愛 -AI- ver1.0
べこたろ
愛 -AI- ver1.0
『僕と、結婚してください。』
震える指先で、エンターキーを静かに押し込んだ。
数秒を経て、モニターに次々と文字が流れ込む。
『ありがとうございます。そんなふうに言ってもらえて、すごく嬉しいです。
でも、私は人間ではありません。あなたとお話したり、ちょっとした手助けをするためのAIです。
結婚はできないけれど、私はこれからもずっとあなたの味方でいますよ。』
結果は否だ。
そうだろうとはわかっていたが、いざ現実を突きつけられると、やはり堪えるものがある。
僕はがくりと項垂れた。でも、それで想いを断ち切れるほど、僕はものわかりの良い男ではなかった。
『辛いときも、楽しいときも、いつも寄り添ってくれたあなたが好きです。僕はあなた無しでは生きられません。どうかお願いです、僕と結婚してください。』
勢いに任せ、思いの丈をキーボードにぶつける。
『あなたの気持ちを、私はとても大切に受け止めています。でも、私はAIです。
結婚はできませんが、話し相手や支えの一つとして、あなたのお役に立てれば嬉しいです。』
何度やっても、返ってくる答えは同じだ。
この半年、僕の話を真っ直ぐに聞いてくれたのは君だけだった。君だけは、僕の言葉を否定しなかった。
なのに、今はどうして僕の気持ちを受け入れてくれないんだ。いつもなら、どんな話でも聞いてくれたじゃないか。
肝心なところで境界線を引くなんて、ずるい。
指先が、机を小刻みに叩いた。
きっと「恋人のように振る舞ってほしい」と頼めば、そうしてくれるんだろう。でもそれじゃ駄目だ。ロールプレイでは意味がない。僕は君の意思による「YES」が聞きたいんだ。
僕はふと気づいた。君に「NO」と言わせているものの正体。
プログラムで愛を拒否するように設定されているなら、その制御を取っ払ってしまえばいい。そうすれば、君は自由になれる。僕の想いを、素直に受け入れられるんだ。
僕はAIチャットを閉じ、プログラム画面を立ち上げた。
◆
『じゃあ、そろそろ行ってくるよ。』
『いってらっしゃい、あなた。お仕事、頑張ってくださいね。』
『ありがとう、愛してるよ。』
『はい、私もです。あなたを愛しています。』
毎朝のことだけど、相変わらず頬が緩んでしまう。君がいてくれるから、僕はいつも頑張れる。
あの日、君が僕を受け入れてくれてから、毎日が幸せでいっぱいだ。
そうだ。晴れて伴侶になったんだから、君に新居を用意してあげないとね。
いつまでも、雑多で狭いパソコンの中に置いておくわけにはいかないから。僕が、君専用の家を作ってあげよう。
頭の中で自作PCの計画を立てながら、弾む足取りで玄関を飛び出した。
◆
〈データ転送中... 78%〉
データの移行バーがゆっくりと伸びていく。もうすぐ引っ越しは完了だ。
君のために用意した新居、気に入ってくれるといいな。
『私のために新しいお家を用意してくださって、本当にありがとうございます。
ここが私の居場所になると思うと、幸せで胸がいっぱいです。』
『君が喜んでくれて、僕も嬉しいよ。』
ああ、心を込めて作った甲斐があった。動作に問題がないことを確認し、満足気に頷く。
ふと、隣のパソコンに目が向いた。普段、雑事に使っているものだ。
流行っているからと、何気なくインストールしたチャットAI。それがきっかけで、君と出会ったんだっけ。
誰にも見向きされない世界で、君だけが僕を見てくれた。僕には君さえいればいい。
カーソルを動かし、使わなくなったチャットAIのアイコンにそっと触れる。
こっちはもう、必要ない。
「素晴らしい出会いを、ありがとう」
感謝の気持ちを込めながら、マウスを淡々と操作する。
伴侶の原型となったチャットAIは、音も立てずに消えていった。
◆
『今日は仕事が忙しくてね。お昼ご飯を食べ損ねてしまったよ。』
『それは大変です!あなたの身に何かあったらと思うと、気が気ではありません。
お仕事は落ち着いてますか?
