第24話 煙の向こう

スーリは足早に市場を抜けた。


酒場でも、露店でも、同じ話を聞いた。


「東の辺境の村が崩壊したらしい」


「原因は魔物の大群だって。規模がおかしいって話だ」


「村人は逃げ出して、流民になってる。近くの村に押し寄せてるらしいぜ」


「一つじゃないんだ。複数の村で同じことが起きてる」


嫌な予感が、胸の奥で膨らんでいた。


スーリはアレンたちの宿へ急いだ。


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宿に戻ると、アレンとリシアが待っていた。


「どうだった?」


アレンが訊いた。


「三人とも、行く気になってる」


スーリは息を整えながら答えた。


「ゴルドは荷をまとめたら後から追いかけるって。『あの村には伸びしろがある』って言ってたよ」


「マルセルは?」


「器具と魔石加工の準備があるから少し遅れるけど、行くと。『医療体系を一から作れるなら面白い』だって」


「トーマは?」


「親方との契約を解除しに行った。『自分の居場所を見つけたい』って。解決したら必ず向かうって」


リシアの顔が明るくなった。


「よかった……!」


アレンも小さく息を吐いた。


(……間に合った、かもしれない)


だが、次の瞬間、胸の奥に冷たいものが走った。


(いや、最悪もある)


スーリの表情が暗い。


「……それより、聞いてほしいことがある」


アレンの警戒が一気に高まった。


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スーリは早口で噂を伝えた。


辺境村の複数が壊滅していること。


魔物の大群が原因とされていること。


生き残りが流民になっていること。


そして──


「その流民が、まだ安全とされている別の辺境村に集まり始めてる」


アレンの顔色が変わった。


「……どの方角からだ」


「東から西へ。魔物の流れがそっちに向かってるって話だ」


沈黙が落ちた。


リシアは意味を理解するのに数秒かかった。


「……アレン。それって……」


「ああ」


アレンの声は低かった。


「次に襲われるのは、俺たちの村かもしれない」


リシアの指先から、血の気が引いていくのが自分でも分かった。


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アレンは立ち上がった。


「戻るぞ」


「ま、まだ村は──!」


リシアが叫んだ。


「壊されている可能性がある」


リシアの喉が締め付けられた。


声が出ない。


アレンは淡々と続けた。


「村が無事か確かめることが最優先だ。仮に壊滅していても、生存者の救助を優先する」


「壊滅……」


リシアは言葉を失った。


バルト。エルナ。ガレス。子供たち。


バルトの不器用な怒鳴り声。エルナの優しい笑顔。ガレスの皺だらけの手。エルナの娘たちが手を振る姿。


みんなの顔が浮かんだ。


胸に、初めての感情が芽生えた。


帰るのが、怖い。


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スーリが言った。


「あたしは三人に伝言しとく。『アレンたちは先に戻る。状況次第では、早めに向かってほしい』って」


「頼む」


「気をつけな。道中も何があるか分からない」


アレンは頷いた。


「急ぐぞ」


その声が、わずかに震えていた。


リシアは気づいた。アレンも、怖いのだ。


リシアはスーリを見た。


「スーリさん……ありがとうございました」


「礼はいいよ。また会うから」


スーリは手を振った。


「死ぬなよ、二人とも」


スーリは少し間を置いて、付け加えた。


「戻ってきたら酒奢りなよ。約束だからね」


アレンは小さく笑った。


「分かった」


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街を出た。


アレンは珍しく速度を上げた。


リシアは息を切らしながら追った。


森を抜け、街道を走り、また森へ。


風の音が、どこか不吉に感じられた。


鳥の声が少ない。


空気が重い。


二日目の朝、街道の脇に異変を見つけた。


大量の足跡。人の足跡だ。一人や二人ではない。何十人もの足跡が、西へ向かっている。


「……流民か」


アレンが呟いた。


さらに進むと、木が折れている箇所がいくつもあった。何かが通り抜けた痕跡。大きな何かが。


リシアは黙って歩いた。


会話は少なかった。


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二日目の夜。


野営の焚き火を囲んで、リシアが口を開いた。


「……アレン」


「何だ」


「本当に、壊れて……?」


アレンは火を見つめたまま答えた。


「分からない。だが最悪を想定するのが、判断する立場の役目だ」


「判断する立場……」


「俺は補佐役だ。でも、今この場で決めるのは俺しかいない」


アレンは火を見つめた。


「……昔、最悪を見落として失ったものがある。同じ過ちは繰り返さない」


リシアは黙った。


アレンの言葉の奥に、何かが潜んでいる気がした。でも、今は聞けなかった。


「……お前は交渉で成長した。村に帰ったら、もっとやることが増える」


「うん……」


「だから、今は走れ。考えるのは、村を見てからでいい」


リシアは小さく頷いた。


「……お願い」


手を組んで、祈るように呟いた。


「どうか……無事でありますように……」


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三日目の午後。


見慣れた森が近づいてきた。


あと少しで、村が見える丘に出る。


アレンは足を速めた。


リシアは走りながら思った。


走るほどに、不安が追いついてくる。


アレンの背中が、遠く感じた。


(お願い……お願い……)


心臓が痛いほど鳴っている。


丘を登る。


そして──


立ち止まった。


心臓が跳ねた。


「……何だ、あれは」


遠くに、煙が上がっている。


一筋ではない。いくつも。


妙だった。


焚き火の煙にしては、色が濃い。黒みがかった灰色が、低く地面を這うように漂っている。


そして――範囲が広すぎる。


村一つ分では収まらない広がりだ。


風の向きとも合わない。まるで意思を持っているように、低く留まっている。


アレンの背筋が凍った。


(……ただの火事じゃない)


リシアが追いついた。


足が止まる。呼吸が浅くなる。


「え……?」


村の方角だ。


「まさか、燃えて……!」


「分からない。行くぞ!」


アレンは走り出した。


リシアも続いた。


足がもつれそうになる。それでも走った。


心臓が痛いほど鳴っている。


(お願い、お願い、お願い……!)


煙の正体は、まだ分からない。


だが、何かが起きていることだけは確かだった。


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滅びゆく辺境村で笑う彼女と、補佐の俺が希望を繋ぐまで ことん @katonon

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