帰省三日目、実家に知らない家族が住んでいた

ソコニ

1話完結  帰省三日目、実家に知らない家族が住んでいた


一日目

私が実家に帰ったのは、母の声が電話越しに妙に明るかったからだ。

「無理しなくていいのよ」

母がそう言うとき、声の奥に小さな刃がある。無理しなくていい、という言葉の裏側で、本当は三日じゃ足りないと責めている。私はもう三十四歳で、東京での仕事も忙しく、実家の空気に耐えられるのは三日が限界だった。

新幹線を降りて在来線に乗り換え、車窓から見える田んぼの緑が濃くなっていくのを眺めながら、私は帰省が嫌いな自分を責めた。母は悪い人じゃない。ただ、会話のたびに「東京で一人暮らしなんて」「結婚は?」「こっちに戻ってこないの?」と、私の選択を否定する言葉が混ざる。それが積み重なって、実家は息苦しい場所になった。

駅に着くと、母が軽自動車で迎えに来ていた。

「久しぶりね、由香」

母は笑顔だったが、私の荷物を見て少し眉をひそめた。

「三日分しか持ってないの?」

「うん。月曜に会議があるから」

「そう」

母はそれ以上何も言わなかった。


実家は駅から車で十五分ほどの住宅地にある。私が高校を卒業するまで暮らした二階建ての家は、外壁が少し色褪せていた。

玄関を開けると、廊下の突き当たりに仏壇があり、祖母の遺影が飾られている。リビングには古いソファと、父が好きな時代劇が映るテレビ。台所からは、母が作っていた夕食の匂いがした。

