問人 ― Toujin ―

山藤里菜

問人 ― Toujin ―






なぜ呼ばぬ。さすれば、終わる。

なぜ問う。さすれば、始まる。

 

音が眠る静寂の中で、世界は闇に閉じる。

「あなたも、お呼ばれにならない。時は、来たる。」

巫女がきらめく水をお掛けになる。私の肩は冷たさを感じたままに、赤屋根の門をくぐる。


上向くと神社の屋根にとぐろを巻いた大きな黒龍がいらっしゃった。どっしりとして、悠々とした黒龍は、私を守るようだった。その気配に、私は何かを伝えたかったけれど、言葉に迷う。声にできない何かがあった。黒龍と視線が合って、微細な光が揺れた気がした。


そこで目が覚めた。




私はいつもの図書館で、いつの間にか眠っていたらしい。私の仕事は、本を読んでは整理して、書きまとめることだ。

ここは図書館で、今読んでいるのは歌にまつわる本。学者が書いたと思われるそれは、随分と古いもので、とてつもなく厚い。ページを捲れば、埃っぽさが立つ。

けれども、歌と本が好きな私は、少しも苦ではない。今だって、鼻歌を歌っている。鼻歌はいつも、孤独を麻痺させる。




そもそも、この時代、文字を読める人は、とても珍しい。私は、本を通して知ることができる代わりに、自由がない。けれども、随分前から、私たちは存在を管理されている。


私が知っていることは、もう世界は完成しているということ。私がこっそり、この選択をすることも既に決まっていて、世界は少しの無駄もなく完璧に造られている。




警報音が鳴る。覚醒した者が現れた。

適した遺伝子と環境が交わると、覚醒者が生まれる。

遠くで大人の足音が聞こえる。


真実を知り過ぎて境を超えてしまうと、私たちは自我を保てない。何ものも、超えてはいけない線がある。それは、命を守るための、本能だ。そして、真実だ。

その際に放つ言葉こそ、大人が求める答え。私たちは狡い大人の代わりの頭で、考えなければならない。


いずれにしても、真実は狂気との狭間にあり、それを取りに行くのは命懸けだ。




いつだか、聞いたことがある。

「私たちは、生まれたから、そこにいるしかないの?」

大人は、何も言わなかった。その代わりに本を指差し、微笑んだ。ここに答えがあるから探しなさいとでも言うように。

間違えて、死んでしまうかもしれないのに。




いつからか、音を聴くようになった。

それは、微かに、私の鼓膜を優しく震わせた。

音は私自身に、溶けるようだった。宇宙の旋律のようなそれが、歌になることを、いまに待っている。


宇宙はDNAの中にあるという確信は、まだ持てなかった。私たちは個々に創造する者であるところまでは分かっているけれど、決定的な何かが欠けていた。けれども、ここまでも、秘密だ。私は、まだ、ここにいる。




