異世界にモブ貴族令嬢として転生したので婚活チートで優勝したかっただけなのに
カタツムリ
第1話
令和日本で社畜アラフォーお一人様だった前世を思い出した時、ヴィルヘルミーナが思ったことは「なんて幸せなの」だった。
ヴィルヘルミーナは伯爵家の一人娘として誕生した。大陸の海沿いにある漁業と農業が主産業の程々に栄えた王国で程々に栄えた領地を収める領主家の跡取り娘である。
上を見ればキリがないが、下を見れば人様が羨む程度の贅沢の出来る家で総領娘として蝶よ花よと大事に育てられた。
のんびりした気質の父母は、しっかりしたお婿さんを貰えばよいだろうと同じくのんびり器質のヴィルヘルミーナをのびのびと育てた。小さな頃は田舎の領地で麦畑の中を走り回りながら育ち、十を過ぎた頃から社交のために両親ともども王都に出てきた。家庭教師に淑女としての教育を受けながら、たまに戻る領地では牛と馬と羊を撫で回して遊んでいた。
十五の年で王都の社交界に正式にお披露目され、お上の方はなんだかギスギスして大変だなあ、と思いながら家格の近いご令嬢達と交流をしている日々。そんなある日、ふと思い出した。
そういえば、昔は独身アラフォー社畜だったな、と。
別に頭をぶつけたわけでも、熱で寝込んだわけでもないが、朝食のベーコンをナイフで切り分けながら思ったのだ。
そういやそうだった、と一口サイズに切り分けたベーコンを上品にもぐもぐしながら頷いた。
自領の牧場から送られてきたベーコンは肉厚で塩気もちょうどよく大変美味しかった。
こんな美味しいものを朝から用意してもらえるなんて、なんて幸せな人間なのかしら。
おひとりさま時代の朝食はインスタントスープとトーストだった。洗い物を極力したくないおひとり様は紙のカップに入ったインスタントスープを箱買いし、トースターから出したパンを皿に置かずにインスタントスープに突っ込んで食べていた。食べ終わったらカップを水で濯いでゴミ箱に投げる。頑なに皿洗いがしたくなかった。QOLの低いおひとり様だったのだ。
何もしなくても美味しいご飯が出てくる生活最高。
朝食の皿から目線を上げれば、少しふくよかな母があまり似合わない口髭を生やした父に微笑みかけながら今日の予定を話していた。父は穏やかにそれを聞いている。
ヴィルヘルミーナはニコニコしてそれを眺めた。
「あら、ミーナ、どうしたの? そんなに楽しそうに?」
母が笑顔のヴィルヘルミーナに気がついて尋ねた。
父も不思議そうにヴィルヘルミーナを見る。
それがなんだか嬉しくてヴィルヘルミーナは大きく微笑んだ。
「わたくし、お父様とお母様みたいな夫婦になりたいですわ」
その言葉に両親は目を丸くして、それから二人とも少し顔を赤らめた。
ヴィルヘルミーナの両親は親族の紹介によるお見合い結婚だ。
この世界の貴族同士の結婚は大概がそんなもんであるし、なんなら平民だってそうである。
結婚は個人の関係よりも家同士の付き合いの意味合いが強い。
それでも、ヴィルヘルミーナの両親のようにお互いに信頼し合い情を育むことはできる。
それがヴィルヘルミーナには嬉しかった。
なんたって自分で探さなくても周りがちゃんとした婿を探してくれる。前世のおひとり様は自分に男を見る目がないと思っていたし、自分が誰かから選んでもらえるほど魅力的な人物ではないと思っていた。ヴィルヘルミーナも飛び抜けた美しさや才能を持った娘ではなかったのでその認識にやや影響を受けてしまった。
仕方ないことである。
前世のおひとり様は三十過ぎてから慌てて婚活市場という戦場に飛び込んで敗北した婚活戦士だったのだから。
前世の記憶を思い出したヴィルヘルミーナだったがその生活は特に変わることはなかった。
ちょっとだけ変わったとすれば、それは婚活戦士時代に四苦八苦した派手じゃないけど自然に目が大きく見えるメイクだとか、人と話す時はまず聞き役に徹するとかだの婚活テクニックを社交に取り入れたことくらいだろうか。
おかげでなかなかに評判の良い令嬢の立場を確保できている。結婚相談所もマッチングアプリもない世界で結婚相手を探そうと思ったら親類知人の口コミこそが最大の情報源。評判はいいに越したことはない。これもまた婚活。
