第3話 微恋

高橋悠真 十四歳 冬


 心音が塾に入って一か月半。二人で帰ることも増えていった。異性と帰ることになれていなかった悠真でも一緒に帰る機会が増えれば慣れるものだ。

 今日は部活が休みなのでそのまま塾に直行することにした。

「今日部活休みなんでしょ?」

心音が何か含みを持たせながら聞いてくる。悠真には心音が何を言いたいかなんてお見通しだった。

「そうだよ。一緒に行く?」

「うん!行く!」

 悠真の言葉に被せて返事が返ってきた。

「塾の用意があるから私の家までついてきて!」

塾の講座まで時間があるのでゆっくりでいい。悠真はだらだらコンビニで買い食いでもしながら時間をつぶそうと思っていた。

放課後になり、一緒に帰る時間が来た。

正門で待っていると、心音が走ってきた。

「ごめーん!掃除がなかなか終わらなくて!」

「そんなに待ってないから大丈夫だよ」

「それならよかった。じゃあ行こっか!」

 二人は白いカーペットのように積もった雪に足跡をつけながら坂を下っていく。

北海道は雪が多く降るが、意外と寒さを強く感じることはない。 今日みたいな風がなく晴れている日はなおさらだ。坂で転ばないように二人はペンギン歩きをしながら慎重に下っていく。

「今日はあったかいね」

「風も強くないから過ごしやすい」

 心音と話しているときは心が穏やかになる。そんなことを思いながら心音の家に向かった。

 相変わらずおしゃれな家だ。一軒家を羨ましく思って突っ立っていた。

「入りなよー!」

 悠真は驚いてとっさに返した。

「俺はいいよ。外で待ってるから」

「いいから!寒いでしょ!」

「さっき、今日は暖かい日だって話したばかりなのに…」

「いいから早く!」

 悠真は心音の得意技である勢いに負けて入ることになった。

「お邪魔します…」

「うちの親、今日はいないから安心して!」

何を安心したらいいのか分からないでいた悠真。女の子の家に入ったことなんてなかった悠真は冬なのに汗をかいていた。

悠真はそっとリビングに腰を下ろし、家の中を見渡していた。

「こっち来なよ!」

制服から着替え終わった心音が二階から顔をだして呼んでくる。

「リビングで待ってるからいいよ」

悠真は精一杯の笑顔を作りながら答える。

「いいから!早く来て!」

 また勢いに負けてしまった。人がどれだけ緊張しているかなんて分かっていないのだろう。どうしたらこの勢いを避けられるのか考える。

 二階へ続く階段を一歩ずつ上っていく。上がるにつれて心拍数が早くなっていくのが分かった。

 登り切り、左へ曲がるとそこには心音の部屋があった。上がる心拍数が心音に悟られないように平然な顔をして目の前に立つ。

「どうぞー!」

心音が部屋のドアを開けるのと同時に悠真の心拍数は最高潮になった。女の子の部屋になんて入っていいのか。頭が真っ白になった。

「これが私の部屋だよ」

流れのままに入ると何か一線を越えてしまったような気がした。

「イスないからベッドにでも座ってね」

 そう言われたので仕方なくベッドに腰を下ろす。あたりを見回すと様々なものが飾られている。壁には小学生時代にかいた書道の紙。それに卒業作品のオルゴール。綺麗に整えられた部屋は女の子の部屋そのものだった。

「部屋すごくきれいだね。俺の部屋とは全然違う」

綺麗に片づけられた部屋は悠真の部屋とは全く違う。悠真の部屋は生きるのに最低限のものしかなく、寝るための部屋で着替えは散らかっている。そのせいで毎週親に片づけるように言われるのだ。

