第5話 遺言
「さっ、それじゃあいこっか」
ミコが立ち上がりながらそう言う。
「え、行くってどこに」
「そりゃあ、決まってるでしょ」
ミコが私を見据えて続ける。
「与兵衛の石碑にだよ」
脱いだコートを再び着て、家を後にする。先ほどまでいた、暖房の効いた自室がすでに恋しい。冬の空は空気が澄んでいて、星がいつもに増して綺麗に見える。
出かける私に母はただ一言、いってらっしゃいとだけ言って、何も聞いてこなかった。きっと、全部知っているんだろう。母には後でちゃんとお礼をしないといけない。
石碑はここからそう遠くないところにあるという。道を覚えているのか、ミコはすたすたと迷いなく歩いていく。私は改めて、この少女が不思議でならなかった。
「そういえば、なんだけど」
「ん、なに?」
「ちょっと気になるというか、いや月待さんには気になることがありすぎるんだけどさ」
そう前置きして私は続ける。
「わたしが見たあのカカシは一体なんなの?」
そういえば話してなかったねとミコは言った。
「じゃあ先にそっちを見にいこっか」
そう言うとミコは、先ほどまで向かっていた方向とは真反対に歩き始めた。急な方向転換に戸惑いつつも、しばらくついていくとミコが道の先を指さす。
「あれだよ」
そこには小さな赤い鳥居が立っていた。
「まさかとは思うけど、あの神社の中に入ったりしないよね・・・?」
途端、ミコが笑いだす。
「そのまさかでごめんね」
神社に近づくにつれ、その奥に大きな木々が立ち並ぶのが目に入った。遠めだとわからなかったが、そこそこ大きな神社のようだ。ミコは鳥居の前で軽く一礼すると、忍び足でそろそろと境内に入っていった。
「バレると面倒だから、静かにね」
口の前に人差し指を当てて言う。なんだかその仕草が渚を
「これは、納屋?」
そう聞くと、ミコは頷いて懐中電灯を取り出した。建てられてからかなりの年月が経っているらしく、扉と扉の間に中を覗き込めるほどの大きな隙間ができている。ミコはそこに懐中電灯を当てると「覗いてみて」と小さな声で言った。
朽ちた麦帽子にワイシャツ、そして真っ白な布地の顔。
そこには電車から見たあの“カカシ”が置いてあった。何となくわかってはいたが、いざ近くで見ると、声が出そうになる。
「ね、あったでしょ?」
ミコが満面の笑みで聞いてくる。何がそんなにうれしいんだろうか。正直、怖い。
ミコが言うには、このカカシは決まった時間になると、どこからともなく誰かが持っていって、あの踏切の近くに置くそうだ。ここら辺の人にとっては昔からある慣習のようなもので、そのカカシが目に入っている間は笑い続けなければならないらしい。恐らく、自分は与兵衛ではないということをエミカカシに知らしめるためだろう。
元々は与兵衛の霊が村に入ってこないようにと、エミカカシを村の入り口に置いていたそうなのだが、時代の流れとともに今のような形式に落ち着いたのだという。みんなが恐れていた人間をたった一人殺すためだけに、エミカカシは祟りとして利用された。挙句、それから何百年もの間、人々を恐れさせる存在になるなんてなんだか皮肉な話だ。
「本郷さんがカカシを見たのは十一時ごろって言ってたね。多分、それは与兵衛が殺された時間なんじゃないかな」
ミコは最後にそう言った。
〇
どのくらい歩いただろうか。人通りの少ない
「確かここら辺に・・・」
ミコが枯れ草をかき分けると、すっかり苔むして緑色になった小さな石が出てきた。
「はい、これが与兵衛の石碑」
これを石碑というには少し
「なんか思ってたのと違う・・・」
「まあ、そう言わないでよ」
そう言って、ミコは手を合わせた。私もそれに倣って手を合わせる。何百年も前の人間が確かにそこに生きていたという痕跡を前に、私は何とも言い難いものを感じた。私が感傷に浸っている横で、ミコがカバンから袋を取り出す。
中には小さなスコップが入っていた。
「なにをするの?」
「え、掘るんだよ」
そりゃ掘ることは見ればわかる。てっきり与兵衛にお祈りをして終わりだとばかり信じていたので、ますますミコが何をしたいのかわからなくなってきた。
「まあ、こないだ来たときに見つけちゃったし中も見ちゃったんだけどさ。一応、本郷さんの前で正式に開け直した方がいいかなーって思って」
そう言うとミコは石碑の横の土を掘り返し始めた。五、六回ほど土を掘り起こすと中から赤茶色のブリキ缶のようなものが出てきた。
「お、よかった。ちゃんと埋まってた」
ミコはそのブリキ缶を持ち上げると、私の胸元につきだした。
「はいどーぞ」
その奇行に困惑する私をよそにミコは平然とした顔をしている。私が恐る恐るその蓋を開けると、中には一枚の紙が入っていた。
そこには乱雑な文字で、こう書かれていた。
『彼らは与兵衛を恐れている』
父の遺言 蓮音 @Tsukumosan
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