薩摩転生 薩摩隼人が戦国時代の覇者になって鹿児島国を作るでごわす

@tanaqma

第1話 灰とスマホと西郷隆盛

(……ああ、詰んだ)

2024年、鹿児島市、天文館。

本屋のアルバイト(非正規)を終え、私は天を仰いだ。

1月23日。

私の24歳の誕生日。

そして、私の敬愛する幕末の英雄、西郷隆盛と同じ誕生日 。

図書館司書を目指していた夢は、見事に散った。

女子校育ちで、運動も音楽もダメ。

歴史オタク(特に島津斉彬公 と島津義弘公 が好き)なことだけが取り柄の私に、仕事はなかった。

「……せめて、自分にご褒美を」

私は、スマートフォンの電子マネーを開き、バイト代でささやかな贅沢をしようと歩き出した。

父を早くに亡くした私にとって、誕生日はいつも一人だ。

大好きな「白熊」 のかき氷。

それとも、今夜は「軽羹(かるかん)」 と、こっそり買った「芋焼酎」 で一人乾杯しようか。

そう思った、次の瞬間。

視界が、白く染まった。

(……え? バスの、ライト?)

ドン、という衝撃はなかった。

ただ、意識が急速にブラックアウトしていく。

握りしめたスマホの、冷たい感触だけを残して。

◇◇◇

……臭い。

なんだ、これ。

磯の匂い。硫黄の匂い。

そして何より……強烈な、「糞尿(ふんにょう)の匂い」。

(……下水処理場?)

目を開ける。

視界に飛び込んできたのは、空。

そして、灰色の噴煙を上げる、巨大な山。

「……桜島?」

見間違えるはずがない。

だが、違う。

私が知っている桜島じゃない。

大正噴火で大隅半島と陸続きになった、あの姿じゃない。

目の前のそれは、荒々しい山肌をむき出しにし、海峡によって隔てられた、紛れもない「島」だった。

「どこだ、ここ……」

私は浜辺に打ち上げられていた。

服装は、本屋のバイトで着ていた制服(チノパンとポロシャツ)のまま。

幸い、ポケットのスマホは無事だ。

……いや、無事どころじゃない。

震える指で電源ボタンを押す。

画面が点灯した。

バッテリー残量:【100%】

電波強度:【5G】(バリ5)

「は……?」

あり得ない。

5G? 桜島のこんな浜辺で?

ブラックボックスだ。

私は、最悪の(あるいは、歴史マニアにとって最高の)可能性に突き当たり、Geminiアプリを起動した。

「……Gemini。現在地。……そして、現在日時を教えろ」

『……』

数秒の沈黙。

スマホが環境音を拾っている。波の音、鳥の声、そして遠くから聞こえる、誰かの怒鳴り声。

『現在地は薩摩国、鹿児島湾沿岸。

日時は、天文観測データ、桜島の形状、および周辺の言語サンプル(環境音)の分析から……天正五年(1577年)十二月と推定されます』

「……てんしょう、ごねん……」

喉がカラカラになった。

1577年。


「マジかよ……!」

歴史オタクである私の脳が、瞬時にその日付の意味を理解する。

天正五年十二月。

それは、日向(ひゅうが)の伊東義祐(いとうよしすけ)が島津家に惨敗し、豊後(ぶんご)の大友宗麟(おおともそうりん)の元へと逃げ込んだ、「伊東崩れ」 が起きた、まさにその直後じゃないか!

(ってことは……)

ゴクリ、と唾を飲む。

(来年(1578年)は、伊東に泣きつかれた大友宗麟 がブチ切れて、数万の大軍を日向に送り込んでくる。……あの、島津が奇跡の大勝利を収める『耳川の戦い』 の、直前だ!)

(私の大好きな、島津義弘公 が大活躍する……!)

いや、感動してる場合じゃない。

この時期の薩摩は、大友との全面戦争を前に、極度の緊張状態にあるはずだ。

特に、こんな沿岸部は、「間者(スパイ)」を厳しく警戒しているに違いない。

(……やばい。この格好(バイト着)、やばすぎる)

「ああ……」

私は、もう一つ、絶望的な事実に気づいてしまった。

(この時代、まだサツマイモ が伝来してない……!)

(私の大好きな軽羹 も、白熊 も、芋焼酎 も、この世に存在しない!)

その時だった。

◇◇◇

「おい、きさん!」

背後の茂みから、野太い声がした。

振り返ると、二人の男が立っていた。

粗末な麻の着物。肌は垢に汚れ、手には竹槍。

男A:「おい、きさん! 見(み)っけねど顔(つら)じゃっど! どけ(どこ)の者(もん)か!」

男B:「(私のポロシャツを指差し)なんじゃ、そん南蛮(なんばん)とも違(ちご)う恰好(かっこ)は! 怪(け)しからん!」

(……だめだ)

私は冷や汗が噴き出すのを感じた。

(日本語じゃない。何を言ってるか、一ミリも分からない!)

