それでも、踏み出せなくても、「憶病」とはならない。

 いじめというからひとくくりにされてしまうが、程度も、心に与える傷の深さも、それぞれだ。そして、した側が反省するかどうかも、された側が相手を赦せるかどうかも。

 人というのは厄介なもので、謝罪する姿を見てしまうと、「こんなにしているんだから赦してあげればいいのに」「ここまでされたら赦さないといけないのか」といった感情が揺れ動いてしまうことがある。それをいっぺんに処理してその場でなんらかの回答を出すことは、難しいばかりか残酷な場合もある。加害者が心から反省し、被害者がそれを受け入れて、友情を築き直す……こう要約すると美談に聞こえがちだが、内心では当事者たちが、自分自身を血みどろにしながら立ち上がろうとしている。その結果、やはりやり直すことはできなかったという結論に達しても、第三者にそれをけなす権利はないだろう。
 あえて、そんな茨の道を歩き始めた登場人物たち。その先が非常に気になるところだけれども、見届けることはかえって残酷なのかもしれない。これがいじめの理想的な終わり方なのかどうかはわからないが、ひとつの節目であることは間違いなさそうだ。
 かつて被害者だった主人公の、心の傷から血が噴き出るような、それでもゆっくりとかさぶたに変わりつつあるような、繊細な描写が胸に迫った。