第3話はいよ。
はいよ。
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「斬新かつ普遍的。若者の心にフックし、シニア層の共感を呼ぶ。そんな奇跡みたいな言葉を、明日の午前中までによろしく」
電話の向こうで、クライアントは悪びれもなくそう言った。まるでコンビニでおにぎりを頼むような口調だった。俺は「はい…」と蚊の鳴くような声で答え、通話を終える。手の中のスマホが、ずしりと重い。
公園のベンチに深く腰掛け、天を仰ぐ。俺、佐藤誠(さとうまこと)、三十五歳。肩書きは、キャッチコピーライター。聞こえはいいが、実態は言葉のフリーターだ。奇跡は、そう簡単には起きない。もう三日も、ノートは真っ白なままだった。
「何をそんなに難しい顔をしておるんじゃ?」
不意に、隣から声がした。見れば、いつもこのベンチで日向ぼっこをしている老人が、猫のように目を細めてこちらを見ていた。
「ああ…仕事で、ちょっと」
曖昧に答えると、老人は「ほう」と興味深そうに頷いた。
「言葉を売る仕事なんです。まあ、売れてないんですけどね」
自嘲気味に笑う俺に、老人は「言葉を売る、か。そりゃあ面白い」と皺くちゃの顔で笑った。
「じゃあ、おじいさん。試しに、この水道のキャッチコピー、考えてみてくださいよ」
半ば八つ当たりのように、俺は目の前にある、何の変哲もない公園の水道を指さした。蛇口は錆びつき、受け皿には枯れ葉がたまっている。こんなものに、売れる言葉なんてあるものか。
老人は、しばらく黙って水道を見つめていた。やがて、ゆっくりと口を開く。
「『蛇口の向こうは、ふるさとの雨。』」
…え?
俺は息を呑んだ。そのたった一言で、目の前の古びた水道が、まったく違うものに見えた。蛇口をひねれば、子供の頃に駆け回った山の、あの夏の夕立の匂いが立ち上ってくるような気さえした。俺が三日三晩ひねり出そうとしていた、小手先だけの言葉が、一瞬で色褪せていく。
「す、すごい…! すごいですよ! あなた、一体何者なんですか!?」
俺は思わず身を乗り出した。
「はて、ただの年寄りじゃが」
老人はからからと笑うだけだ。
「じゃあ! じゃあ、このベンチは!? この、俺が座ってるベンチのコピーは!?」
興奮してまくし立てる俺に、老人はゆっくりとベンチの座面を撫でた。その手つきは、まるで長年連れ添った友をいたわるようだった。
「そうさなあ…」
少しだけ遠くを見るような目をして、老人は言った。
「『おかえり、と言わない、君の居場所。』」
…ああ、そうか。
俺がこの公園の、このベンチに吸い寄せられるように来てしまうのは、そういうことだったのか。誰にも何も言われず、ただ、ここにいることを許される。そんな無言の優しさが、この場所にはあったんだ。
俺は、言葉を失った。斬新とか、普遍的とか、フックとか、共感とか。そんなものは、どうでもよくなった。本当に大切なのは、きっと、もっと別のところにある。
「…ありがとうございます」
俺が絞り出すように言うと、老人は「腹が減っては、良い言葉も浮かばんぞ」と言って、ごそごそとポケットを探り、シワだらけの飴玉を一つ、俺の手に乗せてくれた。
口の中に放り込むと、やさしい甘さがじわりと広がった。涙が出そうになるのを、ぐっとこらえる。
顔を上げると、老人はもう、いつものように目を細めて、遠くの空を眺めていた。
俺は、真っ白なままだったノートを開いた。そして、震える手で、最初の言葉を書きつける。
『ポケットで、百年分のやさしさを握りしめていた。』
…なんてね。
まだ売れる言葉じゃないかもしれない。でも、なんだか、もう一度だけ、言葉を信じてみたくなった。公園の空は、呆れるくらいに青かった。
『一行販売所、本日も開店休業』 志乃原七海 @09093495732p
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