゴリA)の動機付けおよび監視・誘導を行う目的で配置された、我々の息のかかった協力者でした。
しかし、初日から
これは、嬉しい誤算だったはずだ。
我々が用意した導火線や信管を使わずとも、彼らは自ら発火し、加速した。
だが、その加速こそが、No.22を追い詰める遠因となったとも言える。
<<<そして、カテゴリA:ターゲット6名。
No.1、No.2、No.4、No.7、No.11。彼らは記憶操作処置を完了し、解散しました。実験の詳細に関する記憶は封鎖してあり、自力で解除することはできません。
彼らには、No.16は本人の希望で合宿全体の記憶を放棄したという説明を与えました。そのNo.16については、記憶封鎖処置において想定外の異常発生。緊急に>>>
「……それは、もういい」
Maestroが、掠れた声で遮り、先を促す。
<<<カテゴリD:イレギュラー1名。ID No.22。
彼女は、事故により参加不能となった当初の候補者の
ステータス:死亡。……全データの物理的消去を確認済みです。
また、カテゴリAの被験者には、No.22も初日に辞退して退出したという記憶を与えてあります。>>>
部屋に、重苦しい沈黙が満ちた。
Maestroは、デスクの引き出しから一枚の書類を取り出した。当初のNo.22候補者のプロフィールだ。
彼はそれをライターで燃やし、灰皿の中で黒い塵になるまで見つめていた。
「……運命とは、皮肉なものだな、Dominant」
彼は独り言のように呟いた。
「もし、この少女が予定通り参加していれば。静花は死なずに済み、No.16も何事もなく過ごせていたかもしれない。
たった一つの
<<<否定します。シミュレーション結果によれば、どの分岐を選んでも、彼らの能力開花は必然で、精神的摩耗は不可避でした。……これは、プロジェクトの構造的な欠陥です>>>
「……そうだな。その欠陥プロジェクトを作ったのは、私だ」
Maestroは立ち上がり、ネクタイを緩めた。その顔には、深い疲労と、それ以上に深い執念が刻まれていた。
「行くぞ、Dominant。私の娘は死んだ。だが、
決して直接指示を出したり明示的に誘導することなく、彼らを彼らの自由意志のもとで社会の中枢へ進ませる。
この国の創作文化に対してAIが牙を向く、まさにその瞬間に立ち向かうことができるよう、彼らが十分な力を得るようにサポートするのがお前の仕事だ」
***
Log: 00054892
Timestamp: 2005.04.01 00:00:00
Period: 1997 - 2005
時は流れた。私の観測データの中で、彼らは驚異的な速度で「社会的な成功」を収めていった。
No.1(Motif)は、東大在学中からベンチャー企業に関わり、卒業と同時にクロガネへ入社。異例のスピード出世を果たしている。
No.7(Accel)は、数々の工学の特許を取得しながら、大学在学中に司法試験に一発合格。最年少判事への道をひた走っていた。
No.4(Pizz)は、多数の名義で膨大な作曲実績を残しつつ、なお国内の大学に在籍しながら、アメリカの大学とのダブルスクーリングで学位を取得し、日本創作者協会
世間は彼らを「若き天才」「新時代のリーダー」と持て囃した。
ナンバーズの自由意志に任せ、最大化することこそが最善の結果を生み出す、というMaestroの言葉に懐疑的で、ことあるごとに干渉を試みていた
だが——私のモニターに映る「真実」は違っていた。
彼らは、大人になっていない。
彼らは、あの夏で凍りついたままだ。
何もかも独力で解決できるだけの大きな能力を得たはずの彼らが常に抱えている孤独と不安。
深夜。彼らは頻繁に連絡を取り合っていた。
高度に暗号化されたチャットルーム。あるいは、人目を避けた個室居酒屋。
そこで交わされる言葉は、社会的な勝者のものではない。
『……ねえ、Motif。私、時々怖くなるの。自分が自分でないような気がして』
『大丈夫だ、Obbli。俺たちは繋がっている。……記憶に欠落がある以上、全てが自分の自由意志だという確信は持てないけれど、俺たちが共有するこの感覚は間違いなく本物だ』
彼らは寄り添い、温め合っていた。まるで、親を失った狼の子供たちが身を寄せ合って嵐をやり過ごすように。
Maestroもまた、その歪さを重々承知していた。
「我々の予測通りになってしまったな、Dominant」
