幕間・鬼の灯り ー side虎姫
囚われたお姫さまがおりました。
名前を虎姫
彼女は鬼であるが故に人よりも長らく生きておりました
酒樽をひとつ盗んで呑み
小石を投げられることもあれば
畑の手伝いをして
食べ物を貰うこともありました
暇を持て余しては彼女は星空を見上げました
あれは何といふ名前をした星であるのか
なにゆえにあのような位置に星があるのか
数多の星を数え
太陽と月を追いかけ
彼女はたくさんの人々の命を見送りました
小石を投げられることはいつものことなのでぼんやりと過ごしていました
「僕が鬼なのだぞう!」
ある日、不思議な少年に出逢いました
「何故、おまえは私を庇ったのだ」
「石を投げられたら痛いと知っていたからです」
「誰から投げられたのだ」
「僕を泣き虫だと笑った人たちからでした」
「では何故、おまえはそんなに寂しそうなのだ」
「僕には本当の友達と呼べる人がいないからです」
彼は桃太郎の子孫であるがゆえに
寵愛され、ひとりぼっちだといふのでした
「勇敢な雉はどうした」
「雉は外の世界を見たいと遠方へ足を運んでしまいました」
「頭の回る猿はどうした」
「蟹なんかが恐いと言い、僕と関わりを持ちたがりません」
「機敏な犬はどうした」
「友達ではなく、任務として僕と話してくださいます」
「それではお前が寂しい人間になってしまうだけではないかっ!」
彼女の心がはじめて波打ちました
ひとりぼっち同士、鬼と鬼狩りは立場すら忘れて語り明かしました
人間は非情ではあるが、優しさも併せ持つということ
鬼は強欲ではあるが、哀しんでいるということ
「虎姫に夢はあるのかい」
「無い、桃郷郎にはあるのか」
「僕は桃太郎という立場を放り投げて教師になりたい」
「教師とは、人に知識を教える役目だったか」
「そうさ、生きてゆく術や学びを教えるひとだ、とても素敵な夢だろう」
「そうだな、それは素敵な夢だ」
「いつか虎姫の夢も、夢が出来たら僕に教えてくれ」
「嗚呼、約束をしよう」
自分達は似たもの同士であるということ
「虎姫、僕は君が好きだ」
虎姫は首を横に振りました
「どうして断るのだい」
「私は鬼で、お前が鬼狩りであるからだ」
鬼子と人間はいつもの場所で逢わなくなりました。
鬼子は初めて、心にぽっかりと穴があいたような感覚を知りました
*
「そこの木を切りたいのだけれど」
柿を引っ掴んで口に放り投げていると、不思議な人間と出逢いました。
人間は植木を切る鋏なんかを持っていました。
小さくか弱そうな細い手に見合わない頑丈そうな鋏に虎姫は思わず笑ってしまいました。
「おまえは人間なのに侍の匂いがする」
「あら、貴方には私のことが分かるの」
「ああ、私は鬼であるからな」
虎姫の視線の先は木で出来た学校、教室がありました。
そこには沢山の学生が椅子に座って、教卓に立つ『教師』とも『先生』とも呼ばれる人の話を熱心に聞いていました。
「鬼の子よ、あなたは授業を受けたいの」
「嗚呼、ちがう。私は桃郷郎の言っていた『教師』という方に興味があるのだ」
「…あなたは教師になりたいの?」
柿の木は葉っぱの茂みが覆いかぶさり、身を隠すにも、毛布にもなってくれるので虎姫は此処の柿の木を気に入っていました。
「そうか、私は教師になりたかったのか」
「はぁ、あれだけ教室をこぉんな遠くの樹から眺めておきながら何を今更言うのです」
「そうだ。人間よ、名前をなんという、私は虎姫だ。侍は先に名乗るのが礼儀だと聞くが、おまえのおかげで新たな発見を得ることが出来たのだ。此処は私が先に名乗ろう」
「…私の名は梅子よ、それより、どうして虎姫は教師になりたいの?」
虎姫は夢を語っていた桃郷郎があまりにもきらきらして眩しかったこと、その時間がとっても楽しかったことを伝えました。
「桃郷郎さんに好意を寄せているとか、命を狙っているとか、そういった話ではないのですね」
「もちろん、私は寧ろあの生徒たちが皆こぞって読んでいる文献の方に興味がある」
「ふふふ、正直なお方は好きですよ」
梅子はとうとう鋏を投げ捨てると、腹を抱えてひぃひぃと笑い出しました。
気がつくとふたりはともだちとなっていました。
梅子が桃郷郎と結納するのだと聞いた時、虎姫は目をぱちくりとさせただけで、『おめでとう』と手を叩くだけでした。
心に生まれた暖かな光に、虎姫は少しだけ戸惑いました。
「おい、梅子、たいせつなことを忘れているぞ」
「何ですか、虎姫」
「柿の木を切るのを忘れておる」
何年も切らなかった柿の木は枝が伸び放題で、自由気儘に生きているように見える虎姫のようだとも思いました。
それ以上に虎姫には幸せになって欲しかったので、梅子は鋏を捨て、百舌鳥を呼びました。
「私としたことが、わざと忘れてやったのです」
『また此処の柿の下でお会いできるといいですね』とだけ言い残し、梅子は何処か遠い場所へと消えていきました。
