第5話 松木祥子50歳 白井加奈子52歳 元劇団員で地元に帰り農作中

 智子は床の間を雑巾で拭きながら、ちらちらと水晶の様子を確認していた。ペッカペッカと点滅している水晶なのだが、心なしか点滅速度が上がった気がする。


「この感じ、もうすぐゲートが開きますかね?」


 長机にテーブルクロスをかけていた地区会長の善吉郎に尋ねる。彼は顔を上げると、水晶を睨むように見つめた。


「……まだな気がするなぁ」

「そっか。いっそ早く来て欲しいですよ。待つのもドキドキする」

「夜にならんうちに来るか、明日になってから来るか……」


 寝ずの番をするため、智子は今晩、神社に泊まる。善吉郎がオツノ様用に布団も運んできてくれたので、それを使ってお座敷で寝させてもらうのだが、夜中にゲートが開くとさすがに怖い。こんなの、お化け屋敷で寝るようなものだ。


「嫌だなぁ」


 思わず愚痴る。と、神社まで上がって来る軽トラの音がした。窓から覗くと、松木祥子まつきしょうこ白井加奈子しらいかなこの二人だった。荷台にビール瓶のケースなどの酒類、煮炊き用の野菜などを載せている。


「頼まれたもの持ってきましたけど、中まで運びます?」

 勝手口から聞こえてきた祥子の声に、善吉郎がそちらに向かいながら答える。

「いや、中は狭いし、この季節なら外で大丈夫だろ」


 はーい、と軽やかな返事。祥子は五十歳くらいの女性なのだが、数年前まで劇団に入って役者をしていただけあって若々しく美人だ。加奈子も同じ劇団に入っていた役者仲間であり、祥子と同じくらいの年齢である。二人は一緒に暮らしながら、農作物を販売しながら生計を立てているのだが、祥子が集落の出であるため、オツノ様文化にも精通していた。


 智子も荷台のものを下ろすのを手伝おうと外に出る。すると境内に咲く金木犀の香りが、むせ返りそうなほど強く匂った。満開になっており、オレンジ色の小さな花が枝先にびっしりとついている。


「この匂い、今回来るオツノ様が嫌いじゃないといいけどね」

 大根を運んでいる祥子が、不吉なことを言ってくる。

「やめてくださいよ。臭いとか言い出したら、皆で切り倒さないといけなくなるじゃないですか」

「それはかわいそうよね。立派に育ってるのにさ」

 一升瓶を抱えた加奈子が金木犀を見上げる。


 集会所の屋根より樹高がある大木の金木犀は、智子の記憶にある限りでは、彼女が小学生の頃から今の大きさで立っていた。


「……加奈子さんって、オツノ様に会ったことあるんでしたっけ?」


 一升瓶を集会所のお勝手まで運んでいる加奈子の背中を見やりながら、智子は祥子に耳打ちする。祥子は、「会ったことはないよ」と小声で返した。


「うちらが、こっちで暮らすようになって五年だからね。前回のオツノ様はそれより前に来てる」

「そんな前でしたっけ?」


 高校を出てからは地元を離れていた智子だが、両親から話だけは聞いていた。つい最近、オリンピックを観てた時期にオツノ様が来るもんだから迷惑だった、と愚痴っていたような気がするのだが、あれはいつのオリンピックだったか……。


「前回はまだコロナ前だったよ」と祥子が言う。「でも良かったよね。皆がマスクしている時にオツノ様が来ちゃったら、接待どころじゃないじゃん?」


 確かにな、と思いつつ、「いやでも、オツノ様って未知の生物ですからね。どんなウイルスを持ってこっちに来てるか、わかりませんよ?」と冗談交じりに返す。祥子は「私はコロナをうつすほうを心配したよ。そっか、うちらのほうが危険なんじゃん」と笑う。


「ほんとそうですよ。こんな危険なことさせて、国は手当てくらい出して欲しいです。私ら、人類の守護者なんですからね」

「それなら地区会長さんなんて英雄だよ。あの人、少年時代から熱心にオツノ様を接待してるんだもん」


 というか、先細りしていく集落の住民数を思えば、そろそろ秘密の伝統行事なんて言っている場合ではないのかもしれない。今回から市役所あたりに連絡して実情を見てもらって……との考えがよぎるが、いざその時が来ると、「まぁ、なんとかやっていけるか」と思ってしまう二人である。


 万が一にも国が介入して、集落が立ち入り禁止区域になり家を追い出されたら困る。だったら、愚痴りながらも住んでいる若手が頑張って続けていくしかない。


「実は加奈子には昔、劇団やってる時にオツノ様の話をしちゃってるんだよね。酔っぱらった時に、ついね」


 ビール瓶のケースを軽トラの荷台から下ろして一緒に運んでいると、そうコソコソと打ち明けてくる祥子。「えーっ、私なんて今日まで夫に黙ってましたよ」と智子が返すと、「それはそれで問題なのでは」と呆れられる。


「加奈子ったら、オツノ様を見たいって興奮してんの。あの人、未確認生物とか都市伝説が好きな人だから」

「なるほどねー。かわいいやつが出てくるといいですけどね。宇宙人とか妖怪とか。でも透明人間とか出てきたら、どうします?」


 それは困るなぁ、と二人して笑いながら、重くて腰が痛くなるビール瓶ケースを運んでいく。これだって「酒は飲みません」ってオツノ様なら無駄になるし、逆に「もっと酒を持ってこい!」ってオツノ様なら、何往復もしなくてはならなくなる。接待当番は体力仕事だ。


 ◇


 白米はすぐにお出ししたほうが良いので炊飯器にセットしておく。酒は冷蔵庫で冷やす。冷凍庫には氷の他に、バニラとチョコ味のアイスも準備した。


「電子レンジって持ち込んだらダメなんですかね?」


 刺身の盛り合わせの甘えびを摘まみ食いしながら智子が聞くと、地区会長の善吉郎は、「前に使ったらブレーカーが落ちた」と酒の試飲をしながら答える。


「焦ったよ、あの時は。夜中だったからな。宴会中に真っ暗になってしまって……。オツノ様が穏やかな方で助かった」

「うわー、それ怖いですね。でも、レンジが使えないなら、温かいものを欲しがったら、カセットコンロで工夫するしかないのかぁ」


 それは大変、と顔をしかめつつ刺身をもぐもぐする智子。刺身の盛り合わせの他にも、智子たちが食べられるようにと、おにぎりや煮物を持って来てくれた園田のおばあちゃんが、「電気ガスがないときに比べたら楽なもんだよ」とニコニコと微笑む。


「電気がない時代からちゃんと接待してきたんだからね。オツノ様だって、少しくらい冷たいものを出したって、怒らずにわかってくれるよ」


 今夜の寝ずの番には、この園田のおばあちゃんが付き合ってくれることになった。一人で神社に残るのかと怯えていた智子にとって、救世主のようなおばあちゃんだ。

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2025年12月5日 18:30
2025年12月6日 18:30
2025年12月7日 18:30

オツノ様がいらっしゃいます! 竹神チエ @chokorabonbon

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