薄紫の朝に

@kotaro1014

薄紫の朝に

 Aは躊躇っていた。この町を出ていくことを。両親や友達と会えなくなることに。18年間同じ場所で生きてきた。居心地が良かったかと問われれば答えに窮する。だが、この街には確かに慣れていた。数少ない友人たちも、みなこの町を離れるという。「それならば、ここにいる理由はない」そう思ったAは、流れに身を任せて上京を決めた。


 町を一望できる秘密の場所。原付でしか行けない丘の上が、AとBの集合場所だった。その日はこの町で会う最後の夜。ふたりは「酒を飲んでみよう」と集まった。

A「もう明日にはここにはいないんだよね」

B「ここに思い残すことなんかあるか?俺はやっとこの町を出れて清々する気分だよ。仲のいい友達なんかお前くらいだし、変に他人が介入してくるこの街の狭さに嫌気がさしてたんだ」

A「でも、お前は隣のおばちゃんによくしてもらってただろ?その言い方は冷たすぎないか。結局、葬式にも来なかったし」

B「うるさいな。駄菓子屋も、おばちゃんの家も、何もかもすぐに消えていく。もう無くなっていくことしか能がない、こんな街は消えた方がいいんだ!」

そう叫んだBの目頭に、薄紫の夕陽が反射していた。

 

 Bの両親は若くして亡くなった。小学生の頃から伯父の家に身を寄せていた。Aが遊びに行ったとき、伯父夫婦はとても優しい人に見えた。けれどBは、そこはかとない疎外感を感じていたのだ。

「血のつながった子供と、そうでない子供。同じ愛情で愛せという方が酷ではないか」

今なら理解できる。けれど未成年の頃のA達には分からなかった。

Bはよく冗談めかして言った。

「変に優しくされる方が嫌だ、逆に差別されているみたいだろう。いっその事部屋ごと隔離して、ペットみたいに育ててくれた方が良いのに。」

それは笑いながらの言葉だったが、本心だったのだろう。Aはかける言葉を探しては、いつも黙り込んでしまっていた。


 ふたりは家から持ち出した酒を並べ、飲み始めた。

A「ビールってこんなに苦いの!?父さんは毎日美味しそうに飲んでるのに」

Bは吹き出すように笑った。

B「お前、コーヒーもろくに飲めないだろう。この苦さが良いんだよ。」

彼が飲んでいたのは、喉ごしがいいと評判のビールだった。「喉ごし」なんて言葉はよく分からなかった。けれど、少し大人ぶったBが面白かった。

その後も日本酒、焼酎、ウイスキーなど色々なお酒を飲んだ。案外2人はお酒に強いようで、かなりの量を飲むことができた。


 だいぶ目が回り、立つのもおぼつかなくなった頃。Bがぽつりとつぶやいた。

B「A。お前は死ぬなよ。……いや、それじゃあ不死身になっちゃうか。せめて、俺とこんなに仲良くしてるんだ。お前には俺が死ぬまでは死なない義務がある。」

そんなことをヘラヘラというもんだから、Aも冗談で言っているのだろうなと受け取ろうとした。受け取りきれなかった。


Bの今までの苦労、駄菓子屋の記憶、シャッター商店街。


その全てが走馬灯のように脳裏を駆け抜けた。だからこそ、Aもおちゃらけたように、酔いに任せて話した。

A「当たり前だろ。俺は自分が簡単に死ぬなんて微塵も思ってないね。関東なら、すぐにどこでも行けるらしいぜ。次はあっちで飲もうよ。」

B「でも、関東は年確とかが厳しいらしいぜ。あと2年はまた我慢だな」

そう言いながら缶に残った酎ハイを飲み干した。


 気づけば、うっすらと薄紫の朝日が昇っていた。ふたりは目に涙を浮かべていた。Bも少しは思い入れがあるのではないかと、Aはなんとなく安心した。

B「そろそろ帰ろうか。朝までに帰らないとおじさんに怒られる。」

その言葉を聞いて、Aは思った。

「やっぱりBは大切にされている。」

けれど「大切にされている」と「愛されている」は、同じなのだろうか。酔った頭がぐるぐると考え始める。

A「お前は愛されているよ。友達も俺より全然多いし。…でも、お互い長生きしような」

考えもせず口から言葉が出た。Bはきょとんとしていた。さっき「死ぬな」と言ったことをもう忘れているのかもしれない。

B「何真面目な話してるんだよ。酔いが覚めちまう。それよりも早く帰ろうぜ。今だったら空も飛べそうだ。」

A「最高時速30Kmの原付で空を飛ぶなんて。B、まだ結構酔っているだろ」

そういったAもふわふわと空を歩いているような気分だった。

B「それじゃあ帰ろうか。上京したらまた会えるしな。この町は今日で見納めだ」

笑いながら泣くB

両親の眠るこの土地

綺麗な思い出も、別れで終わってしまった町。

それでも人一倍、思い入れがあったのだろう。

B「最後の山下りだ!行くぞ!」

そう叫びBは右手のアクセルを全開にし出発した。Aは呆れながらも、必死に追いかけた。


 あれから10年。今日はBの10周忌。Aはもう28歳になってしまった。秘密の丘の上にお酒をたんまりと持っていっていた。誰もきていない丘の上は、草が生え放題で、ふたりの形跡など微塵もなかった。

A「俺は約束を守って生きてるぜ。ただ、約束なんて片方だけが守っても意味はないんだよ。」

Aの目は潤んでいた。涙は頬を伝わらない。もう流す気力も残っていなかった。

Bの墓、あの坂道に酒をかけて回った。上京したら飲もうと言っていた酒だ。まだまだ足りないが、こんだけ飲ませればあっちでも楽しんでいるだろう。

「二日酔いも経験しなかったお前にはちょうどいいんじゃないか」

Aは笑った。泣きながら笑った。笑っていないと大声で泣いてしまいそうだったから。けれど、あの日の秘密基地で、Aはついに声をあげた。赤子のように泣き続けた。目を逸らした10年間の時が動き出したようだった。

彼者誰時かわたれどき にあの日を思い出して、Aは下山した。あの日と同じ原付で。もうこの町でも飲酒運転はダメらしい。昔は多めにみてくれていたのに。まあそんなことどうでもいいか。どうせ、もう誰もいない町なのだから。 


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