第3話 逡巡
「けーくん、おっはよ〜」
「はよ、あっきー」
「ユイとサトは欠席だってさ〜。この地区のうちの学年、3分の2くらいが欠席だったし。けーくんはマジメだねぇ」
「そう言うあっきーだって来てんじゃん」
「オレはけーくんが行くって言うから来たの。だってけーくん、オレがいないとぼっちだもんね?」
「なんだよ、それ。失礼だなー」
んなことねーし、と笑いつつ、慧は晶の隣に腰を下ろす。
8月4日、日曜日。最後のラジオ体操、兼地区の清掃活動の日である。
「あ〜、にしても日曜に6時起きとか最悪だわ…」
「ついでに保護者参加アリってのも、キツいよね〜」
「ほんっとそれな。保護者参加は小学生まででいいだろ、絶対」
「おっしゃるとーり!」
「賛同の仕方が取り巻きとか会社の下っ端のそれじゃん」
「あっはは、言い得て妙だねけーくん」
「ちなみに聞くけど、『言い得て妙』の意味知ってて使ってる?」
「…半分くらい?」
「半分かよ」
「も、わかってない」
「いやわかってないんかい!」
漫才のようなやり取りをしつつ、慧は辺りを見回す。
「あっきーんとこは、お母さん?」
「うん、来なくてもいーよって言ったんだけどね〜。おとーさん夜勤明けだからっておかーさんが来た。けーくんとこは…おとーさんか」
「俺も来なくていいって言ったんだけど。こういうイベント、母さんは来ないけど父さんは来るからなー、大体」
そんな他愛もない会話を繰り広げつつ、慧はぼんやりと3日前のことを思い出していた。
(帰りたくねぇなぁ、あの世界には…)
元の世界には、友達である晶はいない。唯太も、理聡も、友達として近くにはいない。
いるのは、小学生の頃に比べて随分と減ってしまった、そして友達と言えるのかどうかも曖昧な相手。 彼らに対して、本音とも演技ともつかない言動を、のらりくらりと繰り返す。
どこか味気なくて、寂しくて、息苦しくて、狭い世界。
この世界では、晶はまだ親友のままだ。唯太も、理聡も、縁が切れないまま友達として近くにいる。他にも沢山の同級生や後輩たちも、慧の友達でいてくれる。
本音とか、演技とか、そんなことを考えないで、ただ皆と一緒にくだらないことで笑っていられる。
この世界に来てから失ったモノなんて、目を向けなければないのと同じ。
くだらないけど、楽しくて、賑やかで、でもどこか後ろめたいような生活。
「…あっきーはさぁ」
「ん? なーに?」
「…もし、自分が本来生きるべき場所で生きるのが辛くて、すげぇしんどい思いしてるって時にさ。自分がすげぇ生きやすくて…元の世界で悩んでたこととかが、全部なかったことになってる世界に行ったら、どうする?」
「何よ、急に。けーくんなんか悩みでもあんの?」
そう少し揶揄ってから、晶は足元を見つめてうーんと呟く。
「生きづらい本当の世界
「わかんない?」
「うん。オレ自身にもその生きづらさの原因があったなら、元の世界に戻ってやり直したい、って思うかもだし。その生きづらさがオレ以外のどーしようもないものが原因だったり…自分が原因でももう今更自分にはどうしようもできない、どう頑張ったって現状は変わらない、って思ったら、『偽物でも幸せな方がいい』って思っちゃうかもだし」
そして顔を上げると、慧を見て言った。
「結局は、自分がどーしたいか、なんじゃないの。それにどっちの世界を選んだって、最終的な生き方を決めるのは自分自身で、それに正しい答えなんてモンはないんだからさ」
「…そっか…」
「…やだ、なんかガラにもないマジメなこと言っちゃったオレ? あ、でも我ながら名言ぽい? てかさてかさ、けーくんはそんな状況になったらどーすんの?」
少し笑って問い返す晶の無邪気な瞳と声に、慧は一瞬言葉に詰まる。
『最終的な生き方を決めるのは自分自身』
『正しい答えなゆてモンはない』
その言葉が、2つの世界の間で揺れていた慧の心に響いたからだ。
「…俺も、わかんないや」
「あはっ、だよな〜! ってか、そんな漫画みたいなこと起きるワケないし? 考えるだけ時間の無駄っしょ! 今自分に出来ることを精一杯頑張って、今この瞬間をエンジョイする! これが1番いい答え!じゃね?」
やば、今日のオレってばなかなかの名言製造機じゃね? と呟いながら楽しそうに笑う晶を見て、慧も少しずつ表情を和らげ、そして少し苦笑した。
確かに現実的に考えれば有り得ないけど、俺は今まさにその漫画みたいな状況に陥ってるんだよなぁ、何故か、と。
「…ま、あっきーの言う通りかな」
今のところは、と心の中で付け足す。
「にしてもけーくん、面白いこと考えんね〜。そだ、小説でも書いてみれば?」
「小説?」
「おもしろそーじゃん。それにけーくん漫画以外の本もいっぱい読んでるっしょ? 向いてんじゃない?」
「そうかねぇ…って、ラジオ体操始まってんじゃん」
