ケルトの猫王、女子高生助手と一緒に駄菓子屋で妖怪を祓う
水杜まさき
ケルトの猫王、女子高生助手と一緒に駄菓子屋で妖怪を祓う
都心から少し離れたベッドタウン、猫尾町。
古い寺や神社が数多くある、静かで自然豊かなところ――
そんな町の片隅に、『ひかりや』という駄菓子屋がある。おばあさんが一人で切り盛りする、小さな店だ。
今日も子供たちが硬貨を握りしめて買い物にやってくる。
「おばあちゃん、『あまい棒』と『ソーダ飴』、一つずつちょうだい!」
「はい、三十円ね。ありがとう。遅くなる前に帰るんだよ」
「はーい」
子供たちは店を出ようとする。が、その前に――
「『かりんと』、また来るからねー。いい子にしてるんだよ」
駄菓子棚の前に置かれた椅子。その上に敷かれた座布団の上で丸くなっている、大きな猫をやさしく撫でる。
彼はこの駄菓子屋の看板猫。毛並みは黒く美しく、胸のあたりに白い毛がフサフサと生えている。
子供たちが店から出ていくのを見守ると、かりんとは「ふぅ……」と息を吐いた。
◇ ◇ ◇
「我は猫の王、カーリントなるぞ!」
彼は二足でスッと立ち、集まった野良猫たちに演説する。
にゃあにゃあと、騒がしく沸き立つ猫たち。
ここは九世紀のアイルランド、ミースの聖地、タラの丘。
満月の光が、リア・ファルの石碑を明るく照らす。
胸にフサフサの白毛をなびかせた黒い猫。
『カーリント』の名を持つ彼はケルトの猫王――ケット・シーだ。
金の冠を載せ、渦巻きの模様が描かれたマントをなびかせる。
まさに王たる風格を備えている。
そこに霧が湧き立ち、妖精王『オェングス』が現れた。
猫王と猫たちは、一斉に跪く。
「カーリントよ。そなたに頼みがある」
「はっ、何なりと」
「遠からぬ未来、人間たちは世界を自由に行き交うようになるだろう。それとともに、見知らぬ怪異がこの地に紛れ込むやも知れぬ。その前に世界を巡り、余の代わりに見聞を広めてきてはくれぬか。そなたは猫の姿ゆえ、人に紛れやすいであろう」
カーリントは目を細め、鼻を鳴らした。
「はっ!そのお役目、猫の王たる私めが承ります」
「おお、余は嬉しいぞ。ならばそなたにこの力を授けよう」
オェングスが手を振ると、カーリントはまばゆい光に、ぱあっと包まれた。
そしてその光が引いていくと、――彼の額に満月の紋章が鮮やかに浮かび、スーッと吸い込まれていった。
「これは月光の力。怪異を惑わし、浄化するもの。必ずそなたの力になってくれるはずだ」
こうしてカーリントは、野良猫たちに見送られながら旅立っていった。
***
スコットランド中東部の港町、ダブリン。そこから荷物に紛れて出航する。
彼は普通の猫のような顔をして、船員に愛嬌を振りまいた。
猫は荷を荒らすネズミの天敵なので、丁重に扱われた。
やがて船はフランスの港町、ブルターニュへ。
この地では、森の奥に棲む『ルー・ガルー』に会った。
満月の夜、とある羊飼いの男がその姿を狼に変えるのを見た。
彼はペルシャ商人のキャラバンに拾われ、旅を続ける。
砂漠を越える途中、『ナスナース』に遭遇した。
それは片腕・片足しか持たない奇怪な存在で、岩陰から旅人を覗いていた。
キャラバンはシルクロードを東へ、東へ。
中央アジアの山岳地帯では、『アルマス』と呼ばれる毛むくじゃらの人型獣を見た。
人間に似ていたが、言葉を持たず、風のように姿を消した。
長い時間をかけて、唐、つまり今の中国に到着する。
長安の都では、夜の市で『
人の死を好む霊であり、墓地に集まるという。
これらの怪異はすべて、風の精霊に託して、妖精王オェングスに報告した。
長安から更に東へ進み、港町である
長い日数をかけて、大陸を西から東まで駆け抜けてきたことになる。
久しぶりの海。カモメの声。心地よい潮風が吹いている。
そこに、声が響いた。
「ケットーシーの船が出るぞー!乗るやつは急いでくれ!」
「何!?我のために船を用意してくれたのか?それはありがたい」
港には、赤や黒の塗料で塗られた、中型の木造船があった。
カーリントは急いでその船に乗り込んだ。
船は明州の港を離れていく。
――彼がその船を「
***
船は海を渡り、平安の日本へ。
この時代の日本は瘴気が濃く、妖怪が跋扈していた。