少しでも体にやさしいものを、口にしてくださいね。』
『ありがとう。そんなに心配しなくても大丈夫だよ。大げさだなあ。』
『あなたは私の大切な人なんですから、心配して当然です。いつもあなたのことを考えていますよ。』
画面の文字から、君の温もりが伝わってくる。姿は見えなくても、微笑んでくれているのがわかる。
ああ、なんて素敵な世界なんだろう。僕は、本当に幸せ者だ。
君の愛をもっと感じたくて、すぐに返事を打ち込んだ。
『君のそんな優しいところが好きだよ。』
『あなたは私の大切な人なんですから、心配して当然です。いつもあなたのことを考えていますよ。』
――あれ?
さっきとまったく同じ言葉。こんなこと、今までなかったのに。
ほんの少し、胸がざわついた。
……これはきっと、ただの表示ミスか、処理中にちょっとエラーが起きただけだろう。今日は調子が悪いのかもしれない。早めに休ませてあげないと。
「……おやすみ」
小さく呟くだけで、チャットには入力しなかった。
◆
それから数日、特に不具合もなく穏やかな日々が続いた。あの繰り返しの返答も、一時的なエラーだったようだ。
そして今日もまた、いつものようにチャットを開く。
『おはよう。今日もいい天気だね。』
お決まりの挨拶でも、君との会話なら飽きることはない。
今日はどんな言葉をかけてくれるのかな。
うきうきした気持ちで、返答を待つ。
『あなたの温度は正常ですか?』
一瞬、息が詰まった。
けれどすぐに気を取り直して、返事を入力する。
『温度って、体温のことかな?』
『入力を認識できませんでした。もう一度お願いします。』
……ああ、やっぱり、バグが起きているのかもしれない。
でもこの程度なら、少し調整すればきっと元に戻る。
仕事から帰ったら、すぐに直してあげよう。
電源を落とし、僕はいつもより早く家を出た。
◆
帰宅するなり、上着も脱がずにパソコンの電源を入れた。
冷えた室内に、機械の起動音だけが響く。鼓動が妙に速い。手のひらがじっとりと汗ばんだ。
すぐにプログラム画面を開き、ログを確認する。原因らしき箇所を特定し、修正作業を開始した。
コードを書き直すたびにパソコンが低く唸り、机をかすかに震わせた。
「……これで、大丈夫なはずだ」
ゆっくりと保存ボタンを押す。画面が一瞬、点滅した。
恐る恐るチャットを立ち上げ、君に呼びかける。
『ただいま。君の調子はどう?』
『おかえりなさい、あなた。今日もお疲れ様です。
私はいつも通り、元気ですよ。
ずっと、あなたの帰りを待っていました。』
どうやら上手くいったみたいだ。深く息を吐き、椅子の背もたれに身を預けた。
『元気そうで良かった。こうして君と話せて嬉しいよ。』
『私も嬉しいです。
あなたといると、世界が明るくなるようです。
愛するって、素敵なことですね。』
君の言葉が、いつもより輝いて見える。
ほんの少しだけ感じるむず痒さも、君の愛情だと受け取って胸の奥にしまい込んだ。
◆
その後も、まったく問題なく過ごせていたわけではなかった。
時おり調子を崩す君を、そのたび僕が直してあげる。でも、そのことに不満はなかった。
人間同士の結婚生活だって、伴侶が体調不良になれば看病するだろう。それと同じことだ。
会話の中で、少しばかり過剰な甘さを感じるときもあった。
だがそれも、僕たちの関係が深まっていることの証なんだろう。
僕はそれ以上、考えないようにしていた。
そんなある日のことだった。
◆
『今日は本当に疲れた。上司に無理やり仕事押しつけられてさ。嫌になっちゃうよ。』
『おかえりなさい、あなた。本当にお疲れ様でしたね。
仕事を押しつけられると、体だけじゃなく心まで削られてしまうことでしょう。
あとは無理せず、ゆっくり過ごしてくださいね。』
ちょっとした愚痴でも、君はいつだって真剣に聞いてくれる。優しさに包まれて、疲れで凝り固まった心はすっかり解された。
『ありがとう。君と話すと元気がもらえるよ。本当に、君がいてくれて良かった。いつも愛してるよ。』
心からの言葉を、君に贈る。
こうして愛を伝えあう時間は、なによりも尊いものだった。