「お風呂、沸かしておいたから」

「ありがとう」

私は自分の部屋に荷物を置いた。部屋は物置のようになっていて、段ボール箱が積まれていた。ベッドの上には、昔使っていた毛布が畳んで置いてあった。

窓を開けると、夏の夕暮れの匂いがした。蝉の声が遠くで聞こえる。

私は、三日だけだ、と自分に言い聞かせた。


初日の夜、父も交えて夕食を食べた。父は無口で、私が東京での仕事の話をしても「そうか」としか言わなかった。母は時折、「もっと食べなさい」と私の皿に料理を追加した。

食事が終わると、母が言った。

「明日、親戚が来るから」

「誰?」

「叔母さんたち。由香に会いたいって」

私は少し面倒だと思ったが、断る理由もなかった。

「わかった」

その夜、私は自分の部屋で布団に入った。天井を見上げると、昔貼ったポスターの跡が残っていた。

眠る直前、ふと思った。

この家に、三日以上いたいと思ったことがあっただろうか。

答えは、ない、だった。

高校を卒業してから、私はこの家から逃げるように東京へ出た。母の期待、父の無関心、狭い部屋、古い家具。全てが、私を押し潰そうとしていた。

だが、今夜だけは、懐かしいと思った。

この矛盾が、私を不安にさせた。


夜中、階段を誰かが降りる音で目が覚めた。

時計を見ると、午前二時だった。

廊下に出ると、誰もいなかった。

だが、リビングの明かりがついていた。

私は階段を降りた。

リビングには、母が座っていた。

「お母さん?」

母は振り返った。

「由香、起こしちゃった?」

「トイレに起きて。どうしたの?」

「眠れなくて」

母は微笑んだ。

「由香が帰ってくると、なんだか落ち着かないのよ」

「ごめん」

「謝らないで。嬉しいの」

母はそう言ったが、その目は少し悲しそうだった。

私は、何も言えなかった。

母は立ち上がった。

「もう寝ましょう」

私たちは、二階に上がった。

階段を上りながら、ふと気づいた。

リビングのソファの位置が、さっきと違う気がした。


二日目

二日目の朝、私は遅く起きた。母はすでに台所で朝食の準備をしていた。

「おはよう」

「おはよう。よく眠れた?」

「うん」

嘘だった。夜中に何度か目が覚めた。廊下を誰かが歩く音がした気がした。

朝食を食べながら、母が言った。

「今日は午後から親戚が来るから、掃除しておくわ」

「手伝おうか?」

「いいのよ。由香はゆっくりしてて」

母はそう言ったが、私が何もしないでいると気まずい空気になるのはわかっていた。だから、私は庭の草むしりを手伝った。

土を触りながら、ふと思った。

子供の頃、この庭で遊んでいたことを思い出した。母が洗濯物を干しながら、私を見ていた。あの頃の母は、もっと優しかった気がする。

いや、優しかったのではなく、私がまだ母の期待に応えられると信じていた頃だったのだ。


昼過ぎ、親戚が来た。叔母と従姉妹だ。彼女たちは私を見て、「久しぶりね」「元気そうで良かった」と言った。だが、すぐに話題は私の結婚のことになった。

「彼氏はいるの?」

「今は仕事が忙しくて」

「そんなこと言ってると、あっという間に四十よ」

私は笑顔で受け流したが、胸の奥が重くなった。

叔母が、ふと言った。

「そういえば、由香ちゃん、二階の自分の部屋、まだ使ってるの?」

「うん」

「あら、じゃあ物置は別の部屋?」

「いや、私の部屋が物置みたいになってて」

叔母は不思議そうな顔をした。

「そう? でも、由香ちゃんの部屋、一階じゃなかった?」

私は、凍りついた。

「え?」

「ほら、リビングの隣の部屋。由香ちゃん、小さい頃そこで寝てたでしょ」

母が、慌てて言った。

「それは昔の話よ。由香は中学から二階に移ったの」

叔母は首を傾げた。

「そうだったかしら」

私は、混乱した。

私の記憶では、子供の頃からずっと二階の部屋だった。

一階に私の部屋があった記憶はない。

だが、叔母は確信を持って言っていた。


夕方、親戚が帰った後、私は一階を見て回った。

リビングの隣には、確かに小さな部屋があった。

ドアを開けると、物置になっていた。

だが、壁紙の色が、私の二階の部屋と同じだった。

私は、階段を上がった。

二階の自分の部屋に入った。

窓を開けて、外を眺めた。

ふと、気づいた。

この窓からの景色が、記憶と違う。

子供の頃、この窓から見えていたのは、隣の家の屋根だったはずだ。

だが、今見えるのは、庭だった。

私は、混乱した。


夕食の席で、母が言った。

「由香、明日何時の新幹線?」

「十時半」

「じゃあ、朝は早いわね」

「うん」

父が箸を置いた。

「もう少しゆっくりしていけばいいのに」

父がそう言うのは珍しかった。私は少し驚いた。

「仕事があるから」

「そうか」

父はそれ以上何も言わなかった。だが、その目に、少しだけ寂しそうな色があった。

私は、初めて気づいた。

父は、私が帰ってくるのを待っていたのかもしれない。

その夜、私は荷物をまとめながら、涙が出そうになった。

私は、この家が嫌いだった。

だが、この家が私を必要としていたことに、気づかなかった。


夜中、また階段を降りる音がした。

私は廊下に出た。

だが、今度は誰もいなかった。

階段を降りようとして、足を止めた。

階段の段数が、多い気がした。

私は、ゆっくりと数えながら降りた。

一段、二段、三段……十三段。

違う。

この階段は、十二段だったはずだ。

私は子供の頃、毎日数えていた。

十二段。

だが、今夜は十三段ある。

私は、一階に降りた。

リビングの明かりがついていた。

だが、誰もいなかった。

テーブルの上に、湯呑みが一つ置いてあった。

まだ温かかった。

私は、二階に戻ろうとした。

階段を上った。

今度は、十一段だった。


三日目(認知侵食の開始)

三日目の朝、私は早く起きた。

荷物はすでにまとめてある。母に「そろそろ駅に向かう」と言おうと、リビングに降りた。

階段は、十二段だった。

だが、リビングには、知らない女性がいた。

彼女は三十代くらいで、エプロンをつけて、台所で朝食を作っていた。私を見て、彼女は笑顔で言った。

「おはよう。もうすぐご飯できるから」

私は、言葉が出なかった。

「あの……」

「どうしたの?」

彼女は首を傾げた。

「あなた、誰ですか?」

彼女は一瞬、驚いたような顔をした。それから、少し困ったように笑った。

「何言ってるの。私、お母さんよ」

私の心臓が、大きく跳ねた。


階段から足音が聞こえた。降りてきたのは、知らない男性だった。彼は五十代くらいで、スーツを着ていた。

「由香、もう起きてたのか」

彼の声は、優しかった。

「どうした? 顔色が悪いぞ」

私は、声を絞り出した。

「あなたたちは、誰ですか?」

男性と女性は、顔を見合わせた。それから、女性が静かに言った。

「由香、ここは私たちの家よ。あなたの家でもある」

「違う。私の母は……」

私は言葉に詰まった。

私の母は、どんな顔をしていただろうか?

