無垢な少年と捻くれの俺。
ハヤトくんの通うサイエンススクールのホームページに記載されていた市外局番プラス六桁。さっきの塾教室の電話番号は…あー覚えてないや。一緒かもなぁ。とりあえずかけてみるか。
「………もしもし?」
あ、繋がった。よかった。俺は電話に出てくれた男性に現在の状況を端的に伝えた。するとその講師であろう男性は俺に感謝を述べ、ハヤトくんに電話をかわるように頼んできた。
ハヤトくんに電話を渡したが、使い慣れていない様子だったので、通話をスピーカーにして会話をしやすくしてあげて、必然的に俺にも通話内容が聞こえる状況になった。
「ハヤト。そのままコンビニ座って待ってて。『お母さんだ』って言ってくる人がきても、絶対に動かないで。俺が車で…」
冷静に考えれば、結構ヒリつく状態になっていると俺は気づいた。自分が受け持っている小学生の生徒が見ず知らずの大人と一緒にいて、電話をかけてきたなんて状況は焦るに決まっている。条件としては身代金の話を進められる状態だもん。講師にとって一大事になるかどうかの瀬戸際なのだと、電話の向こうの口調で十分伝わってきた。
男性がハヤトくんに要件を伝え終えると、また俺に通話が戻ってきた。あと二十分ほどで迎えに来るらしい。
「わかりました。では、安全を踏まえた上で僕はここからは離れた方が良さそうですか?二十分ぐらいであればこちらも一緒に待つことができますが」
「いいえ、ここからはハヤトに伝えた通り待ってもらうので大丈夫です。」
いや、まあそうだよな。安直に考えたら俺が残った方が安全だと思うが、男性からしたら俺が不審者である可能性があるもんな。ウケるな。
「わかりました。では僕は離れますね。」
こうして男性との通話を終えた。
「二十分ぐらいで迎えが来るって。よかったね。…一人で待てって話だったけど、俺がいなくても大丈夫?」
と、ハヤトくんに聞くと、彼は口をモゴモゴさせた。多分少し寂しいのだろう。ギリギリまで待とうか、ジュースの一つでも買ってあげようか。
しかし、『しょっちゅう死ねというヤンキー』という情報と、先ほどの口調から、もしかしたら厳しい講師で、心配をかけたことをハヤトくんは、これから叱られるのかもしれないと思うと、余計な詮索、怒られる要素は無くしておいた方がいいと思い、俺は少し後ろ髪を引かれながらその場を離れることを決めた。
去り際に隣でワンカップを飲んで顔を赤くしていた気の良さそうな爺さんに少年の情報を簡単に説明し、気にかけておいてくれとバトンを託した。
改めて緩やかな上り坂を登り始めたが、やっぱり俺も人の子で、少しハヤトくんのことが心配になってしまった。このまま離れるのはやっぱり無責任か、あのワンカップ爺さんが不審者だったら?迎えにきた講師が実は昭和模の教育論の持ち主で、その場で頭を叩き、強引に引っ張り車に乗せるのでは?ヤンキーだし——。
気づいた時には一〇〇メートルほど歩いた坂をまた下り戻っていた。少し離れたとことからハヤトくんの迎えが来るのを見届けようと思ったのだ。足元に転がっていた空き缶を潰してみたり小さく蹴ってみたりしながら、さっき買ったガムを口に含み様子を伺っていた。
するとハヤトくんが座っていたベンチに小さい子を抱えた主婦が歩み寄った。母か?俺のように心配して話し相手になろうとした偽善者か?わからないな。
たった今停車しハザードランプを点滅させた車によってハヤトくんの様子がわからなくなってしまったことでもどかしさを感じていると、その車の方から俺のことを指差し見ている人がいると気づいた。そして、そこから大柄な蛍光緑芝頭の男性が迫力津々に向かってきた。
「あなたが!!!ありがとうございます!本当にありがとうございます!!!」
ホームページで見たその男性は俺に深々と頭を下げた。やっぱり電話の相手はこの人だったか。身体デカいな。怠惰ではなく、これはそういったスポーツで作り上げた身体のような気がする——。おおごとにならなかったことに安心したのか、彼はそれはそれは仰々しく感謝を述べ続けた。
「いえいえ、すいませんね。僕が不審者かもしれないですしね」
俺は無意識にも俯瞰的自虐を言った。
「本当に、普段から街を守ってくださいりありがとうございます。」
いやいやいやいや、そんな大層なことはしていない。街を守る?自宅以外の警備に身に覚えないぞ。むしろ、俺の少し後ろに落ちてる空き缶のゴミを見てみぬフリしようとしてましたけど。
彼の後ろから、先ほどの母であろう子供を抱えた主婦も訪れ、続くように俺に感謝を述べてくれた。まあ本当に何事もなくてよかった。
「彼に勉強頑張ってねとお伝えください。」
そう話し、俺は改めて自宅へ足を進め、その場を離れた。
いやあ、いいことしたな。まあ人に話すほどではないが、とても善良な行いだったな。………あれ?なんか俺ちょっと冷たい人間だったんじゃないか?
ヤンキー風講師が『もしかしたら暴力的なのでは』と疑いってしまった。あの頭を下げて俺に感謝している様も、普段はこう見せておいて、本性は日常的に子供に暴言を言い放つ聖職者なのだ。こいつは怖いな。いや待て、子供の捉えた方だ。あの講師のことがジャック・ザ・リッパーのように過剰に見えているだけかもしれない。それを鵜呑みにしてどうする。そんな悪いことを企んでる人が日常に蔓延っている訳がないんだよ。日本だよ?ドラマの見過ぎだ。挙句あのワンカップ爺さんまで疑ってたな俺。お母さんのことも。みんなすごく心配していただろうし、とてもいい人たちで、純粋に感謝を述べてくれていたに違いない。勘繰りすぎている俺が一番拗れた思考を持っているんだ——と、味のなくなったガムと一緒に自分の思考を咀嚼しながら坂を登って行った。
「俺はなんて叙情的で、なんて捻くれ者なのだろう。キザな奴だねまったく。」
そうやって自分の行動を腐すように鼻で笑った。
その時着けていたイヤホンから流れていたRIPSLIMEの『Dandelion』はそんな自分を演出してくれる最高な曲であるというところで気分が落ち着いた。
さて、仕事に戻ろう。今日起きた小さなドラマは、今後の人生に何の影響も及ぼさないのだろうから。二日後に控えている石川県でのRIPSLIMEが参加する音楽フェスを楽しみに仕事に戻ろう。そんな普遍的日常に俺は戻っていくのであった。
結局、あの曲は俺の人生を彩る 萬多渓雷 @banta_keirai
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