オズの魔法使いと青髭の鍵
東京湾岸エリアの事件から三日が経った。世論は『ナルキッソス』の崩壊と富豪たちの消息不明を巡り、パニックと憶測で煮えくり返っている。警察はこれを大規模なテロ事件として捜査していたが、ジェスターが意図した通り、その真の動機を掴めていなかった。
そんな混沌の中、フリージャーナリストの高城 結希(たかぎ ゆうき)は、自宅兼事務所で徹夜明けの疲労に耐えていた。彼の動機は金でも名声でもない。この腐敗したシステムを暴き、社会の目を覚まさせたいという、純粋だが、だからこそ危険な「正義への飢え」だった。
彼のデスクには、匿名で送られてきた小包が置かれていた。中には、手のひらサイズの金色のマスターキーのレプリカが入っている。
『ナルキッソス事件の真犯人より。この鍵は、富豪たちが隠した真実を開ける。明日の深夜零時、廃墟となった「シーサイド・ドリーム・ランド」の観覧車の下で待つ。最高の特ダネを、最高の演者へ』
ユウキの心臓が激しく脈打った。危険だと分かっていた。だが、ジェスターの「青髭の鍵」は、彼の「特ダネへの盲信」という錠前を容易く開けた。彼はこのチャンスを逃すことなど、決してできなかった。
深夜零時。ユウキは指定された海辺の廃墟遊園地へと足を踏み入れた。潮風が錆びた鉄骨を軋ませ、まるで巨大な獣の喘ぎ声のように響く。古びたメリーゴーランド、色褪せたアトラクション。すべてが不気味な照明に照らされ、歪んだおとぎ話のようだ。
ユウキは奥へと進む。古びた観覧車の下に立つと、静寂を破って、頭上から声が降ってきた。
「ようこそ、高城ユウキさん。君の『飢え』に敬意を表して」
観覧車の頂上から、タキシード姿のジェスターがゆっくりと降りてくる。彼のメイクは血のように深く、その冷笑的な笑顔は闇夜で不気味に浮かび上がっていた。
「最高の舞台へようこそ。君はもう、観客ではない。君こそが、僕の次の興行の主役。…最高の**『演者』になってくれる?」
ユウキは構えていた隠しカメラをジェスターに向けた。「お前の目的は何だ? なぜこんなことをする?」
ジェスターは微笑んだ。「面白さの追求。それだけだよ~。そして君のその質問!その『正義への飢え』こそが、僕の興行を完璧にするんだ!」
彼の合図とともに、錆びついたメリーゴーランドの壊れたオルゴールが、不協和音を奏で始めた。
メリーゴーランドの音楽が不気味に響く中、三つの影が遊園地の奥から姿を現した。
一つは、布地に灯油を染み込ませ、ゆっくりと燃え盛るカカシ。理性と知識が、炎によってじわじわと崩壊していくようだ。
二つ目は、巨大な斧を肩に担いだ、鈍く輝く金属製のブリキの大男。その動きは冷酷で、人間的な感情を一切感じさせない。
そして三つ目。漆黒の影が蠢くキメラ。巨大なライオンの体に、背中からは角の生えたヤギの頭が、尾の先は毒々しい模様を持つ蛇の鎌首が据えられている。異臭が漂い、その血色の瞳はユウキを獲物として捉えていた。
「さあ!始まりました!オズの魔法使いをモチーフにした、最高の解体ショーだ!」ジェスターは歓喜に声を震わせた。「真実とは常に!炎に焼かれ、冷たい刃によって切り刻まれ、そして、古典的な異形の悪意によって喰い破られるもの!ユウキさん!君の『美学』を、僕の『興行』へと昇華させよう!」
ユウキは、一瞬で恐怖に支配された。彼は必死に隠しカメラの起動を試みたが、ブリキの斧が一瞬でそれを叩き割り、火花を散らす。
「ダメだ。このままじゃ死ぬ……」
恐怖の中で、彼の「ジャーナリストの最後の意地」が突き動かされた。ユウキはポケットからスマートフォンを取り出し、ライブ配信プラットフォームで自分のチャンネルを起動させた。
『ナルキッソス事件の真犯人に襲撃されている。これが!彼の悪意の証拠だ!』
画面には、ユウキの蒼白な顔と、その背後に唸り声をあげて突進してくるキメラの異形の姿が映し出された。配信は瞬く間に拡散され、視聴者数は爆発的に増加していく。
ジェスターは、観覧車の上でその映像に気づいた。当初の計画を完全に逸脱した、「編集不能な生中継」という予測不能な混沌。
ジェスターの顔に、張り付けた笑顔の下から、冷笑的で狂気に満ちた、本物の笑みが浮かび上がる。
(クフッ!ハハハハハ!なんて素晴らしい!なんて面白い!僕の脚本を飛び越えた!彼こそが、僕が求めていた最高の素材だ!)