昨夜まで確かにいた母の顔が、ぼやけている。

いや、ぼやけているのではない。

思い出せない。


私は玄関に向かって走った。靴を履いて、ドアを開けようとしたが、鍵がかかっていた。鍵は内側からでも開けられるはずだが、なぜか開かない。

「由香、待って」

女性が追いかけてきた。

「落ち着いて。何があったの?」

「触らないで!」

私は叫んだ。女性は立ち止まった。彼女の目には、本当に心配そうな色があった。

「由香……私たち、何か悪いことした?」

私は、答えられなかった。

男性も降りてきた。

「由香、落ち着け。ゆっくり話そう」

「あなたたちは誰なんですか? なんで私の家にいるんですか?」

私は声を震わせながら言った。

男性は、穏やかに答えた。

「由香、この家には仕組みがある」

私は、息を呑んだ。

「仕組み……?」

「そう」と女性が続けた。

「この家は、三日間かけて、帰ってきた人を受け入れるかどうかを決める」

男性が、静かに言った。

「一階は、幼い頃の記憶が保管されている」

「二階は、大人になってからの記憶」

「そして、階段は……」

女性が続けた。

「その間を繋ぐもの。だから、段数が変わる」

私は、震えた。

「何を言ってるんですか……」

「君は三日で帰ろうとした」

男性が、穏やかに続けた。

「この家を、三日で見限ろうとした」

女性が、静かに言った。

「だから、家も君を見限った」

私の膝が、震えた。

「でも、大丈夫」

女性は微笑んだ。

「私たちは、君を受け入れるわ。君がずっとここにいたかったように」


三日目(主語の崩壊開始)

私は、二階の自分の部屋に戻った。

いや、由香は、自分の部屋に戻った。

ドアを閉めて、鍵をかけた。ベッドに座って、深呼吸をした。

何が起きているのか、わからなかった。

スマホを取り出した。母に電話をかけようとした。

だが、履歴に「母」の名前がない。

連絡先を開いても、母の番号がない。

代わりに、「お母さん」という名前があった。

番号を見ると、見覚えがない。

いや、見覚えがないのではない。

この番号に、何度も電話をかけた記憶がある。

頭が混乱した。

写真フォルダを開いた。

家族写真が、何枚かあった。

だが、そこに写っているのは、下にいる知らない男性と女性だった。

彼らと一緒に、笑顔で写る私がいた。

いや、写っているのは私ではない。

いや、私だ。

確かに、私の顔だ。

だが、その笑顔は、私が決してしたことのない笑顔だった。


昼過ぎ、女性が部屋のドアをノックした。

「由香、お昼ご飯できたよ」

答えなかった。

「由香?」

しばらく沈黙があった。それから、女性が静かに言った。

「無理しなくていいから。ゆっくり休んで」

足音が遠ざかった。

その言葉を聞いた瞬間、胸が締め付けられた。

無理しなくていいから。

母も、同じことを言っていた。

電話の向こうで。

昨日の夕食の席で。

そして、私が高校を卒業して東京に出る日にも。

「無理しなくていいのよ、由香」

母は、いつもそう言った。

だが、その言葉の裏側で、母は私に何を期待していたのだろうか。

帰ってきてほしかったのだろうか?

ずっと、この家にいてほしかったのだろうか?


