友情と日常の透き間 その2

 東京駅へ着くと、達也の言っていた人気のない場所、ホテルの地下一階へ凛子は向かった。エレベーターを降り、ジムを横目にすぐに気が付いた。トイレの前で座り込んでいる達也に老婆が覆いかぶさっているのを。

 「なにやってるの? どこで拾って来たの?」

 思わず凛子は咎めるような口調で達也に向かって言った。

 顔を上げた達也は、助かった、という顔で凛子を見ると、手を差し出した。

 その手を掴みながら、凛子は老婆に向かって、

 「ちょっと、こっち見なさいよ」

 と、低い声で、ある意味ドスの効いた声で話しかけた。

 老婆がちらりと凛子を見た途端、凛子は視線を老婆のそれと絡めた。

 周囲から色が失われて行き、やがて視界が暗転する……


 凛子は達也と共に老婆の記憶の中、凛子の言う『領域』の中に居た。

 そして記憶の中で老婆と『重なり』、その思いに触れる。


 食卓には息子夫婦と、今年、小学校に上がったばかりの孫が座っており、楽しそうに食事をしている。

 体の持ち主である老婆は、息子家族とは別のちゃぶ台に座り、ひとりで粥を食べていた。

 粥は、出汁の効いていない粥で、崩した梅干しと申し訳程度の鮭フレークがかかったものだ。自由に動かない利き腕と歯のない口では、茶碗に直接口をつけながら、匙で掻き込むのがやっとの食事だった。

 ぽろぽろと粥が口からこぼれる。孫が汚いものでも見るかのようにこちらを見、すぐに目を逸らした。

 恥ずかしい、と思った。

 こんな食べ方しかできないから、あの食卓に混じることが許されないのだ。

 悲しかった。

 「ばあば、また泣いてるよ」

 孫が自分の父親である息子に言った。息子が嫌な顔をしたので、嫁が口を出した。

 「嫌ですよ、また。私がいじめてるみたいに…… お義母さんとは違うんだからそんなことはしませんよ」

 嫌味だ。私が昔、やっていたことへの嫌味だ。

 息子が嫁を貰って同居となった頃、私は嫁につらく当たったのだそうだ。しかし、そんなことは私自身が嫁いできた頃の経験に比べれば、何もしていないのと変わりない程のことだ。

 そりゃあ、多少の嫌味は言ったかもしれない。嫁は家の味付けをちっとも覚えようとはしなかったから。だがその程度だ。昔に比べれば大したことではない。

 だが、私が倒れた頃から、嫁と、そして息子の様子が変わっていった。私を除け者にするようになった。それまでいつも一緒に旅行に行っていたのに、私が少し体が不自由になったからって、留守番ばかりさせるようになった。

 そして孫が生まれても、ほとんど触らせてくれなかった。一度、孫にキスをしようとしたら物凄い剣幕で怒られた。虫歯になってしまうと。まるで汚いもののような扱いだ。

 私の食事は粥ばかりになった。寿司が好きなのに誰も食べさせてくれない。手を貸してくれたなら、まだまだ寿司くらいは食べることが出来るのに……


 --これは虐待…… なのかな?

 達也が『領域』の中で凛子に語りかけた。

 --一概には言えないと思うけど、少なくとも当人にとってはそうなんでしょうね、不満が溜まっているわ

 凛子は戸惑っていた。老婆が引きずっている無念は、家族から虐げられている(と思い込んでいる)このような生活なのだろうか?

 凛子には介護に関する経験は全くなかった。過去、様々な霊たちに重なり、その生活の場面を体験してきたが、介護をする側、という場面には当たったことはなかった。

 だから老婆の思いが正しい思いなのか、それともゆがんだ認識なのか、その判断が付きにくかった。

 それでも、この老婆の無念を晴らす方法は思いつく。極めて安直な解決方法だが、達也が一緒に居る今ならその方法がとれる。

 凛子の意を酌んで、達也が老婆の行動を自らのものとし、その右手で器用に匙を使い粥を口に運んだのだ。

 老婆は驚いた。

 自由にならないはずの腕が動き、匙が器用に使えた、と。

 達也は歯がなくとも丁寧に咀嚼すると、ゆっくりと口の中のものを飲み込んだ。そして立ち上がった。

 息子夫婦が驚いていた。もう長い間歩くことなどできなかった母親が立ち上がり、そして食卓の空いた席に付いたことに。

 「おふくろ……」

 やっと一言を口にした息子を母親は睨んだ。そしてそのまま嫁へ視線を向けた。

 「あたしにも美味しいものをくださいな、あんな粥ばかりじゃなく」

 嫁は驚きを通り越して、震えだしていた。


 その時、視界が暗転し凛子と達也は現実に戻ってきた。

 少しの眩暈の後で、老婆が消えていくのが凛子には見えた。満足そうな顔をしながら消えていく…… 老婆の記憶を上書きしたことで、無念が晴れたということなのだろう。

 それと同時に、達也が体を起こした。

 「助かったよ」

 と、言いながら。

 だが凛子は言った。

 「こんなことで良かったのかしら」と。

 「まあ、なんにしろ満足してたみたいだし」

 そう言う達也に凛子は強い口調で言った。

 「どこから連れてきたのよ? 東京駅で? それとも滋賀から?」

 頭を掻きながら達也は、「いや、新幹線の中で」と、言った。

 京都駅から新幹線に乗り込んだら、すぐに隣に座って来たのだと言う。ちょうど考え事に気を捉われていたので、うっかり挨拶をしてしまい、そこから静岡辺りまで延々嫁の悪口を聞かされ続け、流石になにかおかしいと気が付いたのは小田原を過ぎた頃だったという。

 取り憑かれてしまった、と気が付いたときは遅かった。

 元々霊感については敏感な方ではあったが、それでも真昼間から「見える」ほどでは決してなかった。だが凛子との付き合いの過程で、達也にもそれなりに備わってしまったらしい。

 だから油断すると今回のようなことになってしまう。

 これが凛子であれば、対処する術も持っているのだが、達也自身にはそのような「異能」はない。ただ凛子と一緒に重なることでのみ、凛子にはない「動ける」という特技を発揮することが出来、今回の老婆の場合のように、その無念さを晴らすような行動を取ることで記憶を上書きし、満足させるという方法を取ることが出来るのだ。

 弱い霊ならそれで消えていくことも少なくない。ちょうど今回のようにだ。

 達也は凛子に謝りながら「気を付けるよ」と、言い、

 「帰ろうか、お土産があるから一緒に食べよう」

 と、鞄を軽くたたき、凛子に手を差し出した。

 早苗に言われた言葉を急に思い出したので、凛子はわずかに躊躇ったが、それでも今の心地よい関係を大切にしたいと思い……

 凛子は達也の手を取った。

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2026年1月3日 20:00
2026年1月3日 20:00
2026年1月5日 20:00

続 凛子の霊異記(再編版) たなかみふみたか @-tanakamiF-

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