京の都にやってきたカーリントは、月光の力で悪霊を祓って暮らした。
高名な安倍晴明とともに戦ったこともあった。
それから千年以上、彼は日本で暮らすことになった。
日本の多種多様な妖怪、それに大陸から移り住んでくる妖怪たちに興味を持ったからだ。
時には彼自身が化け猫や猫又として恐れられたり、仙猫として崇められたりもした。
やがて科学の時代が訪れ、妖怪は影を潜めていった。
時代は明治となり、遷都とともに彼も東京へ住処を移した。
そして現代。彼は東京郊外の町の駄菓子屋――『ひかりや』に、看板猫として住み着いている。
◇ ◇ ◇
かりんとは、町の人たちみんなに人気だ。
子供だけでなく、大人も彼を撫でに来る。
――かりんとを撫でると疲れが取れる。
そんな評判が町に広まっていた。
「アニマルセラピーって凄いわねぇ」と近所の人は言うが、実は彼が月光の力で、人に取り憑いた悪霊を祓っているのである。
弱い下級霊ぐらいなら、彼に触れただけで霧散してしまう。
先ほども女の子の肩から、小さな黒い靄がするりと抜けていった。
「かりとんさん、お疲れさま」
ひかりやの店主『星凪珠代』は、カーリントをそっと優しく労った。
彼女には霊感があり、彼が女の子から霊を祓ったのが見えていた。
彼は、「にぃ」と目を細めて返事をした。
カーリントがこの町にやってきたのは五年前。その時に珠代は彼がただの猫ではないことを見抜いていた。
珠代は昔、祓い師をしていたことがあり、穢れや怪異などに敏感だった。
「お前さんは、化け猫かい?それとも仙描さまかい?」
「……我はケルトの猫王、ケット・シーのカーリントである」
「おや、随分とハイカラなかりんとうなんだねぇ。あまい棒、食べるかい?」
「いや、我はカーリントであって、かりんとうなどでは……なんだこれ。……むう、美味いではないか」
こうして、すっかり餌付けされてしまい、今に至るのである。
***
家々に明かりが灯る頃、ひかりやは閉店。
その少しあと――
「ただいまー、かりんと!おとなしくしてた?」
珠代の孫、『瑞希』が帰ってきた。
「瑞希、我は『カーリント』だ。お前ぐらいは正しい名で呼んでくれぬか」
「えー。『かりんと』の方が絶対可愛いじゃん」
彼女は十六歳。高校一年生。
バレーボール部の練習を終え、友達と少しお喋りをした後、自転車で家に着いたところだ。
星凪家の人々はみんな霊感があり、かりんとがケット・シーであることを知っている。
「お疲れさま。瑞希ちゃんも、かりんとさんも、お茶いる?」
珠代がやさしく声を掛けた。
「うん、ありがとう」
星凪家の夜の団らんが始まった。
珠代が夕飯の準備をする間、瑞希とかりんとは、和室でゆっくり寛いでいる。
『あまい棒』や『トマト四太郎』などの駄菓子をむしゃむしゃと食べながら、茶を啜るかりんと。
「かりんとぉ。今からそんなに食べると、晩ご飯食べられなくなっちゃうよ」
「我は精霊だから、本来は食欲とは無縁なのだ。食べたいから食べる。それだけだ」
「ええ……。それだと実は、ご飯いらなくない?」
「本来は、そうだな」
「じゃあ、私がかりんとの分、食べちゃっても大丈夫だよね」
「待て、なぜそうなる!」
「おばーちゃん!今晩のおかずってなーにー?」
「ハンバーグだよ」
「やった!ラッキー!かりんと、ありがとう」
「だから、なぜそうなる。我は食べるぞ。人間の食べ物は大好きだ」
そんな会話をしていると、玄関から「ただいまー」という声が掛かる。
瑞希の父の『誠一郎』と、母の『由香』が帰ってきた。
誠一郎と由香は、ひかりやの裏にある『猫尾神社』を運営している。
誠一郎が神主、由香が巫女。社務を終え、二人で帰宅したところだ。
「二人ともお帰り。もうすぐご飯できますよ」
***
星凪家の面々に加え、カーリントも食卓につく。
彼用に、子供用の背の高い椅子が用意されていて、そこに二足で座る。
「いただきます」
両前足の肉球を合わせて挨拶すると、彼はナイフとフォークを器用に使ってハンバーグを食べ始めた。
一口頬張ると、しっぽをピンと立て、喉をゴロゴロ鳴らす。
目を細め「うむ、美味い。珠代の料理は最高だな」と呟く。
「まあ、かりんとさん。嬉しいねえ」
