ガラスの肌

青いひつじ

第1話



K子は鏡の前に立つと、ニットの襟を整え首元を隠した。

くるりとひと回りし、いろんな角度から肌が見えてしまわないか確認する。

それからリキッドファンデーションを塗ると、地肌が見えないようにパウダーのファンデーションを幾度と重ねる。この作業だけで時計の長針はぐるりと一周してしまう。

ところが毎日同じことを繰り返していると、不思議と身体が慣れて、今ではさほど苦には感じていない。

それでも時々、鏡に映る自分の手にK子自身も困惑する時がある。


「どうして‥‥私だけ、こんな肌なの‥」


かざした透明な手。手の甲から、天井にぶら下がるライトの光が透けて見える。まるで海中から太陽の光を見るようである。

そう、彼女の肌は透明なガラスでできているのだ。



ガラスの肌には弊害が多かった。

いちばん面倒なのは、家を出る準備に2時間かかるということだった。肌を隠すために必要なのはメイクだけはない。洋服にも気を使い、夏場であろうとタートルネックしか着ることができなかった。半袖のタートルネックに日焼け予防のカバーをはめて腕を隠すと怪しまれずに済んだ。靴はスニーカーかブーツだけ。どうしてもパンプスを履きたい時は足の甲にファンデーションを塗って隠した。

こうして万全な準備をし、全方位からの確認を終えると、ようやく外に出られるというわけだ。


さらに、ガラスの肌は人付き合いを困難にし、K子の心まで蝕んだ。

幼い頃から蓄積された恐怖心が身体中に染み付いて離れないのだ。拒絶されたらと想像するだけで、足がすくんでしまう。誰かと関係を進展させようとはたらいても、ズボンの裾を掴まれるような感覚のせいで前に進むことはできなかった。

おかげで人間関係は上手くいかず、恋人はおろか友人ひとりできたことがない。


そんな彼女に転機が訪れたのは、20歳を迎えた当日であった。

両親に連れられた病院で、医師はK子にある提案をした。


『人工の肌をくっつける手術をしてみませんか』


内容はいたってシンプルで、ガラスの肌の上に人工の人肌を貼り付けるというものだった。両親とK子はふたつ返事で承諾した。躊躇する理由も、断る理由もない。人間の肌が手に入るということは普通の生活が手に入るということで、それはK子にとって願ってもみない幸福だった。


手術の説明をひと通り終えると、医師は重要な注意事項を述べた。


『今回の手術については政府の機密組織に報告させてもらいます。この事例は今後、彼らにとって貴重な材料となるのです。ですので手術を受けたことは誰にも口外しないでください。口外した場合、貴方には責任を取ってもらい、さいあく刑務所送りになります。バレないと思って口外しても必ず明るみになりますのでご注意を』


「分かりました。絶対に口外しないと約束します」


『それではこちらの承諾書にサインを。まぁ、せっかく人間の肌が手に入るのですから、ガラスの時代のことは忘れて、自由に生きてください』


「よろしくお願いします」


K子は条件をのみ、早々に手術が行われた。




術後の観察期間が終了し、2週間ぶりの外出。

機械音とともに自動ドアが開き、色とりどりの葉と秋の光がK子を歓迎した。K子は喜びのあまり薄着のまま外へ飛び出すと、両手を広げて大きく息を吸い込んだ。服の袖から肌色の手首がはみ出した。

太陽の暖かい匂いをいっぱいに吸い込み、K子は満面の笑みを浮かべた。

さらには明確に温度を感じたのは初めてだったので、肌寒さも、乾燥した空気で痒くなる感覚すらも全てが新鮮で感動した。

K子は銀杏の木に駆け寄り、溜まった落ち葉を掬い上げ、空に放り投げた。服が捲れあがろうが、メイクが崩れようが、もう気にする必要はない。これが自由か。こんなに気持ちがいいことはない。まさにパーフェクトな気分だった。




一年も経てば、K子はガラスだった時のことなど忘れて、すっかり様変わりしてしまった。

肌のみえる妖艶なワンピースに身を包み、流行りのメイクを楽しんだ。見た目が変化すると、それに付随するように性格も厚く濃くなっていった。


K子はこれまでの分を取り返すかのように、毎晩違う男と夜を共にした。一夜限りの言葉でも嬉しかった。むしろK子にとってはその方が刺激的だった。



今夜もK子は高級ホテルのカフェで男を待っていた。

数日前、たまたま立ち寄ったバーで出会ったサラリーマン。寡黙で、まるで大木のような安定感のある佇まいに、K子は一目惚れしてしまったのだ。アプローチをしかけたのはK子から。数多くの男たちとの一夜を経験したおかげで、糸巻きから新しい糸が出るように、言葉はスルスルと出てきた。



やってきた男は、脱いだコートを軽く畳み背もたれにかけると、手袋をはめたまま席についた。


「寒い中ごめんなさいね。でも、また会えて嬉しいわ」


『あぁいえ、こちらこそ。仕事終わりなもので、こんな時間にすみません。あ、ホットコーヒーをひとつ。あなたは?』


「私も同じものを」


嬉しそうなK子とは反対に、男は神妙な面持ちだった。

コーヒーを持ってきたウェイターが立ち去ったタイミングでK子は問いかけた。


「お疲れですか?」


男は少しの間黙っていたが、なにかを決心したように息を吸い、ゆっくりと手袋を外した。


『本当はもっと早く伝えるべきだった。今日まで隠していて申し訳ありません。これが私の真実です』


男の手を見た瞬間、K子は驚きのあまり言葉を失ってしまった。現れたのは、青い毛で覆われたモンスターのような手だった。


『青い毛が生えてくるのは手だけではありません。放っておけば、3日も経たずに全身青い毛で覆われてしまいます。腕の毛も、顔の毛も、髪の毛も鼻毛も。いろんな薬を試しましたし病院も転々としました。脱毛もしてみましたが、どれも効果はありませんでした。私は一生、この体で生きていくしかないのです』


男は手袋をはめなおし、湯気のゆれるコーヒーをすすった。

ふたりの周りだけボリュームがゼロになったような沈黙が流れた。


K子は気の利いた言葉ひとつ言えない自分を恨んだ。

それからなぜか、あれほど隠していた自分の体について無性に話したくなった。彼に自分のことを知って欲しいと思ったのだ。こんな感情になったのは、初めてだった。

自分も同じであったと。そうすれば彼の辛さを分け合えるかもしれない考えたのだ。


しかし、K子は話すことはしなかった。

手術のことは口外できないし、その上、ガラスの肌で悩んでいた時の思い出そうとしても、引き出しはほとんど空っぽになっていた。

彼からしてみれば、今のK子はなに不自由なく暮らしている、普通の女性なのである。


『そう困らないでください。みんな同じような反応ですから、もう慣れました』


男は鞄から財布を取り出し、千円札を2枚テーブルに置いた。それから背もたれのコートを手に取り、軽く頭を下げるとカフェをあとにした。


K子は少し冷めたコーヒーをすすった。

追いかけて、全てを話してしまおうか。あなたの悩みも一緒に抱えたいと、言ってみようか。そんなことが、何度か頭をよぎった。

窓からは、交差点に向かって歩いていく男の後ろ姿が見えた。K子はそっと窓の外を見つめた。

閉店までそうしていた。見えなくなった後も、彼の後ろ姿が頭から離れなかったのだ。

思い出しては、彼のことを考えてしまう。

どうすることもできないと分かっていても。




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