【カクヨムコン11短編】夜闇に囁く独奏曲 ~愛し子に名前で呼ばれたい吸血鬼~

尾岡れき@猫部

最愛の少女に殺されることを夢見て、吸血鬼は――。

 夜。みんなが寝静まる頃に、明日香あすかは2階の窓を開ける。

 ためらわない。


 窓に接吻するように建っている桜の木に飛び移る。動作は軽い。慣れた手つきで、ゆっくりと木から降りる。あとは迷わず、急ぐわけでもなく、歩き出す。夢遊病というわけでもない。明日香は起きている。意思をもって。


 多分、自分の行動を親は信じられないかもしれない。信じる? 彼女は唇に冷たい笑みを浮かべる。信じてもらう必要なんて無い。自分のことが目にすら入っていない。私は人形。そう呟く。


 だから毎夜、彼に気持ちを焦がす。


 埋没している昼間という自分の時間。目覚める夜という時間。

 彼は優しく笑う。その笑いはもしかすると、偽物かもしれない。それでも明日香はその笑顔と逢える瞬間を待ち焦がれていた。


 偽物――昼間の人間の定規杓子で見れば。

 彼女は足を止めた。


 外灯すら無い道の行き止まりに、その洋館は銀月が、妖しく灯す。

 朽ちかけた、そこは廃屋。


 昼間という時間から見れば。

 彼女は扉を開ける。


 明日香の時間が始まる。

 きーきー悲鳴を上げながら、扉は明日香の後ろで閉まった。



 


 ■■■



 


 冷たくなった暖炉の間で、明日香は籐で作られた椅子に身を沈める。

 少年――と言ってもいい外見の男が、黒の礼服に身を包み、ヴァイオリンを奏でる。その曲に陶酔しながら、銀の目で明日香を見つめる。明日香はにっこりと笑った。


「また来たんだね?」


 少年は演奏を止めた。

 明日香はコクリとうなずく。彼の目で小さく笑っていた。その思考を知ることもできない。ただ、彼と一緒にいると安らぎを得られる。誰よりきっと、その体温を感じられるヒト。それは間違いない。明日香は昼間の無気力さとは正反対の笑顔を彼にむけた。


 彼の名前は知らない――教えてくれない。

 それを知ることは僕を殺すことにも繋がる。そう彼は楽しそうに笑って言った。灰にしたければ、僕の名前を探せばいい。彼は楽しそうに笑う。


 世間一般でいうところの吸血鬼。

 明日香にとっては、誰よりも大切と言える人。

 彼を起こしたのは明日香だから。


 


 


 ■■■




 


 彼は埃をかぶり、死んだようにベッドに横たわっていた。明日香がそんな彼を発見したのは、高校に入学する前のことだった。


 他の子のように笑えない明日香が唯一、安らげる時間。人間という同種のはずなのに、同種でないようなそんな紙一重の壁をいつも感じながら。夜を彷徨うのは、明日香にとって日課のようなものだった。


 いつもと違う道を歩いた。月に導かれるように。そして、この場所に辿り着いた。

 明日香はベットに横たわる彼の頬に触れた。


 ガラス細工のようだ、と思った。

 綺麗、っていつも思う。


 その手を握る。かすかに冷たく、かすかに暖かさを感じた。

 その手が、明日香の髪を撫でた。明日香は抵抗しなかった。むしろ、そうされていたい、と思った。彼の目がゆっくりと開いた。明日香はその銀色の月のような双眸に吸い込まれた。


 彼は彼女の唇を奪った。

 明日香は呼吸を止めて、その些細な体温を感じた。

 首筋を這う彼の唇が牙をむき、明日香の喉に食い込んだのは、その直後だった。


 


 


 ■■■


 


 


 あの時のように彼は明日香の首筋に牙をたてた。明日香はにっこりと笑って、贄となった。彼は唇で明日香の首筋に優しく接吻すると、痛みは一瞬で消える。

 彼は愛しそうに明日香を眺めた。そして不思議そうに、明日香を見つめた。


「どうして君は僕の奴隷にならないのかな?」


 吸血鬼に噛まれた人間はその支配下におかれ、半吸血鬼化が進む。多くの人間はその前に発狂する。一部の人間は奴隷になる。限られた人間が吸血鬼となる。だが、明日香はそのどれでもなかった。ただ人間として、この場で彼と同じ空気を吸っている。


「私は貴方が どうして受け入れてくれるのか不思議よ」

「君に興味があるからだね」


 彼はヴァイオリンを手に名前も知れない曲を紡いだ。

 明日香はその曲に合わせて、今日一日の学校の出来事を無造作に語る。夜がふけて、彼が眠る時間になると、母親が小さな子供にするように、彼の額に接吻をした。彼は静かに沈み込むように、ベットに倒れる。柔らかい朝日が二人の時間の終わりを告げていた。


 




■■■



 