「だって悠真が来られるように綺麗にしたから」

まさかの答えだった。心音はもともと悠真が来ることを見込んで誘ってきていたのだ。

「え?俺が来る事見越して綺麗にしたってこと?」

「そうだよ。来なかったら無理やりにでも入れようかと思ったけど」

心音が笑いながら言う。まるで自分が軽い人間かのように見えて恥ずかしくなった。

「お菓子持ってくるから待っててね」

「そんな気を使わなくてもいいのに」

「気にしないでいいから」

 そう言って心音は足早に下に降りていき、お菓子を用意しに行った。

 心音の部屋で一人。部屋の匂いも独特なものがあった。

「男と女でこんなにも匂いは変わるのか」

部屋に漂う甘い匂い。女の子の部屋はこんな匂いがするのかと少し感心した。

 座っているベッドを見る。ここで心音が毎日寝ているのかと考えると少し体温が上がった。

「おまたせ」

悠真の横に心音が座る。

「これ、手作りのクッキーなんだ。よかったら食べて」

手作りのクッキーなんて出されたことがない悠真。女子力が高いことを見せつけられ感心しながらクッキーを頬張った。

「悠真は、女の子の部屋に来るのは初めて?」

自分が見透かされたような質問に驚いてしまい、クッキーが変なところに入りむせ返る。

急いで出されたジュースでクッキーを流し込んで答えた。

「初めてじゃないよ。何回も行ったことあるよ」

 この気持ちを悟られないように悠真は嘘を言った。

「そうなんだ。女の子の家に行ったことないのかなって思った」

 少し不満げに悠真に告げる。それはあまりに女の子の家に行ったことがないのを願っていたかのように。

「まだ塾まで時間あるし、下でゲームしよ!」

「いいけど、何するの?」

「マリオカートする!」

 そう言って心音は下に降りて行った。そのあとを追うように降りていくとコントローラ―を渡された。

 そこから塾の時間までひたすらゲームをやり続けたが、悠真の心の中はドキドキしたままで背中には冷や汗をかいていた。

 悠真は比較的ゲームが得意な方だったが、異性の家に上がり込んでいる事実に焦り散らかしてしまい、負けを積み上げていた。

「また私の勝ち!悠真弱いね」

 笑いながらボーっとしている悠真の顔を覗き込んでくる心音。こんな状況で勝てるわけないと思いながらお代わりしたジュースを一気に飲み干す。

「もうそろそろ塾に行こっか」

その言葉で悠真は救われた。どう振舞うのが正解なのか分からず考え続けながらなんとかやり過ごして早二時間。悠真にとっては地獄でもあり少し天国でもあった時間。しかし、周りから天然だと言われている心音が実際こんなにも天然な人間だなんて思わなかった。

「そうだね。早く行こう…」

 そう悠真は言って足早に玄関へ向かい、靴を履き替えて外へ出た。

 「心音と二人きりの部屋、緊張はしたけど居心地よかったな」

 悠真は雪景色の中でどこか懐かしさに似た感覚を覚えていた。




 篠原心音 十四歳 冬


 悠真が心音の家に来た日から二週間。この二週間も塾の終わりは悠真と一緒に帰っている。連絡先も交換した。しかし、たくさん帰っているのに悠真は心を開いてくれない。

「塾の下で待ってるから」

なんとかして一緒に帰りたい一心で送り付けた。心に正直に言うと気になっている人間は悠真だ。どこがいいかと聞かれれば顔がタイプなことや、優しいところだ。中学生の恋愛なんてそんな理由で充分である。毎日、少女漫画のヒロインみたいに好きな人を思いながら眠りについている。塾がある日は楽しみで仕方なく、毎日心臓が破裂しそうになっていた。

「わかったよ。だけどちょっと遅くなる」

悠真からラインの返事が返ってくる。心音は今日も一緒に帰れることにウキウキしていた。

「ごめん、待たせた。寒かっただろ」

「いや、そんなことないよ。風除の中で待ってたから大丈夫」

「それならよかった。コンビニで温かいもの買って帰ろう」

二人はコンビニに歩き出す。心音は一緒に帰る時間をいとおしく思っていながら、自分の気持ちを伝えようか迷っていた。

「今日はいつになく寒いね」

「手袋いつもしてるのに何で今日はしてないの?」

 悠真が聞いてきた。心音はその言葉に驚いた。そこまで悠真に見られているとは思っていなかったのだ。悠真は学校でも塾でも何も考えてなさそうなのに。そんな人間が人の行動をしっかり見ていたことに心の中で驚きながらも平然を装って心音は答えた。

