後編
「ええ、見ましたよ。本当に怖かった……。
信号待ちをしていたら、突然、真っ黒な服を着た大柄な男が飛び出してきたんです。ヘッドホンをしていて、何かブツブツ言いながら……明らかに様子がおかしかった」
「え? トラックですか?
いや、だいぶ遠くにいましたよ。信号も赤になりかけでしたし、普通にブレーキを踏めば止まれる距離でした。でも、あの男、急に前にいた女性に向かって走り出したんです」
「『危ない!』って叫んでましたけど、どう見ても襲いかかっているようにしか見えませんでした。まるでアメフトのタックルみたいに、女性を歩道のアスファルトに叩きつけたんです。
女性、すごい悲鳴を上げてましたよ。『いやぁああ!』って……突然巨漢に、しかも知らない人に襲われたら、誰だって死ぬほど怖いですよ」
「その後ですか? トラックの運転手もビックリしたのか、慌ててハンドルを切って……男の方は轢かれてしまいましたけど。
周りのみんなも引いてましたよ。『おい、大丈夫なのか……!?女性の方は!!』『マジかよ、信じらんねえ……!なんで突き飛ばしたんだ。』って」
「ええ、女性は肋骨を折る重傷だそうです。トラックじゃなくて、突き飛ばされた衝撃で。
……亡くなった方には悪いですけど、自業自得みたいなもんですよ、あれ。ただの通り魔にしか見えませんって。」
◇
それは、地獄のような光景だった。
聖女様が行った「勇者召喚」の儀式は失敗した。
魔法陣から現れたのは、勇者ではない。全身が漆黒の鱗に覆われ、ナイフのような鋭い牙とねじれた角を持つ、身長3メートルを超す「魔獣」だったのだ。
魔獣は目覚めると同時に、空気が震えるほど低く唸るような咆哮を上げた。
「……グル、ア……?(殺してやる)」
誰もがそう聞いた気がした。
衛兵たちが飛び込んでくるが、魔獣が立ち上がっただけで、その凶悪な威圧感に誰も動けなくなる。
魔獣はあろうことか、聖女様を背後に隠した。獲物を独占するためか、人質にするつもりか。
そして、鼓膜が破れそうなほどの咆哮。
「ゥルッ、アアアッ!!(全員喰らい尽くしてやる!!)」
その咆哮に抗うように、衛兵の内の一人が大声で叫ぶ。
「彼女には、指一本触れさせない!」
それは、まさに勇者のセリフだった。だが、彼らが対峙しているのは絶望そのものだ。しかし、魔獣の咆哮は絶大だった。聞いた瞬間、他の者たちは動けなくなってしまったのだ。
聖女様は必死だった。
腰を抜かしそうになりながらも、魔獣の背中に触れ、震える手で拘束魔法を発動させようとしていた。
涙ながらに、何度も詠唱を繰り返す。
「……し、ずまっ……て、……!(静まって、お願い……!)」
だが、魔法は効かない。
魔獣はあざ笑うように振り返ると、鋭い爪のついた巨大な手を、聖女様の頭に乗せた。
聖女様は恐怖で硬直し、悲鳴すら上げられない。
魔獣は、その醜悪な顔を歪めてニタニタと笑った。
次の瞬間、魔獣は再び衛兵たちに向き直り、殺戮の宴を始めようと爪を振り上げた。
◇
「ぷっ……あー、おっかしかった。面談の間中、笑いをこらえるのが大変だったわ」
白い空間に一人残った女神は、肩を震わせ腹を抱えて笑っていた。
「あんなに自分の世界に入り込める人間、そうそういないわね。周りからどう見えているか、死んでも理解できないなんて」
女神は虚空に映像を浮かべる。
そこには、異世界に降り立ったばかりの『彼』の姿が映し出されていた。
「まさに彼こそが、真の『孤高の英雄』ね。
他者の理解を一切必要とせず、己の解釈だけで世界を定義し、完結させている」
周囲を威圧する質量。内に閉じこもり、対話を拒絶する外殻。
それは、彼の魂の形そのものだった。
「行きなさい。その独りよがりな正義で、世界を混沌へ陥れるがいいわ。
……ふふ。あちらの世界の『勇者』たちが、あの怪物をどう料理するのか。これからの観劇が楽しみね」
女神様に「誰にも負けない強靭な肉体」をもらって転生したら、聖女様が泣いて喜んでくれた件 椎 @Shii41
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