エーテリウムの環 外伝 「落日」

G・L・Field

落日


遠い昔、神は二つに分かれました。


神は世界に律を求めましたが、そのうちの一部が、世界に知を与えようとしたからです。


神は怒り、その一部の者たちを魔と呼び、彼らを追放しました。


それが魔族の始まりでした。


神と魔族はやがて互いの正しさを証明しようと争いになり、世界は少しずつ色を失い始めました。


いえ、それは神の視点。

世界は、より鮮やかな色に包まれていきました。


世界は世界を知るようになります。


神に与えられた律によって、世界はことわりを知り、

魔によって与えられた知によって、恐怖と好奇心が芽生えました。


世界は理の中で見つけた知らないものに恐怖しながらも、知ることへの好奇心を持ち、それを新たな理として、世界は名を増やしていきました。


多くの名を持つと、世界に小さな種が芽生えました。

それを世界は混沌ケイオスと呼びました。


神と魔、それぞれが思う世界の形を巡る争いは、長い年月を経て、世界を次第に枯らしていきました。


世界は気づきました、今まさにケイオスの花が咲きはじめたのだと。


しかし、世界はそれをどうすることも出来ず、ただ咲き乱れるケイオスを見つめるしか出来ませんでした。


なぜなら、その花は世界自身だったからです。


ある日、何も見ず、何も聞かず、ただ在ることを在るままに受け入れていた、ひとりの者が現れました。


その者は神と魔に一つの提案をしました。


――あなた方が求める世界の在りようの続きは、世界そのものに任せたらどうだろうか。

触れれば形は変わってしまう。視れば、視たいように変わってしまう。

世界があなた方に許しを渇望した時にのみ与えることで、世界はあなた方のどちらを求めているのかが分かろう。


神と魔は、その者の言葉に耳を傾けました。


そして、争いから千年がたったある日、波一つなく佇む鏡のような湖の上で、手を交わしました。

神は、その子セラエルと共に、魔はその娘、リリシアと共に。


この時、セラエルはリリシアの知に興味を持ち、リリシアはセラエルの律に興味を持ち、湖上で神と魔は語らいました。


律が諦めた知を、知が知らなかった律を、二人はいくつもの夜空の下で語り合い、いくつもの朝陽を受け入れました。


そして、二人は手を携えて、セラエルはその右足を、リリシアはその左足を湖に浸しました。


セラエルは焦燥を、リリシアは慈しみを知ったのです。


その感情を世界は、愛と呼びました。


セラエルとリリシアは、世界が呼ぶ、それを受け入れたのです。



二人は程なくして世界に身を移し、ただの夫婦として暮らし始めました。

小さな谷間の村に身を寄せ、セラエルは畑を耕し、リリシアは村人に薬草と歌を与えます。


朝陽と共に命が芽吹き、夜更けと共に命が還る、その度に、リリシアの指先から微かに光がこぼれ、それが風に揺れて草花を照らしました。


彼らは世界を見て、はじめて気づきました。

世界にはこんなにも色に溢れている。それでいて、それはただそこに在るだけなのだと。


二人は世界の意味を考えるようになって、幾星霜が過ぎ去った頃、二人に新しい命が宿りました。


暖かな光と静かな光が世界を照らし、花は色づき、森は緑を湛え、風が爽やかな息吹を谷間の村へと届ける頃、双子の女の子が生まれます。


金色の光はアウリアと、白銀の風はリュシアと名づけられました。


神と魔、律と知を併せ持つ双子。

その二つの小さな光は世界に新たな希望をもたらします。


それは同時に世界にとっての恐怖であり、尽きることのない好奇心でもありました。

いえ、もしかしたら、それは神と魔にとってのものであっただけかもしれません。



セラエルとリリシアは初めて知りました。

暖炉の灯よりも暖かく、我が身よりも愛おしいものが、この世界にあることを。

喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、世界はこんなにも美しく、切ないのだと。


しかし、それは永遠ではありませんでした。


ある日、ふたりの家を訪れるものがいました。

一人は名をアザゼル、もう一人はザキエルと名乗りました。

彼らは穏やかな微笑みと、揺れる光を持ち合わせた一組の天使でした。

リリシアは僅かな胸騒ぎを覚えながら二人に問いました。


――あなた方は私達に何を求めるか


アザゼルとザキエルは答えました。


――わたし達は何も求めてはいない。ただ、神はセラエルの答えを求めている。

 彼は自らを証明しなくてはならない。と


セラエルは心の葛藤の末に答えました。


――主の求めに応じよう。


そして、妻、リリシアに告げました。


――天の鎖をほどいた、三の夜明けの後に戻る。それまで二つの光を守るように。と


リリシアは彼の言葉を信じ、彼を送り出しました。



三の夜明けを迎えたが、朝陽にはセラエルの影はありませんでした。


その日の晩、扉をたたく音が響いた。

リリシアはセラエルの戻りを信じ、扉を開きました。

しかし、そこにいたのはアザゼルとザキエルでした。


二人は冷たく告げました。


――セラエルは天の鎖に繋がれた。主は彼を背信者と裁いた。


 双つの光は異端。世界の環を汚す存在だ。と


リリシアの胸は凍てつき、張り裂けそうになりました。


神も魔も、双子の存在を恐れ、滅ぼさんとしているのでした。


リリシアは双子を抱きしめ、わずかな荷と共に闇夜を駆けだしました。


天の使いも、魔の獣も彼女の行く先を遮り、そのたびに彼女は光を放ち、炎を操り、

血を流しながら、ただ前へと進み続けました。


雷鳴が空を裂き、雨が森を切り刻むように降りしきる。


夜の大地の怒りは光と闇の狭間で、低い唸り声を上げました。


リリシアの熱は次第に奪われ、命の灯火は小さく揺れ始めていました。


それでも腕の中の小さな光を手放すことはなく、その温もりが彼女の足を前へと進めさせました。


どれほどの道のりを辿ったのでしょう。


リリシアは鏡のように静まる湖畔へと辿り着きました。


そこは遠い昔、夫、セラエルと出会った湖でした。


――あなたが導いてくれたのですね。


夜空の星々が水に沈むように瞬く湖は何も答えず、ただ光を湛えていました。


荒れていた夜空はいつの間にか鎮まり、月が湖面に姿を現す頃、リリシアは初めて祈りを捧げました。


しばらくすると、世界の王が彼女の傍らに膝をつきました。


リリシアは王に問います。


――どうか双極の光をお預かり頂けないでしょうか。と


王はしばらくの沈黙の後、答えました。


――空の光と知の影を宿す子らを、世界が滅することなきように見守ろう。と


湖面に降る月の光は白く、まるでリリシアを迎えに来たようでした。


彼女はその光を空へと返し、静かに眠りにつきました。


その場所はシェルフェン湖。


黎明の湖、『The Lake of Dawn』と呼ばれるようになりました。



それは今も伝わる――神と魔が愛した唯一の地として。

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