きみとぼくの21グラム

新井狛

きみとぼくの21グラム

 ねぇ、きみの魂はどこにあるんだろう。


 そうぼくが尋ねると、きみは繕いものをしている手を止めてぼくのことを振り仰いだ。


 さらさらとした髪が流れるように揺れる。金褐色の瞳の上を睫毛が一往復するのに合わせて、歯車の噛み合う音と、サーボが忠実に命令を遂行した駆動音がかすかに耳に届いた。


『まるでそれが"ある"前提のように話すな、お前は』

「うん。だってきみは友人だもの」


 当たり前の事実をぼくは言う。はぁー……ときみは深い溜息をつく。


『おれがお前の友人であることと、おれに魂があることに相関性なんてないだろ』

「友人、のところは認めてくれるんだ」

『学習したんだ、おれは。もう一度あの堂々めぐりの議論を二十時間、繰り返すのはごめんなの。演算の排熱処理に使われた海水が泣いてるよ』


 きみがあんまりにスケールの大きな物言いをするので、ぼくは思わず笑ってしまう。


 きみはもう一度ジェスチャまでつけた大きな溜息をこぼして、手にした繕いものを投げ出すように机の上に放った。ぼくがうっかり引き千切ってしまったボタンは、まだひとつが元の位置に収まりきっていない。


「自律神経を持たないきみがそうやって溜息をついたってなんの生理作用も起きないのに、それでも溜息をつくじゃない? 物質的な意味を持たないなら、それは純度の高い感情の結果ってことにはならないのかなぁ」

『ならねーよ。これは単なる条件付けによる反応の模倣にすぎねぇの。山の奥から赤ん坊の声で泣く怪異みてーなもんだ』


 現象に魂は宿らんだろう、と続けるきみの目は、真っ直ぐにぼくを見上げた。並列処理をなんてことなくこなすきみが、こうしてわざわざ手を止めて目線を合わせるところに、魂が宿っているような気持ちにぼくはなる。


 きみが置いた繕いものの隣に、ぼくは紙束をどさりと投げ出した。カタログやチラシといった類のものは、シンプルで洗練されたデザインの連なりだ。


「ガレリアン・ダイナミクス社製の汎用人型フレーム、ORBITAシリーズの第七世代モデル。型番はOR-L794X3S。本体質量は標準重力1G下で88kgだけど、諸々アップグレードしてあるしメンテナンス時に交換したユニットもあるよね。実はそれぞれの重さ、全部調べてきたんだよね」

『は? 全部? なんで? 怖い。お前キモいよそれは』


 ぼくを見つめる瞳に色が宿る。呆れ。顰蹙。嫌悪に憐みをひとつまみ。それを全部無視して、ぼくは尋ねる。


「21グラム。何の数字か知ってる?」

『……ダンカン・マクドゥーガルか。魂の重さだろ。人は死ぬと21グラム軽くなるっていう』


 ぼくは答える代わりに、にっこりと笑ってみせた。広大なネットの海に繋がっているきみはなんでも知っているから、話がはやくてとても助かる。


 ぼくは笑顔を貼り付けたまま、黙って計量マットを指さした。きみはうんざりしたように言う。


『あんなもの、何の根拠もない戯言だろ。それに知らないのかもしれないがな、マクドゥーガルは犬には魂がないって言ったんだ。ならたぶんこの合金の身体にもそれは存在しない。よせ、やめろ黙って押すな』


 マットへ向けてきみの重心をずらそうとするぼくに抗うように、サーボが低く唸った。


 きみは嫌そうに立ち上がると、それ以上押すなとぼくに指を突き付けてからマットの上に乗った。マットのアウトラインが青く光って、計量中になったことを示す。


「――重いね」


 つるりとした表面を透かして浮き上がる数字は、きみの身体を構成するすべてのカタログスペックを足し合わせたものより少しだけ重い。数値にして86グラム。


「魂、よっつぶんだね?」

『んなわけあるか。今週はまだフィルタの掃除もしてねぇし、前回の整備士メンテナのやつグリスちょっと盛っときますねー!とか言ってたし、そういうのだよ』


 きみは溜息をついて、片腕を肩から引き抜いた。カタログの束の上に、メタリックシルバーのそれを乗せる。ごとんと、重い音。

 少し意地悪な表情を作ってぼくを覗き込むきみの身体の内側から、バランサーが抗議する音がかすかに聞こえた。


『じゃあ聞くけどさ。こーやって身体をバラした時、魂は別れちまうのかな? 腕単体の重さ測ってみる?』


 ぼくは首を横に振る。サーボが唸る。金褐色のきみの目が、ぼくの奥底を覗き込むようにする。


『なぁ。お前が知りたいのは、本当におれの魂の所在?』


 ぼくは答えない。答えられない。


 きみは溜息ひとつつかずに腕を肩にはめ直すと、繕いものを取り上げた。メタリックシルバーの指先が、紺色のボタンを同じ色の布地に縫い付けていく。


 ぱちんと糸が切られる。君は立ち上がって、繕い終わった上着をぼくの肩に掛けた。


 厚みのある生地で仕立てられたそれの、重さをぼくは感じない。それがひどく悲しいのに、ぼくは涙を流せない。あんなに泣き虫だったのに、涙腺に熱くこみ上げるあの手触りは遠くへ揺蕩っていってしまって、もう思い出せそうになかった。