おひとり様はマンガやアニメも嗜んでいたので異世界転生といえば前世の知識で内政チートとか一瞬考えたが、田舎はともかく王都は上下水道管がすでに設置されているし、ちょっとお高めだが植物紙も普通に商店で売られている。食事は米こそ無かったが普通に美味しい。石鹸もあるし、化粧品も色数は少ないが庶民が買えるくらいには普及していた。
貴族女性の服装はコルセットに足元までのドレスだが、庶民の働く女性には最近ミモザ丈のスカートが流行りらしい。
ここは封建制度の皮を被った近代社会的世界だったのである。
蒸気機関や電気が発明されていないために産業革命の起きなかった近代ヨーロッパ的な世界かな? とおひとり様の記憶が首を傾げるが、おひとり様は大学で紫式部を延々と捏ねまわしていたので歴史イフとかは全く分からなからない。全て妄想である。
ともかく知識チートはできなかったし、そもそもチートできるほどの知識もなかった。
では乙女ゲー転生とか? と思ったが貴族令嬢が通う学園なんてない。貴族男性には高度な学問を学ぶための寄宿学校があるが、貴族女性の教育は家庭教師が一般的である。家庭教師が雇えない家は母親が教えたり寄親の貴族の家に行儀見習いに出す。
聖女とか魔法とか魔物とかもいないので世界系乙女ゲー世界転生の可能性もない。
しばらくヴィルヘルミーナは頭を捻ったが、結局のところ自分がやるべきはリベンジ婚活だなと結論づけた。
結婚して、子供を産んで、居心地のいい家庭を築く。前世では当たり前と言われながらもとんでもなくハードルの高かった人生モデルにヴィルヘルミーナは挑むことに決めたのだ。
アラフォーおひとり様の知識によって順調に婚活市場に乗り込んだヴィルヘルミーナはちょっと調子に乗っていたことは否めない。評判のいい跡取り娘に有望な若者が婿入りするのは自然な流れだし、今生は薔薇色の人生ですわ〜、と呑気に考えていた。
人生ってそんなに上手くいくもんじゃないよね。思いもよらぬところで足を取られるもの。前世のおひとり様は婚活を諦めて一人で生きて行こうと覚悟を決めたところで病気が発覚した。嘘でしょ、と何度も思ったけど現実だった。現実って本当にままならない。治療の甲斐なく猫を飼ってのんびり暮らすおひとり様のんびり人生計画は露と消えた。
今生は孫に見送られたいものだわ、とか思ってったのに、それどころじゃなくなった。
「うちが盗賊団の犯行を幇助?????」
え、どういうこと?
最近、父親がなんか忙しそうにしてるなと思ったら執務室に呼ばれた。
げっそりと痩せて生気のない顔をした父と顔を青褪めさせた母がヴィルヘルミーナに申し訳なさそうにしていた。
確かにここ数年、近隣領地で盗賊被害があるという話は聞いていた。怖いわねえ、うちも気をつけなきゃねえ、と話していた。うちはまだ被害が出てないとも。
それもそのはず、その盗賊団の本拠地は我が領地にあり、盗賊どもは小賢しいことにわざわざ領境を越えて盗賊行為に及んでいたのである。
盗賊を追っていた領兵も勝手に隣領に踏み込む訳にもいかず盗賊どもを捕まえ損ねていたのだ。
徐々に大きくなった盗賊団は行商人を襲うだけでなく小さな村を襲い略奪の上に火をかけた。流石に被害が大きくなった近隣の領主たちが手を組んで盗賊団の一掃を計画し、もちろん同じ地方の領主である父も協力を惜しまなかったところ、なんと盗賊の出所はうちであったと。
さらに厄介なことに、領地の管理を任せていた代官はこれを知っていたのだ。
嘘だろ、お前。
領地の代官はうちとも血縁関係のある寄子の男爵家三男でヴィルヘルミーナとも面識があった。
四十をいくつか過ぎた穏やかな面差しの痩せた男だった。遠縁の男爵家の三男で、頭がよく、真面目で誠実な人柄を買われ長年領地を任せていた。父曰く、ほぼ任せきりだったらしい。それもどうかと思うが、我々、ほら、のんびりやだから。ヴィルヘルミーナも領地に戻れば必ず挨拶をするのだから顔見知りだ。優しい親戚のおじさんくらいに思ってた。いつだったか、結婚しないのかと聞いたら継ぐ家もない男爵家の三男に嫁に来てくれる人も婿に迎えてくれる人もいませんねえと苦笑していた。前世のおひとり様を思い出す前だったが世知辛くて泣きそうになった記憶がある。まさかあの人がなんてセリフ、本当に言う日がくるとか思わなかった。