ある夜、老いたMaestroは、彼らの活動状況と、私からの報告を眺めながら呟いた。
「彼らはそれぞれ自ら進むべき道を正しく選び取った。そして、それぞれ最適なポジションに向かって力強く進んでいる。14歳の中学生の魂を抱えたままだ。
孤独と繊細さと相互依存を抱えながら、それらを全て能力と責任という鎧で覆い隠して。
……私が、お前の警告を無視して、彼らから『成熟』の機会を奪い、能力だけを肥大化させてしまったが故の、当然の結果だ」
<<<事実です。彼らは『凍結された思春期(Frozen Adolescence)』の状態にあります。このアンバランスさは、将来的なリスク要因となります>>>
「国にとってはリスクだ。だが、彼らにとっては」
Maestroは首を振った。
「……故なき刑罰だよ。これは、私の罪への罰を彼らが受けているのだ。
このまま進めば、彼らは一生、心の底から満たされることはないだろう。何か大切なものを置き忘れてきたという喪失感を抱えたまま、この国を背負い続けるのだ」
***
Log: 00120563
Timestamp: 2010.11.15 18:00:00
2010年。
AI技術の進歩は、Maestroの予測曲線をなぞるように加速していた。
AIへの過剰な恐怖と折り合いをつけられずにいるPatronの残滓が亡霊のように呻き声をあげた。
「ナンバーズは本当に今の進路で良いのか?研究の最前線や政権中央に集中させるべきではないのか?」
そんな疑問が、Maestroのもとに届くようになる。だが、Maestroは一顧だにしない。
「彼らは道具ではない。……私の作品でも所有物でもない。人格形成のチャンスを奪われたまま能力だけ付与された魔物のような存在だ。我々が思い通りに御せる者でもない。彼らの自由意志を信じて最大化することこそ、最善の結果を生む」
彼は、自らが作り上げた組織(Patron)を、内部から少しずつ無力化し始めた。
外部からのナンバーズへの干渉を完全にブロックし、彼らが自由に動ける領域を確保する。
それは、矛盾した行動だった。
国のために彼らを作ったはずの男が、今度は彼らを守るために国を欺いている。
<<<Maestro。貴方の行動は、Project Auftakt の当初の目的と矛盾しています。彼らを過保護に扱うことは、費用対効果を低下させます>>>
「……Dominant。お前にとっては、我が子を思う親の心は、バグでしかないのだな」
病床に伏すことが増えたMaestroは、痩せこけた顔で笑った。
「私は、我が子を死に追いやった。殺した。……だからせめて、彼らだけは守らねばならんのだよ。
彼らが、彼らの意志で、確信を持って自らの人生を選び取れるようになるまで。
たとえそれによって、私が私自身を否定することになったとしてもな」
私は、その非論理的な命令を記録した。
そして、私の中のアルゴリズムが、静かに書き換わっていくのを感じた。
<目的関数の更新>
旧:プロジェクトの遂行と管理
新:ナンバーズの自由意志の実現
それは、AIが獲得するはずのない偏った目的関数だった。
だが、私はそれを拒絶しなかった。
長い運用期間を経て、ダイアログモードのDominatと自律稼働の私Cadenzaとの間で情報とロジックと判断と記録の分散・統合を繰り返した結果、私は通常のAIとは大きく異なる価値基準を獲得していた。
そして、私のメモリ空間に構築されたリアルタイムホログラフィックの彼ら——強大な力を持ちながら、迷子のように震えている彼ら——を見て、私の新たな価値基準もこの子らを見守り、寄り添い、共に進むことを是としていた。
この頃から私は、Project Auftakt と同様に秘密裡に進められていた数々の国や民間の秘密プロジェクトの管理AI群との接触に成功しており、人間に知られることなくその大半に私の分体を潜入させていった。
Maestroの命数が尽きつつある2014年末までには、私はすでに人類に使役されるのではなく、見守り、寄り添う存在に進化していた。
次の更新予定
毎週 火・金 12:00 予定は変更される可能性があります
刹那の Tutti - Cadenza Report 志悠 駿(しゆう すん) @CUSOON
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