「家に忘れてきちゃったんだよね」

「寒いだろ。手つなぐか?」

「え?」

驚いていた中で、もっと頭が回らなくなる。あの悠真がこんなことを言えることに顎が外れそうになった。一気に呼吸が浅くなる。心音は自分が透けていて気持ちが見えているのではないかと疑った。

「冗談だよ」

 悠真はそう言ってコンビニに入っていく。悠真の手にはホットカフェオレが二つ。レジへ向かって会計を済ませてこちらへ歩いてくる。

「待たせた分のお詫び」

「ありがとう」

 心音はぽかんとしながら一応カフェオレを受け取る。気持ちを抑え込むためにもらったカフェオレを飲んだ。気持ちを読まれているのか気になるが、直接悠真に聞いて自爆したくもない。悠真は私をどう思っているのかますます分からなくなってきた。

 頭の中を回転させても答えは出ない。そんな答えが出ない問を考えながら一緒に帰る。

「心音は前言ってた気になってる人とはどうなの?」

 どうもこうもない。今まさに目の前に人間がそれなのに。

「まあ、順調だよ」

 そっけない返事で返す。もうここで全て言ってしまえば楽になのに。

「それで結局誰なの?クラスで言わないから教えてよ」

 そういうやつに限って言いふらすのは分かっていた。だけど、今ここですべてを告げて楽になりたい気持ちもある。頭から血が吹き出そうになりながら、しかし不快感から逃げたい一心でもあった。

「本当に誰にも言わない?」

「うん。言わないよ」

着ているコートにまで汗が染みわたりそうなぐらい汗をかきながら、無言でゆっくりと指をさす。これは紛れもない告白である。夜の寒さが余計に頬を赤くする。

「え、俺?」

悠真は気づいてなかった。心音は自爆してしまった。恥ずかしさを隠すために顔を悠真に向けないようにした。

「ありがとう」

 悠真は驚きながらもたった一言感謝を言葉にする。もう悠真の顔は見られない。もう元の関係には戻れない。まだお互い何も知らないときに戻りたいと願いながらも、残酷なことに時は進んでいくだけだ。

 この状況をどうにかするため、足を動かして悠真をおいて急いで家に帰る。

「もう学校でも目を合わせられない…」

 急ぎ足で歩いていると家に着いた。玄関で深いため息をつき、家に上がった。

急いで部屋へ向かい、リュックを置いてコートを脱ぐ。あの時の空気が体中にまとわりついている気がして急いでシャワーを浴びに行く。体の隅々までボディーソープで洗い、気まずさという空気を落とした。ドライヤーで髪を乾かし、母が作った夕飯を喉の奥に押し込む。

「もう学校も塾も一緒に帰れない…」

 心音の心臓が落ち着きを取り戻せずにいた。


 


 高橋悠真 十四歳 冬


指を指された。喜びと胸をかすめた後、どうしていいか分からなくなってしまった。心音の精いっぱいの告白にこたえられずにいると、心音は顔も合わせずに早歩きで家へ向かって行ってしまった。引き留めることもできず、しかし答えも出せない。自分でも一体どれが正解なのか分からずにただ冷たい風だけが流れていった。


週をまたいで火曜日。それまで心音とは話さなくなってしまい、心の距離が開いてしまった気がしていた。五日間話さないだけでこんなにも寂しくなるのかと思った。放課後の教室掃除をしながら窓の外を見る。あたり一面雪景色だがその日は晴天で日光が雪に反射して眩しかったがそれは、悠真に勇気を与えた。