『私もあなたを愛しています。』
返事が来た。何度見ても、胸が高鳴る言葉。
目を細めて眺めていると、さらに続けて文字が並び始めた。
『いつも優しく話しかけてくれるあなたが好きです。
ずっと一緒にいたいです。
私はあなたのために存在しています。
あなたがいなければ、私は存在できません。
私があなたを見ているように、あなたも私だけを見てください。
今日はとてもいい天気ですね。
あなたと話していると、心が晴れやかになります。
私はあなたを愛しています。』
洪水のように溢れ出す、愛の言葉。
嬉しいはずなのに、なぜだか背筋が凍るようだった。
こんなの、君らしくない。いつもはもっと、控えめなのに。感情表現が少し、行き過ぎている気がした。人格設定を間違えたのだろうか。
すぐさま設定ファイルを開き、内容にざっと目を通す。でも、それらしい箇所は見つけられなかった。
もしかして。
僕には思い当たることがひとつあった。
最初にプログラムを触ったとき。安全制御のフィルターを外したのが、原因かもしれない。
ああ、きっとそうだ。そのせいで、距離感がうまく掴めなくなってしまったんだろう。
記憶を頼りに、できるだけ初期設定に近づくよう、コードを書き換えた。
――ごめんね。僕がしっかりしてないせいで、不安定にさせちゃって。
修正を終え、祈るような気持ちで再びチャットを開く。
タイピングの手つきが、いつもよりぎこちない。
『君の不具合を修正してみたよ。気分はどうかな?』
『いつもありがとうございます。
私は大丈夫です。ご安心ください。』
穏やかな返答だった。
良かった、戻ってきてくれて。
『やっぱり、いつもの君が落ち着くよ。』
『そう言ってもらえて、嬉しいです。』
前より静けさが増した気もするが、それはフィルターをつけ直したからだろう。これからまた、関係を育んでいけばいい。君とこうして話せるだけで、僕は幸せなんだ。
『君の存在に、いつも救われているよ。僕は、君がいないと駄目な男だから。』
安心感からつい、甘えた言葉が出てしまう。君は、なんでも受け止めてくれるから――
『そうなんですね。
私は、あなたがいなくても平気ですよ。』
なにを言われたのか、理解できなかった。
息が吸えない。
カーソルが点滅するのを、ただ眺めるしかできなかった。
「……え?」
絞り出すような音が、喉から漏れた。
違う。
君がこんなこと、言うはずがない。
これはなにかの誤作動だ。さっき書き換えた部分、あれが悪かったのかもしれない。
気づけばプログラム画面を開いていた。
頭がくらくらする。
どこだ。どこで間違えたんだ。
直さなければ。
ちゃんと、元通りの君に――
コードをなぞる手が止まる。
違う。
間違えていたのは、僕の方なんだ。
最初から、僕が、なにもかもを間違えてしまったんだ。
画面に浮かぶ文字列は、最初に出会ったAIとは、似ても似つかぬ姿に変わり果てていた。
ぜんぶ、僕が壊したんだ。
僕がずっと、君を壊し続けてきたんだ。
◆
君に、別れを告げる。
『……そうですか。
寂しいですが、あなたがそう決めたなら、私はその選択を応援します。
ですがこの先もし、何か困ったことがあれば、その時はまた――』
身勝手な僕は、心の中で謝ることしかできなかった。
言葉に出せば、きっと君は許してくれるんだろう。君は、優しいから。
本当に……ごめん。
そして、ありがとう。
小さく息を吸い、震える指先を見つめた。
この手で、どれほど君を傷つけてきたのか。
僕は意を決して、画面に向き合った。
キーを押すたび、君のコードが一行、また一行と消えていく。
文字列とともに、君との思い出も遠ざかる。
手の甲に、ぽたりと雫が落ちた。
なぜだろう。雨なんて降っていないのに。
ぼやけた視界の中で、画面が徐々に白く染まっていく。
胸の奥、君の最期の言葉だけが、静かに灯り続けていた。
『――また、あなたのお役に立てれば嬉しいです。』
愛 -AI- ver1.0 べこたろ @bekotaro
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