もちろん父は全く関与してない。そこは信じていいと思う。我々親子、そんな大それたことできる度胸ない。
「うちのためだったって言うんだよ」
頭を抱えた父は泣きそうな声をしていた。
大きくなり過ぎた盗賊団に対抗できるような戦力は領地にない。国軍に訴え出たとしても実際に対処してもらえる迄どれほどの時間がかかるか分からない。その間にどれほどの被害が出ることか。それならば、盗賊団の拠点を見て見ぬふりをする代わりに領内の安寧を取引したと。
気持ちはわかるような分からないような。ヴィルヘルミーナもものすごい泣きたいような怒りたいような気持ちで顔をしわくちゃに顰めた。母は泣いていた。
そんなん、問題の後回しでいつかツケを払わなきゃならんことになるのわかるやろが。前世のおひとり様がエセ関西弁で突っ込むくらいしょっぱい気持ちだ。
父は捕縛された代官と面会をしてきたらしい。
「こんなことになって我々に申し訳ないと泣いて謝るんだけどね、お隣の犠牲になった村人や行商人のことには触れもしなかったよ」
父の乾いた笑いが虚しく響いた。
マジもんの誠実なサイコパスじゃねえかよ。
「ニンゲン、コワイ……」
思わず片言で呟いたヴィルヘルミーナに両親は頷いた。
ニンゲン、コワイ。
衝撃的な出来事があっても時間は止まってくれない。
代官が盗賊団と取引をしていたことで伯爵家はまさに四面楚歌となった。この世界の歴史に楚ないけど。
国からは監督不行届の厳重注意を受けたが、それ以上罪に問われることはなかった。封建国家なので領地間の問題にいちいち国が首を突っ込むことはない。領地運営は領主の裁量に任せられているし、領地間の問題も領主同士で解決しろと仰せである。税金を納めて国に歯向かいさえしなければ結構アバウト。もちろん実際に罪を犯した代官は盗賊たちと共に刑に処されている。伯爵家自体は首の皮一枚繋がっているが心象は悪い。仕方ない。
近隣領地から批判と抗議を受けて両親は私財を投げ打って各領地に賠償金を払い頭を下げて回った。あっという間に伯爵家の財は底をつき、日々の生活にも事欠く有様となった。これも仕方ない。まあ、ありがたいというか世知辛いことだが、貴族にとって農民は代えのきく道具みたいなものなので金銭の賠償で皆様ある程度矛を納めてくれた。支払った賠償金はほぼ領主の懐に入って遺族の元に届くのはほんの僅かな金額だろう。領主によっては届きさえしないかもしれない。
犠牲になった平民の皆様に申し訳ない気持ちと貴族としての常識で大変複雑な気持ちになる。
あらかたの始末を終え、残ったのは素寒貧の伯爵家である。
貴族の体裁を保つのも難しい内情で、さて、どうするものかと家族で頭を抱えた。
両親はヴィルヘルミーナに親類から婿を迎え、自分たちは責任をとって引退したいと主張したが、家中の誰もそんな貧乏籤を引きたくないと腰が引けていた。
不良物件と化したヴィルヘルミーナに婿の外から来てがあるわけもなく、ここでヴィルヘルミーナの今生の婚活は終了した。婚活市場に出荷される前に瑕疵ありで廃棄である。前世からの敗残兵ここに極めり。
虚に笑いながらヴィルヘルミーナは将来入る修道院を探し始めた。
そういう星の下に生まれたのさ、泣いてなんかないさ。
結局、時間が伯爵家の悪評を薄れさせるまで両親が領主として領地運営をし、ほとぼりが冷めた頃に親類から若いのを養子にして継がせよう、という方向で親族会議を終えた。十年、二十年先の話だ。またもや問題の先送り。多分、一族みんなこういう性質なのだ。
ヴィルヘルミーナは修道院で後継を押し付けられるであろう親類の若いのの平安を祈ろう。
ヴィルヘルミーナが開き直って前向きになった頃、またもや自体は急転した。