ある日、私は大人に連れられて、小さな部屋に入った。小窓が一つだけある、簡素な部屋。窓からは光が差すだけで、何もない。

孤独は、真理への近道だ。やはり、気づかれていたのだろう。早く真理を聞かせろということらしい。

人の気配がなくなって、何時間が経ったか分からない。頭上のカメラだけが私をみていた。


いつからか、私の気は少しだけ揺れている。

きっと私の苦悩は、時を超えても誰にも分からないと思った。

孤独は、いつだって自分だけのものだ。その真理もまた、共有できない。


ぎゅっと喉が締め付けられるように痛くなる。目頭が熱くなる。

ふと、歌を口ずさんだ。点と点を繋ぐように、遠くにあった音を引き合わせた。

その瞬間、遠い母の面影を見た。祈りのような、愛を感じた。

ああ、これが、完成なのだ。この歌こそ、真理だ。

ガタガタと視界が歪む。涙が落ちようとしていた。

私は世界を愛するために、歌っていたんだね。




またどれくらいの時間が経ったのだろう。ひとりの大人が入ってきた。

小さな声で大人は言う。

「カメラを切ってある。」

大人はしーっと指を立てて、私を黙らせた。そして続ける。

「時間がない。真実を人々に広めなくては、新しい世界の前に、私たちは滅ぶだろう。」

名前も知らない大人は、世界の危機を口にした。

「エネルギーを放出するってこと?」

私の言葉に、大人は目を細める。

「そうだ、君の歌は、宇宙に重なる情報の波だ。」

ああ、この歌は、新しい世界を開く鍵だったのか。

大人は覚悟したように言う。

「真実を、広める。理を、歌にしろ。」

瞳は、私の知った大人のそれではなかった。私は目が覚めたようだった。

一目で何かが変わるのは、初めてだった。初めて、人と分かり合えた気がした。


頭の中で鳴っている歌を口ずさみ、彼はそれを録音した。彼は私の頭を優しく撫でると、すぐに部屋を出て行った。

私はまた、一人だ。




外へのエネルギーの放出は、世界の創造へ影響を与えるのだろうか。それも不確かであった。

けれど、人々がこの歌によって目覚めるのなら、私は真実の観測者になる。


私には不思議な感覚があった。心の音が波のように満ち引く。

私がそれを観測すると、行動すら愛を持った。

愛を込めた私の歌は、どこまで届くのだろう。


そして、大人はいつだって、私たちを守っている。




呼べば、よかった。問えば、よかった。

けれど、出来なかった。

それは、世界を愛した私たちの悔いだ。




今日も、真実を眺めていた。見ることで、世界は変わるのだ。

どの世界も、繋がっていた。

人のDNAは世界の成り立ちと同じである。私たちの細胞の中には、無限の宇宙が広がっていて、連鎖は続く。

けれど、連鎖の終わりには、既に完成された未来があり、私たちは世界の筋書きをなぞっているに過ぎない。

ただ、そこに居るだけで、すべては今ではなく、終わっているのだ。

それを知った時、私たちは創造主になる。それは人を超えた意識の爆発であり、宇宙の始まりである。


私は愛をもって、観測しようとする。愛こそ、不確定で、強大な可能性だ。

彼は新しい世界を創造しようとした。それは、覚醒の歌。

歌はDNAの共鳴を起こし、潜在意識に干渉する。世界を前に押し出す行為だ。




一本の光線がとんっと私の頭に当たった。閃光が私を貫いて、視界が逆転する。

信号が送られたのだ。

ほんの一瞬、細かく揺れる宇宙の光を見て、歌が聴こえた気がした。

そして、私の存在は光に溶けるようだった。

夢に入り込むように、頭が重くなる。その瞬間に、私の記憶は途絶えた。




目が覚めると、母が私を覗き込んでいた。頭にひりつきを感じながら、体を起こす。

「朝よー、ほら、学校!」

私は母と呼ばれるその人に背を押されるように、部屋を出た。

懐かしくて新しいような家族との朝。

「ねえ知ってる?この歌!なんか、いいんだよねー!」

妹が興奮気味に話しかけてきた。テレビの流行歌。

私はその歌に覚えがあるような気がした。心がわずかに震えた。

けれど、膜が張っているようだった。体が思い出さない方がいいとでも言っているように。

「ん、知らない。」

私は不思議と喉が締め付けられるように痛くなったけれど、なぜか分からなかった。




「いってらっしゃい!」

母は私に手を振る。私は急に胸が熱くなって、手を振り返した。

母は、笑顔だった。私は、その笑顔が好きだ。




学校へ向かう途中、強い風が吹いた。

ふと、テレビから流れたあの歌を思い出した。覚醒の歌という題名らしい。

私は音を鮮やかに思い出す。

私は慣れた道から、少しだけ遠回りをすることにした。学校は遅れるが、どうしてもそうしなければならない衝動に駆られていた。




小高い丘の上に着く。私は、誰を呼ぶこともない。

けれども、見ることで世界はわずかに形を変える。

そして、私は観測者ではなく、物語を繋いでいく存在だ。

黒龍の気配がする。大きな口をお開けになり、咆哮なさる。一枚の鱗が剥がれ落ちて、陽を反射する。それは私の頭が生成したエネルギーの具現したもの。

想像が突き刺されば、目が覚めるような脈打つ感覚。確かなそれは、未来が開く合図。

宇宙の始まりを意味した。

風を感じる。緑が揺れる。葉が掠れる音と、温かな体温がある。

私は、ここに居る。




空を見上げると、雲ひとつない青空。鼓動が早くなり、意識が酷く揺れる。

空に救いを求めるように手を伸ばす。けれど、膝から崩れ落ちた。

芝にぽつぽつと落ちる雫。

私は、泣いた。

嬉しいのか、悲しいのかも分からない産声のように。




いつしか泣き疲れた私は芝に転がり、世界をみた。

遠くから、あの歌が聞こえていた。

それは、世界の救いだ。

伝う涙の熱を撫でる。

私たちは、それぞれの方法で、この世界を愛している。


なぜ呼ばぬ。さすれば、終わる。

なぜ問う。さすれば、始まる。


私たちは、今日も、世界を問うている。








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