キャラメルラテを飲み終えたら

浅葱ハル

キャラメルラテを飲み終えたら

 白の背景に、黒だけの無機質な文字列。

 退屈が散りばめられた問題集だ。


 ああ、集中が途切れた。


 そう自覚して、安っぽいテーブルに肘をついた。シャーペンは握り込んだまま、手のひらの上に頬を乗せる。

 袖の長いお気に入りのふわふわニットが、顎に擦り付けられて心地よい。


 視線を上に上げれば、鮮やかな世界が広がっていた。


 冬。夕暮れと夜の境目。


 薄く汚れたガラス窓の向こうでは、コート姿の人々が、つまらない表情を貼り付けて、足早に行き交っている。


 通りに沿って等間隔に植えられた針葉樹には、橙や桃色や青、色とりどりのイルミネーションの明かりがぐるぐると巻きつけられていた。

 雲の薄く広がる鈍い空に、その主張の激しい点滅は、まるで喧嘩を売っているかのよう。


 通りの脇の、ありふれたコーヒーショップ。

 大学の期末試験まで、あと三日。


 窓際の席に腰掛けた私は、過去問を開いてそこに居座っている。夜が近いせいか、店内にあまり客はいない。大衆受けする個性を持ったBGMが、耳を優しく揺らしている。


 窓から、冷気が這ってくる。

 おかげさまで、指先が寒い。


 店内の暖房で身体は温められているのに、指先だけが冷えている。そのギャップになぜか苛立ちながら、クリーム色のコーヒーカップを手に取った。


 中には、半分ほど残るキャラメルラテ。

 まだ仄かに温かく、あまったるいそれが、喉をどろりと通過し、胃に落ちる。


 僅かに熱の巡る感覚。

 刹那の快楽に揺蕩いながら、シャーペンを二度軽く押すと、芯が意図していたより長く出た。

 自分の筆跡が踊るノートの端に、とんと押し付ける。芯がぐしゃりと折れた。

 墨色の汚れがついたことに、小さな溜め息をこぼす。


 再びキャラメルラテを手に取り、ちびりと飲んだ。

 甘いどろりとした塊が喉を通過する時、ふと、ガラスの向こうの男に気がついた。


 灰色のダッフルコート。紺色のマフラーを首に巻き付けて、明るい茶髪を揺らしている。寒いのか、ポケットに手を入れたまま、肩をすぼめて歩いていた。


 彼を、知っていた。

 高校生のとき、隣の席だったことがある。

 消しゴムやシャーペンの貸し借りを何度かした。それだけの、ありふれた関係。


 彼の声は低くて、耳心地が良かった。


 淡い恋情未満の、育たなかった蕾。

 それがもしかしたら芽だったのかと、今になって分かる程の、仄かで涼やかな好意。


 別に後悔があるわけじゃない。

 ただ青かったと、苦笑できるくらいの感情だ。


 ぼんやり眺めていると、彼が突然立ち止まる。

 そして、顔を綻ばせた。


 彼の目の前に、臙脂えんじ色のコートを着た女性が駆け寄った。黒いエナメルの、ヒールの高いブーツ。高く結われたポニーテールと、健康的な屈託のない笑顔が、どうしようもなく魅力的だった。


 彼女は彼の腕に、当たり前のように手を回す。


 一言二言、会話を交わしたふたり。

 そしてそのまま寄り添いあって、歩いていく。


 彼の笑顔が見えた。


 見たことのない表情だった。

 溶けるような彼女への視線。目尻の皺が、彼の湧く熱を語っていた。

 イルミネーションのうるさい点滅が、彼らの横顔を応援するように、それでもこちらを見ろと主張するように照らしている。


 残念ながら、彼らはイルミネーションなんかに目もくれない。


 お互いだけを視界に入れて、仲睦まじく、歩いていく。

 彼のすぼんだ肩は、いつの間にか広がっていた。



 私は視線を下に落とした。

 もう一度芯を出そうと、シャーペンの頭を軽く一度押す。ちょうどいい長さになった。


 先輩にもらった白黒の過去問、その一つの問題文。

 その横に、ちいさく黒い丸を書く。

 正解。もうこの問題を、解くつもりはない。


 やはり冷えたままの指先が鬱陶しい。

 コーヒーカップを手に取ると、もう底が見え始めている。

 どろどろ甘い、キャラメルラテにも飽きてきた頃だ。



 次は、ブラックコーヒーを頼んでみよう。


 焙煎の香ばしい薫り。酸味を伴うほろ苦さ。

 それが、美味しいと思えるはず。


 たぶん、私は大人になった。

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