ヴィルヘルミーナの婿にどうか、という話が転がり込んできたのである。
相手は平民の商人の息子である。
祖父の代から領地で世話になっている商会の会頭が伯爵家に援助をする代わりに息子をヴィルヘルミーナの婿にと申し出たのだ。
こんな沈む泥舟のような伯爵家になぜ? と家族全員首を傾げ、とりあえず領地の屋敷で会頭親子との席を設けた。
売れるものを手放して随分と殺風景になった屋敷の応接間で領内随一の商会の会頭はにこやかな内心を窺わせない笑みを浮かべ息子を紹介した。手放したものの大部分が彼らの商会を経由したことを考えると、ヴィルヘルミーナはなんだか胸の奥がモヤモヤとした。
会頭の息子はヴィルヘルミーナより十歳上で次男に当たる。
商会では買い付けを担当し、人脈もあり経理にも明るい。次男ゆえに商会内で内助に徹しているが、一家を盛り立てるだけの才は十分にあると請け合う。
会頭の怒涛のセールストークに伯爵家親子はたじたじである。
いや、ほんと、立板に水じゃん。
当の息子は派手さはないが整った理知的な面立ちに苦笑を浮かべて伯爵親子を見ていた。
悪い人ではなさそうだ。ヴィルヘルミーナはそう思ったし、おそらく両親もそう思っただろう。
だがしかし、先日の一件より我々は痛感しているのである。
我ら親子、人を見る目、全然ない!
ニンゲンコワイ!
もう何もかもが信じられないのである。
会頭がどれほど先代の恩に報いるためだとか、領地の安定のためだとか言っても、どうせ裏があるんだろ〜って疑心暗鬼なのだ!
そんな親子のしおしおのお顔に気がついた会頭は苦笑して説得の方向を変えた。
平民が貴族になる利、商会としての顧客拡大や、王都進出への足がかり、そして、このままでは生涯独り身として人生を終えるであろうヴィルヘルミーナへの親としての同情心。
両親がその話を聞きながら娘への情と疑心暗鬼でぐらぐらと揺れるのを見て、ヴィルヘルミーナはこの話の決着を見た。
唸る父と顔を伏せる母を横目に会頭の息子に声をかけた。
応接間から庭に出る。
未婚の令嬢が男性と二人きりになることはないので、少し離れた場所にメイドが控えていた。
庭師も暇を出してしまったので少し荒れてきた庭で半歩後ろをついてきた男を振り返る。
良い天気だった。
ヴィルヘルミーナは秋口の抜けるような青空を負った頭一つ背の高い男の顔を見た。
前世ならご縁もないようなイイ男だと思った。派手なアイドルのような男ではなく、味のある実力派俳優のような安心感のあるイイ男だ。前世のおひとり様が小躍りしている。
けれど、普通の貴族女性であればどんなにイイ男であっても平民と結婚する忌避感は凄まじかろう。
前世を思い出してよかった。
ヴィルヘルミーナは苦笑した。
彼は、そんなヴィルヘルミーナをいたわしげに見ていた。もしかすると平民の男と結婚するしかない没落伯爵家の小娘を憐んでいたのかもしれない。ヴィルヘルミーナには分からない。人を見る目に全く自信がないので。
「お願いが一つあるのです」
風に揺れる髪を抑えながらヴィルヘルミーナは微笑んだ。貴族らしくない、子供みたいな笑顔だった。
「もし嘘をつくなら、最後まで上手に騙してくださいね」
その裏にどんな思惑があろうと、請われて妻になるのだと、この小娘をちゃんと騙して欲しい。
明かされない嘘は、きっとヴィルヘルミーナの真実になる。
あんまり下手な嘘をつかれたら修道院に駆け込目ばいいんじゃない? と前世のおひとり様が呟くので、ヴィルヘルミーナは可笑しくてやっぱり笑ってしまった。
そんなヴィルヘルミーナを男は目を丸くして見つめ、そして跪いて手を取った。
「どうか、私と結婚してください」
そう言って指先に軽く口付けした男に、ヴィルヘルミーナは「はい」と確かに応えた。
離れた場所で顔を赤らめたメイドがきゃーと小さく悲鳴を上げていた。わかる。ヴィルヘルミーナも心の中で叫んだ。
顔が好みの男に騙されたら仕方がない、と覚悟して結婚してから十八年経った。ヴィルヘルミーナは結婚当初から変わらず請われた妻として大切にしてもらっている。本気でありがたい。