「八代はまた授業中に寝ているのか?」


 先生の呆れた声が聞こえた。明日香は浅い眠りの中で、彼と夜にまた逢う夢を見ていた。どうしてそんなに逢いたいのだろう? そんな事も分からずに。


 


 



■■■





 


 彼もまた夢を見ていた。

 吸血鬼になる以前の夢。初恋の少女。その牙。流れた血。永遠とも思える無駄な時間。そして少女の死。少女の笑顔と明日香の笑顔が重なる。なるほど、そうか。そういうことか。フローネ、君は僕を殺しにきたのかい? 意思の底で盲目に眠る羅列を操作して。それもいいかもしれないね、フローネ。


 


 

■■■

 


 


 彼はいつものように、ヴァイオリンを奏でた。

 明日香はそれに耳を傾ける。小さな欠伸。曲が終わる。そんな明日香の頬に、彼は優しく口づける。


「明日香、今の曲――僕が今まで弾いていた曲の作者は誰だか分かる?」

「え?」


 明日香はきょとんとする。そして、首を横に振った。


「だろうね」


 と彼は笑う。


「リチャード・ヘルロス」

「……リチャード・ヘルロス……知らない――」


「知っているはずがないよ。無名の作曲家だからね。時代の奥底に沈んで、その楽譜すら残っていない」

「残ってないのに、どうして演奏できるの?」


 明日香の不思議そうな顔に、彼は楽しそうに笑った。


「当然だよ。その曲を作ったのは、僕だからね」


 時間が止まったように、明日香の表情は凍りついた。


「明日香、これで君は僕の名前を知った。いつでも灰にすることができる。僕の名前を唱えて、朝陽を呼べばいい。君は僕を殺すことができるんだ」


 それでいいだろ? フローネ。


「リチャード……」


 明日香の唇が開く。


「呼べばいい。読んで、僕を灰にするんだ」


 そうだろ? フローネ。僕が殺した僕の最愛の人――。


「イヤ」


 強く首を振った。


「厭よ」

「え?」


 彼は信じられない目で、明日香を見た。明日香は何もかも理性を失ったように、泣き崩れる。


「イヤ」

「明日香?」

「イヤ」

「フローネ?」

「イヤ」


 明日香の後ろにフローネがいた。僕が殺した僕の最愛の人。


「フローネ」


 明日香の後ろで、彼女は寂しそうに笑った。


 


 


 

■■■


 


 


 君を開放してあげる。そして朝陽を呼んだ。悠久の時の中、彷徨い続けた彼女が救われたその表情は、嬉しさ半分、悲しさ半分だった。 愛しあった二人にその選択は遅すぎた。血を失った彼に、自分を殺すことはできなかった。そのフローネが残したわずかな救いは、フローネの遺伝子との巡り合うこと。そして出会うこと。万事うまくいくはずだった。フローネ。どうして? 泣く明日香を呆然と見つめながら、フローネは真っすぐに彼を見つめていた。


 キジョハ、アナタヲ、ヒツヨウト、シテイル。

 声にならない声で彼女はそう言って、 姿を消そうとした。蒸気のように、フローネの姿が消えていく。


 アナタモ、キジョヲ、ヒツヨウト、シテイル。

 最後の最後、フローネはにっこりと笑って、そして消えた。

 彼の胸の中では、ただ泣きじゃくる明日香の姿があった。


 


 



■■■

 


 


 夜に明日香が眠るのは久しぶりかもしれない。夢すら見ず、眠りの底に落ちていた。


 じっと、彼は明日香の寝顔を見る。

 何もかもなくした自分と、何もまだ始められない明日香と――二人は似ている。その弱さを守りたい。そして愛しいと思っていることに気付いて、驚いた。そして苦笑する。


 吸血鬼は彼女の記憶から、自分の名前を取りだす。


 吸血鬼はヴァイオリンを紡ぐ。音色が物悲しく、夜に響く。

 明日香の手が、無意識に彼に触れる。演奏が止まった。音色の残響。吸血鬼は静かに弓を降ろす。彼もまた、静かに明日香の手に触れた。


 


 ――夜闇に囁く独奏曲。




 そう名付けたのは、かれこれ300百年前。


 ただ、自分の名前を呼んで欲しい。ただ、時間を止めて欲しい。

 それだけを願ったのに。それだけの願いを囁き続けた。囁いたところで、魑魅魍魎が蠢く闇の中、誰かに届くはずもない。


 時は巡り。

 時に朽ちて。

 時が繰り返すなかで。

 音色には呪がこもる。


 因果の果て。今はただ明日香の血を貪りたいと思う。彼女の家系が陰陽師であることも、これまた因果としか言いようがない。 


 手を、離す――。




 最愛の少女に殺されることを夢見て、吸血鬼は再び音色を紡ぐ。




【Fin.】





________________


2002年頃に書いた作品のリライトでした。

お読みいただき、ありがとうございます!

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