君の腕の中で

飯屋クウ

逢瀬


 ・・・・・




 ・・・・・




 ・・・・・・・・・




 深く、暗く、沈んで行く────



 重く、寒く、沈んで征く────



 真っ逆さまに落ちる────



 堕ちて逝く────



 遠のく光────



 掴めない光────



 深い闇────








 ………どれくらい経っただろう?


 時間の感覚も無い。身体の感覚だって無い。ここはどこだ?僕は誰だ?何者だ?全く分からない、思い出せない。名なんて持ち合わせてなかったんじゃないか?そうだ、違いない!だってこんなにも冷たいんだから。





 ………また目覚めてしまった。


 寒くて冷たくて暗くて何も無い世界。ここは闇。上とは違う。一生、僕は這い上がれない。抜け出す気力さえない。僕は無力だ。このまま、この世界に身を任せ消え逝く存在なんだろう。少なくとも、僕はそう思う。






 ………ん、何だ、この音は?


 眠れやしないと思ってたら、遠くの方で音がする。カンカンカンッて何だ?祭りか?うるさいし、頭に響く。鳴り止まない、騒音だ。いっそ文句でも言うべきか?でも、何故だろう?何かを忘れている気がする。






 ………果てしない。


 あれからずっと鳴り響いてる。もう慣れた、慣れてしまった。音は上からやって来ている。光の方向。そこに何かあるのか?僕のこの、燻る思いに反応する何かが。届くだろうか?今から、あそこまで行けるだろうか───いや行くしかない。這って、藻掻いて、行ってみよう。きっとそこに、僕の確かめたい何かがあるはず。





 やっと、辿り着いた。光の世界。


 海の中から、海上に浮かび上がるくらいに道は険しかった。


 空気という概念なんて無かったはずなのに、急に息が苦しくなった。


 試練なのかもしれない。


 水面に立ち、足が着くから、余計にそう感じ取っただけかもしれない。



「ここは、どこ………?」



 いつの間にか、カンカン音は鳴り響いてない。


 この場所は澄んでいる。


 とても穏やかだ。


 何も無い。


 下と変わりない世界。


 それでいて、心地いい。


 でも、それだと意味が無い。


 這い上がった意味が。


 だから、僕は水平線まで歩くことにした。







 歩いた。


 ずっと歩いた。


 歩みは止めなかった。


 空腹もなければ、疲れもない。


 だから、只々歩いた。


 裸足で、水の上を。





 どれくらい経ったのか、終点は見えない。


 そもそも、終着点はあるのか?


 本当に僕は歩いているのか?


 最初の場所から微動だにしていないんじゃないのか?


 十分に有り得る。


 劇的な変化が無いんだ。


 もしくはまた試練を受けてるのかもしれない。


 だからか、ふと僕は上を見上げていた。





 目を引く物体は、巨大な門。


 これだけの大きさなら、陰になっていておかしくないのに全く気が付かなかった。


 あれは何だ?


 幻か?


 何で、こちら側に向いてるんだ?


 まるで、扉の先にまだ何かあるみたいだ。



「どう……すれば……?」



 手の届く高さじゃない。


 当たり前にジャンプしても意味がない。


 試練を超えて拷問だ。


 こんなの無理だ。


 あそこに行ける手段が無い。


 せめて、梯子でもあれば………ん、あれは?




「木材と鉄……?」




 地平線に、ポツンと何かがあった。


 さっきまで無かったのにだ。


 梯子とは違うが、組み合わせて使えば梯子のように使える。


 問題は、上に伸ばせるかだ。


 思いのほか、重力に逆らって、それは真っ直ぐに伸びた。



「よし、届いた!」



 あとは、開けるだけ。


 期待に胸膨らませ僕は、巨大門を開けた。


 辿り着いた先は空、雲の上。


 雲がある以外は何も無い。


 下と遜色無い世界。


 違うのは、空間から人外の存在が現れたことくらい。



「狐……?」

「キミには、そう視えるのかい?」


「あなたは?」

「知る必要はない、■■■君。キミは、まだ道半ばだ」



 道半ばって何だ?


 どういう意味?


 ノイズが酷い。


 あの狐人、僕の名前を言ったよね?