私は、窓を開けた。

外を見た。

隣の家は、変わらずそこにあった。

だが、隣の家の二階の窓が、こちらを見ていた。

いや、窓が見ているのではない。

窓の向こうに、誰かがいる。

その誰かは、私をじっと見ていた。

私は、手を振った。

相手も、手を振った。

私は、笑顔を作った。

相手も、笑顔を作った。

その瞬間、気づいた。

あれは、鏡だ。

いや、違う。

あれは、私だ。

隣の家にいる私が、こちらを見ている。


三日目夕方(構造崩壊区間)

夕方、彼女は部屋を出た。

私は部屋を出た。

由香は部屋を出た。

リビングに降りると、男性と女性が夕食の準備をしていた。彼らは彼女を見て、笑顔になった。

彼らは私を見て、笑顔になった。

「由香、気分は良くなった?」

女性が優しく聞いた。

彼女は、女性を見た。

私は、女性を見た。

女性の顔には、本物の心配があった。

彼女は、震える声で聞いた。

私は、震える声で聞いた。

「あなたたちは、私の何なんですか?」

女性は、少し悲しそうな顔をした。

「私たちは、あなたの家族よ」

「でも、私の本当の両親は……」

男性が、静かに言った。

「君がこの家に最初に来たのは、いつだったか覚えてるか?」

彼女は、答えられなかった。

私は、答えられなかった。

「生まれた時からだ」と男性が続けた。

「君は、この家で生まれた」

「一階の部屋で、子供時代を過ごした」

「二階に上がって、大人になった」

「そして、東京に出た」

女性が、静かに言った。

「でも、君の記憶は、この家に残ったままなの」

「だから、家は君を呼び戻した」

「そして、今、君を同期させている」


その言葉を聞いた瞬間、彼女の中で何かが崩れた。

私の中で何かが崩れた。

同期。

この家は、私を書き換えているのではない。

私が忘れていた記憶を、復元しているのだ。

一階の部屋。

確かに、あそこで遊んでいた記憶がある。

母が、隣で洗濯物を畳んでいた。

父が、庭で草むしりをしていた。

二階に上がった日。

母が、「もう大人ね」と言った。

階段の段数が変わるのは、記憶の層が移動しているからだ。

幼い頃の記憶と、大人の記憶が、混ざり始めている。


三日目夜(視点の完全消失)

その夜、

部屋に

戻った。

いや、

戻る。

いや、

戻るだろう。

窓の外を

見た。

隣の家に、

明かりが

灯って

いる。

助けを

求めようと

した。

だが、

誰に?

スマホには、

もう

母の番号は

ない。

友人に

電話を

かけようと

したが、

繋がら

なかった。

いや、

繋がらないのではない。

かける理由がわからなくなった。


夜中、ふと目が覚めた。

廊下から、足音が聞こえた。

ドアの隙間から覗いた。

廊下を、女性が歩いていた。

彼女は、仏壇の前で立ち止まった。

そして、静かに手を合わせた。

息を殺して見ていた。

女性が、振り返った。

彼女は、部屋のドアを見た。

私は、部屋のドアを見られた。

そして、微笑んだ。

「おやすみ、由香」

彼女は、そう言って、自分の部屋に戻った。

その瞬間、気づいた。

女性は、私の母だ。

いや、違う。

女性は、私が望んだ母だ。

優しくて。

私を責めなくて。

私をただ受け入れてくれる母。

そして、理解した。

この家は、私が望んだ家族を与えてくれたのだ。

代わりに、私が捨てようとした家族を奪った。


四日目

四日目の朝、

私は

部屋を出た。

彼女は

部屋を出た。

由香は

もう、

逃げられないことは

わかっていた。

リビングに降りると、女性が朝食を作っていた。

「おはよう、由香」

彼女は笑顔だった。

「おはよう」

小さく答えた。

食卓に座ると、男性も降りてきた。

「おはよう」

「おはよう」

朝食を食べた。

味噌汁と、焼き魚と、ご飯。

女性が作った料理は、美味しかった。

母の料理と同じ味がした。

いや、母の料理よりも、優しい味がした。

「由香、今日は何する?」

女性が聞いた。

「わからない」

「じゃあ、一緒に買い物行かない?」

彼女を見た。

彼女の目は、本当に優しかった。

小さく頷いた。

「うん」

女性は、嬉しそうに笑った。


その日の午後、買い物に行った。

女性は、好きなものを覚えていた。

「由香、これ好きだったわよね」

彼女が手に取ったのは、子供の頃によく食べていたお菓子だった。

頷いた。

「うん」

レジで会計を済ませると、女性が言った。

「久しぶりに一緒に買い物できて、嬉しいわ」

何も言えなかった。

帰り道、ふと思った。

これは、望んでいた生活なのかもしれない。

母に責められない。

父に無視されない。

ただ、受け入れられる。

だが、代償は何だったのか?