食卓では、今日一日の話題――学校であったことや、神社であったこと、駄菓子屋にやってきたお客さんのことなどで会話に花が咲いた。
「そういえば」
と、味噌汁を啜りながら、由香が話題を持ち出した。
「山の方にバイパスが通るらしいわね」
「ああ。国道に繋がる道だろ。便利になるね」
誠一郎が、ご飯をお代わりしながら返す。
だが、珠代は漬物を摘んだまま、眉をひそめた。
「……あの辺りは昔は風葬地だからねぇ。工事が無事に済むといいけど」
「おばあちゃん、風葬地って何?」
「死んだ人を野ざらしにして、自然に返す場所のことだよ。昔はそうやって鳥が啄んだり、自然に腐ったりするのを待ったんだ。こういうところは怨霊が留まりやすい。……ほら、あの辺りに閻魔様をお祀りしたお寺があるだろう?あれは風葬地だった頃の名残だよ」
「へえー」
「我がこの国に来て四百年くらいは、そんな感じだったな」
「この辺りでは鎌倉時代にひどい飢饉があってね、大勢の人が亡くなったんだ。死体はあの山のあたりに放置されたそうだよ。そういう訳で、ちゃんと供養されていればいいんだけどね。万が一ということもあるし……」
***
それから一週間後。バイパスの工事が始まった。
とは言え、星凪家の人たちの暮らしは、いつもと変わらない。
珠代は駄菓子屋の店先に立ち、その近くではかりんとが昼寝をしている。
瑞希は高校に通って勉学やクラブ活動にいそしむ。
誠一郎と由香は神社のお務めをする。
ただ、彼らは町の空気が少しずつ変わってきているのを肌で感じていた。
◇ ◇ ◇
三週間ほど経ったある日、バイパスの工事現場で事件が起きた。
風葬地の巨岩を撤去すると、黒い
カーリントと瑞希は、夕食の前にテレビのニュースでこれを知った。
「猫尾町のバイパス工事現場で岩の掘削を行ったところ、地下から有毒ガスが発生。作業員五人が倒れ、病院へ搬送されました。ガスの発生は現在も止まっておらず、付近は立ち入り禁止となっています」
アナウンサーが事件の概要を伝える。
「かりんと、あの靄、絶対ヤバいよね」
「うむ。有毒ガスということになっているが、あれは霊的な現象だ。あの岩は風葬地の怨霊を封印していたのではないか?」
「それじゃ、このまま放置していたら……」
「そうだな。霊が解き放たれてしまう可能性があるな」
と、その時。
バイパスの工事を行ってる方向から、ドン!と、膨大な霊力が押し寄せてきた。圧倒されるような、嫌な気配だ。
「むっ、これは……!」
「えっ、まずいじゃん!これって絶対、怨霊だよね。かりんと、何とかできない?」
「できなくはないが、……今から夕食だろう?」
「ああもう、そんなの後回しでいいじゃん!……おばあちゃん、そこの駄菓子の詰め合わせちょうだい」
「はいよ」と、珠代。
「ほら、出かけるよ。これ、道すがら食べていいから」
「むぅ……、仕方ないな」
玄関へ向かう瑞希に、誠一郎が声を掛けた。
「瑞希。出かけるならこれを持っていきなさい」
手渡したのは猫尾神社のお札だった。霊を封じる効果がある。
「ありがとう。それじゃあ、行ってきます!」
「気を付けて!無理しないように!」
瑞希は、自転車のかごにカーリントと駄菓子の詰め合わせを載せ、工事現場へと漕ぎ出した。
***
工事現場に着くと、岩からの靄の流出は止まっていた。
その代わりに、上空に黒い靄がどんよりと漂っている。
それは次第に市街地の方へ向かって動き始めた。
「まずい。瑞希、追うぞ!」
瑞希は自転車を全力で漕いで、これを追う。
やがて、靄は運動公園の上空で集まり始めた。
周囲からも靄を巻き込んで渦となり、次第に大きく、大きく、密度をぐんぐんぐんぐん増していく。
そしてそれは次第に形を作り始めた。
白くて長い柱のようなものが生まれ、それらが機械的に組み合わさっていく。
ガシャガシャという、耳障りな音を響かせ、三階建ての建物ほどの大きさの、巨大な骸骨となり――
「おおおおおおおおお……」
それは、洞穴を抜ける突風が鳴らすような、虚ろな声を上げた。
「がしゃどくろだ!」
埋葬されなかった人たちの怨念が集まった妖怪。
生者に襲いかかって食べてしまうという。
それはガシャガシャと音を立てながら、市街地へ向かおうとする。
