彼女の人生

店に入ると、店員が愛想よく声をかけてきたが、警察手帳を見せると顔色が変わり、すぐにバックヤードに引っ込んでいった。


出てきた店主は70代ほどの白髪の老人だった。腰も曲がっておらず、口調もはっきりとしている。彼は特に驚いたそぶりもなく、三人の姿を見ても、落ち着いた様子で個室に案内してくれた。


「何の御用ですか。特に警察のお世話になるようなことはしておりませんが」

ゆっくりと、落ち着いた様子で話す店主の様子は穏やかそのもの。緊張のかけらも感じられないことに、三人は少し戸惑った。


「こちらの女性を知りませんか」早速村瀬が写真を見せ、切り出した。


「・・・・・・ああ。やはり亡くなられたのですか。彼女は殺されたのですか」

何度も頷きながら、かみしめるように、静かに吐き出された言葉だった。


「ええ。浦和の倉庫街で殺されているのが発見されました」


「失礼ですが、やはり、とは」山形が飛びつくように聞いた。


「ここにはいろいろな方が来ます。お金があるのに不幸な方も、お金がないのに幸せそうな方も来ます。長いこと客商売をやって、そのような方たちを見てきますとね、この方はどのような方で、どんな人生をこれから歩まれるのか、何をしようとしているのか、なんてのがだんだんわかるようになるんですよ。刑事さんも、もう少し年を取ればわかるようになると思いますよ」


そうにこやかに語る店主は語るが、たとえ自分が100歳まで生きてもそんな領域には到達しないだろうな、と村瀬は思う。まるで坊さんの説法を聞いているような気持ちになった。


「この方は常連さんでしてね、いつも窓側の席に座って、天そば定食と、昆布のおにぎりを召し上がっておりました。よくお子さんの話をしてくださいましてね、もう何年も会っていないそうですが、いまだに会いたい。でも私にはその資格がない、そうおっしゃって寂しそうに笑っていました」

「名前などはわかりませんか」山形が身を乗り出して聞いた。


「そのようなものは聞いておりません。聞くだけ野暮というものです」


目を閉じ、亡くなった昔の友人を思い出すように店主は話を続ける。


「あの方は、我々には予想もつかないような人生を歩んでいらしたのだと思います。日の当たらぬ場所で、彼女なりに必死に生きていたのでしょう。最後にこの店に来た時におっしゃっていました。結局私はあの子に何もしてあげられなかったけど、ようやく母親らしいことができたかもしれない。もちろん、こんなことで許されるわけないけれど。そう言って泣いておられました。今思えば、自分が殺されるということが、わかっておられたのかもしれません」

「日の当たらぬ場所・・・ですか」中垣がつぶやく。

「ええ。そのような人間特有の気配を持っている方でした」

「誰かと一緒にこの店に来たことは」

「いいえ。いつもお一人でしたよ」

「ぶしつけな質問だとはわかっていますが、よろしいですか」村瀬はどうしても我慢ができなかった。今目の前で微笑んでいるこの老人に自分の疑問をぶつけたかった。

「ええ。なぜ私がそんな様子の彼女に何もしなかったか、ということでしょうか」

「はい」


「彼女が何かをしようとしていることは、店に入ってきたときにすぐに気づきました。私はいつもより注意深く、彼女を観察しました。何か犯罪を起こすような気配を感じ取れば、何としても止めようと思ったのです。いつものように注文を伺いに行くときに、彼女の目を見ました。


『いつものでお願い』


そうおっしゃった彼女の目には涙が浮かんでいました。とても犯罪など犯すとは思えない、優しい眼でした。これならよいだろう、と私は彼女をいつものように接客し、お蕎麦をお出ししました。先ほど述べたように話をして、お会計を済ませました。しかし、店の外に出る際の、ごちそうさま、という声がどこか無性に悲しく聞こえたのです。本当ならこの時点で止めるべきでした。彼女の話を聞くべきでした。しかし、私は止められなかった。あの顔を見て、止めることはできなかった。だからせめてと、ちょうど握り終わったおにぎりを渡したのです。あの時の私には、それしかできなかった」


そう言うと彼はどこか遠くを見るように上を向いて、息をつき、肩を震わせた。

「刑事さん。これは私の想像なのですが、犯人も苦しんでいると思うのです。自分の気持ちを抑えられずに苦しんでいる。どうか犯人を捕まえてあげてください。彼女のためにも、犯人のためにも」


これまでずっと穏やかな顔で話し続けてきた彼の声が乱れ、畳に頭をこすりつけんばかりの勢いで、頭を下げた。彼をなだめて、顔を上げさせると、村瀬はもう一つ質問をした。


「彼女から孤児院の話は出たことがありますか」

「孤児院ですか・・・・いえ。そのような話は一度も」


そのあと、少し質問をして三人が店から立ち去ろうとすると


「せっかくいらしたのだから、お蕎麦でもいかがですか」


彼はそう、声をかけてきた。


「ぜひ」


しばらくして運ばれてきたえび天ぷらそばは、優しく、素朴な味がした。三人がそばをすすっている間にも、続々と客が来て、彼と会話をしている。どの客も彼との会話、料理を楽しみ、また彼も客との時間を楽しんでいることがよく分かった。

いい店だな、と村瀬は思った。

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秘密の守り人 @sun65445

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