「うわわ、オレらのおしゃべり目立っちゃってたかな」
「いいんじゃね? 別に。赤信号ならぬ目立つのも、1人じゃなければ怖くない! つって」
「あはは、けーくんの言う通り! って、口じゃなくて身体動かさなきゃでしょ〜!」
そんな雑談と笑顔の裏、慧は晶の言葉を、何度も心の中で反芻していた。
✦⋯▽⋯✧
「最終的な生き方を決めるのは自分で、正しい答えなんかない、ねぇ…」
ここ数日、日曜日に雑談の中で晶が言ったセリフを、慧は何度も思い返している。
(んなこと言ったってさぁ。それだってまぁ真理なんだろうけど、でも生き方を決めるのって7、8割は環境じゃん。親とかは選べるわけじゃないんだし。別の場所で生きたいって言ったって、子供にできることには限度があるわけで)
晶の言葉も慧の考えも、どちらも一理はあって、間違っていない。むしろ、最初から正しい答えなど存在しない問題なのだ。その点では、晶の考えのほうが優勢だろうか。
生きづらくても本当の世界を選ぶか、偽物でもいいから幸せな世界を選ぶか。
言葉にすると単純でも、この問題の奥は果てしなく深い。結局は、自分が何を望むかなのだ。“本物”を追い求めるのか、“幸せ”を手にするのか。
「…それがわかんねぇから、困ってんだって…」
元いた本当の世界にだって、幸せがなかったという訳ではない。ただそれ以上に、息苦しさのほうが大きかったのだ。
その逆もまた然りで、今いる偽物の世界にも、小さな不満や息苦しさはある。ただ、この世界で生き続けることのデメリットに対し、目を瞑っているだけで——。
「…わかんねぇこと考え続けてても、しょうがねぇか」
誰かに、話を聞いてほしかった。
『また、来てね』
不意に、そう言った少女の顔が頭に浮かぶ。神社へ向かおうと、慧は腰を上げた。
「…あっちぃ…」
呟きながら、慧は自転車から降りる。
「てか、来ちゃったけどいるのか…?」
『いつでも此処で待ってる』と言ってはいたが、彼女にも予定というものがあるのではなかろうか。
いないかもな…という慧の考えに反し、やちよは神社に現れた。それも慧が祠に手を合わせて木の根元に腰を下ろした、前回と同じタイミングで。
「1週間ぶり? いや、まだそんなには経ってないかな」
「…ん」
「どうするか、決めた?」
慧の顔を覗き込むように、やちよは少し首を傾げる。
「…残念ながら」
慧はそう呟きながら、小さく首を横に振った。
「俺、どうすりゃいいのかわかんなくなっちゃってさ…。前は、偽物でも幸せな方がいい、って思ってたんだけど。…でも、前の世界にはあってこの世界にはないものもあるって、今更だけど、気づいて…」
やちよは慧の隣に腰を下ろすと、時折頷きつつ、慧の話に耳を傾ける。
「あっきーが——友達がさ、言ってたんだ。最終的な生き方を決めるのは自分自身で、正解なんてないんだ、って。…当たり前だって、きっとみんな思うんだろうけど」
慧は話しながら、あぁ、自分はこんなことを考えていたのか、と気がつく。
アウトプットはやっぱり大事なんだなと、どうでもいいことが頭に浮かぶ。
「でもさ、俺たち人間って、無意識のうちに他人とか環境とかに生き方を委ねちゃったり、“絶対の正解があるんだ”って思ったりしてる時って、あるんじゃないのかな、って…」
話すと言うよりもほとんど呟くように、慧は続ける。
「むしろ、そう思ってないと、生きていけないんじゃないかって。みんな何かしら、縋るモノがないと、さ。俺の場合、その縋るモノ…縋りたいモノが、この世界なのかな、って思ったり」
慧は最後、呟きにも満たないような小さな声で言うと、少し俯いて口を
少しの間、2人がいる神社に沈黙が落ちる。蝉の声だけが、静かに、けれど忙しなく響く。
「…慧ちゃん、すごいね」
沈黙を破ったのは、やはりやちよの言葉だった。
「…すごい?」
少し訝しげにやちよのほうを見た慧に、やちよは頷く。
「うん。そこまで考えれてるの、すごいと思うよ。すっごく難しい問題なのに、投げ出しちゃったほうが楽なはずなのに、そうしないで一生懸命向き合おうとてる」
いつの間にか、蝉の声が止んでいた。
「一生懸命向き合って、色んなことを感じて、考えて、それを言葉にして——そして正解なんてないってわかったうえで、でもどうするのが自分にとっての正解なのかって考えてるんでしょう? すごいよ、慧ちゃん」
「…そう、かな…。…そりゃどーも」
直球に『すごい』と言われて照れ臭くなったのか、慧は視線を斜め下に向けながらそう呟く。
「…でもま、君から見た俺がどんなにすごくたって、さ。結局は迷ってんだ。いくら生き方に正解がないっつったって、どう生きたいかってのは、自分の中にだけは正解があると思うんだ。でも俺、どうしたいのかも自分でわかんない。自分の中の正解すら、わかんないんだ…」
「そっかぁ…」
んー、と呟き、やちよはしばらく空を見上げる。