「この、世界は……?」

「いずれ、解るだろう。私の役目も、今は無い。また会うとしよう」



 『待って』と言える暇もなく消えてしまった。


 あの人はどこに────いや、今はいい。


 道半ばなら、歩くしかない。


 前に進むしかない。


 そうやって這い上がってきたんだ。


 僕が僕を知るには、上を目指すしかない。



「───と思ったけど、今度は門なんて無いみたいだ。また歩いてたら出てくるかな?」



 答えてくれる人がいないことは知っている。


 だから、僕は歩くんだ。







 暫く歩いて、またカンカン音が鳴り響いていると気付いた。



 段々と近付いている。


 武者震いがする。


 闇の中では感じなかった恐怖心に近い何か。


 このまま進んでいいのだろうか、そんな気さえする。



「熱い、いや寒いのか?」



 よく分からない。


 感覚が、感情が、昂っているような、落ち着いているような、安定していない。



 カンカン音は絶えず響く。



 ふと、声が聴こえたような気がした。



 名を呼んでいるような気がした。



 自分の名前かどうかは分からない。



 でも、きっと、自分。



 ここには、僕しかいないんだから。



「あなたは……?」

「私は■■■、貴方は■■■君でしょう」



 また、名前だけ聴こえない。


 声の主はの姿している。

 

 女性なのは間違いない。


 でも人型じゃないから、どんな人か分からない。


 僕のことを知っているのだけは確かだ。



「ここは、どういう世界なの?」

「教えられない。貴方が気付いてくれないと、意味が無いの、ごめんなさい」


「謝らなくていいよ。あなたは、どんな人?何で僕の名前を知っているの?」

「私は貴方の**だから、でも聴こえないでしょう?貴方が思い出してくれないといけないの」


「そうは言ってもねぇ、何かヒントはない?」

「ピンクの花、春に咲く、思い出の場所……」





 聞いた瞬間、一気に汗が噴き出した。


 熱波と寒波が押し寄せた。


 記憶が波嵐のように流れ込み、溺れさせようとしてくる。


 何だ?


 これは?


 僕の記憶?


 笑い、悲しみ、泣き、また笑い合う、



「さく、ら………?」

「そう、私は優樹桜、貴方の彼女、やっと思い出してくれたのね」



「僕は、久遠城」

「うん、城君。その調子だよ」



「何で僕はここにいる?」

「…………」



「何で桜はそんななの?」

「…………」



「最後に会ったのは………」



 そうだ!!


 僕は、僕達は歩いてた。


 学校の帰り、いつもの道を。


 一緒に、いつもの様に。


 それで、確か、桜が────





「踏み切りに入ったんだ」

「そう、だね」


「でも何で……?」

「覚えているでしょう?」





 ああ、そうだ。


 僕達の前に年老いたお婆さんがいたんだ。


 遮断に気付かずに歩いてて、急に鳴り出した踏切音に驚いて腰を抜かして、動けずにいた。


 誰もが見ているだけの中で、桜が助けに行ったんだった。


 僕は直ぐには動けなかった。


 足が震えてた。


 でも踏切音は止まらなくて─────



「電車も来てて………」

「そうだよ」


「僕も無我夢中で助けに行ったんだ」

「そう」



 その後、どうなった?


 記憶が無い。


 欠けてる。


 ずっと鳴る踏切音と何か関係が?




「さっ───」

「ごめんなさい」


「───くら?」

「私の所為で、城君を───ごめんなさい!!」




 どういう……?


 助かったんじゃないの?


 お婆さんも桜も僕も、九死に一生を得たんじゃないの?




「───漸くか」




 現れたのは狐人、さっきとは違い大鎌を持っている。




「これが気になるかね?あくまでも演出だ。キミに分かりやすく伝えるためのな」

「まさか、死神とか……?」




 狐人は、大いに微笑んでいた。




「悪くない答えだ。これで、キミがとうに死んでいるのは理解できたろう。いや、死の淵に存在するが、正解かもしれないな」




 そんな!


 有り得ない!!


 だって僕らは、桜は、人を助けるって善い行いをしたんだ!!


 死神に命刈られるわけないじゃないか!!





「善悪の問題ではない。先程も言ったろう?これは演出だと。それに善人とて、死神に刈られることくらいはあるさ。それと言わなくても理解してると思うが、キミの考えてることは伝わってくる。変な事は考えない方が良い。何も、出来やしないがね」



「死神ではない?」

「その通り。死神ならば、この世界には来ないからな」



「なら、これは何の世界?」

「キミの精神世界だ」




 僕の、精神………?


 暗い海も、澄み切った空間も、この空も?


 全て空想で、偶像で、偽物だっていうのか?



「そうだとも、現実世界ではない」

「なら何故、桜がいるんだ?オカシイだろ!ここは、僕の精神世界なんだろ!!まさか、桜まで死んだとか言わないよな!?」




 狐人の、その細目が更に細くなるのを実感した。




 有り得ない、そんな事ある筈がない。


 仮に、避けられない事故だったとしても、僕は救ったはずだ。


 彼女を、桜を。


 この手で掴んだんだ。


 記憶だって、朧げにある。


 狐人、あなたは嘘つきだ。


 僕を試しているんだ、そうに違いない!!




