非合理な遺伝子
@gagi
非合理な遺伝子
「つまり『青春』なんてものは、だいたい発情してるだけ」
どうして中村先輩とそのような話をしたのか。きっかけは忘れた。
病室から見える木々の葉が、一面に
「いい? 人間なんてのは所詮、
要はただの遺伝子の乗り物ってこと。
ねえ高橋。あんたはどうして青春を、青い春って書くか知ってる?
青というのは未熟と言うこと。そして、春ってのは春画とかの春。
つまりはエロいってことね。
浮気をするアオガラだったり、女装をするガーターヘビだったり、赤ちゃんプレイをするツバメだったり、ヒトの青春もそれと一緒。
世間のティーンエイジャーたちが、ありがたがってはしゃいでいる青春とやらは結局のところ、
遺伝子が行う自己
そんなもの、あたしはちっとも
ベッドの上の先輩は私がカットした兎さんリンゴに視線を落として、そう
「……ツバメって赤ちゃんプレイするんですか。なんか、引きます」
「なんであんたが知らないのよ。あたしが
先輩が
言われれば、先輩から「読め」と言われた生物部の
先輩が青春を羨ましがらないというのは私にとって、意外なことではなかった。
色恋には当然、興味が無いように見えたし。それどころか先輩はそもそも、人間関係というものに対して
部活内でどこか遊びに行こうと話が出ても、「時間の無駄。それなら受験に向けて勉強したほうがいい」と言ってつれない態度をとる。
先輩は一応部長だったから、みんなで出かける話がある度に一応、声はかけた。けれども先輩が私たちの同行したことは
そんな人付き合いの悪い先輩だから、部員の中で今でもお見舞いに来るのは私くらいのものだ。
先輩がリンゴの器に添えていた手を放して、ニット
リンゴの断面は既に酸化して、茶色くくすんでいた。できれば先輩には少しでも何か食べて欲しかったのだけれど。やっぱり食欲はないみたいだ。
そうやってベッドのテーブル上の兎さんリンゴを眺めていると、私はふと違和感を感じた。
違和感の正体。それは机の上があまりにも片付き過ぎていることだった。
いつもなら私がお見舞いに来ると先輩の机には、何かしらのテキストやら過去問やらが置かれていたはずなのだ。
なのに、今日は机の上にそれらがない。
「先輩、今日はお勉強してなかったんですね」
「そうね。だって時間の無駄だもの。あたしは大学なんて行かないし」
――今日はね、絵を描いてみたの。
そう言って先輩はテーブルの下から真新しいスケッチブックをひとつ取り出した。
スケッチブックの一番上のページに描かれていたのは、花咲く桜の樹の線画だった。
「どう? 素人にしては上手でしょ?」
確かに、素人が描いたという前情報があれば、うまく描けているなと感じる絵だった。
所々の線がガタついて、遠近も乱れている部分があるけれど、
「はい。お上手です。けれど、どうして桜の花を?」
今は秋で、桜といえば春なのに。
「本当はね、この窓から見えている桜の紅葉が描きたかったの。だけど、私の画力じゃ桜の木なのか全く見分けがつかなくて。だから半年早めて開花させてやった」
そう言って先輩は、血の気の無い唇を緩めた。
私は先輩の発言によって、窓の向こうにある木々が桜であることを知った。
「高橋、問題よ。桜の葉はどこから紅葉が始まると思う?」
唐突に先輩から質問された。
なんだろう。これも過去に
「……つま先とか、ですか?」
「桜のつま先って、どこ?」
「さあ?」
あんたが言ったんでしょ、と先輩は
「桜の紅葉はね、葉っぱの上の方から染まっていくの。上の方が
「へぇ。知らなかったです」
「あたしも知らなかったわ。勉強はしていたはずなのにね。この病室で横にならなければずっと知らないままだったかもしれない」
ちなみに、桜の花は下の方から咲いていくらしいの。と先輩は言った。
「そうなんですね」
「ええ。春になればここの窓から見えるはず。二人で確かめましょう」
先輩と二人で、桜の開花を確かめることは出来なかった。
彼女の
私は黒いセーラー服を着て、学校からの代表者たちの一人として先輩の葬儀に参列した。
私たちが座らされたのは
先輩の
私と先輩の関係。
前方の席で興味なさげに足をぷらぷらさせている、先輩の
彼らよりも私の方がずっと、先輩のことを知っているのに。
葬儀が終わる頃、灰色の空からは白く小さな雪が、ちらちらと落ち始めていた。
先輩の遺体を乗せた霊柩車が、薄暗い中にブレーキランプを時々光らせて、
それを見送った後、私たち学校の生徒は葬儀場の
白い雪が
けれど私は、火葬場の細長い
冬の冷えた外気は
スカート
すると遠くに見える火葬場の煙突から灰色の煙がすうっと立ち昇った。
それはみるみる内に上へ上へと上がっていき、やがて暗く分厚い雲に
――ああ、先輩が煙になってしまった。
そう思ったところで私はそれを止めることができない。立ち上がることだってできないし、ただただ見ていることしかできない。
煙となった先輩が、次へ次へと灰色の雲に取り込まれていく。
暗く
「…………」
私は己の肩に積もった雪をそっとつまみ、それを口に含んだ。
それはささやかな冷たさだけがあり、舌の上ですぐに溶けて水となった。
私はそれを
この空を
そんなことを考えたのだけれど、雪を食べたところで私の体温がほんの少し奪われただけだった。
『高橋あんたねえ、雪には大気中のごみが混じっているのよ? 汚いからやめなさい』
先輩ならば雪を食べた私にそんなことを言うだろうか。
大きな雪の
それは皮膚の温度で溶けて水滴となり、私の
中村先輩は『青春』というものについて、『迂遠な生殖活動』であり『遺伝子が行う自己複製の一環』であると
そうなのだとしたら、ねえ先輩。
女である私が、女であるあなたに
あなたを思うたびに胸を締め付けられるような、この感情はなんだというの?
あなたの笑顔を見るだけで踊りだすくらい嬉しくなる、あの気持ちはなんだというの?
あなたの
……この問いにはきっと、答えが出ることはない。
私には桜の開花を確かめることができない。
私の青春は先輩の死と共に、冬の曇天の下で
非合理な遺伝子 @gagi
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