かつてSF作家A・C・クラークは、イギリスからセイロン島(スリランカ)へ移住しました。深海に宇宙空間との類似性を見出していたことから、インド洋でのスキューバダイビングに惹かれたためだと言われています。
かくいうわけで果てなき宇宙の闇と同じぐらい、海中はSFと相性が良い。元祖はたぶんヴェルヌ『海底二万里』辺りからはじまると思うのですが、それこそクラークも『海底牧場』を書いていますし、マイクル・クライトン『スフィア』などもあります。映画ではやはりジェームズ・キャメロンの『アビス』『アバター』が外せないでしょう。
こちらの物語も夢の世界の光景ではありますが、海を描いた広義のSFです。雄大なイメージを描写しつつ、SFファンならそこはかとなく過去の名作を連想したくなるような要素が散見されるため、個人的には拝読していて何度か口元が綻びかけました。
しかもそこへオーストラリア先住民のソングラインなる概念が混ぜ合わされ、鮮やかなヴィジュアルが立ち昇る世界観はセンス抜群。見事というほかありません。
それでいて全編を通じ、哲学的とも社会派的とも取れるメッセージが滲んでおり、色々な読み方を許容する懐の深さを感じます。
「文学とは問い掛けであって、答えではない小説を指す」という見解があるそうですが、まさにそれ。大変良い現代SF文学を読ませて頂きました。
カクコンに参戦された平手さんのエースの作品です。
「すばらしい」としか言いようのない力作です。
お話は、どちらかというと難解なのですが、人の生き方の方向性や魂の根源を問うような、哲学的な作品です。
タカアシガニの彼は、発達障害の方だったのか、現実世界ではすり減って死の直前にあったわけですが、神の意図と違う方向から息吹を吹き込まれ、精神的再生を達成します。
ディジュリドゥの彼は、神の意図を気づいていなかったわけですが、タカアシガニの彼を正しく導きました。結果的には正確に「彼がもっと輝く生き方」を見抜いていたとも言えます。
他者が見ても、その人の正しい在り方は分からない。
そして遅すぎることはない。そのあり方を取り戻したとき、人は再び輝き、世界は光で充たされるのです。
平手さん渾身の一作。私には到底書けません。
これはお勧めです。
光の届かぬ地の底。そこは海の底である。
やがてそこに、一頭のマッコウクジラの死骸が落ちてくる。
マッコウクジラの体から、真っ白な雪のような微粒子が、水面に向けて登ってゆく。
いわゆる、マリンスノウだ。
現実の雪とは違い、天に登って降っていく。まるで夢の中にいるような情景である。
その夢の世界で、誰かがタカアシガニとなったあなたに問いかける。
「なぜ、そこでじっとしているのか」と。
現実の世界では一人の職人が、楽器を作っている。
それは、巨大なツノをのようなものを奏でる、ディジュリドゥという管楽器である。
その職人は、タカアシガニの足を使ってその楽器を作らんとしていた。
それは生命の冒涜である。
因果を操り、何度楽器制作をやめさせようと試みるも、職人の信念は揺るがなかった。
そして……
楽器となったタカアシガニのディジュリドゥから、最初の曲が奏でられようとしていた……。
物語は現実と、虚構を行き来し、読者に語りかけられるメッセージは、
どこか寂しげだが力がある。
ご一読を。