「朧げならば、気付いているのではないか?それとも、目を逸らすつもりか?」





 言葉が重い。


 嫌だ、思い出したくない。


 鮮明に映さないでくれ。


 頼む、お願いだ。


 やめてくれ。






 瞬間、世界が揺らいだ。


 情景が赤黒く変わる。


 踏切音に悲鳴が混じり、横たわっている僕の隣で、桜が腕を回している。


 僕は目を閉じている。


 五体は満足だけど、足が変な方向に折れ曲がってる。


 桜は、もっと酷い。


 助けたはずなのに、僕より酷い。


 片足が無い。


 息があるようだけど、目は虚ろだ。


 今直ぐに、命尽きそうだ。


 きっと、お婆さんを助けたからだ。


 だって、そのお婆さんが涙流しながら遮断機の向こう側にいるのが見えるから。




「桜ごめん、僕じゃ助けられなかったみたいだ」

「違うの、私が行かなければよかったの」


「それは違うよ。桜が行かなかったら、あのお婆さんは助けられなかった」

「でも!」


「いいんだ、僕は知ってる、桜の優しさを。内向的な僕を、イジメられている僕を、見つけ救ってくれた」

「城君……」


「今だってそうだ。冷たい暗闇の中に光が見えて、温かく感じる声の方に向かったら桜に会えた。僕をまた見つけてくれた」

「うん、探した。声がしないから、会いたいから、もっと話したいって思ったから、ここまで来たの」




 ああ、なんて素敵な人なんだ。


 僕には勿体ないくらいの愛しい人。


 本当に今も、桜の腕の中にいるみたいだ。


 温かくて心地いい。


 僕にとっての太陽。





「余韻は十分に浸れたかな?」

「ええ。あなたは神様ですか?」


「いいや、違う。私は単なる〈おくり人〉だ。もしくは〈界渡し〉や〈引渡人〉かもしれん。人によって捉え方、受け方は違う」

「僕にとっては………?」


「別に私はじゃない」

「へ?」




 ということは、つまり?




「私は、優樹桜の〈遣り人〉だ。さっきも言ったが、キミはとうに死んでいる。死者の声を拾うのは、私の力をもってしても叶わん。神ではないのでな」

「では何故?」


「質問が多い男は嫌われるぞ」

「今そういう話じゃ───」




 僕の手は振り払われた。


 全てには答えてくれないみたいだ。




 狐人が振り向く先、陽が差し込む。



「もう少しで夜明けだ。概念的な意味のな」



 時間が残り少ないのを何となく悟った。



「私の役目は終わりを告げる───が、良いモノを観せてもらった。これは礼だ」




 大鎌から放たれた光は、精神概念だけの光球を包んだ。



 光消え、僕の知る桜が、そこに居た。



「本来、他人の精神に人間は入り込めない。優樹桜の強い想いが、私という存在を顕現させ、消え逝くキミの精神と引き合わせるに成功した。超常現象とでも好きなように言いたまえ」




 こんな嬉しいことはない。


 桜が、僕のことをこんなにも想ってくれてたなんて。


 彼女だからとか関係ない。


 素直に嬉しい。




「引き合わせた時点で役目は終了したのだ。そのまま、のは簡単だった。何故、そうしなかったかは想像に任せる。まぁ、単純に老いたのかもしれないな」




 狐人………遣り人にも感謝しないといけない。


 僕と桜を引き合わせてくれた礼を。




「それはいい。もう、言葉すら喋れないだろうしな」




 確か、に。


 さっきまでの感覚が………。




「若人の最後を邪魔する気はない。優樹桜のという想い、無駄にしないように────もう、私が言う必要もなかったようだ」




 はい、もう大丈夫です。


 僕は、もう怖くない。


 寒くない。


 熱くない。


 一人じゃない。


 自分を思い出した。


 最愛の人を見つけられた。


 最愛の人に見つけてもらえた。


 最愛の人を引き合わせてくれた。


 あなたに敬意を。


 桜に感謝を。


 この温もりも、ずっと忘れない。


 絶対に覚えておく。


 死後の世界も必ず。


 だって僕は好きな人と一緒に居られるから。


 もう離さないし、離れない。


 約束する。


 僕の大事な人、優樹桜。


 キミと出会えた奇跡が僕の幸せです。


 ありがとう。















                  〜終わり〜

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