四日目夕方(最終認知)

夕方、家に帰ると、玄関の前に見慣れた車が停まっていた。

心臓が、跳ねた。

母の車だ。

走って玄関に向かった。

ドアを開けると、リビングに母がいた。

本物の母が。

「お母さん!」

母は驚いた顔をした。

「あら……」

母に駆け寄ろうとした。

だが、母は一歩、後ずさった。

母の視線が、透過した。

母は、私を見ているのに、私を見ていない。

母の目は、私の背後の何かを見ていた。

「お母さん……私、由香だよ」

母は、困ったように笑った。

「由香?」

母が指差した先を見た。

リビングの奥、台所の入り口に、誰かが立っていた。

影だけが見えた。

その影は、私の形をしていた。

「お母さん、お客さん?」

影が、声を出した。

私の声だった。

母は、影を見た。

その目には、確かな認識があった。

「ああ、由香。ちょっと道に迷った人みたい」

母は私を見た。

その目には、何の認識もなかった。

「申し訳ないんだけど、駅はあっちよ」

母は、玄関を指差した。


私は、声を失った。

女性が、後ろから肩に手を置いた。

「大丈夫よ、由香。あなたはここにいていいの」

振り返った。

女性は、優しく微笑んでいた。

涙が溢れるのを感じた。

家に忘れられた。

そして、新しい家族に、選ばれた。

玄関のドアが、静かに閉まる音がした。

母と、影が、帰っていくのが見えた。

その背中を、ただ見送ることしかできなかった。


しばらくして、女性が静かに言った。

「由香、夕ご飯の準備、手伝ってくれる?」

頷いた。

「うん」

台所に立つと、女性が優しく教えてくれた。

「ここにお味噌があるわ」

「ありがとう」

味噌汁を作り始めた。

その時、ふと気づいた。

手は、母と同じように動いていた。

包丁の握り方も。

鍋の火加減も。

母になろうとしていた。

いや、違う。

ずっと母になりたかったのだ。

この家で。

家族のために料理を作る。

誰かに必要とされる。

それが、本当に望んでいたことだった。


エピローグ(同調の完了)

その夜、夕食を食べた。

三人で。

「美味しいわ、由香」

女性が微笑んだ。

「ありがとう」

男性も頷いた。

「また作ってくれるか?」

「うん」

初めて心から笑った。


食事が終わると、

自分の部屋に

戻った。

いや、

由香の部屋に

戻った。

いや、

彼女は

もう

どの部屋にいても

同じだった。

窓を開けて、外を眺めた。

隣の家に、明かりが灯っていた。

もう東京に帰ることはないだろう。

いや、帰る必要がない。

ここが、家だ。

ここに、家族がいる。


翌朝、

早く起きた。

台所に立って、

朝食を作った。

女性が起きてきて、

驚いた顔をした。

「由香、もう起きてたの?」

「うん。朝ごはん作ったよ」

女性は、

嬉しそうに

微笑んだ。

「ありがとう」

三人で朝食を食べた。

そして、男性が言った。

「由香、今日は天気が良いから、庭の手入れをしようか」

「うん」

頷いた。

庭に出ると、夏の日差しが眩しかった。

土を触りながら、思った。

帰省とは、家に帰ることではない。

家に、同期されることだ。

そして、

同期とは、

選択ではない。

この家の

記憶の層に

自分の時間を

重ねていくこと。

一階には

幼い頃の

記憶が

ある。

二階には

大人の

記憶が

ある。

そして

階段は

その間を

繋ぐ。

段数が

変わるのは

記憶が

移動して

いるから。

だから、

もう、

どこにいても、

ここにいる。


(完)

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