*
「鬼は教師になれない、かぁ」
虎姫は頭を抱えておりました。
最近といえば何をやってもうまくいかないのです。
大昔はひとりでも、酷い言葉を浴びせられても大丈夫でした。
然し、桃郷郎と梅子に出逢ってからというもの、虎姫は何処か寂しいと感じてしまうのです。
その度に桃郷郎とよく星を見た山の麓の土の上や、梅子と話した柿の木の近くへ足を運んでは俯いてしまうのでした。
人間に危害を加える鬼が教師になんてなれるはずないと、どこかで本当はわかっていました。
けれど、どうしても諦めたくなかったのです。
「そうだ。桃郷郎は元気だろうか、梅子は息災であろうか、あの二人は無事に子宝に恵まれたであろうか。桃太郎と侍の血を継ぐ子だ。どうせとんでもない子であろう」
その時、予想もしていなかった人間が虎姫の前に現れたのです。
それは、梅子と結婚したはずの桃郷郎でした。
虎姫は牙を剥きました。
「久しぶり、虎姫」
「私に用は無いはずだ。帰ってくれ」
「虎姫、話を聞いておくれ、梅子から聞いたんだ。君が教師の夢を持っているって」
虎姫は鼻を啜りました。
「教師にはならない」
「僕はなれなかった。君はなれる」
「ならないと言っておろう!」
怒りに身を任せて、崖の端から流れる滝壺へ飛び込んで仕舞えば、桃郷郎から逃げられると、虎姫は思ってしまいました。
虎姫はこんな何者にもなれなかった自分を桃郷郎にだけは見られたくはなかったのです。
「待って、虎姫、其処は昨晩の嵐で地盤が緩んでいる」
気がついた時には桃郷郎が飛沫をあげる水面を背にしていました。
滝壺に飛び込み、びしょぬれの桃郷郎を担ぐと、虎姫は近くの木の根元の場所へ急いで移動しました。
虎姫は初めて人間に生きてほしいと強く願いました。
初めて生まれた感情だらけで虎姫は混乱していました。
「聞こえるか、桃郷郎」
「虎姫、お前の心は鉛に枷に囚われておる、だからこそ縛られていて檻から出ることすら儘ならぬのだ」
「桃郷郎、聞こえるか」
「虎姫よ、夢を追いかけていいんだよ」
黄昏時だったのでしょう。五時の鐘の音が二人の耳をつん裂きました。耳の膜内で振動する鐘の音が、ここでお別れなのだと鬼は悟ってしまいました。それは桃太郎もおんなじでした。
「虎姫先生や、ご存知でしょうか、この音楽は交響曲第九番、新世界より、第四章といふのです」
「そうか、なぁ、桃郷郎」
「はい、虎姫」
「世界は面白いか」
桃郷郎の答えは宙へと消えてゆきました。
それを何よりも美しいと虎姫は思いました。思ってしまったのです。
虎姫は梅子とよく喋っていた百舌鳥を思い出し、その辺に居た百舌鳥をとっ捕まえると現状を全て口にしました。
「桃郷郎、ありがとう」
虎姫が人間に近づいた日でした。
*
「お酒の飲み過ぎですよ」
声が聞こえて虎姫は振り返りました。其処には嘗てのともだち、梅子がおりました。
「嗚呼、息災でしょうか、梅子よ」
「ええ、息災でした。久方ぶりです。虎姫はお元気でしたでしょうか」
「それなりにやっているわ、嗚呼、そうだった、あなたと桃郷郎の息子、可愛いじゃないの」
「手を出したら今度こそ私は貴方の首を刎ねますからね」
未だ温かくなったばかりの春では当たり前ですが、柿の木には柿の実は成っておりません。然し、周囲に咲いている沢山の桜の樹が柿の木を覆い、桜の樹に見せてしまうのです。
まるで仮面のように、それが憎たらしくて梅子は虎姫へお土産を渡しました。
「貴方が大好きなお酒です」
「あらどうもありがとう、私からもこれをお渡しするわ」
「口調も大分変わられたようで、どのような心境の変化がありましたのかお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「そうね、強いていえば…」
夜空に浮かんだたくさんのお星様を見上げながら虎姫は言いました
「私は『教師』の夢を叶えることができたから」
梅子は思わず大きなため息を吐きました
「私は相変わらず貴方の考えていることが分かりません、虎姫」
「それを言うなら梅子、私も貴方の考えていることなんて全くわからないわ」
とある木が大量の桜の樹に隠れて己を『桜』と偽るのであれば、意地が何でもこいつを『柿の木』に戻してやる役割はどうしたって自分しかいないのだろうな、と梅子は改めて思ったのでありました。
「それはそうと私の愛しい桃士郎さんへ手をお出しになられたら、分かりますよね」
「残念ながら、このあいだ告白されちゃったのよねぇ」
虎姫はあの力強い『斬ります』と決意を新たにするように宣言した桃士郎の瞳を思い出して微笑みました。
それは酷く幸せそうな笑顔でした。
終
きげきっ! 雪乃 空丸 @so_nora9210
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