ジェスターは動かない。最高の混沌が拡散している。あとはこの「最高の演者」に、最高の結末を与えるだけだ。
ユウキはキメラの追跡をかわし、ブリキの斧をギリギリで避け、遊園地の正門ゲートへと到達する。画面には「生中継中」の表示と、膨大なコメントが流れ続けている。
勝利を確信した瞬間、ゲートの向こうの夜の闇から、スポットライトがユウキを照らした。その光の輪の中に、ジェスターが優雅な姿勢で立っている。
「Mr.ユウキ!君は僕の期待を完全に裏切り、それを上回ってくれた!君は最高の演者だ!」ジェスターは拍手をした。
彼はユウキの逃走を、ブリキ、そして唸り声をあげるキメラがゆっくりと追いつくのを待ちながら、引き延ばす。ジェスターはユウキのスマホの配信画面に向かって微笑んだ。「視聴者の皆様!今宵のショーは、特別に延長戦へと突入します!最高の演者への『知的ゲーム』です!」
「第1問!」
ジェスターは懐から、金色のマスターキーのレプリカを取り出した。
「さて、Mr.ユウキ?キミをこの悪夢の舞台へ誘った、この『青髭の鍵』。この鍵が持つ、真の『仕掛け』は何でしょーか?君は真実のヒントだと思った。だけど…この鍵のホントの機能は?」
ユウキは息切れしながら答える。彼の顔は配信画面に大きく映し出されている。
「この鍵は……ただのマスターキーじゃない。俺の『傲慢さ(プライド)』と『欲求』を開けるための、錠前だったんだ!俺が真実を掴んだと信じ込ませるための、ただのエサだった!」
「ブラボー!君の『飢え』こそが、僕の最高の演目への扉を開けた!最高の答えだよ!」ジェスターは歓喜した。
「さあ!第二問!」
ジェスターは、背後に迫りくる、カカシ、ブリキ、キメラを指さした。
「では、第二問。僕が君のために用意したこの三体のモチーフ。オズの魔法使いの、燃えるカカシ、斧を持つブリキ、そしてキメラ。これらは、君が追い求めてきた『ジャーナリストの三要素』のうち、何を象徴し、そして何を欠いているのでしょうか?」
ユウキは、恐怖を押し殺し、ジャーナリストとしての最後の意地を口にする。
「俺たちが持つべきは……『知識と理性(カカシ)』、そして『行動力(ブリキ)』。そして何よりも、『真実を追う勇気 (ライオン)』だ!俺たちはそれを欠いていない!」
ジェスターは狂気に満ちた、心からの笑みを浮かべた。
「惜しい!君の『知識』には『心』がなく、君の『行動力』には『情熱』が欠け、そして君の『勇気』は……『悪意』という異形に汚染されている!ささ!その『欠けた美学』の代償を払いなよっ!」
ジェスターは、ユウキが答えに到達した最高の高揚の瞬間に、優雅に両手を広げた。彼は一歩も動かない。疲れることが嫌いだからだ。
「さあ、僕の可愛い演者たち! 彼の『美学』を、最も面白く、最も効率的な方法で、解体してあげなさい!」
ジェスターの合図とともに、キメラが唸り声を上げ、ブリキが巨大な斧を振り下ろしながら、ユウキに向かって同時に突進した。
ユウキの絶叫は、彼のスマートフォンが叩き壊されるその瞬間まで、ライブ配信を通じて全世界へと拡散された。それは、「悪意の興行」が始まったことを告げる、最高のプロモーションとなったのだ。
キミの「鏡」に潜む道化 ルミナスノワール @N95
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