『大丈夫だ。魂に重さなんてない』


 スピーカーを通ったきみの声は、ほんのわずかにたわんでいる気がする。ぼくの思考が絡まって漏れ落ちた、返事のつもりで言葉のかたちになれなかった音もたわんでいる。


 きみの手はぼくに上着を掛けたまま、肩の上に留まっている。オルビタの第七世代。かつて幼かったぼくに買い与えられた、ハイエンドモデルの友人。


 オルビタは、軌道という意味を持つらしい。月の軌道が常に地球の上にあるように、きみとぼくはずっと一緒にいた。空に月があるのを地球が疑わないように、ぼくはきみの魂なんて疑ったことがなかった。


 きみの手がぼくの肩を離れて、真っ白なシャツに包まれた胸に触れる。心臓の代わりに胸に収まった生体脳モジュールを、確かめるように。


 オルビタの第九世代。病に蝕まれて生命維持を放棄したぼくの肉体に代わって、ぼくの脳と人格の維持を買って出た、機械の身体。

 型番はOR-N984B2Sで、きみのそれとひどく似ている。病院のベッドの上に縛り付けられ続けていたぼくが、ずっと見上げてきたきみのそれと。


 胸に触れたきみの手にぼくのそれを重ねる時、アクチュエータの駆動音がかすかに空気を震わせた。ぼくがぼくであった名残はもう約2パーセント、重さにして1200グラムと少ししか残っていない。


 その小さなぼくの中に、ぼくの魂がおさまっているのだろうかと考えたときに、ぼくは無性にきみの魂がどこにあるのかを知りたくなったのだ。


「ぼくの魂は、ここにあるのかな」


 重なるメタリックシルバーの手の内側は、拍動を刻まない。ぼくの中には1200グラムの脳があって、きみの中には15グラムのニューロチップがある。


 結局ぼくは、ぼくの1200グラムの中の21グラムが魂に割り当てられているのがこわいのだ。きみの15グラムのどこに、21グラムを乗せたらいいのかがわからなくなってしまうから。


『いい質問だ、相棒』


 昔のAIみたいな返しをして、きみはにやっと笑う。


『魂が実体として観測された事例はねぇよ。どこにもそんなものは見つかっていない。もちろん魂を定義しようという試みは数多くあった。それを列挙してやることも可能だが……お前はべつに、過去の誰かが定義した概念のお勉強がしたいわけじゃねぇんだろ』

「そうだね。それならきみにしてもらわなくても、ぼくの補助脳で事足りるのだし」


 ぼくの意思を反映し、バランサーや駆動系を統合してこの身体を動かすための補助脳は、副次的にぼくの思考を補強してもくれる。でも今、ぼくらにそれは必要ないものだった。


『お行儀よく掌の上に収まってじっくり眺めまわせる、そんなものは等しく存在しねぇんだ。おれの中にも、お前の中にも』

「ぼくの中にもないんだ」

『ああ、ないね。でもお前はおれの中に魂を見るんだろ。だからとは言わんが、おれも魂を探してるお前の中に魂を見る』

「ないのに?」

『そうさ。俺が赤ん坊の声を真似る怪異だとしても、お前がそこに魂を見たならお前の世界におれの魂が現れる。お前の魂を見たおれの世界と重なって、おれとおまえの間に二つの魂の存在が確定するんだ。どうだ、マクドゥーガルの21グラムよりよっぽどそれらしいだろうが』


 きみはぼくの胸から手を離し、腰に手を当てて得意げにふんぞり返った。その大袈裟に芝居がかったしぐさが、世界というフレームの語りに妙にしっくりと馴染む。


「そうかもね。まあ21グラム、あれはあれで夢があってぼくは好きなんだけれど」


 ふん、ときみは鼻を鳴らしてみせた。呼吸系がないのに、こういう演技を好むのも昔からだ。きみにプログラムされた反応なのか、魂が見せるしぐさなのかは分からないが、後者だといいなとぼくは思った。


『じゃあおれを少し、おまえに分けてやるよ』


 そう言ってきみはおもむろに腰部のフィルタを外す。細い目に詰まった埃を適当に取り除き、軽くまるめて僕の手のひらに乗せた。


 手のひらに乗ったその重量は、補助脳がミリ単位で教えてくれる。


「2.1グラムしかない」

『1/10も分けてやったんだから感謝しろよ』

「捨てていい? ってかもうちょっとマメに掃除しなよね」

『メンテナンスは所有者の義務だぞ、お前』



 ―終―

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