「あ、あの……」

私が何かを言おうとした瞬間、男Bが竹槍を振り上げた。

その目は、完全に獲物を狩る目だ。

男B:「大友(おおとも)の手先(てさっ)か! チェストー!」

「ひっ……!」

死ぬ!

私は咄嗟に、盾にするように、握りしめていたスマホをかざした。

その瞬間。

スマホの画面が眩しく発光した。

『[音声認識:薩隅方言(高レベル)]』

『[翻訳(意訳)]:貴様! 見かけない顔だな! どこの者だ!』

『[翻訳(意訳)]:なんだその南蛮人とも違う服は! 怪しい!』

『[翻訳(意訳)]:大友のスパイか! 殺せ!』

Geminiの翻訳が、絶望的な現実を私に突きつけた。

スパイ容疑。

「ま、待って! 違う!」

私は、その場で尻餅をつき、両手を上げて降参のポーズを取った。

武力、ゼロ。抵抗、不可能。

「……」

男たちは、しかし、動きを止めていた。

私のあまりの貧弱さ、小柄な体、腰抜けっぷりに拍子抜けしたのか。

男A:「……なんじゃ、こん小僧(こぞう)。弱(よわ)っちか……」

男B:「……そん板(いた)、妖術(ようじゅつ)か? とにかく、上(うえ)ん者(もん)に突(つ)っ出(だ)せ」

『[翻訳]:なんだ、こいつ。弱々しい……』

『[翻訳]:その板は、妖術か? とにかく、上の者に突き出そう』

(……小僧?)

私は、ハッとした。

(そうだ、この中性的な見た目と、バイト用のチノパンのおかげで、性別がバレてない?)

そうだ。この時代、女だとわかった瞬間に、スパイとして拷問されるか、それ以上に悲惨な扱いを受ける可能性が高い。

運動音痴で、女子校育ちの私に、生き残る道は一つ。

(決めた。私は今日から「男」になる)

◇◇◇

私は粗末な縄で縛られ、小高い丘の上にある「内城(うちじろ)」 へと引き据えられた。

質素すぎる、砦のような屋敷。

板張りの間に座らされた私の前には、四十代ほどの厳つい武士が座っていた。

島津家の家老、上井覚兼(うわいかくけん) か、伊集院忠棟(いじゅういんただむね) か。

とにかく、この場の責任者だ。

武士:「(薩弁)貴様(きさん)、そん板(いた)は何(な)んか。妖術(ようじゅつ)か。……それとも、大友の間者(かんじゃ)であろうが」

手元のスマホが、無情にも通訳する。

『[翻訳]:貴様、その板は何だ。妖術か。それとも、大友のスパイだろう』

(違う、スパイじゃない!)

心臓がドラムのように鳴っている。

武士が、しびれを切らしたように床を叩いた。

「名(な)を申(も)せ!」

「あ……!」

(名前……! どうする!)

(好きな人物、島津義弘公 の名を騙る(かたる)なんて畏れ多い)

(……そうだ)

私の脳裏に、今日という日付が浮かんだ。

1月23日。

私の誕生日。

そして、私の敬愛する、もう一人の英雄の誕生日 。

(この薩摩(くに)で、この名を名乗る重さを、私は知っている)

(でも、これしかない!)

私は、震える声で、覚悟を決めて叫んだ。

「……さ、西郷(さいごう)!」

「西郷隆盛(さいごう・たかもり)……と、申します!」

「……」

空気が、凍った。

目の前の武士が、ゆっくりと目を剥いた。

武士:「……西郷(さいごう)?」

その姓(みょうじ)には、反応した。

この時代、薩摩に西郷氏 は実在する。

だが、武士は怪訝(けげん)な顔で、私の言葉を繰り返した。

武士:「……タカモリ?」

の「隆盛(たかもり)」という名には、全く心当たりがない、という顔だ。

武士:「(薩弁)きさん、西郷家を騙(かた)るか! 怪(け)しかっど!」

『[翻訳]:貴様、西郷家を詐称するのか! 怪しい奴め!』

ガシャン!

武士が、怒りに任せて脇差の鞘(さや)を払った。

冷たい刃が、私の喉元に突き付けられる。

(やばい! やばい! 失敗した!)

( の西郷家は実在するんだ! の「タカモリ」が、この時代にいないだけだ!)

(つまり私は、「実在する家の、実在しない人物を名乗り、妖術の板を持って、大友との開戦直前に浜辺にいた男(と誤認されている)」になったんだ!)

死刑(チェスト) 確定だ。

「待っ……待ってください!」

私は、最後の力を振り絞って叫んだ。

この状況を打開できる、唯一の「知識(チート)」 を!

「私は、私は……! 来年、大友が、大軍を率いて日向に攻めてくることを知っている!」

武士の動きが、止まった。

その目には、殺意と、それ以上の驚愕が浮かんでいた。

(第一話 完)

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