第11話 再生ボタンと、見えてしまった過去

 


 画面の中で、スポットライトが上がった。


 


 白い光の真ん中に、望月——いや、テロップには「望月真白」と出ている。


 


 黒い衣装。

 ステージ袖から一歩、二歩。


 


 見慣れたライトブラウンの髪が、別の世界の色をしていた。


 


 会社の自席で、俺はノートパソコンの画面を見つめたまま固まっていた。


 


 昼休み。

 フロアのあちこちからキーボードの音と、同僚の雑談が聞こえてくる。


 


 そのざわめきの中で、イヤホンの中だけが別世界だった。


 


 きっかけは、本当に些細だった。


 


 資料作りに行き詰まって、何気なく開いた検索バー。


 


 「望月 俳優」


 


 ふと、そんな文字列を打ち込んでいた。


 


 前に酔っぱらいの男が「マシロが俳優やってた頃」と言ったのが、引っかかっていたのかもしれない。


 


 エンターを押すと、いくつかの記事と一緒に、動画サイトのサムネイルが並んだ。


 


 白いライト。

 黒い舞台袖。


 


 サムネイルの端に、小さく「望月真白」と書かれている。


 


(……マジか)


 


 クリックすると、数年前の小劇場の舞台映像が再生された。


 


 細い通路みたいなステージ。

 客席のざわめきが、かすかにマイクに拾われている。


 


『それでも、降りたいなら——』


 


 画面の中の望月が、はっきりとした声で台詞を言った。


 


 いつもの、やわらかい調子とは違う。

 舞台用の、通る声。


 


 その癖のある抑揚が、バックルームで聞こえたハミングと重なった。


 


『カーテンコールのない夜でも、どこかで誰かが、こっそり拍手してくれてるって信じてれば』


 


(……あ)


 


 聞き覚えのある言葉だった。


 


 あの日、バックルームで聞いたぼやき。


 


『カーテンコールって、分かりやすい終わりだったんですよね。今は、ないですけど』


 


 それが、今、画面の中ではちゃんと照明を浴びて台詞になっている。


 


 数十分の舞台映像を見終わる頃には、昼休みはとっくに終わっていた。


 


 再生画面の横には、関連動画。


 


『【ラスト舞台】望月真白まとめ』

『カーテンコールで泣いた夜』


 


 タイトルだけで、胸がざわつく。


 


(ラスト舞台……)


 


 クリックする勇気は出なかった。


 


 代わりに、画面の下の関連検索に目がいった。


 


『望月真白 炎上』

『望月真白 降板理由』

『望月真白 最後の舞台』


 


 その文字列を見ただけで、喉の奥がきゅっと狭くなる。


 


 カーソルが『炎上』の上で止まった。


 


(やめとけ)


 


 頭のどこかで、そうつぶやく声がした。


 


 その瞬間、社内チャットの通知が画面の端で弾けた。


 


『今日の資料、14時の会議までに最新版ほしいですー!』


 


 現実に引き戻される。


 


「……はいはい」


 


 俺はブラウザのタブを一つ閉じて、エクセルの画面に戻った。


 


 ただ、さっきまで見ていた映像は、頭の中で鳴り止まなかった。


 


 ライトの熱。

 袖から出る前の一呼吸。

 カーテンコールの拍手。


 


 あの拍手の音の向こうに、今のカウンター越しの笑い声が、妙に並んで聞こえた。


 


(あの人、ちゃんと立ってたんだな)


 


 終電ゲームのカウンターじゃなくて。

 もっと眩しい場所の真ん中に。


 


 午後の会議室で、プロジェクターの白い光を浴びながら、俺は自分の顔が少しだけ引きつっているのを自覚していた。


 


 ライトの色が全然違うのに、なんとなく同じ場所に立たされている気がして。


 


 その晩、終電ゲームは引き分けだった。


 


 ホームには間に合った。

 けれど、足はMIDNIGHT LADDERとは逆方向に向かった。


 


 あのカウンターで、何をどう聞けばいいのか分からなかったからだ。


 


 結局その夜は、コンビニのコーヒーを片手に、真っ直ぐ家に帰った。


 


 ベッドの上で、スマホの画面だけがやけに明るかった。


 


 検索欄の予測変換の一番上には、あの四文字が居座っている。


 


『望月真白 炎上』


 


 カーソルをそこに合わせたまま、俺はしばらく動けなかった。


 


 画面の中でスポットライトを浴びていた望月と、曇りガラスの向こうでライトブラウンの髪を揺らしていた望月が、頭の中で重なったり、ずれたりし続けていた。


 


 翌朝、鏡の中の自分の顔は、終電を逃した夜より少しだけ疲れて見えた。


 

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ミッドナイトラダー ~MIDNIGHT LADDER~ 鈴来あや @suzukiaya

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