「妖道と清彦 ― 怪異伝承紀行」

をはち

「妖道と清彦 ― 怪異伝承紀行」(一)河童の川流れ

信濃国の山深く、霧に包まれた一筋の河が、静かに蛇行していた。


芦の群生が水辺を埋め尽くし、風が吹くたび、葉ずれの音が不気味な囁きのように響く。


そこに、助川清彦という男が身を潜めていた。


禿げ上がった頭頂部が、月光に鈍く光る。


彼は河童を捕らえるために、一月あまり、この場所で息を潜めていた。


網を握りしめ、息を殺し、河面を睨む。


河童の伝説は古くから語り継がれ、皿のような頭に亀のような甲羅、くちばしを備えた妖怪。


清彦はそれを信じ、捕らえれば己の運命が変わると信じていた。


その夜、芦の陰から足音が近づいた。


現れたのは、民俗学者の佐久間妖道。


黒い外套を纏い、杖を突きながら、河辺に立った。妖道は周囲を見回し、低く呟いた。


「なるほど、このような事ではないかと、思って立ち寄ってはみたが…まさに見事な頭であるな。」


清彦は息を呑んだ。妖道の目は、闇の中で鋭く輝いていた。


清彦はゆっくりと姿を現し、声を潜めて問うた。


「誰だ…お前は。」


妖道は微笑んだ。穏やかな、しかし底知れぬ笑み。


「佐久間妖道と申す。民俗の伝承を追う者だ。お主が助川清彦か。


一月ほど、この河で河童を待つという噂を耳にしたゆえ、寄ってみたまで。」


清彦は黙って頷いた。


妖道は河面を眺め、ゆっくりと語り始めた。


「お主が思い描く河童など、おらんよ。あれは、遠い昔、我らのご先祖が食うに困った時代の産物だ。」


妖道の声は、霧のように河を這った。


清彦は耳を傾けざるを得なかった。


「その頃の村は、近親者同士の婚姻が多く、不自由な子が産まれることが多かった。


手足が曲がり、目が潰れ、言葉を発せぬ子ら。産み落とされたその存在を、誰にも告げず、こっそりと河まで運ぶ。


芦で編んだ小さな船に乗せ、流れに任せる。それが河童だ。」


清彦の喉が鳴った。妖道は続けた。


「河童の川流れ、という言葉を知っておろう。泳ぎの達者な者でも溺れる、というたとえと伝わるが…そうではない。


あの様子を云ったものだ。食うに困る時代。家の仕事をできぬ者を、面倒を見る余裕などなかった。


裕福な家でも、似たようなことがあった。」


「川に…流すんですか?」


清彦の声は震えていた。妖道は首を振り、目を細めた。


「いや、そうではない。座敷童を知っておろう。」


「住み着くといいことがあるとかいう…あれですね。」


「あれも河童だ。ただ、川に流さない。裕福な家には座敷牢があった。そこで一生、育てられる。


めったに人前には出さぬ。だから座敷童と呼ばれる。外の世界を知らず、ただ生きる。家族の影のように。」


河風が冷たく吹き抜けた。芦の葉がざわめき、まるで無数の小さな手が掻きむしるよう。


清彦は自分の頭を触った。


つるつるの禿げ頭。河童の皿を思わせる。妖道の言葉が、胸に染み込む。


「で、この話を聞いて、お主はどうする?」


清彦は息を吐き、呟いた。


「おれは、この風体だから…人間ではなく河童だと自分を信じて、河童と一緒に暮らそうと思ったんだ。」


妖道は笑った。低く、喉の奥から。


「たしかに、見事に頭の上だけ禿げておるな。つるつるじゃ。だが、お主にはくちばしがないじゃないか。


つまり、お主は人間なのさ。それに、フランシスコ・ザビエルという聖職者は、お主と同じ姿をしておるぞ。」


「なんと…このわたしにですか。」


「うむ。うり二つじゃ。どうだ? もし暇なら、私もちょうど助手をさがしていたところだから、いっしょにこんか?」


清彦は妖道の目を見た。そこに映るのは、底なしの闇。だが、好奇心が勝った。


「あぁ、アナタと一緒なら、きっと不思議な事をたくさんみれるのでしょうね。」


こうして、二人は河を後にした。


妖道と清彦の旅が始まった。


怪異の伝承を追い求める、果てしない道。


やがて二人は信濃の古い村に辿り着いた。


妖道は古びた民家を訪ね、座敷童の噂を聞き出した。家主は老女で、目を伏せて語った。


「座敷牢は、奥の奥。鍵はかかったままじゃ。昔、子が生まれた。手が六本あった。家族は喜んだよ。幸運の証だと。」


夜、妖道と清彦は家に泊まった。


深夜、座敷牢から音がした。ごそごそと、何かが這う音。


清彦は禿げ頭を撫で、妖道に囁いた。


「聞こえるか…あれは。」


妖道は頷き、鍵をこじ開けた。座敷牢の扉が開くと、埃っぽい空気が噴き出した。


中には、痩せ細った影がいた。手が六本、目は白く濁り、皿のような頭が揺れる。


座敷童――いや、河童の末裔。


鎖で繋がれ、床を這っていた。


「助けて…外へ…」


影は囁いた。


清彦は凍りついた。自分の頭が、影のそれと重なる。妖道は静かに言った。


「これが裕福な家の河童だ。一生、ここで幸運を祈る。外の世界を知らぬまま。」


影は鎖を鳴らし、這い寄った。


清彦の足に触れ、冷たい感触――清彦は叫び、逃げ出した。


「落ち着かれよ――あれは、儂等と何ら変わらぬ人間だ。人の都合で、あの様になっただけのこと。


儂等のつとめは、人間の闇が、都合良く妖怪を生まぬように、伝承を残し真実を語り継ぐことなのだ――


それでも、ついて来るかね?」


こうして、民俗学者の佐久間妖道と助手の助川清彦の怪異の伝承を追い求める旅が始まったのだった。

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「妖道と清彦 ― 怪異伝承紀行」 をはち @kaginoo8

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