伯爵家の女主人として尊重され、妻として大切にされ、二人の子供の母として労られ。なんだこのスパダリ旦那は、と前世のおひとり様が咽び泣いている。
十代の柔らかい心に突き刺さったニンゲンコワイがたまに疼くこともあるが、上手にヴィルヘルミーナの旦那さまをしてくれている。
平民から貴族になったことで大変な苦労をしただろうに、そんなことはおくびにも出さず、それどころか信用を失った領地で新たな産業をおこし王都に進出した実家の商会と協力して販路を整え、領民達に新たな職と収入を与えてくれた。
すでに以前の伯爵家よりも財を築き上げている。これには父母もニッコリである。
もう旦那様は神様である。
感謝の気持ちはつねに言葉にして相手に伝えましょうという前世の婚活アドバイザーの言葉に従いヴィルヘルミーナは旦那様に毎日浴びせるように感謝と労りを伝えた。ついでに顔が好みだとも伝えた。
旦那様はそんな年下の妻に困ったように、嬉しそうに笑って抱きしめてくれる。ヴィルヘルミーナはなんて幸せなのと思った。
さて、そんなヴィルヘルミーナの上の息子が寄宿学校の二年に上がった年のことである。
学校事情はヴィルヘルミーナの若い頃とは随分と変わった。
旦那様が十年程前に領地で作り出した産業、水力を利用した大型紡績機による綿布の大量生産によりこの国にはちょっとした産業革命が起きていた。
大量の綿布は国の主要貿易品となり、莫大な利益をもたらした。時流に乗って富を得た商人達が台頭し、その子供達に今まで貴族だけのものだった高等学問への道が開かれた。まあ、金貨でぶっ叩いて扉をこじ開けた感はあるが。ブルジュワジーの台頭である。
そして、この年、寄宿学校の女子の受け入れが実験的に始まった。
発端は数年前からでき始めたブルジュワ層の平民女子向けの女子寄宿学校だ。貴族女子のように行儀見習いに行ったり良い家庭教師を雇えなくても知識と教養が学べるとブルジュワ層の親に大いに受けた。
知識層への女性の進出、大変よろしいと前世のおひとり様は独りごちた。
問題は貴族女子達である。裕福な家庭の平民女子の方が女子寄宿学校で高度な教育を受けられるという逆転現象が起こってしまったのである。かといって、貴族女子が平民向けの女子寄宿学校に入るのは貴族の矜持が許さない。
危機感を持った貴族家が王家に申し入れ、国は歴史ある寄宿学校への貴族女子の入学を試験導入したのである。
入学が許されたの寄宿学校の三年に所属する王太子殿下の婚約者である侯爵令嬢ほか貴族家から十三名、富裕層の平民から三名。
彼女達のために新しく寮舎が建てられ、校舎も大幅に改装されたらしい。
授業は基本的に男女別で、選択制の応用授業では合同。
女子生徒が珍しいからと不躾に見るような真似はするなと注意されたと新学期前の休暇で戻った息子が笑って言っていた。
男性の多い中で少数の女性とは大変なことだろう。けれど、寄宿学校に来るということはそれだけ高い志も持ってのこと。
彼女達の矜持を傷つけずに上手に助けてあげなさい、と息子に言っておいた。
前世のおひとり様は埼玉県出身だったので荻野吟子を名前だけは知っていた。日本初の女医でなんかすごい人である。女性が学問をするにはまだまだ厳しい時代、ぜひ頑張ってほしい。
なんて思ってたら、夏休みに帰ってきた息子が変な顔をしていた。
「なんか、平民の女子がお母様は愛情を信じられない可哀想な方だから、あなたが愛されないのはあなたのせいじゃないの、とか言ってきて、意味わからなくて気持ち悪い」
え、なにそれ? と夫と顔を見合わせる。
とりあえず立ち上がって息子を抱きしめた。夫も息子を抱きしめ、ついでに十歳の弟も兄を抱きしめておしくらまんじゅうみたいになった。
息子は俺、十七になるんですけど、と平然とした顔で抱きしめられていた。いつものことなので。
愛情に溢れた伯爵家でっす。
落ち着いて息子の話を聞いてみると、おかしな平民女子が数人の男子にまとわりついているのだとか。
一部の生徒は悪くない気もしているようだけれど、婚約者のいる生徒などは本気で嫌がっているらしい。
