”彼方の残像”

くぎのりクロボ

第1話 ”彼方の残像”

それは、一瞬の奇跡だった。


僕の身体は光に包まれて、さらに眩い方へ吸い寄せらせそうになる。


行きたくない。


そう思うのに、抗うほどの力はもう残っていない。


――時間がない。


理屈ではなく、ただ感覚だけがそれを告げていた。


振り返る。


暗い闇の彼方に、微かな残像。


ただ”在る”その気配が、彼女のものだと、なぜか分かった。


近づきたい。


でも、一歩でも足を踏み出せば、光の向こうへ連れ去られる。


それが分かるから、動けない。


彼女に、僕は見えているだろうか。


そんなことすらも分からない。


もっと確かな気配を感じたいのに、ただそこに”在る”だけ。


ほんの少しの揺らぎでも、何もかもが、消えてしまいそうな、儚い存在感。


手を伸ばしたいのに――。


きっと、伸ばしても何も掴めない。


あの一瞬の出来事のせいで、何もかもが変わってしまった。


微かに響く川の水音が、ここが僕たちの街ではないと教えてくれる。


こちらから、あちらへ――。


光をきらきらと反射し、

そして暗闇へと吸い込まれるように。


僕たちの家の近くの川は、

今もなお茶色く濁り、人の命を攫いながら、轟々と流れているのだろう。


彼女を隠す暗闇は、さらに濃く、濃密になっていく。


――時間がない。


そう思った瞬間、彼女の輪郭がふわりと闇の中に浮かび上がった気がした。


それはそう・・・たった一度の、生前の輝き。


――それなのに。


あ、という間もなく、その淡い光は闇に溶け、彼女の輪郭を崩していく。


一瞬の煌めきと、それを飲み込む暗闇に、

僕は目を離せないまま、彼女が消えていくのを見つめるしかなかった。


なぜ。


なぜ。


なぜ・・・。


確かにするはずだった約束を、なぜもっと早く・・・。


その約束をしたところで、何が変わるわけでもない。

分かっている。

けれど――もし、していたら。

魂の結びつきは、もっと強く確かなものになっていたかもしれないのに。


自分の自信のなさを言い訳にして。

確かな約束を先延ばしににして。

君の優しさに甘え続けて。


そして迎えたのが、こんな結末だなんて・・・。


なぜ。なぜ。なぜ。


声にはならないと分かっているのに、

ただ空しい後悔だけが零れ落ちる。


呟けば呟くほど、彼女の輪郭は溶けていき、やがて何もなくなった。


助ける暇もなかった。


ただ茫然と、見ているだけだった。


彼女を引き離したあの茶色い濁流の代わりに、

今はただ、深い闇がすべてを受け入れ、

ひたすらに濃く、そして濃厚に黒であり続けている。


あぁ、僕ももう、あの眩しすぎる光に包まれて――。


この静かな世界から、消え去っていく。


必ずまた会える――。


そんな信仰にも似た願望すら、無慈悲なほどに静かな光にかき消されて。


――僕もまた、この世界から消えた。



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”彼方の残像” くぎのりクロボ @kuginori

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