慧もつられるように、少し顔を上げる。見上げた空は、少し雲に覆われていた。
「…そんなにさ、難しく考えなくても、いいんじゃないかな?」
「…難しく…考えてた? 俺」
「うん。めっちゃ難しいこと考えてたと思うよ。…なんなら、考えすぎてた、くらい?」
「マジか…」
「だからね、生き方とか、その正解とか、偽物とか本物とか。いいんだよもう、そんなことは。どっちにいたいか、どっちにいたほうが難しいこと考えなくて済むのか。それでいいじゃない。どちらにせよ、生きていくことには——生きていかなきゃいけないことには、変わりないんだから」
やちよは一気に話すと、少し言葉を切って息を吸う。
「それに、結局は選んだ方に順応してくんだよ。人ってそういうモノだもの。どんなに嫌でも、辛くても、あの頃に戻りたいって思っても。結局は毎日その場所で生きてくうちに、良くも悪くも慣れていく。ふと思い出す以外、戻りたいと思うことだってなくなっていく。…慧ちゃんだってそういう経験、あるでしょ?」
「…あるな、確かに」
例えば、新学期が始まった時。友達とクラスが離れたり苦手な人と同じクラスになったりして、前のクラスに戻りたい、去年の方が良かったと思うことがある。
はじめのうちは毎日のようにそう思うけれど、夏休みに入る頃にはいつも現状に妥協して、今のクラスに順応している。
それを、毎年繰り返す。
はじめはあんなに前のクラスのほうが良いと思っていたのに、1年が終わる頃にはクラス替えをしたくないと思っている。新学期に入ってクラス替えが行われると、前のクラスに戻りたいと思う。
そしてふと、去年の今頃も全く同じことを思っていたなと思い出す。その思考は、毎年ループしていく。
「…俺も、そんくらい簡単に考えて生きられればよかったな」
「慧ちゃん…」
「でもなんか、洗いざらい吐き出したらちょっとすっきりした。…それでもまだ、俺はそんなにきっぱり割り切って、どっちの世界で生きるかとかは、決めらんないけど…」
慧は、やちよの目を見つめる。そういえば、自分から目を合わせたのは初めてだな、と思う。
「タイムリミットは、最終日なんだろ? それまでには、どうするか——どうしたいか、ちゃんと考えておくからさ。…ありがとな、色々聞いてくれて」
「ううん、どういたしまして」
やちよが頷くのを見た慧は、立ち上がる。
「じゃ、今日は俺、一旦帰るわ。…またな」
「うん」
小さく手を振って神社を出ていこうとした慧の背中に、やちよはハッとして呼びかける。
「慧ちゃん! 来れる日は、なるべく毎日此処に来てね! じゃないと、また前みたいになっちゃうから…!」
前みたいに、とは、きっと2人が初めて出会った日のことだろう。
慧は振り返って頷く。
鳥居をくぐってふと空を見上げると、雲の隙間から青空が覗き始めていた。
✦⋯▽⋯✧
「…やちよはさ、なんでそんなに色々知ってんの?」
あれから慧は、ほぼ毎日この神社に来ている。来るのは大体夕方だった。
あの日以来、2人はやちよの言うような“難しい話”はしていない。なんとなくこの場所に来て、なんとなくあったことを話す。
時折、慧は彼女に質問する。「苗字は?」「家族は?」「何処に住んでるの?」「なんで毎日此処にいるの?」…けれどやちよは、曖昧に誤魔化したり首を振ったりするばかりで、慧は名前以外、彼女に関することは何一つ知らなかった。
「色々知ってるって?」
「だから、此処が本当の世界じゃない、とかさ。俺の名前だって、話す前から知ってたし」
「…んー…。…私、普通じゃないからさ」
そう言って、やちよは少し微笑んだ。
「普通の人間として生きれないの。これまでも、これからも、ずーっとね。だから、その代わりに色んなこと知ってるんだ。いつも独りだったから、すっごく暇でさ。慧ちゃんが来てくれるの、嬉しいんだ」
また、答えになってないし、はぐらかされたとも思ったけれど、その口調がどことなく寂しそうで、慧は深くは聞かずに、
「…そっか」
と頷いた。
「にしても、夏休みももう後半戦かー。あー、学校行きたくねぇなー」
慧は空気を変えるようにそう呟く。
「てか、学校うんぬんの前に大本の世界をどうするか考えなきゃ…か」
「んー、だねぇ」
「仮に元の世界に戻ったとしても、また会えるよな?」
「ん…それは…」
やちよはすこし口籠もる。少し考えてから、
「…慧ちゃんが、どうするのか決めたら教えてあげる」
と言い、少しだけ微笑んだ。
慧にはそれがどうしてか、少し寂しげな笑顔に見えた。
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一夏の自分探し。 月空 翼途 @ku_to
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