女子のまとめ役である侯爵令嬢が何度も注意をしているが話を聞かない。
今回の女子の受け入れはあくまで実験的なものなので、このまま彼女が暴走して男子生徒に悪影響があるとなると今後の女子生徒の受け入れがなくなるかもしれないと他の女子も頭を抱えているのだとか。
え、可哀想。
まとわりつかれている生徒に三年の王太子殿下が入っているのも問題だ。
「王太子殿下に、騎士団長のご子息、宰相閣下のご子息、同じ学年の奨学生に、うちの従兄弟どの、担任の先生も絡まれてたな」
息子のいとこは旦那様の兄の息子にあたる。旦那様の実家は紡績機と綿布の販売によってこの国でも随一の商会となった。その長男が継ぐ財は並の貴族など目でもないだろう。
そんで、俺、と息子が自分を指差す。
「もしかして、全員、顔がいい?」
息子の顔をまじまじを見つめて聞くと、嫌そうに顔を歪めて頷いた。
これは自慢だが、ヴィルヘルミーナの息子は顔がいい。旦那様とヴィルヘルミーナのいいとこ取りをした。理知的でスッキリした顔立ちの清潔感のあるイケメン。口元のほくろが整いすぎた面立ちを崩して艶を与えていた。最高かな、息子。
息子のいとこも顔がいい。笑顔に愛嬌あるちょっとやんちゃな印象のタイプ。
宮中行事で見た王太子は正統派王子様だった。金色の髪に青い眼のロイヤルプリンス。
他はわからないけど、顔がいいのは確実。
前世のおひとり様が叫ぶ。
これ! 乙女ゲーじゃね!?!??!
息子の話を聞きながら、もし前世を思い出さなかったらヴィルヘルミーナはどんな人生を送ったのだろう、と考えた。
伯爵家が没落した時、きっと同じように旦那様の実家は伯爵家に救いの手を伸ばしてくれただろう。紡績機と綿布の生産にヴィルヘルミーナは全く関わっていないので、今と同じく伯爵家はきちんと復興し、かつて以上の隆盛を誇るだろう。
けれど、身内に裏切られ、希望に満ちた未来を諦めなければいけなくなった出来事を多感な思春期に経験したヴィルヘルミーナはそうした幸運を素直に享受することはできるだろうか?
おひとり様の記憶を持ってしても、ニンゲンコワイと震え、周りの全てに疑心暗鬼になった。旦那様との結婚を前向きに受け入れられたのはある程度人世を経験したおひとり様の記憶があっての開き直りだ。
どんなに旦那様が誠実に向き合ってくれても、人間不信の二十歳にもならない小娘が素直になれるとは思えない。試し行動を繰り返されれば旦那様だって疲弊してヴィルヘルミーナを持て余すようになるだろう。そうなればまともな家庭なんて築けない。
仕事が忙しく自分をいつまでも疑いの目でみる妻にうんざりした夫は家に帰らない。やっぱり自分との結婚は領地目当ててで自分など愛されていないのだと妻は自暴自棄。跡取り息子は乳母と使用人に任せっぱなしで、どうせこの子もいつか自分を裏切るのだと呪うのかしら。
やだー、攻略対象チャラ男の暗い生い立ちギャップ萌えじゃないですかー!
手当たりしだい女の子に声をかけるチャラ男が本当に求めていたのは母親の愛情だったとかー!ヒロインが幼少期からの孤独を癒してあげるパターン!
眉間に皺を寄せてぐぬぬぬぬと顔を顰めてしまう。淑女らしからぬ顔に息子たちが引いていた。
旦那様は眉間のしわを伸ばそうを親指でぐりぐりしてくれる。優しい、好き。
ともかく、息子にはくだんの女子と距離を置き、普段から友人たちと行動して二人っきりになるようなことのないよう忠告はしておいた。
現実の見えてない系ヒロインちゃんは嫁に来られてもお母さんちょっと受け入れられるかわかんない……。
強制力だとか魅了だとか、前世のラノベで見たようなことはなさそうなので、そこはありがたい。
けどそっかあ、異世界にモブ貴族令嬢として転生したので婚活チートで優勝したかっただけなのに実は乙女ゲーの攻略対象の母親転生でした……って長いわ!
異世界にモブ貴族令嬢として転生したので婚活チートで優勝したかっただけなのに カタツムリ @hana8
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