第5話B 君がいない夜勤のログ

 その夜、僕はログインしなかった。


 正確に言えば、

 ログイン画面までは開いた。


 でも、

 警備区画に入る前で手を止めた。


 行けば、話せる。

 座ってなさい、と言われる。

 夜は無理しないのが一番だ、と。


 それがわかっていた。


 そして、それを続けた先も。


 だから、

 その夜は閉じた。


 次の日も。

 その次の日も。


 最初は、胸の奥が落ち着かなかった。

 呼吸が浅くなる夜もあった。


 でも、

 外に出る日が少しずつ増えた。


 病院の廊下。

 コンビニまでの短い距離。

 夜じゃない時間。


 世界は、思ったよりうるさかった。


 それでも、

 確かにここにあった。


 ──数ヶ月後。


 昼間の《アルク・フロンティア》に、

 僕は久しぶりにログインした。


 夜勤の時間帯じゃない。


 警備区画は静かだけど、

 あの人はいない。


 それでいい。


 通路を歩いていると、

 端末の表示が目に入った。


 《警備ログ:引き継ぎメモ》


 業務用の、味気ない文字の並び。


 その中に、

 ひとつだけ異質な行があった。




 最近、どうだい?


 あたしがいなくても、

 うまくやれてるか?




 名前はない。

 宛先もない。


 誰に向けた言葉かなんて、

 本当はわからないはずなのに。


 僕には、はっきりわかった。


 これは、

 覚えている言葉じゃない。


 思い出している文章でもない。


 ただ、

 **そう書きたくなった痕跡**だ。


 彼女は、

 僕を覚えていない。


 でも、

 僕を大事に思っていた“状態”だけが、

 形を変えて残っている。


 それで、

 十分だった。


 端末を閉じる。


 夜勤の時間には、もう来ない。


 これからも。


 でも、

 心の中で、そっと答える。


 大丈夫です。


 あなたがいなくても、

 僕は外で、ちゃんとやってます。


 だから。


 あなたも、

 ここで、ちゃんと働いてください。


 警備区画の照明が、

 昼の明るさで静かに点灯している。


 夜は、もう逃げ場じゃない。


 それでも、

 逃げ場をくれた人がいたことだけは、

 消えなかった。


 ログアウトすると、

 現実の空気が胸に入ってきた。


 少し苦しくて、

 でも、前よりは息がしやすい。


 僕は、前に進く。


 誰かを壊さない距離で。


 そして、

 誰かに守られなくてもいい場所へ。

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初期化される君へ ログの海で僕は恋をした nco @nco01230

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