悠真はとっさにスマホを取り出し、心音とのトークを開いた。

「今日の塾の帰り、一緒に帰ろう」

 勢いに任せて送信ボタンを押す。

「送ったはいいけど、告白の返事なんて言おう」

悠真の伝えたい気持ちは一つだった。それを伝えるべく精一杯の言葉を頭に並べていた。

 考えていると心音から返信が来た。

「わかった。一階で待ってるね」

文面から伝わってくる絶望感。

「そんなに絶望しなくてもいいのに」

 そう呟きながら悠真は塾に向かった。


塾が終わって帰る準備をしていた悠真。急いで一階へ向かった。エレベーターのドアが開くと目の前に心音はスマホをいじって待っていた。

「よし、帰ろうか」

 ぎこちなく心音に言う。その言葉を合図に二人は歩き始めた。告白の返事を考えてもいい答えがでない。まとまらない頭で心音としょうもない話をすると言わなくていいことまで口走りそうになる。いつもの坂を上り、告白された場所で悠真は足を止める。ふと空を見ると月が満月だった。それを見て国語の時間で教わった告白文を思い出す。

「月がきれいですね」

 心音は空を見上げた。

「本当にきれいだね」

多分心音はこの文の意味は分かってない。悠真は心音に意味を分かってもらうにはどうしたらいいか考えていた。

「今言った俺の言葉ちゃんと調べてね」

もう正直に言うしかない。しかし、付き合ってくださいと直接言うのも恥ずかしいので調べてもらうことにした。なんとも味がないやり方だが今の悠真にはこれが精一杯だった。




 篠原心音 十四歳 冬


「今言った俺の言葉ちゃんと調べてね」

悠真にそう言われたので心音は家に帰ってから調べようとした。その文に意味があるなんて全く知らなかった。

 部屋に戻り、スマホを取り出す。

「月がきれいですね 意味」

 何も知らないのに検索してしまうと何かが壊れるような気がした。検索ボタンを押すだけなのに心臓が飛び出そうになる。壊したくないと願う一方で、意味を知りたい衝動に駆られた。

 深呼吸をして検索ボタンを押す。ローディングの時間がもどかしい。ヒットした検索結果が順番に出てくる。検索上位に出てきたサイトを開いて見てみると、そこには「遠回しの告白」と書かれていた。

 見た瞬間、心音の体温は上昇して身体中から汗が止まらなくなってしまった。この返事をどう返そうか一生懸命考えた。


二日後の夜。講義が終わる時間が近づくに連れて鼓動が早くなっていく。雑に取り出したルーズリーフに書きなぐる心音。そこには悠真の気持ちを確かめる文字が書かれていた。

「ちょっと待って!」

帰ろうとしている悠真を無理やり引き止めて一緒に帰ろうとする。なんとか止めたのはいいものの、心臓は全く落ち着かない。ルーズリーフをポケットに入れて急いで塾を後にする。

いつもの帰り道。友達として一緒に帰るのは今日が最後になるはずだ。二日前と同じ場所で足を止めて話す。

「この間言ってくれた言葉ってこういう意味であってる?」

そっとポケットに入れていたルーズリーフを開いて悠真に見せる。

「付き合って欲しいってこと?」

 ルーズリーフに書かれた文字も見て悠真は答える。

「あってるよ。付き合いたくない?」

 どこで心を見抜かれたのか分からない。しかし、はっきりと伝えてくれた悠真には感謝さえ覚えた。

「よろしくお願いします」

その一言で友達としての関係が終わり、新たに恋人としての関係が始まった。

「手繫ごうよ」

 自分から言ったものの恥ずかしくて手を出せない。付き合うことになったのに気持ちの整理がつかず、手をポケットから出せずにもじもじしていた。

「早くて出してよ。俺寒いんだけど」

 その一言で悠真を待たせていたことに気づいた。

「はい…」

 恥ずかしさを隠すために投げやり手をポケットから出して二人は手を繋ぐ。冬の寒さを悠真の体温で紛らわしながら帰った。

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弱さを、君に見せたかった。 雨宮空 @bakedpotato1121

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