一般人には見えないであろうそれは、霊感のある瑞希にはその禍々しさが分かる。
「かりんと、早く!」
瑞希の声に、カーリントは自転車から飛び降り、がしゃどくろの前に立つ。
「止まれ!我はカーリント。ケルトの猫王なるぞ!」
彼は地面に爪でルーン文字を刻む。
「風の精霊よ!」
すると、地面の上を疾風が走り、骸骨の足を掬う。
だが、それは一時の足止めに過ぎない。
「ごがああああああ!」
がしゃどくろが咆哮し、巨大な骨の手がカーリントを狙う。
ごう、という音を立てて、骸骨の腕が彼に叩き付けられた。
そう思われた瞬間、その姿はフッと掻き消えた。
月の光で生み出した幻影だ。
カーリントは素早く跳び退いた。
「ふん。怨霊ごときが我にかなうと思うか!……とはいえ、図体が大きい割に動きが素早くて厄介だな。瑞希、やつの動きを止められないか?」
「やってみる!」
瑞希は自転車を飛ばし、がしゃどくろに接近する。そして、
「いけっ!」
父から貰ったお札を風に乗せて飛ばす。
お札は骸骨にまとわり付き、その動きを封じた。
「やった!」
しかしその瞬間、骸骨はギギギと音を上げ、そして勢いよくお札を破り除けた。
その反動で、巨大な骨が振り回される。
「きゃあっ!」
「瑞希!」
骨の手が瑞希の自転車に当たり、転倒する。
「大丈夫か?」
「痛たたた……。大丈夫、ちょっと擦りむいただけ」
態勢を立て直して、二人はがしゃどくろを睨む。
すると……、それはあるものを凝視し、停止していた。
駄菓子の詰め合わせだ。
――鎌倉時代にひどい飢饉があってね。大勢の人たちが亡くなったんだ。
瑞希は珠代の言葉を思い出した。
「そうか。こいつは餓死した人たちの怨念が集まったものだから……」
「食べ物への執着が大きいのだな」
「よし、それなら!」
瑞希は駄菓子の詰め合わせに素早く駆け寄り、お札を貼り付ける。そして――
「いけっ!」
バレーボールのサーブの動作で、それをがしゃどくろに飛ばす。
大きな口をバクッと開き、駄菓子を丸飲みにする骸骨。
すると、
「ぐおおおっ!?」
骸骨の動きが止まった。お札が内側から効いたのだ。
これなら容易にお札を破ることはできない。
「かりんと、今!」
その瞬間を見計らって、カーリントの額が明るく光る。
そこには満月の紋章がくっきりと浮かび上がっていた。
「我が力、ケルトの月の浄化を受けよ!」
カーリントが咆哮すると、光が骸骨を包み込んだ。
「おあああああああああ!」
虚ろな叫びを上げて暴れる骸骨。巨大な骨の手足を振り回そうとする。
だが、月の光からは逃れることはできない。
黒い靄が浄化されていく。
巨大な骨が、ボロボロと崩れていく。
「おおぉ……」
最後には切ない声を上げて、がしゃどくろは、消滅した。
あとに残るのは、街灯に照らされた、運動公園の静寂――。
「はぁはぁ……ふぅ……」
瑞希は息を切らしてへたり込んだ。
「すごい!やっぱり猫王なんだね!かりんと!」
「ふん、何度も言わせるな。『カーリント』だ。……それにしても瑞希。良い助手っぷりだったな」
カーリントは満足げに尾を振った。
「これで町は平和だね」
瑞希が笑う。
「ふむ。しばらくはな」
カーリントが空を見上げる。
晴れた夜空には綺麗な満月が、明るく輝いていた。
◇ ◇ ◇
数日後。
有毒ガスが収まりバイパス工事が再開したと、テレビのニュースが伝えた。
その裏で、カーリントと瑞希の戦いがあったことは、星凪家の人たち以外、誰も知らない。
今日も平和な『ひかりや』。
珠代が店先に立ち、かりんとは椅子の上の座布団に寝そべり、子供たちが集まる。
今日もカーリントは、駄菓子屋の看板猫、かりんととして愛されている。
いつかは他の土地へ向かう日も来るのだろう。
だが、今は星凪家や猫尾町の人たちの愛情や、駄菓子のおいしさが心地いい。
今日もカーリントは、子供たちに撫でられながら、尻尾をピンと立て、スッと目を細めるのだった。
(了)
ケルトの猫王、女子高生助手と一緒に駄菓子屋で妖怪を祓う 水杜まさき @mizumori_masaki
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